【アフリカ在住9年COOの学び】「believe in possibility」アフリカ現地で9年間の奮闘を経てWASSHAの基盤を作ったCOOにインタビュー。
== はじめに ==
これまで長きにわたって連載してきた「WASSHA創業ストーリー」の記念すべき最後を締め括るのは、WASSHAのCOOとしてアフリカ現地にて9年間奮闘し、現在のWASSHAの基盤を作られた米田さんのインタビュー記事です。🎤
今回の記事は、米田さんがこの9年間で感じてきたこと、変化、学びなどのエッセンスがぎっしり詰まっているので、ぜひ最後までお読みください! by 小松
【米田さんがWASSHAにジョインするまでの記事📖】
【COOインタビュー】アフリカで成功した第一号の日系スタートアップを目指す。たまたま見かけたWantedlyの求人で人生が変わった男の話。
WASSHAのCOO:米田 竜樹(よねだ たつき)🕺
大学卒業後ブラザー工業に入社。海外営業部にてアジア市場の営業、マーケティング、プロダクトの企画開発を担当した後、経営企画部にて事業計画の立案、予実管理を担当。その後、デロイト トーマツ コンサルティングにて日系大手製造業向けの海外進出支援、新規事業戦略、事業改革等のプロジェクトに従事。
2014年よりWASSHAに入社、東アフリカを拠点にEaaS(Energy as a Service)事業の立ち上げを担当。
現在は取締役COOとしてEaaS事業の統括、オペレーション・組織の構築、他国展開を担当。🔥
タンザニア在住。🇹🇿週末は炎天の下テニスするか、海辺でビール飲んでます。お笑い好き。😁
【目次】
◉「WASSHA」について(COOから見るWASSHAの変化)
◉9年間の学び
◉9年前の自分に一言
◉「WASSHA」について
🎤まず、COOである米田さんの目線から見る、WASSHAの今までの変化を聞けたらなと思っています。
家族のような雰囲気は残しつつも、少しずつ会社らしく変化したWASSHA
🎤米田さんがジョインしてから9年間、WASSHAは組織としてどんな変化があったのでしょうか。
🕺そうですね、
まず僕が入社した当時は、社員が0の状態で、CEOとCFOと役員の人たちしかいない状態でした。
だから、会社もまだ登記してないし、オフィスとか諸々も無いし、本当に何もないって状態の中で、パソコンだけ持ってナイロビのカフェに毎朝行って仕事を始めるっていうのをやっていたから、なんやろな、本当にサークルの感じみたいな。(笑)
いい意味でゆるいっていうか、なんかただ緩かったんかもしれんけど、なんか不安とかそういうのがあるわけじゃなくて毎日楽しくてやってるみたいな感じが、(WASSHAの)一番初めの雰囲気やね。
それからケニアで半年やって上手くいかなくなってタンザニアに来た時も、みんなで一緒に住んでいて。8時に始業やねんけど、7時55分くらいまで寝てて起きて、顔だけ洗って下に行く、みたいな。(笑)
それで下に行ったら当時の支店長がピンポン押して出社してきてみんなでダイニングテーブルでパソコンを開いて仕事するみたいな、そういう規模でやってたんで、もちろんめっちゃアットホームやったし、本当にスタートアップの創業期っていう雰囲気でした。
そこから、1人ひとり、今でも残ってくれているメンバーが徐々に入社してきてくれて、ちょっとずつ組織が大きくなっていったって感じかな。
🎤文字通りアットホームな雰囲気ですね。😂
その時の雰囲気がいい意味で今のWASSHAのカルチャーにも残されている気がします。🏠
🕺それで、組織の変化っていうと、当時はそれこそ自分でキオスクを訪問して売り上げはどうなっててみたいなのを一軒一軒営業マンとしてやってたからものすごく手触り感もあったんだけど、
そこから今は200人規模にまで組織が拡大していて、かつほとんどの人がダルエスサラームじゃない場所で働いているので、顔も見えないし、会ったこともない人も増えてきている。
そういうところの大変さというか、難しさみたいなのはやっぱり組織が大きくなって会社らしくなっていく中ではありますね。
「今のWASSHAはフェーズ3」WASSHA、フェーズごとの変化の軌跡
🎤秋田さんも同じようなことを言われていたのですが、
米田さんとしてはどれくらいの時期からその変化を感じ始めた、もしくは段階的に変化を感じたのか、などはありますか。
🕺そうね、段階で言うと、自分で営業マンとして毎日直接現場を見ていた時期までは第一段階だったかなと思ってます。
プロダクトと営業の部分が一番大事というか、プロダクトをお客さんにちゃんと使ってもらえるかどうかで、その後ちゃんと売上が立っていくのかっていう、そこの確認をずっとやってたフェーズが初めの時期ぐらいやな。
そこから、進出エリアが広がってきてキオスクの数も増えてくると、そこのファンクションも人に任せるようになって、営業リーダーを置いて(そこの部分は)任せて手放して、自分はもう一個上がって営業以外のファンクションも統括して見るようになったところが第二段階かな。
それで、そこからタンザニア全国に広がってきて、知らない人もWASSHAに入って、ミッションやバリューとかもなかなか地方の新人までには浸透してないような状態もあるし、不正が起こってしまったりというものを色々経験するようになってきて。
それらをどういう風に対応するのかとか、どうやったら不正がなくなるのか、みたいな話をずっとしてるんですけど、会社の中のあらゆることをしっかり文書化してルールとして定めていくというのは今の第三段階でやっていることですね。
お金の使い方一つにしても、誰に権限があってどういうプロセスで確認して誰が事後承認をしてそれをどの文書に残して保管していくのか等をしっかり管理する。
それのおかげで、問題が起こった時はどこが良くなかったのか、どういうステップが飛ばされたのかっていうのが確認できるようになっていく、っていうのはフェーズ3くらいかな。
今は過渡期というか、ルールとかが全部しっかり整備されて運用が始まって、うまく回りだすとフェーズが次へと移行できるんじゃないかなと思うね。
🎤それでは、今は第三段階の途中ということですね。
これからのWASSHA。COOが考える組織の理想形
🎤現段階で、米田さんが考えるWASSHAの次のフェーズの形、もしくは理想の形などはあるのでしょうか。
🕺そうね、第四段階としては、新しい人が入ってきても特に迷うことなくオンボーディングされる状態が理想かな。
例えば、これがWASSHAのVMV(ヴィジョン、ミッション、バリュー)ですよ、とかあなたのジョブディスクリプションはこういうものですよ、人事の手続きはこういうものですよ、今期の目標はこういうものですよ、とかっていうのが各国の各チームの運用だけで自然と上手く回っていて、新しい人が入ってきた時に迷うことなく活躍できるようになっていける状態っていうのがフェーズ4かな。
それがまずタンザニアでできるようになって、その後グローバルで共通でやれることは共通でやっていく。各国で改善すべきところは改善していこうみたいな議論ができる状態がフェーズ5かな。
今はまだタンザニアとウガンダとジャパンしかないけど、これからモザンビークとかDRC(コンゴ民主共和国)とかそういう国が増えていった時に、ちゃんと全ての国で同じ運用がされているっていう部分があって、その中でどういう風にグローバルで制度とか業務のやり方とかビジネスモデルとかを変えていけば良いのかっていう議論を各国のリーダー同士がやれているような状態が理想。
今すでにウガンダとタンザニアはそういう取り組みが在庫管理の部分で始まっていて。
タンザニアで積み上げたノウハウをウガンダに持っていったり、逆にウガンダから営業のやり方をタンザニアに教えてもらったりとかっていう、交流というかノウハウのシェアとそれによる各国のオペレーションのブラッシュアップが始まっているので、それをもっとグローバルに展開して、お互いに作用している状態になると、フェーズ5かなと思いますね。
🎤なるほど、ありがとうございます。
「理想は、やっていく中で見えてくるもの」
🎤話を聞いていて、かなり先のことまで景色が浮かんでいるように感じたのですが、
フェーズ3になってみて初めてフェーズ4や5が見え出してきたのか、それともフェーズ1や2の段階からもう既に3,4,5などはある程度見えていたのか、どちらでしょうか。
🕺それでいうと、(先のことは)あんまり見えてなかったと思うね。
大体いつも対応は後手というか、問題が起こってから、「これちゃんとせなあかんな」みたいなことが大体のケースで。まぁ、スタートアップあるあるかもしれないけど、結局やれることが限られるじゃないですか、リソースが少ないから。
だから結局、自分たちが大事だと思っているもの、例えば売り上げなら売り上げのトップライン伸ばそうみたいな、そこに自分たちのマインドシェアも含めてリソースを投入していくと、なんかどっか全然違うところで見逃しているポイントとかが出てきて、かつ海外なので法律とかよく分かんなかったりとか、調べる時間が割けなかったりとかっていうところで問題が発生してしまう。
そういうのが、ある日突然イシューとして顕在化する。そのために、じゃあリーガル強化しないといけないよね、とか社内の手続きを整備しないといけないよね、とか倉庫に監視カメラを付けようとか、そういうのを一個一個やってく。
そういうのを繰り返しながら対応してきたっていうのがこれまでの経緯かな。なので、初期からフェーズ4や5のイメージがあったっていうよりは、やってく中で(見えてきた)。
それに加えて、直近で入ってくれた人たちが、「前の会社でそういうことをやってました」とか「大企業のスタンダードはこういうレベルです」とか、そういう高い要求水準で社内にルール作りとかスタッフのコミュニケーションとかをしてくれることで、3人でやってた頃のサークルの感じってところから少しずつ目線が上がっていって、会社らしくなっていくっていう変化があるのかなと思います。
🎤ありがとうございます。
WASSHAの変化の中での、米田さん自身の変化
🎤米田さんは、現地在住COOとして今のWASSHAのオペレーションの基盤を作られたと思うのですが、
WASSHAの変化の中で、米田さん自身はどのように変化していったのでしょうか。
🕺そうね。まず、WASSHAに入った理由の一つが、「トライして上手くいかなくっても、自分の責任やなって思える事業に挑戦したいな」と思っていたからやねんけど、その当時は、絶対成果が出せる、絶対会社を成功させるって思って信じてやってた部分もあったかな。
だから、初期のフェーズではある程度自分でやってやろうと思ってたし、そこそこやれてた部分もあるとは思うけど、WASSHAのCOOとして難しさを感じたというか、「アフリカ難しいなー」みたいに思ったところで言うと、一つは政府の規制かな。
1人で出来ることには限界があって、必要なタイミングで必要な人に仲間になってもらうことで彼らの強みをお借りして大きな意味でのチームとして取り組んでいかないとアフリカで事業をやるって結構難しいし、民間企業だとどこかで行き詰まるタイミングが必ずくるんだろうな、っていうのは感じるかな。
「仲間がいないとちゃんと遠くには行けない」っていう、「Jump Together」的な概念よね、WASSHAで言うと。
🎤ありがとうございます。
↑Jump Together!!!🙌
「メンバーの成長過程は、やっぱりグッとくるね。」
🎤では、今まで様々なハードシングスを経験されてきた米田さんだと思いますが、
逆に、印象深いグッときた思い出や、特に嬉しかったことを教えてください。
🕺グッときたかぁ、、。
それはやっぱり、初期のメンバーが今、事業のコアを司る部分をちゃんと回してくれているっていうところは結構グッとくるところがあるかな。
例えば、Allyとかって元々WASSHAに入る前は数学の先生やってて、それから「民間企業で一旗上げたい」っていうので営業のリーダーになり、それからサプライチェーンのオペレーションリーダーになって、今はタンザニアのGM(general manager)をやってくれてるけど、
そういう風に、最初はなんの経験も無かった人たちが仕事に対してきっちりハードワークしてくれて、事業の成長の中で自らも成長して、評価されて給料が高くなっていって、大きな仕事が出来るようになって事業が大きくなっていくっていう、その過程は嬉しいですね。
例えば、そういう人がGMに就任する時の挨拶とかも、聞いているとこれまで以上に頑張ってほしいと思うし、そういう瞬間はすごいグッとくるものがあります。
↑タンザニアのGMである、Allyさん🇹🇿
◉9年間の学び
🎤それでは、この9年間での米田さん自身の学びを教えてください!
一、「諦めないこと」
🕺スタートアップって長くやってると、いい時もあれば、超どん底の瞬間っていうのも必ず来るし、実際そういう場面が何度もあった。色んな困難が形を変えてやってくるんですけど、いかにそれに真正面から向き合って戦えるか。
もちろん辛いんですけど、シリアスになりすぎず、常にどっかで楽観的に、「これまでも上手く乗り切ってきたし今回も絶対乗り切れる」っていうマインドを持てるか。
スタートアップってそういうもんだよねっていうところをちゃんと理解して受け入れて自分でコントロールするっていうところがすごい大事だなと(思います)。
一、「believe in possibility」
🕺あと、WASSHAの新しいバリューで「believe in possibility」っていうのがあって、「人の可能性を信じよう」っていうのと、「自分自身も成長出来るっていうのを信じよう」っていうのが再定義されてるけど、あのバリューは奥が深いと思っていて。
もちろん前提として、未経験のメンバーに対する成長を信じて接するというところはアフリカで事業をやる上では価値が大きいし、加えてスタートアップっていう未成熟な組織の中で未成熟なメンバーが集まって何かをやろうとしている時に自分たち自身をちゃんと信じてやっていくっていうことは、凄い大事だなと。
それが無いと、なんやろな、変に他人への期待値みたいなのが生まれるなと思ってて、「自分はちゃんとやってるのにあの人は仕事やってないんじゃないか」とか、「もっとこうして欲しいのに動いてくれない」とかそんな事ばっかりに目が行きだすと、会社全体の結束力が無くなって組織が崩壊していくし、出来ない人でもちゃんとサポートしようみたいなカルチャーが無くなっていくので。WASSHAもそういう時期を経験しているし。
そこで何が足らへんかったかなって言うと、「他者をちゃんと信じてあげること」だったかなと思います。今できてない部分ももちろんあるけど、根本的には頑張ろうと思っている人であるはず、っていうマインドをちゃんと持つことは大切だと思いますね。
一、「トライする回数をもっと増やす」
🕺あと、今は出来てないけど「もっとこうした方がいいな」って思う大事なポイントは、「トライする回数をもっと増やす」っていうこと。
売り上げを上げる施策にしても、経費を下げる施策にしても、不正を防ぐ施策にしても、なんか、調査とか考えている時間がまだ相対的にすごく長くて、「じゃあ結局どういう手を打ったんですか」っていう施策の回数にはあまり目が向いていないなって思うので、
もっともっと新しいことを試して、ダメならダメで変えていくっていうのを早く回していくっていうのが大事かなと思いますね。
「やってみな分からん」っていうことがアフリカの場合だと多くて、お客さんの反応とか、チームのオペレーションがどう変化していくのかっていうことは基本的に読めないので、とにかくトライをもっとしたいなっていうのはありますね。
やっぱり数を打った中からフィッシングライトみたいな成功事例が出てくるので、手数ちょっと少ないかな、みたいなところは課題感としてはあるかな。
◉9年前の自分に一言
「9年後はDRC(コンゴ民主共和国)にいるよ」
「余計な心配をせず、とにかくハードワークしてください」
🎤では、少し違った角度からの質問になりますが、この9年間で色んなことがあったと思います。
その上で、9年前の米田さん自身に今何か一言伝えられるとしたら何という言葉を伝えますか。
🕺そうですね、。
「9年後はDRC(コンゴ民主共和国)にいるよ」って言うかな。(笑)
当時は大企業しか経験したことがない中で、スタートアップに転職して、「うまくいかなかったら」とか、「売上立たなかったら」とかの心配みたいなのはどっかであったと思うんですね。
だけど、9年後にはあなたが入社前に思っている心配や創業当初の心配は何も心配じゃなくなって、他国展開も成功して、9年前の自分は想像もしなかったであろう、あのコンゴ民主共和国に辿り着くまでにWASSHAはでかくなってると。
だから、「とりあえずハードワークしてください」って伝えると思います。
と言うか、もうそれしかないと思うかな。不確実性を確実にしていって、不安を払拭して、会社にも自分にも自身を付けていくためにはそれしかないと思いますね。
まぁ、びっくりするやろうけどね、「9年後にはDRCにいます」とか言われたら。(笑)
「どういうプロセスでそうなったんだ」みたいな。
🎤米田さんらしくて素敵です!ありがとうございました。
↑「生まれる子どもに父の背中を」外資コンサルを辞め、アフリカ6億人の貧困を解決するスタートアップCEOの創業前夜。より抜粋
↑All Staff MTGの集合写真📸
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【WASSHAの歴史】
◉創業前夜🌙
◉2013年
会社設立🏢
◉2014年
11月までかけてケニア🇰🇪で11店舗💡
◉2015年
ケニアはクローズ。タンザニアに集中🇹🇿→150店舗達成💡
◉2016年
800店舗達成💡、JICAから出資を受ける🤝
◉2017年
オペレーション改善、チーム作りに力を入れる👫
◉2018年
準備フェーズ、1000店舗まで増やす💡
◉2019年
会社拡大期&IPO準備🔥
国連WFP、ダイキン、ヤマハなどとの提携🤝
◉2020年
ウガンダ進出🇺🇬
コロナでタンザニアに日本メンバーがいなくなる🦠
◉2021年
5000店舗達成💡
◉2022年
モザンビーク進出🇲🇿
◉現在
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◉最後に💡
🎤最後までお読みいただいた皆さん、ありがとうございます!😊
今回は、アフリカ日系スタートアップWASSHAのCOOとしてアフリカ現地で9年間奮闘し続け、WASSHAの基盤を作ってきた・米田さんの目線から「組織について」「米田さん自身の変化について」「この9年間の学び」などをお聞きしました。
前回記事(【創業10周年の学び】「WASSHAは僕の会社じゃない」アフリカ日系スタートアップWASSHA代表に深夜インタビュー。)をもって終了したはずの「WASSHA創業ストーリー」の連載でしたが、「米田さんバージョンも見たい!」との声を多数いただき、急遽本インタビューの開催に至りました。
そこからも分かるように、WASSHAの縁の下の力持ちとして、たくさんの方々から愛されているCOOの米田さんの記事を本連載の最後に執筆できたことを光栄に思います。
米田さん、ありがとうございました!
そして皆さん、これからもWASSHAをどうぞよろしくお願いします!(2回目)
↑2022.03.29現在、DRC(コンゴ民主共和国)にいる米田さん(「なぜDRC!?」詳細は次回記事にて!!)