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出戻り組の私は、なぜスコラ・コンサルトに2回も入社したのか

今回は、大手旅行会社を経て入社してから20年目、途中、1.5年の家出(?!)期間を経て、再入社した山科雅弘(やましな・まさひろ)さんのストーリーです。

●なぜ風土改革を志したのか①―ドイツ人の「超おせっかい」と「自分たちで解決しようとする民度」―

なぜ、自分は風土改革を志したのか、今から考えると、1994~96年に前職でドイツ駐在だった頃が、僕にとっての“当たり前”が崩れた2年間にきっかけがありました。

一つは、「ドイツ人は超おせっかいだ」ということです。当時、車に乗って日系企業に包括契約の営業に行っていました。カーナビはない頃で、道が分からない時に路肩に車を停めて地図を見ていると、「どうしたんだ?」と聞いてくる。「ここに行きたい」と言うと、その人が分からない時は周りの人に聞いてくれ、「英語のわかるやつはいないか」「電話をしておくよ」と言ってくれたりするわけです。

また、街でおじいさんが横断歩道を渡ろうとしているところを車が通過したら、だれかが車の後を追いかけて抗議します。見知らぬ人同士なのに、正しいことをしようとする人に周りが絶対に加担するので、損をしない雰囲気を感じました。

もう一つは、当時住んでいたアパートで共有の掃除道具がなくなり、泥棒騒ぎが起こった時のことです。泥棒が入ったなら、日本だと「警察に届けろ」になりますが、「同じアパートで起こったことなのに、なぜ警察を呼ぶんだ。恥ずかしくないのか」となる。ドイツでは、自分たちの足元で起こっている問題は、自分たちで解決しようとする「民度」がありました。もちろん、自分たちで解決できなければ第三者を呼ぶことはありますが。この2つの出来事は、自分にとっては、ガツンと来る衝撃的なことでした。

●なぜ風土改革を志したのか②―旅行業界の激変期に感じた違和感―

96年に帰国した後、本社に異動しました。ちょうど、Windows95が出た頃で、旅行業界の激変期でした。お客様が、自分で申し込めるようになることで、全体の2割あった代理店販売が一気になくなりました。

そういう構造的な変化の中で、組織体制を見直し、団体旅行から個人旅行シフトに向かうべく、駅前の店を閉めて、郊外型に変える。一人一人に対応するためIT投資をしてシステムを入れ替える。人事制度も変える。いろいろやりました。経営会議の資料も作っていました。

経営会議に参画して思ったのは、形は変えたんだけれども「上滑りしているなあ」という違和感でした。本社の人たちと話をすると、それなりに問題はわかっていて、指摘そのものは間違ってはいません。しかし、それは自分たちの問題ではなくて、“誰かが解決するもの”になってしまいます。見て見ぬふりになり、手助けもしない。隣の部署にもの申すこともせず、逆に言わない。同じ会社の社員同士なのにもかかわらずです。ドイツでは見知らぬ人同士でも見ぬふりをしなかったのに・・・。「これはいったい何だろう?」

98年に柴田さんの「なぜ会社は変われないのか」が出版されました。読んだら「氷山モデルで示された氷山の上:戦略や制度、仕組みを変えても、氷山の下:風土、思考・行動パターンが変わらなければ組織は変わらない」とある。すごく共感して、仲間にも本を紹介しました。その後、30代半ばのメンバーで、18時からオフサイトミーティングを実施しました。我々だけではそんなに変えられない。経営層に近いところで、問題意識を持ってもらえるようにするために、力を借りたくて柴田さんに相談に行きました。

それから、人材開発室長と一緒に経営層向けの研修を企画することになりました。いきなり風土改革の話では、経営者も受け取るのが難しいだろう。そこで5回シリーズにして、サウスウエスト航空(SAS)のCSの講演を入り口に、最後に柴田さんに登場してもらって、ようやく風土改革の話をしてもらったわけです。


●一回目の入社―「諦めていたことを諦めなくていいんだ!」―

その後、日経新聞にスコラの求人広告が載り、応募しました。応募者が入れ替わってのオフサイトミーティングが3回ありました。その後、柴田さんが「君はせっかく社内で変革活動をしているんだから、それを続けたほうがいい。これからも相談にのるから」と言われ、入社を断られたと思いました。1年後に「そろそろ、うちに来てみるか」と言われ、いったい人の人生を何と考えているんだ?!と思いましたが、入社しました。

入社後すぐ、ある会社の役員オフサイトミーティングに行きました。そこで黙っていたら、柴田さんから「思っていることを言え。自分の会社でいろいろやってきたんだから。僕がフォローするから」と言われたのを覚えています。

スコラに入れて嬉しかったですね。前職で先輩に相談したら、諭されて諦めたことがあったんですが、スコラに来たら、「諦めたらダメだ」「言え」と言われる。自分なりに大事だと思っていたことが、当たり前のこととして諦めずに済む。自分を繕わなければならなかったのが、当たり前にならないうちに、スコラに入社できてよかったです。ものすごく楽になりました。だから本当に楽しいです。

●自分たちの組織を自分たちで進化させていく

この仕事の喜びは、本気の人と出会える、組織を良くしようと思っている人と、チームで物事を進めていけるのが、すごく心地がいいですよね。具体的に変化を起こして、「やったね、やれたね」と一緒に喜べる。そういう関係だから、クライアントとプロセスデザイナーの関係を超えて同志になれる。いまだに、20年前に一緒に仕事をした人とつながって、会社に寄ってくれたりするわけです。

あるコンサルタントから、スコラがやっているのは「どぶ掃除」と言われたことがあります。腹が立ちましたが、他の人がやらないことをやっている価値があるんだと思いました。渦巻いて見えにくい問題に首を突っ込むわけだから、泥まみれになる。それって、決して効率的な仕事ではありません。

ホリスティック医学をやっている脳外科医から聞いたのですが、「お腹が痛い」という訴えに対して、「それは心配だよね」「いつでも電話をしていいよ」と言われて痛いのが治っちゃった、という話があります。その安心感が自然治癒力につながる大切なことなんですね。スコラのやっていることに近いのではないか、と感じました。

人間の持っている力を使って、組織の問題を自分たちで自律的に解決していくこと、現状からありたい姿に向かって、実際にある阻害要因を取り除いて進んでいく「自己進化力」。環境が変わっても、自分たちの組織を自分たちで進化させていくこと、という考え方は揺れ動かないはずです。やり方についてはいつも、悩みますけれどね。

一方で、やはりハードの改革も必要です。企業が直面している経営課題の解決と、風土改革を切り離してはダメだと思います。自分たちの問題を自分たちで解決していくわけですから、両面があって、一体で変えていくことが大事です。

今は風土改革を狭義に考えているというか、なんとなく氷山の下を変える、「コミュニケーションを変えるんでしょ」になりがちです。そこに留まっていたら自己進化しない。氷山モデルの上と下をホリスティックに見て取り組むことがより大切になっていると実感します。



●10年目の家出と二度目の入社―スコラに期待してくれている人たちがいる-

家出する数年前から、プロセスデザイナーではなく、組織の当事者として風土改革に関われたらと思っていました。プロセスデザイナーは当事者のつもりで関わっているけれど、どこかで、やっぱり最後は当事者じゃない。「柴田さんの傘の外へ、一回出ないと分からないだろう…」。そういう勇気も中々なく、結構リスクも感じて、ある程度仕事ができる環境をつくらないと、と考えていました。

たまたま当時、スコラの代表を降りてパートナーとして仕事をしていた人に誘われ、自分も社員を辞めてパートナーになりました。やった仕事は、結構当たったので、食べていくのには困りませんでした。

しかし、やっている中で「これじゃないなぁ」と思ったんです。風土改革の仕事が嫌いになってパートナーになった訳ではなく、環境を変えようということだったのです。その頃の自分の名刺では風土改革の仕事は来ません。そう思うと、風土改革を続けるには、やはりスコラがベストだと思い直しました。傘の外で雨水にあたり、スコラは風土改革をする奇跡的な会社だと思いました。

実は家出から戻ってきたのは、私が初めてではありませんでした。先に出戻っていた人に相談したら、当時の経営メンバーにつないでくれました。柴田さんからは「君への信頼は間違いなく落ちているが、戻ってくるのに明確に反対する理由はない」。またあるメンバーからは「裏口から出て、表から帰ってきた」と真正面から言われました。戻ってから、スコラメンバーと個別ミーティングを実施して、いろいろ厳しい言葉を言われ傷つきましたが、言ってもらえて有難かったというのが本当のところです。

出戻った自分が言うのもなんですが、「出戻りは悪くない」と思っています。それまで、自分の当たり前だったことが、当たり前じゃないと分かったからです。ある仕事で、何かの拍子に「僕は、実はスコラ社員でした」と言うと、話が広がることが何度もあり、スコラが世の中に期待されていると確信しました。もし、ずっとスコラ社員のままだったら、こういうことを知ることはなかったと思います。

戻ることが決まって、「手ぶらじゃ戻れないだろう?」と家出中に出会った人たちが心配して新たな人を紹介してくれて、いくつか仕事もつくりました。こういうご縁があったことには、本当に感謝ですね。でもそれは、スコラの名前だからできた仕事だったんです。

●人にも、仕事にも、誠実でありたい

「人にも仕事にも誠実であろう」と思っています。駆け引きなく、「できることはできる」「できないことはできない」と言う。仕事や役割としてだけではなく、やはりその会社のことを一所懸命考えます。

前職の時に、戦略系のコンサルタントが常駐していて、戦略の提案がありました。現実的にいろいろはあってその通りにはできなかったのですが、「なぜ、やらないのか」という感じで我々を理解しようとしませんでした。

スコラは、当事者側になって、一緒にどぶ掃除に関わります。「そう言ったってさ~」というところで、どれくらいこちらが相手を理解するか、が大切です。「こいつ、答えは持っていないが、苦しみを分かろうとしてくれている。自分たちのことを自分たち以上に考えてくれている。一緒に考えて悩んでくれる」、そういう姿勢が大事だと思います。

柴田さんの言葉で好きなのは「プロセスデザイナーは組織を進化させるために必要な体現者」です。意味や目的を問い直す、一緒に考えるなど、組織を進化させるための重要な価値観だから、自ら体現するのがプロセスデザイナーなんだと。「体現しようと努力している」とも言います。中々、体現するのは簡単ではないけれど、もがきながらやろうとしているのが我々です。



●自分の足りていないところに向き合わざるを得ない、でも魅力的な仕事

プロセスデザイナーに正解はありません。迷うことの多い、人間的な仕事です。ありたい姿に対して現実があって、課題を多面的にとらえて伴走していく、中々他にない仕事です。組織の中には、感情的な問題もたくさんあって、大変だけれどその分喜びも大きいです。

けれども、この仕事は自分の足りていないところに向き合わざるを得ないというのも現実です。特に、クライアント企業を動かしていくときには、崖っぷちで問題を突き詰めていきます。そういう問題を詰めていくということが、自分は苦手な方で、甘さがあると感じています。他メンバーに関わってもらうなど、チームのフォーメーションで動かしている面もあります。常に、自分の課題を突きつけられるし、ぶち当たります。それを乗り越えないと次に進めません。しんどいですよね。「やめたい」「無理か」「向かないなぁ」と思うことは、僕の歳になっても結構、あります。

それでも、プロセスデザイナーを続けているのは、この仕事が好きだから。しんどいけれども、魅力的なこの仕事に、興味がある方、ぜひ、僕たちに会いに来てください。いろいろ、お話してみましょう!

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