講師デビュー<企業連携実習>
新卒3年目にして「教える」立場にたったKazushigeさん。 依頼を受けたときの心境から授業がスタートするまでの経緯、そして今後の展望についてインタビューしました。 Kazushigeさん 東北電子専門学校様で「企業連携実習」の講師をつとめています。 私が担当しているのは、システムエンジニア科の2年生と3年生のクラスです。 ...
https://www.protosolution.co.jp/staff_talk/kigyourenkei
はじめまして。プロトソリューション AIテクノロジー推進室 仙台の大久保と申します。
私は青森県のケータイの電波も入らず、隣の家は100m先、そんなど田舎出身です。(地元は大好き!)
仙台でプログラミングとプロトソリューションに出会い、「プログラミングを教える」という1つの夢を叶えつつ、開発チームのリーダーに至るまでに起きた、挫折や夢を見つけたエピソードをご紹介させていただきます。
高校卒業後、ものづくりに携わりたいと思い大学を決めました。意匠・建築・プログラミングを学ぶことができる学部でした。
プログラミングに興味はありつつも、「なんか難しそう」という思いと、特にこれといった目標もなかったので「(意匠デザインが)カッコいいから」という理由で意匠デザインを専攻しました。
これが今思えば1回目の「逃げ」でした。
そのまま成績も振るわない学生だった私は希望のゼミに配属される訳もなく、第5希望以下のプログラミング専攻の教授のゼミに配属されてしまい、絶対無理だと思った私は1度だけ使えるゼミ変更の申請をし、2回目の「逃げ」を選択しました。(当時の教授ごめんなさい笑)
再配属されたゼミはなんとプログラミング専攻のゼミでした。笑
「逃げても逃げても逃してくれない」というのが私にとってのプログラミングでした。
プログラミングから逃げ切れないと、もう覚悟を決めて克服するしかないと感じました。
その結果、講義内容の復習、わからないところをわかるまで教授に聞くという事を自然とするようになり、少しずつわかるようになってきました。
そうなってからは早いもので、自分で書いたプログラムが動く楽しさが大きくなり、気づいたら他の学生の課題も手伝ってあげるようになっていました。
逃げた経験があるからこそ、できたときの嬉しさが大きかったと思います。
それに加えて、自分にはルーチンワークは向いていないと思っていたことと、就活めっちゃ頑張ってたのに「会社行きたくない」ってツイートする大学の先輩の様になりたくなかったことがあり、自分の好きが活かせるIT業界に絞って就活をしました。
ちなみにこの時点ではエンジニアになることへの不安やプログラミングへの苦手意識は全然消えていませんでした。内定を頂いてからもずっと不安でした。
プログラミングはある程度できても、プログラムを動かす環境の知識などが全くなかったからだと思います。
入社してからの2年は本当に大変でした。グループ企業の基幹システム開発の案件にアサインされたのですが、「え?これ本当に同じJava?」って思ったのを今でも覚えています。
ハードコーディングなんかしてないし、しっかりとオブジェクト指向で設計されているし、フレームワークも使っているし笑
コマンドプロンプトで九九表を出力して満足してた人間にとっては衝撃的でした。笑
1年目の時に当時の教育担当だった岩間さんに叱られたエピソードがあります。
自分に任された機能をスケジュール内に実装するのに必死で、仕様や実装方法が曖昧なままで進めてしまい、結果期待されたものができずに実装の作業を岩間さんに巻き取ってもらいました。
「手を動かす前にしっかりと頭で整理すること。オレに迷惑かけてる分には良いけど、そんなやり方だとお客さんに迷惑かけるぞ。」
これがプロとしてお客様に価値を提供し続けてるプロエンジニア言葉なんだなと衝撃を受けました。
技術に自信をもって仕事をしてる、そんな姿に憧れて、まずは自分に与えられたタスクをしっかりとこなせるようになる為、ただがむしゃらに仕事をしていた記憶があります。
ある程度プログラムが書けるようになってくると、タスクをこなすという目の前の目標から、自分がITを使ってどんな仕事をしたいかということを考えられるように視野が広がりました。
私の場合は昔から教えるのが好きで、そんな仕事がしたいと上司にも話すようになっていました。その結果たまたまご縁があり非常勤講師への挑戦する機会をいただけました。
過去に非常勤講師活動についてのインタビュー記事を書いているので、こちらも読んでいただけると嬉しいです。
非常勤講師の活動は先輩方にサポートしていただき、なんとかやり遂げることができましたが、まだまだプログラマーでしかなかった私は上流工程の知識が足りず、システム開発を教えるには力不足だと感じました。
その知見を得るため、志願してリーダーという形で次のプロジェクトに参画させてもらいました。新しい領域で仕事をする上で、「いつか誰かに教えられるように」と仕事の中で得た知識、しっかりと自分なりの説明に落とし込むように意識しました。
ありがたいことに、今も専門学校様からはご依頼いただいていて、教え方、知識の幅をアップデートしながら非常勤講師の活動を継続させていただいています。
リーダーとして最初に担当した大きな案件を、工数の見積もりの精度の低さ、作業内容の確認不足など小さなミスの積み重ねでいわゆる「炎上案件」にしてしまい、多くの人に迷惑をかけてしまいました。
この経験が私のエンジニアとしての大きな転機になったと感じています。リーダーがしっかりしないと、スケジュールの逼迫、メンバーの疲弊といった事が簡単に起きてしまうんだと痛感しました。
事態の収束に向けて、部署・チームを超えて多くの方がサポートしてくれたことに涙がでました。
更に印象的だったのは、誰ひとりとして私のことを責めずに、収束に向けて何をしなければいけないのかということだけを、ただただ前向きに一緒に考えてくれたことです。
この時に「プロジェクトがチームじゃなくて、会社全体でチームなんだ」と強く感じました。
こんなOneTeamな会社で仕事ができてすごくハッピーだなと感じました。
この経験から、せっかく今よりも業務を良くする為にシステム開発をしているのだから、お客様はもちろん、開発をするエンジニアもやりがいや成長を感じ、ハッピーになるべきだと考えるようになりました。
現実的ではないスケジュールや期待する効果が得られるか疑問に感じるような機能追加など、言われたことをただやるだけの御用聞きになってメンバーを苦労をさせないように調整するのがリーダーの重要な役割だと感じています。
「みんながハッピーになる開発」ができるリーダーを目指して奮闘中です。
お客様に喜んでもらえるように仕事をするのはもちろんですが、私の場合は特にメンバーがハッピーであるかを気にするようにしています。
なぜなら、ハッピーな人間が提供するサービスがお客様をハッピーにできない訳がないと考えるからです。
メンバーの仕事が上手く行った時は「マジで!?ちょーすげーじゃん。さすがだね!」
敢えて周りに聞こえるような声量で言います。笑
メンバーが困ってたら「大丈夫、オレがなんとかするよ!」
ハッタリです。笑
でもその言葉で少しでもメンバーが安心して仕事を進められれば良いと思いますし、言ったからにはなんとかするんですけどね。
お客様、メンバーのハッピーの為ならとにかく体を張れるリーダーになりたいと考えています。
入社してからこれまで、プログラミングを始め、リーダーの経験も積んできましたが、技術を身に着けた今、IT技術は多くの人を幸せにできる手段だと強く思います。
大切なのはその技術を使って「何を実現したいか。誰を幸せにしたいか。」だと思います。
私の場合は、自分がプログラミングが苦手だったからこそ、同じ様に諦めようとしてる人、学習に躓いてる人にもプログラムが動く楽しさ、ITで課題解決していく達成感を感じて欲しいと思います。
私が体験してきた「喜び」をもっと多くの人に感じてもらいたい。だから教えるのが好きです。
今後はもっとIT×教育といった分野で活躍して、「東北のエンジニア全員、大久保の教え子」にしたいです。
そのためにエンジニアとして、教育者としてもっと成長していきたいと考えています。
夢を実現するために大切な事は「夢を口にすること、何事もがむしゃらに取り組むこと」
チャンスは純粋な運ではありません。口にすることで自分に巡ってきます。巡ってきたチャンスをいつでも掴めるように準備し、離さず取り組むことが大事だと思います。
皆さんの目指したいコトがあれば、ぜひカジュアル面談でお聞かせください。
プロトソリューションには、挑戦のフィールドがあります。
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