1
/
5

「教育」という言葉に対する淡い期待

こんにちは!

SEKAISHAの笠巻です!

今回はインターン生の三浦 永理さんに、「教育に対する淡い期待」について語っていただきました。

17卒として一度就職したあと、教員免許取得のため通信制大学へ通う三浦さん。

一度は社会に出た彼女を突き動かした「教育」への想いとは、一体何なのでしょうか?


===============================================

SEKAISHAインターンの三浦 永理です。

私は、大学卒業後、現在、教員免許取得のために、また別の通信の大学に通っています。

ついこの間まで、こういう選択肢があることすら知らなかったのですが、学生時代から感じていた「教育」への課題感から、次第に、教育業界に飛び込みたいと考えるようになりました。

一方で、「教育」という事業について、私自身何か幻想を抱いているような気もします。

「教育」が変われば、世界が変わる?

私たちを踊らしている「教育政策」は便利なものです。

国の未来を担う子供たちを育てるために、より良い未来のために、様々な提言がされます。

国際的な学力調査や、大学ランキングが注目されることも、「教育」がひとえに「国力を示す指標」と思っている人が多いからでしょう。

誰しもが「教育」を受けたことがあり、それに対する不満・意見を持つ機会があるからこそ、様々な意見があふれています。

そして、「子供には、自分と同じような失敗をして欲しくはない」という親心。

「教育政策」とは、その「子供」の範囲が、国中・世界中に広がっているようにも思います。

「子供たちにより良い未来を」と子供への期待は高まる一方で、全員に同じような多くの課題を渡しているのが、「教育政策」の現状かもしれません。

なんとも、淡い期待ではないでしょうか?

広い世界を見たくて、大学へ

私自身が、「教育」が変わる必要を感じたのは、大学時代でした。(1度目の)

他のSEKAISHAの皆さんの進学校話を見聞きすると、私も、違う特殊な世界にいたことに気付かされます。

私は、都内の女子高にいました。同級生の半数以上が内部進学、または推薦で、大学に進学しました。

一般入試で大学に入ったのは、私含めて、30人程度だったと思います。

私にとって大学入試は、「広い世界」を見るための選択肢でした。

「広い世界」の大学に、私は圧倒されました。

苦労して入ったのに、大学の授業は、つまらない講義と面白いものの差が大きすぎる。

留学生や帰国子女の多い学部では、授業でも英語の内容にはついていけなかったり、気が引けて発言できなかったり。

ずっと好きでやっていたことも、全国から学生が集まる大学では、下手の横好き。

早いうちから、広い視野を持っていれば、今とは違う方法を探していたのに、と思う日々でした。

「広い」教室の「小さな」世界

そんな中、大学3年の時、社会学に興味を持っていた私は、「教育社会学」に関する授業を履修しました。

https://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/opinion/society_160411.html

家庭の社会経済的状況が大きく子供の教育に影響していること。

ジェンダーの違いで親が子供に期待する役割が違うこと。

豊かに見える日本の社会にも、格差は確かにあること。

様々な研究でわかっていることが教えられました。

そして、私の学部には留学生や帰国子女が多かったものの、クラスメートたちと議論していくうちに、似ている部分も多くありました。

両親のいずれかが大卒またはそれ以上。

教育への投資に熱心な親の元で育っている。

周囲の同級生の多くが大学進学を目指していて、進学が当たり前だった。

家庭にある程度の量の書籍がある。

こんなにも違う一方で、この教室にいる人たちは似通っている。

当時の私には衝撃的でした。

私がみてきた世界は、本当に限られた一部だったのだと。

広がったように思った大学の世界すら、限られた人間しかいないということ。

そして、私たちが、それぞれの親に反目したとしても、そのレールに従っていることがほとんどなのではないか、というほどに影響を受けているということが。

その「教育」は誰のため?

社会にはさまざまな人がいます。同い年以外の人とも関わりを持たなくてはいけません。ですが、学校では、そういう機会が限られて、生徒たちは守られています。

中高生の多くが、8時前には学校について、部活をして、6時間授業を受けて、放課後には掃除をし、また部活をして、下校。

10時間以上を学校で過ごしている生徒も多いでしょう。

そこには、限られた大人しか関わることがありません。

その学校を選ぶきっかけになるのも、親や家庭かもしれません。

果たして、学校という場は、本当に、社会に出るための準備の場になっているのでしょうか?

そして、「教育」は、その人自身が望んで受けているものなのでしょうか?

ただ、誰かの期待に応えるためのものなのでしょうか?

私は、そんな現状が変わらないかと思い、教育業界を様々な側面から見たいと感じています。

何より、様々な人が教育現場に危機感を持っている今は、「教育」が変わろうとしている時代なのではないかと感じています。

そして、いつか、多くの人が「限られた大人に会うのではなく、より多くの選択肢に出会って、自分の将来を考える」ことが可能な「教育」の場を目指していければと思います。

それが、私自身の「教育」という言葉に対する淡い期待です。

Invitation from 株式会社SEKAISHA
If this story triggered your interest, have a chat with the team?
株式会社SEKAISHA 's job postings
2 Likes
2 Likes

Weekly ranking

Show other rankings
Like Shota Kasamaki's Story
Let Shota Kasamaki's company know you're interested in their content