== はじめに ==
今まで何度も秋田さんにインタビューをしてきましたが、毎回必ず「WASSHAは僕1人でやってきたんじゃなくて、WASSHAに今まで関わってくれた1人ひとりが作ってくれたんだ」と言っているので、(ホントにどんな話をしてても)
WASSHAの創業10周年をまとめた記念すべき本記事のカバー画像は、秋田さんの写真じゃなくて、WASSHA FAMILYの集合写真にしました!!
これが、本記事で1番伝えたいことです! by 小松
さて、さっそく本題に入ります。
これまで、様々な角度からWASSHA代表の秋田さんとWASSHAの創業ストーリーについてお伝えしてきましたが、2013年に創業した、WASSHAの前身となるDigital Grid Solutionsから数えると、2022年でWASSHAは創業10周年を迎えます!
なので、本記事では、アフリカ日系スタートアップとして10年間走り続けてきたWASSHAの代表・秋田さんの目線から「この10年間の学び」「組織について」「大切にしていること」などをお伝えできればと思います。
【これまでのWASSHA創業ストーリー📖】
- 「生まれる子どもに父の背中を」外資コンサルを辞め、アフリカ6億人の貧困を解決するスタートアップCEOの創業前夜。
- ケニアでは上手くいかなかった事業がタンザニアで成功した3つの理由【WASSHA創業ストーリーvol.2💡】
- 何度も倒産の危機を乗り越え、アフリカで店舗数を0→5600まで急拡大させたWASSHAのここだけの話【WASSHA創業ストーリーvol.3】
WASSHA代表:秋田 智司(あきた さとし)🕴
高校時代に彼女に振られたことをきっかけにアフリカに興味を持ち、アフリカの貧困にアプローチするビジネスを志す。IBMビジネスコンサルティングサービス株式会社(現 日本IBM)で通信・エネルギー分野の新規事業開発や航空業界の業務改善プロジェクトに従事した後、2013年にWASSHAの前身となる会社を創業。300人近い現地スタッフと日本人スタッフと共に、アフリカの未電化地域で電力の割賦販売を行っている。
【目次】
◉「WASSHA」について
◉10年間の学び
◉10年前の自分に一言
◉大切にし続けていること
◉「WASSHA」について
🎤これまでの創業ストーリーのインタビューでは、WASSHAのこれまでの歴史をお聞きしてきました。
今回は、「代表・秋田さんから見えるWASSHAの10年間」「秋田さん自身の変化」をお聞きできればと思います。
「WASSHA」という組織が変わった瞬間
🎤この10年でWASSHAは組織としてどんな変化があったのでしょうか。
コミュニケーションが凄い難しくなったのが2019年、2020年くらいかな。2017年、2018年ぐらいまでは現地に僕がいることが多くて、チーム全体を見ることや、事業のある程度解像度の高い情報を手に入れることができた感覚があります。
でも、2019年ぐらいからはもう少し、IPO準備や投資家との話とかにも時間を割くようになったので現地のオペレーションについては米田さんにバトンタッチしたんですね。
僕はもう少し引いて経営サイドや、WASSHAをどういう組織にしていくか、どういう投資計画で進めていくか、のようなことに時間を使っていて、その上さらにコロナの影響で現場の状況が分からなくなった年が2019年です。
その時くらいから、会社としての体制が変わってきて、「自分一人で経営してるんじゃなくて、チームで経営する」っていう体制に徐々になってきた感じがありますね。
WASSHAも自分より優秀な人がどんどん増えてきたから、今までは自分で決めていたところもチームとしての権限移譲を進めて、そういう人たちにパフォーマンスを出してもらう方が会社にとって1番良いような組織の体制に変わってきました。
でもなんか難しくて、未だに分かんないっつうかモヤモヤしてるところもあるけどね。(笑)
WASSHAの変化の中で、今モヤモヤしていること
🎤WASSHAの変化の中で、今まさに秋田さんがモヤモヤしている部分とは何でしょう。
なんだろう、モヤモヤするっていうか、自分の手が届く範囲に全部あった時代から、自分で全部は分からないことが増えてきて、葛藤してる部分がありますね。
例えばさ、車の運転とかって前が見えてスピードメーターと回転数が見えて、ちゃんと自分でハンドル握って運転してる気がするじゃん。
だけど、僕は飛行機を運転したことはないけど、飛行機ってなんかこう色んな数値やボタンがあって、自分で運転するってよりはなんかこう機械に運転させるみたいな感じがすると思うんだけど。
それに近くて、自分とWASSHAが実際に日々やっていることの間に1枚なんか壁がある感じがするんだよね。
自分で全部は分かんないから、みんなが言ってることや色んなところから出てきてる数字を正しいと信じてジャッジするってことが増えてきてて。それが良いことなのか悪いことなのか分かんないんだけど。
昔は1つ1つのキオスクのオーナーの顔も分かったけど、今は5600店舗の全部を回るなんて出来ないし。でもチームのメンバーも優秀だから僕が行くより良い情報を持ってきてくれてると思うから、もちろんみんなを信じてるんだけど。
なんか、プレーヤー根性みたいなところがどうしても出てきちゃうんだよね。自分としては現場にどんどん行きたい一方で、「そんなのやる暇あったらお前はもっとお前がやるべき仕事をしろよ」っていう別の心の声があって、その間でいつも葛藤してる感じがあります。
🎤現場に行きたくなっちゃう「Go Field病」ということですね。
※「Go Field」はWASSHAのバリューの1つ
そうそう。
🎤その葛藤には、今のところはどう向き合っているのでしょうか。
割り切って、自分がやるべきことは、まず最初にやる。代表者として投資家の人と話すとか、「その時自分が会社のためにできる一番大事なことをやる。」
ただ、やっぱりそれだけをやってて現場感が無くなったら良くないからタンザニアに行ったら必ず少なくとも1回はお客さんやキオスクのところに足を運んで話すようにしています。
そんな感じで、「現場感を忘れないようにする」ってところもかな。
「現場感を忘れない」想いがメンバーに伝わっていた"水筒"のプレゼント
🎤「現場を大切にする」秋田さんならではの悩みですね。
でも、それで最近嬉しかったことがあって。
去年の12月に「WASSHA SANTA」っていうクリスマスイベントを社内でやって、そのイベントではみんながクジを引いて、「この人にプレゼントを買う」っていうのが事前に渡されて当日みんながそれぞれプレゼントを渡し合うんだけど。
そこで、僕の名前を引いた不運な人がいてさ。なんかだって社員からしたら嫌じゃん、「代表になんか買え」って。(笑)
で、そのハンフリーっていう地方のマーケティングリーダーが、僕にプレゼントとして水筒とワインを買ってくれたの。ワインはクリスマスだからなんだけど、水筒を買ってくれた理由として彼が、
「秋田さんはフィールドに行くのがすごい好きだからフィールド行った時に水分補給しなきゃいけないから水筒にしました」って言ってくれたの。
それが、僕はすごく嬉しくって。
なんか、「マネージャーなんて机でカタカタやってて楽な仕事だよな」って思われてたら嫌だな、みたいなのもあったから、そんなにいっぱい喋ったこともなかった彼がそう言ってくれたのがグッときて。
僕が「現場に行きたい」とか、「現場に行くことに価値を感じてる」ってメンバーの人も思ってくれてんだなって伝わったのが嬉しかったね。
だから、タンザニア行った時はオフィスにいる時でもいつもその水筒使ってます。(笑)
↑クリスマスイベントレポート🎅🎄【今月のタンザニア🇹🇿】-クリスマスイベントの様子
グローバルな組織のマネジメント方法
「信じて任せて、できるようになるまでサポートする」
🎤WASSHAはアフリカ現地メンバーや日本メンバーなど、さまざまな国籍やバックグラウンドを持つメンバーが働いている会社ですが、
組織のマネジメントで、何か秋田さんが気をつけていることはあるのでしょうか。
今、直近はWASSHAは200人ぐらい色んなメンバーがいます。(2022.3現在)
「そんなにいてどうやって育てるんですか?」とか、「どうやってマネジメントしてるんですか?」みたいな質問は結構前から聞かれるんだけど、その回答は、「信じて任せる」に尽きると思ってます。
これは、日本メンバーだけじゃなくて現地のメンバーも「信じて任せて、できるようになるまでサポートする」が良いのかなと思ってます。
「俺について来い」みたいな感じよりは、「手取り足取り教えもするし、失敗したらサポートもするけど、それでも信じてるし任せるよ」って言うことで、「君ならできる」って思っていることを伝えることが、特に異文化の人と仕事するときはすごい大事だなと思っています。
たまにその期待を裏切られて悲しくなる時もあるし、国によって結構教育水準とか考え方とかが違うから、なかなか上手く言ってることが伝わらなかったり動いてくれなかったりすることもあるんだけど。
でも、「みんなのことを信じてるから、こうやってやりたい」とかゴールをちゃんと示して、できた時に一緒に喜ぶ、ってことを繰り返すことで、変に驕ったり天狗になったりしないで向上心があり続ける人たちのチームができるんじゃないかと思ってます。
◉10年間の学び
🎤この10年間の、秋田さん自身の学びを教えてください!
一、「オプションを持つ」
「オプションを持つ」っていうことを常に心がけて、追い詰められないこと。
例えば、この会社に出資を断られたら会社潰れる、とか、この会社との契約がまとまらなかったら向こう何年間の売り上げが落ちちゃうとか、そういう「自分でコントロールできないところ」で大きくインパクトを受ける、みたいな状況をいかに作らないようにするかっていうのは大事だと思ってます。
とにかく1つしか選択肢を持ってないっていう状況をなるべく作らないっていうのは、この10年ですごい学びましたね。
そうじゃないと、めっちゃ視野が狭くなっちゃうし他のことが考えられなくなる。
だから、オプションを持つことで余裕をちゃんと持つことだね。
一、「自分より優秀な人に入ってきてもらう」
あとは、採用で言うと、「いかにプライドを捨てられるか」に近いかもしれないんだけど、「自分よりちゃんと優秀な人に会社に入ってきてもらう」ってすごい大事だと思っていて。
例えば自分より給料高い人をオファーするとか、会社にとって価値がある人に来てもらうことが大事だし、自分よりもこの人にやってもらった方が良いって思えるものを増やす方が良いので、そこで自分も含めて例外を作らずに会社にとって1番良い意思決定をする、ということは大事だなと思いますね。
一、「カルチャーやバリューを疎かにしない」
これまでにも、それぞれに色んな理由で何人も辞めちゃったりっていうことがあったんだけど。
カルチャーとかバリューとかってなんか軽視されがちだけど、実はすごく会社の中で大事で、それにちゃんとフィットする人を選ぶとか、そこをみんなに伝えていくことは大切ですね。
例えば、IPOの準備もしてるんだけど、別に僕らのゴールはIPOじゃないから、別に僕自身はIPOしたら株を売り抜けて「儲けた」っつって辞めたいわけじゃないし、それよりWASSHAが好きだからWASSHAの仕事をしてる。
でもそんな中で、そこに合わない人とかIPOでお金欲しいんですよっていう人が入ってきちゃうと、どんなに優秀でも、「カルチャーが違うじゃん」とか「価値観が違うじゃん」ってなって、なんか上手くいかなくなるんだよね。
アフリカの人に対しての姿勢でも、偏見を持った接し方をする人だったりすると、そういう接し方をしてほしくないメンバーとの間で「そういう風に接してほしくないです」っていうコミュニケーションをしなきゃいけなったり、「なんでそんな事言われないといけないのかわからない」みたいな話になっちゃったりとかするから。
だから、スキルとか能力とか肩書きよりもそれ以上に同じ価値観で、同じ目標というか、「こういう世界に出来たら良いよね」みたいな人たちをどれだけ集められるか、そういう人にどれだけ来てもらえるかっていうのは重要で、そこを疎かにしないことはすごく大事だと感じましたね。
あくまでWASSHAの場合で言えばだけど、価値観も「誰かに何かを決めてもらう」「許可を取る」みたいな感じじゃなくて、「自分はこう思う」「もっとこうしましょう」って言える姿勢が大事だなってことを再確認しましたね。
自分の中にスッと1本の芯がある人がやっぱり今も活躍してくれてるし、っていうか今はWASSHAにはそういう人しかいないね。
◉10年前の自分に一言
「諦めるな。倒れるなら前のめりで」
🎤では、少し違った角度からの質問になりますが、この10年間で色んなことがあったと思います。
その上で、10年前の秋田さん自身に今何か一言伝えられるとしたら何という言葉を伝えますか。
なんだろうね、ちょっと待ってね。
でも、起業してちゃんと続ける中で重要なのは「諦めないこと」だと思うんですよね。
辛いことがあったり、無理かもって思う時とか、やべえなと思うことがすげーいっぱいあるんだけど。
諦めずに、なんとかしがみついて足掻いていると道が開ける、みたいなことがたまたまラッキーなことに続いた10年間だったと思うので、10年前の自分に何かを伝えるなら、
「諦めるな」と伝えるかな。
「諦めずに続けろ」と。
それぐらいしかないかな。諦めなければ何とかなるからきっと。
倒れるなら前のめりでさ。
お前が気持ちの糸が切れたら多分もう終わると思うんだよね、だから本当に無理なら諦めても良いけど、自分の中で本当に無理って思うまで諦めずに続けたり最後までファイティングポーズを取っていると、そんな人のことは誰かが見ていてくれて手を差し伸べてくれたりとかあるし。
一緒にやっているメンバーも、「秋田さんが諦めないんだったら自分も頑張る」って言ってくれる人が出てきたりとかするから、めっちゃ精神論だけど、「諦めないこと」はすごい大事だなと思いますね。
これからも僕は、すげー今まで以上のやばいことがいっぱい出てくる気はしてるけど、「諦めない」ということを心に誓ってるから。
◉大切にし続けていること
「WASSHAは僕の会社じゃない」
WASSHAは別に僕の会社じゃないし、「秋田さんのWASSHA」みたいに言われるのがすごい僕は嫌なの。
なんか、僕1人が活躍してて、「僕がすごいんですよ」みたいな会社って多分良い会社じゃなくて、それは自分の限界以上に会社は大きくならなくなっちゃうから。
もちろん僕は創業者だけど、「今までみんなで作ってきたWASSHA」だからさ。
今のチームメンバー、あるいは今は辞めちゃってるけどある時期に一緒にやってくれた人たちみんなで今のWASSHAを作ってきたから。
なんか、結構ステレオタイプ的な見方で「アフリカの人たちってサボるじゃないですか」とか「アフリカの人達って、やっぱりスキル低いじゃないですか」とか「そんなイケてないダメな彼らをどうやって働かせてるんですか」とか質問を受けたりするんだけど、それは全然そうじゃなくて。
彼らは優秀だし伸びるポテンシャルを持ってるし、元々優秀な人たちもいる。
たまたま最初はスキルが足りなかったとしても、一生懸命頑張って自分でスキルを付けてできることを増やせば活躍できるっていうのは国籍に関わらなくて、人は成長できる可能性を持っていると思っているから。
たまたま教育水準がちょっと低かった人もいるかもしれないけど、その中でも頑張ってくれている人はWASSHAの中でもすごいやる気もあって。
真面目な尊敬できる優秀な人たちがたくさんいて、そのメンバーたちで作っている会社だから、代表者がすごくてここまで来た会社じゃないんだよね。
もちろん僕も頑張ったけど、1人ひとりのメンバーが頑張った積み上げだから、WASSHAはそういう見方をしてもらえたらすごい良いなと思うんだよね。
🎤素敵です。
主役はタンザニアやウガンダのメンバーで、あくまで日本のメンバーは縁の下の力持ちっていうか、現地のメンバーが輝くのをサポートしているチームだと思うから、そういう思いで今までやってきて、やっと本当にそういうチームが出来てきたって思いますね。
なんか、そういう気持ちの人に(WASSHAに)来て欲しいなと思うんだよなぁ。
日本でもよく、「尊敬できる人と働きたい」とかって言うけど、その対象がAllyとかMichaelとかみたいに、めっちゃ一生懸命やってるし僕も尊敬してるすごい努力家の人たちです、みたいな。
そういう偏見みたいなのが無くお互いをリスペクトできるチームだと良いなって思ってるんですよね。
すいません、前のインタビューから同じようなこと何回も言って。(笑)
🎤インタビューでも居酒屋でも、本当に毎回言われていることなのでようやく記事に出来て嬉しいです!
↑All Staff MTGの集合写真📸
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【WASSHAの歴史】
◉創業前夜🌙
◉2013年
会社設立🏢
◉2014年
11月までかけてケニア🇰🇪で11店舗💡
◉2015年
ケニアはクローズ。タンザニアに集中🇹🇿→150店舗達成💡
◉2016年
800店舗達成💡、JICAから出資を受ける🤝
◉2017年
オペレーション改善、チーム作りに力を入れる👫
◉2018年
準備フェーズ、1000店舗まで増やす💡
◉2019年
会社拡大期&IPO準備🔥
国連WFP、ダイキン、ヤマハなどとの提携🤝
◉2020年
ウガンダ進出🇺🇬
コロナでタンザニアに日本メンバーがいなくなる🦠
◉2021年
5000店舗達成💡
◉2022年
モザンビーク進出🇲🇿
◉現在
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◉最後に💡
🎤最後までお読みいただいた皆さん、ありがとうございます!😊
今回は、アフリカ日系スタートアップとして10年間走り続けてきたWASSHAの代表・秋田さんの目線から「この10年間の学び」「組織について」「大切にしていること」などをお聞きしました。
先日、日比谷線の中で、「中学生の時くらいから(考え方は)変わってない気がするし、明日目が覚めたら中学生でもやっていけそうな気もする」と言っていた秋田さんですが、
いつも屈託のない笑顔で無邪気に仕事を楽しんでいる様子や、会社というよりも「家族」と形容する方がしっくりくるWASSHAの組織体制やメンバーたちのコミュニケーションを見ると、「本当に、大切にしていることはずっと変わらないんだろうな」と思います。
さて、毎度ご好評をいただいていた「WASSHA創業ストーリー」の連載も本記事をもって一旦終了となります。僕が1番楽しんでいました。
いつも楽しみに読んでくださった皆様、SNS等で反応をくださった皆様、インタビューに応えてくださった秋田さん、そしていつもご協力をいただいているWASSHAのメンバーの方々へ感謝の意を表し、本記事を締めくくろうと思います。
拙い記事を読んでいただき、本当にありがとうございました。
そして、これからもWASSHAをどうぞよろしくお願いします!
↑「生まれる子どもに父の背中を」外資コンサルを辞め、アフリカ6億人の貧困を解決するスタートアップCEOの創業前夜。-より抜粋