個人活動 / 宇宙飛行士挑戦エバンジェリスト
1975年新潟県生まれ、埼玉県育ち。JAXAで新型宇宙船を開発しつつ、宇宙飛行士挑戦エバンジェリストとしても活動中。興味のあることを見つけたら、まずはとにかく首をつっこむ。首をつっこんだからには、それができるように努力をする負けず嫌い。一歩踏み出して、そこが道になっていくということを繰り返して、新しい道を作っていきたいと考えている。
2020年10月 -
(宇宙飛行士)挑戦の素晴らしさを広く伝道する。宇宙飛行士を志す人を応援する。
J-WAVE『STEP ONE』に出演
2021年4月
「Abema Prime #アベプラ ABEMA NEWS! 」ゲスト出演
2021年3月
「宇宙探査時代の新たな宇宙飛行士選抜への挑戦~これからの時代に求められる飛行士の資質と、選抜・訓練の新たな可能性~」出演
2021年2月
13年ぶりにJAXAが宇宙飛行士を募集!前回ファイナリストの話を聞いてみた | Dybe! 【インタビュー】
宇宙飛行士選抜試験や「不合格」という挫折を、どのように乗り越えていったのか語った。
2021年2月
「voicy 荒木博行マスターのbook cafe」出演
2021年2月18日〜20日の計3回の配信に出演した。
2021年2月
ログミーBiz 内山崇x黒田有彩「2021秋 宇宙飛行士選抜試験への挑戦!」登壇
本屋B&Bで黒田有彩さんと対談を実施。
2021年1月
【宇宙兄弟】宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト内山崇×NASAエンジニア小野雅裕トークセッション
2021年1月
『宇宙飛行士選抜試験 ファイナリストの消えない記憶』 | SBクリエイティブ 上梓
2020年12月
noteをスタート
2020年10月 -
2016年1月 -
地球低軌道から月周回軌道へ挑戦する。有人飛行も見据え、2代目「こうのとり」を作る。
現号機の「こうのとり」(HTV)を運用、グレードアップさせて、2代目「こうのとり」(HTV-X)を開発中。宇宙ステーションへの物資輸送のみならず、様々な先進的技術実証ミッションを行い、月周回ステーションへも物資輸送できるような宇宙船を作りたい。もっと遠くに、ゆくゆくは人を乗せて……という夢を描いている。
2016年 -
2009年
チームで「こうのとり」(HTV)のミッションを確実に成功させる。
2018年9月
ISSにバッテリーを大量輸送
2016年12月
フライトディレクターの認定を受ける
正式なフライトディレクターとして認定を受け、実際のミッションに入ることができるように。認定を受けただけでは実力不足だと思い、ミッションや訓練を100回以上重ね、実力を磨いていった。ちなみに「こうのとり」(HTV)の初号機から最終9号機まで現役でフライトディレクターの任務を担当したのは僕一人だけです。
2009年
2008年
日本で初めて、無人宇宙船を有人宇宙基地にランデブさせる任務を、オールジャパンチームでやり遂げる。
2008年 - 2010年
NASAと合同シミュレーションを行う
未熟なチームながら、シミュレーターのなかで実際に「こうのとり」(HTV)のドッキングなどのミッションを行う訓練を実施。通常よりも不具合やトラブルが多く仕掛けられた訓練で、自分たちの宇宙船が安全であることをうまく伝えきれず、NASAに怒られてしまった。JAXAの上司からは「それがわかっていてアサインした」と言われ、実力をつけていかないとと改めて気を引き締めた。
2009年
2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験受験に挑戦
「こうのとり」(HTV)初号機の打ち上げ前で完全に油断していたところ、10年ぶりに宇宙飛行士の募集がスタート。10ヶ月に及ぶ試験に挑み、ファイナリストに選ばれるも落選。ショックだったが目の前にやるべき仕事があったことが救いになった。
2008年 - 2009年
JAXAに転職
2008年3月 - 2008年4月
2000年 - 2008年
とにかく有人宇宙開発に身を置きたい。
「こうのとり」(HTV)を開発
入社と同時に希望していた「HOPE」プロジェクトが凍結し、宇宙に物資を輸送する「こうのとり」(HTV)の開発に携わる。社会人になり日本人も宇宙飛行士になれるということを知るも、それまで定期的に行われていた宇宙飛行士選抜試験がしばらくなくなってしまったので、本来やりたいと思っていた宇宙開発の仕事に打ち込む。CADや設計図の作成、バネの選定まで、修行だと思いながら業務に向き合っていた。
2000年 - 2008年
JAXAに出向
「こうのとり」(HTV)の開発事業のため、IHIに籍を置きながらJAXAに出向。「こうのとり」(HTV)の開発をほぼ完了。一度IHIに戻ったが、2008年にJAXAの中途採用試験を受けることに。
2004年 - 2007年
1998年4月 - 2000年3月
宇宙開発の仕事をしたいと思いながらも、その延長として、何年か働いたら宇宙飛行士の選抜試験を受けたいと密かに考えていた。
宇宙開発の研究に打ち込む
大学院では「宇宙空間における原子状酸素による炭素系材料の劣化の定量化」をテーマに研究した。
1998年 - 2000年
バドミントンサークルで全国大会出場
1998年4月 - 2000年4月
1994年4月 - 1998年3月
「大人になる頃には誰もが宇宙に行く世界になる」という思いから、その先にある宇宙飛行士を見据え、宇宙エンジニアになろうと航空宇宙工学を学んだ。
大学時代にしかできないことを謳歌
進振でなんとしてでも航空宇宙工学科へ進みたかったため、社交性と容量の良さを駆使して単位をかき集める。
1994年
スペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故に衝撃を受ける
10歳の時に見たスペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故に衝撃を受けたと同時に、スペースシャトルという宇宙船が実際に宇宙に行く時代になっていた事実を初めて知り、宇宙開発に携わりたいという思いが芽生える。
1986年1月
2021年4月
2021年3月
2021年3月
2021年2月
2021年2月
さらに表示
2021年4月
2021年3月
2021年2月
2021年2月
2021年2月
さらに表示
アプリをインストールして、知り合いの最新の活躍をフォローしよう