皆様はじめまして!
この度株式会社フーモアから内定を頂きました清田 凜太郎(きよた りんたろう)と申します!
みなさんもう他の内定者の方の記事は読まれたんですかね?
繰り返し出てくる「カオス」というキーワードにそろそろ納得してきたのではと思います笑。
まだの方はぜひご覧ください!個性爆発の刺激的な記事ばかりです。
さて、今回の記事では、
・ 自身の特異な背景による困惑
・ フーモアに挑戦した理由
の二つを軸に自分の事を書いていこうと思います!
アメリカっぽさ→日本っぽさ
改めまして、こんにちは!フーモア20卒の清田凜太郎と申します。
実は私、小学校から高校までを国際系の学校で過ごしておりました。
こういった学校に通っていると、英語力や国際文化の受け入れ耐性みたいなものが強く身に付きます。
・・・が、全員が多様な文化を認め続けた結果、校内が「漠然とアメリカっぽい文化」に近づいて行きます。
家ではMステとかリンカーンを楽しく見てたのに、初めて買ったCDがエミネムとなると、家と学校での二面性に違和感が出てきます。
中学に上がったぐらいにはこの「アメリカ感」が自分にとって危険な状況なのでは!みたいな考えが生まれていました。
「将来は多分日本の企業に入り、海外とのビジネスをするはず!その時には自分は日本を代表するわけだから、日本の知識を増やさねば!!」
みたいな発想です。この考えは今は薄れているものの、就活初期まで残りました。
その結果、中高では歌舞伎・文楽・能に学生料金で安く行ったり、黒澤明・村上春樹の超有名コンテンツに目を通したりしました。
迷走の中の迷走です。
「日本文化修行」の中で今も好きなのは巨人・新日本プロレス・深夜ラジオぐらいです。
もう、ニホンブンカって何ですか?
とにかく、高校までの生活で自分の中に「日本と海外を繋ぐビジネスに就く」という意識が染み込んで行きました。
馬に乗ることになる
(障害競技での清田とゴールドパンサー)
祖父が競馬の騎手をやっていた影響で、強制的に小5から、高2まで馬術をやる事になります。
馬は臭いし、蹴るし、噛むし、落ちると怪我するし…そもそも動物全般が苦手だった自分には合わなすぎる世界でした。
しかもこのクラブ、中々ブラックだったんです。
中学1年までは馬の世話だけやれば帰れたのですが、その後は全員クラブ運営に関わっていきます。総務部に配属された私は団員の出席管理などをやりつつ、大会の運営を行ってました。
東京勢の宿命なんでしょうか。関東大会、全国大会など、大規模な大会の開催は全て私たちのホームに集約されていました。
関係各所への連絡や当日のスケジューリング、賞品の用意などなど。書き出すと止まらない仕事量。まじでキツかったです。
馬の体調なんてコロコロ変わるので、大体前日に2~3頭の変更もあり、印刷されてるしおりを泊まり込みで書き換えたり。自分が出場する大会に徹夜で挑んだ事もありました。
ただ、キツかった思い出ではあるんですけど、大きな企画を動かしてる感じとか、年に一度の大舞台で活躍せんと意気込んでいる人を支える活動が抜群に楽しかった事も事実です。
「現場のプレーヤーが最高の結果を出せる土台作りを担いたい。」
その後も常に思っていることを初めて肌で感じた経験でした。
清田、映画撮るってよ
高2で馬術クラブを引退し、学業に専念することになりました。
でもやっぱり変わった学校だったので、「スポーツ・社会福祉・芸術」の活動を全て最低一つずつ経験しないと卒業させてくれないとの事でした。
・スポーツ:馬術
・社会福祉:何かやる。探せばある。
・芸術:・・・
めちゃめちゃに焦りました。何をやればいいのか全然分からなかったです。
絵も下手だし。音楽もやった事ないし、歌下手だし。詩とか書いても認定されるか分からないし、下手だし。
上手く出来ないから何もやりたくないし、どこから手を付けていいのかさっぱり分からない。
馬術の時みたいにプレーヤーのフリして業務的に関われる芸術分野があればなぁ・・・
そうだ!映画だ!!
視覚・聴覚を刺激する総合芸術と言われる映画ですが、あの長いエンドロールの中にはクリエイティブを求められない業務もあるはず!という不純な動機で映画部に速攻入部しました。
これが当たり、私は映画の助監督というポジションでどうにか「芸術活動」の項目を埋めれました。
(大学時代:映画撮影中の清田)
助監督というのは主にスケジューリング、ロケハン、当日の裏方業務全般の指揮などを行うポジションなので、ほとんど頭をひねる事のない「こなす系」の仕事です。
もうこれは間違いなく地味なんですけど、私はめちゃくちゃ楽しかったです。
自分の仕事で映像や音が綺麗になる訳では無いですが、自分の仕事が効率的であればもう1カット撮れたかもしれない!
そういった思いで監督を始めとする「クリエイターをサポートしたい」と感じ始めました。
芸術に対する苦手意識が強かった分、馬術の時よりもどっぷり映画作りにのめり込むようになり、そのまま大学でも映画サークルに入って同じような活動をしています。
ちなみに大学では助監督に加えて、クラウドファンディングや企業協賛による映画の資金集めなんかもやってみました。これも大変。
就職を意識し始める
そんなこんなで就活の時期がやってきました!
就活初期の軸は「日本と海外を繋ぐ仕事」
高校までの感覚に戻ってました。
他者との差別化で最も分かりやすいのが自身の国際性、と感じているのがおそらく一番大きな理由です。
「クリエイターが活躍できる土台を作りたい」という思いを具体的に仕事にするイメージが湧かなかった事も理由としてはあります。
とにかく、国際ビジネスを学ぶ為にインターンに奔走しました。
留学中に日本食デリバリーの会社でwebマーケターとして活動し、帰国後は邦画の権利販売を行う会社で海外邦人向けの営業をしました。
どちらも創業5年程度の若い会社です。
日本食デリバリーの企業では利用者の増加が一つの課題となっていました。
そこでGoogle AdWords、LinkedIn、YouTubeなどに広告を打ち、新規ユーザーへのリーチを増やしました。
専任マーケターがいないからweb広告は全て自分で動かす。出勤していない日でもCTRやバウンスレートが気になり、次の打ち手を考える。
部署を丸々任されているという意識で、裁量権なんて言葉を意識する暇なく手を動かしてた気がします。
一方映画のインターン。こちらも若くて勢いのある会社でした。ここの課題はシンプルな人手不足。
年に数回、社員さんが大規模な映画祭に出向き世界中のバイヤーと商談をするのですが、とても回しきれない程のアポが入ってしまいます。
という事で私も実際に映画祭に行き、映画の売り込みを担当しました。こちらも大手企業のインターンでは考えられない裁量権を経験できました。実際に自分が営業をかけた配給会社や映画祭が映画を買ってくれると達成感が尋常じゃなかったです。
2社での経験を経て、自分は任せて貰った仕事で成果を出す事をやりがいと感じる事に気づけました。
比較的マジメで安定志向の自分は大手向きだと思ってましたが、40年先の自分の姿が想像できてしまうことにむしろ不安を感じ、自分で考えて動いたインターンの経験からベンチャーに行こうと考えました。
フーモアとの出会い!〜現在
さて、そんな時にとある就活イベントでフーモアに出会いました。エンタメスタートアップというだけで興味を持ち、後日人事の方とまたお会いできる機会を頂きました。
面談までにフーモアの事を色々と調べていくうちに
・多様な表現媒体に挑戦している事
・登録クリエイターが9000人以上いる事
・世界中に向けたビジネスである事
に惹かれ、面談の日に自分を海外営業担当として売り込みに行くつもりでした。
ですが海外への(余計な)固執はすぐに見破られ、その先の本当にやりたい仕事は企業のコーポレート部門にあるのではと助言をいただきました。
後日コーポレートとしての面接をしていただける運びになり、この度晴れて内定をいただきました。
同期内定者の記事にもありますが、フーモアはとにかく自由だと聞いています。しかも新卒一期生という事で、新しい発想が求められていると感じます。
当然、これはコーポレートでも同じ事です。
社員様全員の仕事を数段効率化するシステム、溢れ出るアイデアを形に方法、新規ビジネスチャンスの発掘。
この部署でしか考えつかない打ち手もたくさんあると思ってます、
自身が会社を変える気持ちで頭を働かせ、それを実行してくれるフーモアは本当に魅力的だと感じています。
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私は軸をブレさせまくった就活をしてましたけど、実際にやりたいことがぼんやりとでも見えてくると、他に一気に興味が失せる感覚は快感でした。
こだわりが薄いと思っていた人でも、譲れない軸は深掘りすればあるだろうし、見つけさえすれば就活が一気に楽しくなります。
長々と書いてしまいましたが、最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
この記事がお一人にでも役に立つものであれば幸いです。
また冒頭にもありますが、ぜひ他の内定者の記事もご覧ください!どれも強烈な個性の面白い記事になってます。
それでは、どこかでお会いできる事を楽しみにしてます。