はじめまして!大学3年生ふたご座のO型、大西一生です!
この度、はるばる北海道からWantedlyデビュー!
とはいえ、就活時代はWantedlyの存在すら知らなかったんです。北海道には新しいプロダクトの情報はまだまだ流れてこない情報格差。。。
もちろん就活で北海道と東京を往復する日々を過ごしていたわけですが、この度ご縁があり、株式会社フーモアから内定をいただきました。
この記事では、
・フーモアの内定者はどんな人なんだろう
・何を決め手としてフーモアを選んでいるんだろう
そんな素朴な疑問を解消できるようお話ししてまいります!
【第1章 自信家で楽観的な超ラッキーボーイ!?】
改めましてどうも!大西一生(かずき)です。
(旅行好きな一面も。)
小学生のときは陸上、中学生からは硬式テニスと、小さいころからスポーツに馴染みがあり、現在でも大学の硬式テニス部に所属して真剣に取り組んでいます。
そんな僕を端的に表すとしたら、自信家、楽観的、運が良いという言葉が挙げられます。
大学受験のときも3年の9月までしっかりテニスをやり切った後、受験勉強を開始。
周りは予備校に通う中だいぶ遅れたスタートを切った僕でしたが、不思議と落ちる気がしてなかったんですよね。(今考えると怖い…)
しかし、センター試験の二日目当日に事件が起こりました。なんと数Ⅰ・Aの試験を受ける前に手に取った鉛筆がHBではなく、「8H」。
試験前日に確認せずに購入したHBの鉛筆6本の中に一本だけ8Hが混ざっていたんですよね。
(センター試験前の過去の呟きより。)
試験終了後の帰路、一日目の科目で8Hの鉛筆を使用していたらどうしよう…(マークシートはB、2B、HBの鉛筆しか読み取られないため)と絶望の淵に立たされていたのです。
家に帰り、恐る恐る8Hの鉛筆で紙に文字を書いてみると、
なんと恐ろしいほどに硬い!!紙に書けないくらい芯が硬かったんです。
この一件での損失は、数Ⅱ・Bでの段ずれだけに抑えることができました☆
自己採点をすると、なんと志望校のボーダーちょうどくらいの点数。二次試験を残して、この時すでに親に対し「余裕だわ!」と豪語していた記憶があります。なんの根拠もないのに笑
実際に、志望校にはしっかり平均点で合格をし、有言実行となったのです。
ちなみに前期も後期も同じ大学に願書を出し、この大学以外は受験すらしていなかったので、落ちていたら浪人だったんですよね。今考えると恐ろしいことをしたなぁと。笑
それもこれも自分の、自信家で楽観的な超ラッキーボーイという性質が遺憾なく発揮されたおかげでしょう。
【第2章 高2で医学部進学をやめ、高3で文系にジョブチェンジ】
無事に大学に進学出来たのですが、実はその前に大きな人生の転換点を迎えていました。
小学生のときには市内で最も勉強量の多い塾に通っていた僕は、市内でトップの中高一貫校に進学しました。熱心に勉強をしていたので、そのときから将来は医学部に進学して医者になろう、と考えていました。
高校2年生までは、理系科目が得意なこともあり、このまま医系進学しようと医者体験セミナーに積極的に参加していました。
しかし、高校3年生に向けた進路希望調査で出した僕の答えは、文系クラスへの転籍。
この結論を出した理由は、二つあります。
①人々が楽しいと思えるものを生み出したい
0歳から一年も欠かすことなく東京ディズニーリゾートに来園している僕は、来園すると必ず笑顔になれる東京ディズニーリゾートという空間に大きな憧れを抱いておりました。
それがきっかけで、いつか自分も、世界中の人々に笑顔を届けられるような人間になりたいと強く思っていました。
医者という職業を深く知ると同時に、自分がやりたいことは「自分が生み出したもので人を笑顔にする」ことであると再認識。
なんとなくで医者になるのではなく、自らのやりたい道に進もうと文系への転籍を決めました。
②テニスを最後まで本気で取り組みたかった
中学生から本格的に始めていたテニスを高校生になっても、部活として続けていました。地区大会を勝ち抜き北海道大会に出場経験があった僕は、次なる目標として全国大会への出場を掲げていました。
しかし、医学部進学を考えたとき、勉強に割かれる時間が多くなってしまいなかなか練習に参加できない未来が見えてきました。
どうしても医者になりたいという意欲も見つからなかったので、テニスを優先したい!という想いもあり、医学部進学をやめることにしました。
この時の選択が合っていたのか間違っていたのか、まだ知る由もありません。
しかし、自分で選択した未来を自分で正解にするしかないので、今のところ後悔はありません!
【第3章 人生初の全国大会へ!!】
前述したとおり、テニスは全国大会を目標に継続していました。
高校では結局のところ全国大会には出場することはできず、雪辱を晴らすためにも大学では硬式テニス部への入部を決めました。
大学には学内にテニスコートがあり、部活としての練習時間のほか、空きコマを利用していつでもテニスコートを使える環境でした。
この環境がとてもうれしかった僕は、積極的に同期を誘って暇があれば練習をしていました。
高校の時よりも明らかに練習量が増えたことにより、なんと部内試合を勝ち抜き一年生で唯一レギュラーに。
さらにレギュラーとして出場した団体戦では、見事北海道大会で優勝。その年の全国大会に出場することができました。
実際に全国大会に出てみると、レベルの高さに驚きを覚えたとともに、いつかこの人たちと対等に渡り合えるような選手になりたい、という熱意が沸き上がりました。
上のレベルに感化されたことによって、翌年の春の大会では、シングルスで準優勝をし、個人として初めての全国大会に出場。
高校では北海道大会で一回戦負けであった僕でしたが、このようにして目標であった全国大会出場を見事に果たしたのでした。
(ダイナミックなプレーをするぼく。)
【第4章 エンタメベンチャーへの挑戦】
北海道では周りより早めの3年の6月から就活をスタートさせていました。
基本的には、キャリア支援団体のエンカレッジを利用して、メンターに相談しながら就活を進めていました。
就活初期は、総合商社を第一志望に置いており、ベンチャー企業はあまり視野に入れていませんでした。
しかし、サマーインターンの時期に色々なベンチャー企業のお話を聞く機会があり、大手企業にはできないベンチャー企業ならではの経験やそこで身に付くスキルがあることに気づき始めました。
しかし、そのときはまだ、とはいえ大手企業のほうがネームバリューあるし安定だろうということで第一志望はぶれていませんでした。
就活後期に入ってくると自己分析が進んできて、自らの成長過程への認識が深まってきました。
もともと僕の育てられ方というのが、「自分に関することは自分で決める」というものであったため、一から自分で考えて行動しているという経験が多くを占めていたのです。
また、凝り固まった考えがある環境が苦手でもあった僕は、実は自分って大手企業の中ではバリューを最大限に発揮できないのでは?という疑問から、一から自分で物事を考えられる環境に身を置こう!という結論が導き出されました。
そんなとき、たまたま参加することができたイベントに、緑の髪をした奇抜な人事(西尾さん)が紛れ込んでいたのです。
4社合同のGD選考会だったのですが、すべてのFBが終わった後、西尾さんに「就活どんな感じなの?」と声をかけられ、そのあと就活相談に乗ってもらうような仲になりました。
就活相談をしながら西尾さんのお話を聞いていると、フーモアの環境と自分が求めている環境がびっくりするほどマッチ!!
その後、選考(?)を受け、見事に内定をいただきました。(実は内定第一号です)
しかし、その後も就活を続けていた僕は、いくつかの企業から内定をいただいている状態で、最終決定をする場面に。
そんなときに、
・同期が個性的な人が多くて面白い
・新卒である僕らに対する裁量権の大きさ
・チャレンジし続けられる環境であること
を考えると、他の会社に行く理由が見つからない!
やはり、自分はフーモアでみんなと頑張ろう!!
そんな結論に至ったのです。
長かったですが、いかがでしたでしょうか!?
読み切ってくれたあなたには、多大なる感謝を直接申し上げたいくらいです!笑
この記事で、「フーモアの内定者ってどんな人だろう」「フーモアへの決め手ってなんだろう」ということが少しでもわかっていただけたら幸いです。
他の内定者の記事もございますので、併せてご覧ください!そして少しでもフーモアに興味を持っていただけるととてもうれしいです!
僕自身、これからも「人を笑顔に」できるよう精進してまいります!
重ねてですが、ここまでお読みになってくれた皆様、ありがとうございました。
また記事を書く機会があればお会いしましょう!それでは。