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タレント河辺千恵子さんが難病を克服し、ピラティスインストラクターに転身するまで

ピラティスを継続的に実践することで、身体や精神、はては人生そのものが変わったという先輩たちの話から、ピラティスで自分を「変える」ためのヒントを得ようというこの連載。今回紹介するのは、モデル・タレントからピラティスインストラクターへと転身、この4月からBASI恵比寿スタジオで教える河辺千恵子(現・Chieko)さんだ。突如襲われた耳管開放症という難病を克服し、新たな道を歩み始めるまでを聞いた。

順風満帆な人生を突如襲った「耳管開放症」という難病

ピラティスやヨガを始める動機というのは人それぞれだが、腰痛や肩こりに悩まされていたり、スポーツや表現活動のパフォーマンスが伸び悩んでいたりと、人生における何らかの挫折や失敗がきっかけという人が少なくないのではないだろうか。

今回お話を伺った河辺さんも、そうした挫折を経てピラティスを始めるに至った一人だ。しかも、かなり劇的な形で。

「小さいころから安室奈美恵さんに憧れていた」という河辺さんは、10歳で子役としてデビュー。以後、モデル・タレントとして幅広い領域で活躍した。その後も数多くの料理本を出版するなど、誰もがうらやむような人生を送ってきたように見える。

ところが25歳の時に突如、思わぬ悲劇が河辺さんを襲う。「耳管開放症」という難病を患ったのだ。

「自分の声や呼吸音が頭の中ですごく響いて、めまいが続くようになりました。自律神経にも影響が出るので、肩や腰が張ったり、呼吸がすごく浅くなったり……。自分としてはすごく辛いのに、見た目には分かりづらい症状でもあるので、周りから理解されないという温度差に何より苦しまされました」

耳と鼻の奥をつなぐ耳管は本来、開閉することで内外の圧力を調整する機能を担うが、この病気にかかるとそれが開きっぱなしになってしまう。ストレスや睡眠不足、大幅な体重減などが原因とされるが、これといった治療法は見つかっておらず、人によっては10年以上にわたって悩まされ続けることになるという。

「私自身も長く付き合っていくものと割り切って漢方や鍼治療に取り組むことにしましたが、その頻度はどんどん上がっていきました。最悪の時には2日に1回、鍼治療に通わなければならないような状況でした」

目に見えて減る鍼治療の頻度に効果を確信。トレーナーの道へ

このままでは辛すぎる。なんとか根本からの改善はできないものかーー。そう思ってすがったのが、ピラティスだった。


実は、河辺さんはBASIに入会する以前にも、個人トレーナーと契約して主にダイエット目的でピラティスをやっていた時期があった。加圧トレーニングの指導免許も取得するなどもともと体に対する関心は高かったが、「中でもピラティスは自分の体と相性が良い」と感じていたという。

そうしたもともと持っていたポジティブなイメージに加えて、体験レッスンを通じて感じた「インストラクターの知識の確かさや、温かくて家族的な雰囲気」が、河辺さんの背中を押した。その場ですぐに入会し、毎週1回以上は必ずプライベートレッスンを受けるようになった。

すると、その効果は目に見える形で表れた。

「いつの時点からとはっきりとは言えないんですが、徐々に鍼治療に通う頻度が減っていきました。スタジオで行う自律神経チェックでも目に見えて数値が改善していき、続けていく中で次第に耳の症状自体もなくなっていきました」

ピラティスが良いものであるということ、自分の体に合っているということは、感覚的にはもちろん、客観的な数値に照らしてみても明らかなように見えた。

「自分の人生にとって、ピラティスがなくてはならないものになっていった」と、このころを振り返る河辺さん。その興味は、単に自分の体を改善したいというものから、なぜ良いのかを知りたい、もっと深く学びたいという方向に膨らんでいった。

こうした知的好奇心に加えて、河辺さんにはそれまでの人生を芸能、つまりは表現の世界に捧げてきたという経歴があった。「自分が良いと思うものを誰かに伝えたい」という欲求は、河辺さんにとって根源的なものでもあったようだ。


昨年末から養成コースに通い始め、この春から晴れて、ピラティスインストラクターとしての新たな人生をスタートさせることになった。

体と向き合い続けることで獲得した自分なりの価値基準

ピラティスと出会い本格的に取り組んだことは、目に見える症状の改善以外に、メンタル面にもいくつかの変化をもたらしたと河辺さんは言う。

一つは「引き算の発想」から「足し算の発想」への転換だ。

以前にピラティスに取り組んでいた時はダイエットを目的としていたため、並行して食事制限も行っていた。もともと筋肉がつきやすい体質にコンプレックスを抱えていたこともあり、炭水化物は一切採らないという極端な食生活だったという。

その結果、ピラティスをやっているにもかかわらず免疫力は落ち、風邪を引きやすくなった。当時の自分の状態を指して河辺さんは、「良くないことをしないようにしよう、という引き算の発想だった」と表現する。

ピラティスを通じて病気の改善という目に見える成果を手にした今は、それが180度変わったという。

「いいことを積極的に採り入れようという、足し算の考え方に変わりました。体を引き締めるのにも削るのではなく、いいものを採り入れようと考えるようになった。風邪を引かない強い体になったし、心まで豊かになったと感じます」

ピラティスがもたらした精神面の変化は他にもある。「自分の心や体にとって何が必要かという明確な基準が生まれたことで、取捨選択ができるようになった」ことも、その一つだ。

「お金がかからなくなりましたね(笑)。以前であれば外から入ってくる情報に踊らされて、化粧品一つとってもブランドにこだわっていた。それが今は、自分の基準に照らして必要なものだけを買うようになりました。生活をしていて細かいことを気にしたりイライラしたりしなくなったというのも、自分なりの価値基準を持って取捨選択ができていることの表れだろうと思います」

こうした変化は、ピラティスが自分の内側に目を向けるよう促すことと深く関係していると河辺さんは言う。

「ピラティスではよく『マインドフルに動く』ようにと言われます。この感覚を言葉で表現するのは難しいのですが、頭の中に描いたイメージ通りに体を動かすことができた時というのは、それに近いのではないでしょうか。そうやってマインドとボディを『つなぐ』作業を繰り返すことを通じて、自分自身を映す鏡を自分の中に持てたことが、価値観やライフスタイルまでをも変えていったのだと思います」

レッスンは鍛えるのではなく、自分を褒めるための時間

10代から身を置いてきた芸能の世界は、激しい競争社会だ。病気によって強制的に立ち止まらされるまでの河辺さんは、常に限界を超えて競争に打ち勝とうとする完璧主義者だったという。ストレスや睡眠不足が原因で起こる「耳管開放症」を発症したのも、そうした性格によるところがあったのかもしれなかった。

その意味では、ピラティスを通じて無駄な力や気を抜くことを覚えたことは、河辺さんにとって非常に大きな意味を持っていた。

「人間は180%の力を発揮しようとすると、100%の力さえ出すことができない。逆に今は80%でいいやと思うことで、結果として100%以上の力を出せていると感じます。以前は背伸びしてでも届かせようと必死でしたが、しゃがんだ分しかジャンプはできないということが、ようやく分かってきた気がします」

ピラティスとは煎じ詰めれば、「自分の中に余白や伸びしろを作ってあげる作業なのではないか」と河辺さんは言う。だから今、インストラクターという立場からクライアントにかける言葉も、とても肩の力の抜けたものだ。

「クライアントさんには体を鍛えに来るというより、温泉に入るような感覚でスタジオに来てほしい。皆さん仕事でも家事でも十分頑張っているんですから、せめてピラティスをやっている時間だけは、自分を癒やしてあげてほしいと思います」

ピラティスを始めたばかりでグループレッスンなどに出ていると、周りと比べてできない自分にショックを受けがちだ。「もっと自分を褒めてあげて」と河辺さんは呼びかける。


「ロールアップの動き一つとってもそう。昨日できなかったことが今日できるようになるというのは、自分が思っている以上にすごいこと。体の中で大きな出来事が起こっているんです。そういったイメージの積み重ねから、体は確実に変わっていきます。インストラクターという立場から見ていると、本人には見えない変化もたくさん見えるので、傍らに寄り添うようにして、クライアントさんが自分自身を好きになれるようなレッスンをしていけたらと思っています」

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