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誰も取り残さない社会を!全部はできない。だから自分にしかできないことを考える。

法学部で国際人権法を学び、国際協力NGOで開発途上国の人道支援に携わり、Teach For Japanのフェローとして日本の中学校教員になった村松さん。人道支援の現場で感じた「教育」の重要性。そして教員として2年間経験を積み学んだこととは? 「誰も取り残さない社会の実現」を目指す村松さんのこれまでのキャリア選択とこれからのビジョンについてお伺いしました。

村松良介


赴任期間:2017~2019(5期フェロー)

赴任先 :福岡県校種中学校赴任(英語担当、1年目:1年生、2年目:2年生)

出身大学:北海道大学 法学部、英国エセックス大学 人権理論実践学修士課程

教員免許:臨時免許

経歴  :国際NGO(うち1年間ケニア、エチオピア駐在)→TFJフェロー→国際NGO(うち1年間ジンバブエ駐在)

趣味  :歌うこと、旅行

好きな言葉:「ある船は東へ進み、ある船は同じ風で西へ進む。進路を決めるのは風ではない、帆の向きである」(E.W. ウィルコックス)

「教育」が「誰も取り残さない社会」のバックボーン。まずは自分が当事者になろうと決めて教員に

南スーダンの難民が居住するエチオピアのキャンプにて

ご出身は法学部なのですが、どうして教育に興味を持つようになったのでしょうか?

僕は法学部出身で、以前は教育について深く考えることはありませんでした。ただ、開発途上国や国際協力に関わりたいという思いはあったんです。それで、人権という観点から法律と国際協力を絡めて、国際人権法を勉強していました。

国際人権法は理想的なことがたくさん書かれているんですけど、開発途上国には社会から取り残されて貧困や差別に苦しむ人がたくさんいる中、現実とのギャップが激しいと感じました。たくさんの国が長い間人権条約を批准しているのに「何でこうなってるんだ?」っていう疑問がありました。それで、現場をもっと知りたいと思うようになったんです。

大学院修了後は、国際NGOで緊急人道支援に関わるようになりました。教育に本格的に関わったのは、エチオピアでのプロジェクトで難民キャンプに学校を作ったときのことでした。草むらが広がっているところをガーって草刈りをして、土が剥き出しになった地面にプラスチックシートとかで仮校舎を作りました。同時に教職員を雇ったり、研修したり、制服作ったり。ハード面もソフト面もいろいろやりましたね。学校に子どもたちが通い始めると、紛争で家族や友人を亡くした子どもたちの表情が、どんどん明るくなっていくんですね。学校に通うことで、新しい友人に出会ったり、自分の夢の実現のために学ぶことができる。子どもたちにとって学校が大きな希望なんだと強く感じました。

そんな現場での支援活動を通して、社会から取り残される人をなくすには、究極的なところは教育が鍵なんじゃないかって感じました。教育がないと、感染症から身を守れないし、教育がないと、自分たちの権利を守れないし、教育がないと、貧困につながっていくし、貧困が将来の紛争につながっていく……。国際人権法を学んでいるときに感じた理想と現実のギャップを埋める鍵は、教育なんじゃないかなと思ったんですね。

教育に関わる方法は様々あったと思うのですが、なぜTeach For Japanのフェローを選んだのでしょうか。

エチオピアから帰国した後、結構モヤモヤしている自分がいました。2016年に熊本震災があったとき、被災者の子どもたちへの教育支援を行いました。自分はプロジェクト全体のマネジメントはできるけれど、教育について何もできない、何も知らないっていう葛藤がありました。

それで、教育に本格的に関わりたいと考えて、教員免許を取得して教員になろうとも考えました。そんなときに、知人がTFJのプログラムを教えてくれました。TFJのことを知ってから、当時TFJのCEOだった白田さんのブログを読んでみたんです。ブログの中に「教育の当事者になることが大事」と書かれていて、まずは自分が教育現場に入って子どもたちと本気で向き合おうと決めました。

あと、日本において「誰も取り残さない社会」のための教育に携わりたいという思いもありました。日本での相対的貧困や格差の問題は以前から関心があったので、TFJのミッションにも強く共感し、何かできることをしたいと思いました。また、英語ができることで自分の世界が広がる喜びを子どもたちにも体験してほしいと思ったのもあります。自分がこれまでキャリアを積むことができたのは、英語が苦手だったけど自分で勉強して、海外で多様な世界に触れることができたからです。すごくラッキーだったと思います。

一方で、日本の社会は内向き社会のような傾向があって、すごく閉じていると感じていました。グローバル人材の育成が重要だと散々言われているけど、公教育を受けただけでは、なかなか英語が使えるようにならない。そして、世界のいろんな人と触れ合う機会がなく、内向き社会となり、ヘイトスピーチがネット上にあふれるような、多様性を拒絶する社会となってしまう。日本の公教育はその役割を果たせてないのでは? という課題意識を持っていました。

試行錯誤してたどり着いたのは「世界とつながる教室」というミッション

フェロー時代の授業風景

実際に学校現場に入ってみてどのような感想を持ちましたか?

まずは、教員は難しいなって思いました。覚えることは山のようにあるし、授業も生徒指導も最初はなかなかうまくいかない。教育っていう終わりのないジャーニーの中で、2年間で何ができるのかって率直に感じたし、フラストレーションもありました。ただ、そう感じたからこそ自分が成長するスピードだけは誰よりも早くしないとって思いました。

他にも、家庭環境がいかに子どもに影響を及ぼしているかや学力調査の結果を求められる教員のプレッシャーも感じました。その中で、TFJのフェローとして自分に何ができるかずっと考えてましたね。簡単じゃないぞってすごく思いました。

なるほど。実際に教員としてどのようなチャレンジをしていったんでしょうか。

自分は「誰も取り残さない社会」を目指しているから、英語の学習でも全員取り残したくないって思ったんですよ。だから必死に、なかなか授業についていけない子に付きっきりで教えたんですけど、自分も疲れるし生徒も疲れる。

それに個別に対応しすぎて、クラス全体にフォーカスできないこともありました。個別の学力に対応できるような学びの環境をなかなか生み出せなくてすごく苦労しましたね。やっぱり全体を見ながら、個に対応するっていうのはすごく難しい。とにかく最初は体当たりでやっていたと思います。

そんな中、授業を見に来てくださった先生に「君はいきなりイチローになろうとしている」って言われて。(笑) 結局全部やろうとしすぎてたんです。

それで、「自分にしかできないことはなんだろう?」って考えて、自分のミッションを絞りました。一言で表現すると「世界とつながる教室」です。

  • 世界のことを身近に感じられる活動(英語、世界の情報があふれる環境)
  • 子どもたちが世界に近づくための能力の強化(個別の学習ニーズへの対応)
  • この2つを合わせる機会の創出(実際に能力を使って世界とつながる機会)

という三本立てです。

能力の強化では、課題解決型の学習を授業に取り入れるなかで、学びを個別最適化するようにしました。例えば、「〇秒以内にお店で商品Aの買い物をせよ」という場面設定で活動する「ミッション」を与えます。、苦手な子には補助教材を用意して、得意な子にはジェスチャーを加えて伝えてもらったり別の商品Bも買ってもらうなど、最初から活動の難易度をいくつかに分けます。さらに苦手な子と得意な子をペアで組むようにして、一緒に練習して、どの難易度でもよいから買い物をしていくんです。とにかくレベルは違ってもいいから、全員が参加できるようなストラクチャーに授業を変えていきました。

また、英語を学ぶモチベーションを高めるために機会を作ることはとても大切でした。具体的には、留学生や海外からのJICA研修生の方を単元の終わりに教室に呼んで、生徒が習った英語を活用する環境を作りました。例えば、中1のまとめとして「留学生に自分たちの学校生活を紹介しよう!」というテーマで活動しました。子どもたちにも留学生にも同じように彼らの学校生活を紹介してもらうわけです。

それによって、なぜ英語を習うのか、英語を使う場面・目的意識がはっきりしました。また、給食ひとつ取り上げても各国でちょっとずつ違っていて写真を見るだけでも「おぉ~」ってなったりするんですよね。僕がいろんな国のことを授業で話すよりも、目の前にその国の人がいて、その人とコミュニケーションをとるということで、子どもたちの目つきが変わりました! 本物との出会いは全然違うなって思います。

やっぱり、なんのために英語を勉強してるかっていうと「使うため」だと思うんです。普段の授業でミッションを重ねて獲得した力を使って、外国の方とコミュニケーションをとる体験をする。こういう体験が学びのモチベーションにつながります。自分が全員を英語好きにすることはできない。だけど、英語を本当の意味で「使う」ことで、英語を好きになるきっかけを与えることはできるかなと。

誰も取り残さない社会の実現のために、自分に何ができるのか?

事業地にて木の下で学習に励む子どもたちと

2年間英語教員として子どもたちに向き合って、どのような学びがありましたか?

学んだことは2つあります。1つは、社会から取り残されるっていうのがどうやって教育現場でも起こりうるのか、ということが良く分かりました。地域や家庭の環境によって、経済状況や家庭での学習環境の差などの複雑に絡み合った要因があって、一斉授業の中で子どもたちの間に学びの差が生まれていく。また、厳しい状況にある子どもたちは自己肯定感が低い傾向にあると感じました。どうやってそういった子どもたちの力を引き上げていくか悩み続けた2年間でした。

もう1つが、最終的には教員次第ということです。苦しいけど、教員ががんばれば子どもたちは学ぶし、子どもたちは変われると思ったんですね。限界はあるけれど、やっぱり教員次第でかなり変われる。その可能性を引き出すために、教員を支える環境も大事だなって思いました。私も周りの先生やTFJのサポート、フェロー間の繋がりなしではできませんでした。

最終的に誰も取り残さない社会を作っていくために、教育が大きな役割を果たすのは間違いないですが、そのためには教員自体が変わっていく必要があるし、それによって厳しい環境に置かれた子どもたちが変わるところまでやらないと意味がないというのが2年間での大きな学びです。

2年間のフェローシップ・プログラムを修了した後、すぐ海外に行かれていますが、なぜそのようなキャリア選択をしたのでしょうか。

開発途上国では「学びの危機」というのが大きな問題になっています。2015年までにミレニアム開発目標を達成するために多額の支援金が使われ、開発途上国の小学校では、子どもたちの就学率が一気に向上しました。でも、学校に通っていても実際には最低限身に着けるべき読み書きも学べていない子どもが多いという現状が浮かび上がってきたんです。これにはいろんな要因があるんですけど、教員の影響も大きいと言われています。

「自分は何ができるだろう?」って考えたんですね。「学びの危機」は主に開発途上国の問題なんですが、日本で教員をして感じたことや経験を活かすことができる。日本で教員を続けることも考えましたが、開発途上国で「学びの危機」を脱する支援をするってことは、自分にしかできないと思ったんです。

もう1つの理由は、日本の内向き社会と言われているものを外から変えていきたいと思ったからです。世界の現場と日本の教育現場を知っている人間が、外から日本の学校にアプローチするのも必要なんじゃないかなって。自分が日本で教員を続けて、世界のことを話してもそのうち色あせる、リアルじゃない。それよりも、いま世界に行っている人だからこそできることがあるんじゃないかなって考えたんです。

誰も取り残さない社会を作るために、あるべき教育の姿をを、開発途上国と日本のどちらも行ったり来たりしながら考えていく。それって自分にしかできないんじゃないかなって。それで、いまは開発途上国の支援をやっています。

具体的にはどのような活動をされているんですか?

具体的には、子どもの権利を推進し、貧困や差別のない社会を実現するために活動している国際NGOプラン・インターナショナル・ジャパンで、ジンバブエの「暴力のない中学校作り」というプロジェクトを担当しています。ジンバブエの学校では最近法律で体罰が禁止されたんですが、学校では体罰が横行している現状があります。「生徒指導ってどうしたらいいの?」と、何をしたらいいのかわからない教員がいます。それで、現地の教育省職員や大学の専門家と一緒に教員研修マニュアルを作って、教員の指導に取り組んでいます。日本での教員経験も大いに活かされています。

また、そういった現場の様子を記事の執筆や教育機関等での講演などで発信しています。日本にとって世界が少しでも身近に感じるように、現場からの発信をとても大事にしています。

なるほど!まさに行ったり来たりが活きているんですね。
では最後に、今後のビジョンを教えてください!

「誰も取り残さない社会」のための教育とは何なのかっていうのを、いろんな国の実践を往復する中で、考え続けていきたいです。開発途上国では、まだ学校に行けない人もいっぱいいるし、ようやく学校に行けても教員がそもそも来ないとか、まともな学びを得られないということが起こっている。学校で子どもたちが学べないと、せっかく学校に通っても地域間や家庭間の格差が再生産されてしまう。

そうじゃなくて、どんな環境に置かれた子どもでも、誰もが学んで夢を実現できるようにならないといけないと思うんです。やっぱりみんなが学んで、生きたいように生きられたら一番いいじゃないですか!そのために何ができるのかをいろんな実践を通して考えるんです。日本と世界の実践を行ったり来たりしながら、考え続けていきたいですね!

(編集後記)
インタビューの中で村松さんがしきりに口にしたのが「誰も取り残さない社会の実現」。国際人権法、開発・人道支援、教員、再び開発・人道支援の現場……所属する組織や肩書は変われど、ビジョンは一切ぶれていない。「誰も取り残さない社会の実現」のために、これから村松さんがどこで何をしていても、向が信じられる。そんなインタビューでした。

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