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創業10年間のストーリーとグローバル構想について

はじめまして!ブルード代表の田中です。

今回は創業してからの10年間、自己資本で取扱高約3桁億円、黒字経営をなぜ実現できているのか、またグローバル構想によってどのように四桁億円を実現するのか話していこうと思います。

2012年に起業する前は、創業期のスタートアップで新規事業開発に従事していました。新規事業は、農業、ホテル、仮想通貨、マッチングサービスなど様々な事業の立ち上げを経験させて頂きました。

起業した背景

面接でよく聞かれる質問ですが、高校卒業まで12年間目指していたプロ野球選手を卒業と同時に諦めたことがきっかけです。1つ上にヤクルトで長年プレーした先輩がおり、埋めようのない力の差を感じたことが理由でした。夢を無くした喪失感から、自分の人生を何に使うのか考え、調べる中で選択した生き方が事業家でした。社会を変えられる可能性に惹かれました。19歳の時です。

高校卒業後からリジョブ入社まではサンフランシスコでカレッジ留学をしていました。留学中にハワイで事業を営む上場企業創業者宅に住み込みインターンをさせて頂いた経験がスタートアップに入社するきっかけになりました。

社員番号13番で入社したスタートアップでは、寝る間も惜しんで働き、2年後には従業員数が150名を超える事業フェーズにまで成長していました。急成長のカオスを経験することができ、経営陣がどのように経営課題をディールしているのか直接見ることができた経験は大きな財産になったと思います。

起業から10年間の歩み

離職後は、北新宿にあるアパートの一室で1人創業しました。ミッションもビジョンもなく、ノープランでの起業でした。27歳の時です。

起業して1つ目の事業として選んだビジネスは、ホームページのスマートフォン最適化事業でした(今でいうwix)。当時は2012年、パソコン用のHPをSPに最適化できていない美容室や飲食店が大半でした。

新大久保や新宿の店舗に営業を開始したところ、SPでの集客対策として反応はよく順調に契約が決まっていきました。契約数も30件を越えてきたきたころ、CMSの開発に失敗。200万円を使いあっけなく一つ目の事業が失敗に終わりました。

この時の学びは、「稼げるで始めた事業は、簡単に諦めてしまう」ということでした。

2つ目の事業を選ぶ軸は「原体験」でした。

事業を成功させる上で、原体験ドリブンであることは極めて重要なファクターだと考えています。どれだけ努力をしても、好きでやっている人には敵いません。自身の人生を振り返ってみると、野球と留学が価値観を大きく変えるきっかけになっていました。

その中でも、留学ではサンフランシスコに約4年間滞在し、多様性に揉まれることで自分らしさの発見と想像力を育んだ原体験が人生の可能性を広げてくれました。

人の可能性は能力ではなく想像力で決まると考えています。

想像できることは実現できるからです。現地では、たくさんの起業家に会い、刺激を受けました。

2つ目の事業は、私の人生観を大きく変えてくれた留学事業に決めました。

早速私はアメリカへ飛び、全米を回って大学、ビジネススクール、専門学校、語学学校と提携します。ニューヨーク→ボストン→シカゴ→サンフランシスコ→ロサンゼルスなど現地の教育機関にアポをとりつけ提携交渉していく中で見えてきたビジネスモデルが留学のオンラインブッキングでした。EUにあるサービスで留学費用をディスカウントするプラットフォームから着想を得ました。

早速サービスのモックアップ開発を開始しました。エンジニアはUCLA卒で香港人の親友ドミニック、サンフランシスコのスタバでたまたま横に座っていた日本人留学生を何とか口説いてジョインすることになったりん君の2名で開発をスタート。構想から10ヶ月後にサービスをリリースしました。

サービス名は「UBOOOK(ユーブック)」、SNS上で留学したい人を集め、グループ予約することで、留学費用が最大10万円ほど安価になるというサービスです。

リリース初日の問合せ数はたったの2件でした。振り返ると、日本人は欧米人と異なり留学に対する意思決定コストが高いため、留学をオンライン予約しない国民性だと理解できますが、当時は課題設定が甘く、打ち手先行になっていました。

そこから今月売上げなければ来月潰れるという薄氷を踏む状況が1年以上続きました。この暗闇のトンネルを走り抜けることができたのは、「原体験ベース」で事業を始めたからでした。また一緒に戦ってくれた仲間がいなかったら倒れていたと思います。死なずに続けていくと、ビジネスについて少しずつ科学が進みます。

スタートアップはリソースがないので1つの事業/商品に特化しカテゴリーリーダーになること、課題設定から打ち手を考えること、リーンスタートでサービスを売った後にプロダクトを開発すること、デザインを綺麗にするだけでは顧客を創造できないこと、PMFやユニットエコノミクスなどビジネスの基礎を学んでいきました。そんな中で、私たちは国内の留学市場で唯一右肩上がりの留学先を偶発的に発見します。マーケットがテイクオフする素晴らしい参入タイミングでした。

すぐに対象留学先の専門家として再スタートをきります。問合せ数は右肩上がりに伸びていきました。伸びている市場にタイミングよく早期参入することの重要性を学びました。

この間、1人を残して創業メンバー全員が離れたタイミングは一番の倒産危機でした。事業の失敗は何度でもやり直せますが、仲間が離れる時ほど辛いことはありません。過去10年で一番辛い時期でしたが、乗り越えたというよりも「耐えた」という感覚でした。耐えているうちに、残ったメンバーが急成長して何とか乗り越えられました。彼らは今も主力メンバーとして当社を牽引してくれています。

その後2018年に、サービス名を「StudyIn(スタディーイン)」と一新、サポート先も14カ国に拡張しました。コロナ禍では逆張り経営で採用を強化。25名だった従業員数は150名を越え、3坪のワンルームアパートから渋谷にある300坪の住友不動産青葉台タワーへ移転しています。留学メディア事業は日本最大級の規模まで成長しました。

私たちは、23年にフィリピンとカナダに、25年にはオーストラリアに支社設立をして海外展開を開始しています。これから、留学事業の垂直統合を世界規模で推進し、事業規模を一千億円まで拡大する構想を実行します。事業展開に興味のあるエネルギッシュな方からのご応募をお待ちしております!

映像メディアを事業経営の共通基盤に

当社はYouTuber事務所ではなく、社員がメディアマーケター(演者)として、自社サービスをPRすることで、広告費を使わずに事業を伸ばしている、独自性の高いビジネスモデルになります(ジャパネットたかたモデルと話しています)。TikTokやYouTubeなどの動画シフトはまだまだ始まったばかり、今後10年は続きます。人々の情報を取得する方法は、Google検索からTikTok/YouTubeなどの動画検索に置き換わっており、時代はゆっくりと動画シフトへ向かっています。

SEOモデルVEOモデルに移行し、あらゆる産業で地殻変動が起こり始めている、まさに最高のタイミングです。リクルートは紙媒体シフトで、ヤフーはインターネットシフトで、メルカリはスマートフォンシフトで、各企業は時代の変遷に合わせて産業のパラダイムシフトを利用し爆発的な成長を遂げました。私たちは、動画の未来を誰よりも強く信じており、この時代の転換期をとらえ動画メディアを事業経営の共通基盤としてグローバルで使われるサービスを作っていきます。世界でカテゴリーリーダーになるためのサービスを一緒に作ってくれる、メディアマーケターを積極採用中です!

インバウンド留学メディア事業も急伸中

留学事業は、グローバルでシェアNo.1を目指しており、日本人の海外留学サービスだけでなく、外国人のインバウンド留学も成長してきました。北米、ヨーロッパ、中南米を中心に動画メディアを駆使して越境マーケティングを行なっており、世界120カ国からのリード獲得があり、すでに35カ国の人種をサポートしています。

また、各海外支社からは外国人の海外留学事業も構想しており、日本to海外・海外to日本・海外to海外と、グローバルでシェアNo.1、世界で最も留学生や人々のライフチェンジをサポートするサービスを目指しています。

現在、インバウンド事業は拡張期、これから東南アジアへ進出していきます。お客さまが外国人であるため、英語を中心とした言語力が必要となりますが、英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、ポルトガル語、中国語で日本文化を紹介したい方からのご応募をお待ちしています!

グローバル構想に少しでもご興味があればぜひ一度お話しましょう!

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