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大学と専門漫画科のダブルスクールを経てフーモアのプランナーとイラストレーターになりました

最近友人に「趣のある名前だね」と初めて言われました。朝倉朱音と申します!

題名の通りダブルスクールを経た朝倉がなんでこんな経歴をたどったのか。

今回は紆余曲折を経てフーモアに新卒として入るまでの流れについて書きたいと思います!


【第1章】 夢はあるけどうごけない

私の夢は絵を描く仕事に就くことでした。

始まりは10年前、なかよしで連載していた「妖怪ナビ・ルナ」という漫画にはまり込み、絵を描き始めた中学1年生の頃でした。

元々児童文庫が原作で読んでいた作品でした。

お家に帰ってページを開いたら、次の瞬間には読み終わっていました。本当にそんな感覚だったのです。

今まで漫画をちゃんと読んだことがなかった私は、気付いたら漫画が大好きになり、

自分でも人物の絵や、見よう見まねで漫画を描くようになっていました。

いつの間にか、「将来の夢は漫画やイラストを描くことです!」というように。

夢はそのまま、神奈川県立の単位制・私服の高校に入学します。

生徒が主体となって文化祭や新歓を行うところで、私も実行委員の広報チーフやいろんな団体に所属していました。もちろんイラスト部にも所属。編集を担当していました!

思えばここで行動することの大切さ、やり方は身についていたはずなのです。

でもイラストレーターになるために絵を描く以外に何をすればいいかわからず終い…

高校3年生から受験勉強をするも大学に行く意義を見いだせず、

かといって大学出の両親に小さいころから「大学は出ておいた方がいい」と刷り込まれていた私は、なんとなく社会系の学部に入りました。

大学に入ってからも、ぼんやり部活に入るもあまりなじめず、皆バイトしているからと始めた飲食ホールのアルバイトは、自分に向いておらずミスして怒られてばかり……

部活にバイトにバタバタしていたら絵を描く時間も気力もなくなってしまい、でもどうしたらいいのかわからない……

そんな生活が10ヵ月ほど続きました。


【第2章】 一念発起のダブルスクール!

「このままだと私、イラスト描く仕事につけないんじゃない…!?」

生活に危機感を感じた瞬間がありました。

今までじっくり計画を立てていろんなことをやっていこうとしていたけれど、わからないことがとても多いから情報を得なければならないと気づきました。

「だったら、そこに近いところに行けばいいんだ!よし!動こう!」

慎重派から一変、ガンガンいこうぜにコマンドを振り切れ!と、私は情報やつて(・・)を一番手に入れられそうだと「専門学校に行く」という選択肢を手に入れました。

大学を辞めるか悩んだ時もありましたが、両立もできるのではないかと感じたときから、

「どうせ大学から帰ったら絵を描いたりイラストレーターになるための勉強をするんだ、時間の使い方は変わらない」と思い切って週に5日の夜間の漫画科に入りました。

はれて私は、大学と専門学校のダブルスクールをするようになったのです。


【第3章】 フーモアとの出会い

昼は大学、夜は専門学校。

描き続けられる環境に身を置けて、共通の趣味目標を持った仲間と過ごすのがとにかく良い!新しいことを始める気力を取り戻し、趣味勉強ともにアクティブに動くようになっていました。

そんな時、フーモアとの出会いがありました。

夏休みの授業で専門学校を訪れていた芝辻社長の講義を聞いて

「私がやりたかったのはこういうことだ!」

と思いました。

大学での経営学の勉強が楽しかった私は、あまり自分がアーティスト気質ではないことに気付きました。

自分の世界観を描くより、人に頼まれたイラストを描くことが好きだったのです。

絵は好きで描いているけれど、コミュニケーションツールの1つでもあったのです。

イラストレーターの仕事を本格的に探し始める一方、絵を扱う側の仕事や営業の経験をしてから(しながら)描く仕事を目指してもいいのでは…などと考えが広げられるようになっていました。

そこに、イラストや漫画などをツールとし、クリエイティブ×ビジネスをしているフーモアをタイミングよく知ることができました。

すぐに社長に話しかけに行き、人事の方と名刺を交換し、今度会社見に来なよ!とフランクに誘ってもらってお話しした結果、インターンとしてフーモアに入れることに!


【第4章】突然おとずれた岐路

フーモアでは最初、広告マンガのシナリオの作成や、進行管理を行うディレクターとして働いていました。社会というものを知らなかった私にとって、社会人とは、お金をもらって働くとはということを一から教えてもらい、今でもこの時の経験が私の原点になっています。

週に2回、15時に抜け、大学で1授業受けに行き、終わったらそのまま専門学校へ行く、という日も中にはありました。

そして同じ時期にもう一つ、嬉しいことに少しずつイラストレーターとしての依頼も来るように!コミックキャラ調の似顔絵やアイコン、ゲームのイラストや漫画等様々な経験をさせていただきました。

突然来た好機だったため時間がいっぱいいっぱいでしたが、新しいことができてとても楽しかったです。

半年が過ぎ、もうすぐ大学4年生になろうという頃、ありがたいことにフーモアから内定を出していただきました。ここからフーモアで1年間経験を積んでいくぞ!と意気込んだ矢先に転機がありました。

とある子供向けの学習アプリの作成にうちの会社で携わらないか、と知り合いからオファーをいただいたのです。

クリエイティブ×ビジネスの観点と同様、ゲーム×学習にも同じくらい興味があった私は、進路をこの人生の中で一番悩むことになりました。

今の職で、クライアントへのメールのやり取りやイラストを依頼する側にも立ち、次に得られる新しいスキルについても長期的に考えなければいけないなと考えていた私は、いっそ新天地で頑張ってみてもいいのではないか?とも考えました。

フーモアで働くか、別の会社で働く選択肢。どちらが私の在りたい未来を考える必要がありました。

フーモアではいろんな方が相談にのってくれました。

もしかしたら会社から離れるかもしれない私に、キャリアのこと、生活のことなど教えてくれました。

相談を重ねて、私は今後生きていくうえで自分の自由な時間で働くことができるというのが自分の中で一番重要なんだと思いました。

いずれ結婚しても子どもがいても、合間に働くことができたり、職場に復帰しやすい、企画や営業ができるイラストレーターでありたいと、今の時点での答えを出しました。

この答えが出て、自分がこれから何を得ていきたいのか、口に出して言えるようになりました。自分のやりたいことについて、ちゃんと向き合いなおすことができたと思います。

そして、ディレクターより新天地のほうが得られるものが多いかもしれない、と決意を固めようとした時期にフーモアの組織改編がありました。

そこで役職表の私の名前の横に「プランニング」と書いてあったのです。

プランニングとは当時新しくできた部署でした。企業の課題解決のための枠組みを作り、最適な提案をする商品を開発する。まさに私がこれから挑戦したいと思っていたものでした。

進路の相談をしていた時に企画の仕事をしていた現上司に、「企画もやってみたい」と言っていたことかきっかけとなり、まだ何も実績を残していない大学生の私に、チャレンジの環境を与えていただきました。

現在私は、フーモアの新卒社員として働いています。インターンの時とは業務も心持ちも少し違います。

まずは週5勤務に慣れなければ!まだまだ半人前ですが、これからできることを1つずつ増やしていきたいです。副業として細々イラストの仕事も持っているので、うまく両立できるように頑張ります!



【終わりに】

いろいろありましたが、何かしらやっていれば気付いたらやりたいことに近づけているもんだなぁ、と勉強になった生活でした。運も良かったと思うのですが、母からはよく「それは朱音がいろんなところに飛び込んでいってつかんだものだよ」と言われます。運は自分から行動したものにやってくる。確かにな、と思いました。同時に、フーモアにはそういった動いた結果何かの新しいチャンスをどんどん与えてもらえる「場」があることも確かだなと思います。

私は19卒なのですが、もう一人の同期である佐々木さんもなかなかに強烈な人ですし、20卒の皆さんも記事を見る限りくせ者揃い…!!

インターンで1年半いましたが今までも楽しく、これからもどうなるかとワクワクしています。今後のフーモアがどうなるか、見守っていただけると嬉しいです!

ここまで読んでくださってありがとうございました!

これからよろしくお願いいたします!

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