【挑戦者側から、社会をおもしろくする。】
活躍する社員の「成長のヒント」を追う社員インタビュー!
30歳を超えて民間企業に転職。そこからナイモノに入社して、早い段階で成果を挙げて活躍を続ける。学生に寄り添い、変化に適応しながら、次のステージに向けて成長中の30代ルーキーの仕事のスタンスをご紹介します!
目次
キャリアは「たまたま」の連続
言葉の裏にある100通りの人生
“一馬力”で家族を養えるように
民間企業でのギャップ
3ヶ月で160%の目標達成
より多くの「相手のため」に
キャリアは「たまたま」の連続
インタビューを通して、三好は何度も「たまたま」と言う。
大学で専攻を決めたのは、たまたまの出会いから。
そこから小学校の教員になったのも、たまたま。
たまたまの機会が重なって、転職を決めた。
民間企業での1年を経てナイモノに出会い、入社後に早くから成果を出したことにも「たまたま」だと言う。
ただ、その前提にはいつも「相手のため」がある。
その過程はどれも偶然でありつつ機会を掴んで、自分が提供できる価値の精度を上げる。それを指向し続けてきたことで、今の三好がある。
「本当に大学の最初の頃は、何も考えていないアホで(笑) たまたま恩師に出会えたことが、今の自分につながっていると思います」
教授からは、「息を吸うように学べ」、「世の中は学びに溢れている。何でも学ぶ教材になる」と教えられた。
もともと中高の教師を目指していたものの、その教授の元で学ぶ中で出会った人たちから熱量を感じた。教育現場の話を聞きながら、「年齢が低い子どもほど、学ぶ意欲や意識が高いのかもしれない……」と感じるようになっていった。
大学卒業後はフリーターとして1年間を過ごした。アパレル業界でアルバイトとして働きつつも、教員への想いは捨てきれなかった。
「やっぱり教員になりたい、と思って秋頃に富山から東京に来て。そこから中学校の講師として3校で働きながら、小学校の教員免許をとって、翌春から教師になりました」
言葉の裏にある100通りの人生
そこから8年間で、1年生から6年生まですべての学年で担任を経験した。学年主任やICT主任、さらには研究員として学会発表をするなど、さまざまな職務を任されてきた。
「教員は天職でしたね。もともと長時間働くのも苦ではないタイプですし、子どもたちの人生が良くなるためなら、いくらでも働けます。
2回目に1年生を担当したときのことは、すごく記憶に残っています。
新学期が始まった時点では、動物園状態で(笑) 体育の授業ではクラスの生徒の半分が校庭に寝っ転がっているし、トイレではトイレットペーパーが雪のように舞っていたり。子どもたちが前に進むために、保護者の方々と何度も何度も話し合って、親御さんも含めて自分が担任をしている感覚でした」
現在CAとして学生とかかわる上で、そんな当時の経験が活かされていると言う。
「子どもたちは、何か伝えたいことがあっても、必ずしも的確に言葉で表現できるわけじゃないですよね。それぞれの欲求や不満があったり、感情があったりする。
フェーズや年齢は違うけれど、大学生もそれぞれに親との関係性や家庭の影響もあります。ひとつの言葉から彼らの人生や境遇を想像したり、100人いたら100通りの対応をすることを大事にしています」
“一馬力”で家族を養えるように
教員としてさまざまな業務を任され、立場も変わっていく。
子どもへの想いは変わらないものの、「それ以外」の部分で徐々に違和感を抱くことが増えていった。
毎年変わらないルーティン、業務や役職とは必ずしも比例しない給与制度。何より、経験を積んで任されることが増えるほど、子どもたちに向き合う時間が減っていく。
「その時期は、学校教育の本質が何なのかがわからなくなっていました。子どもたちに勉強や学校の楽しさを教えることや、心を育てることが教員の仕事のはずなのに、それとは関係のない業務が増えていくんです。
毎年、新しい方法を考えたり工夫を積み重ねて、良いクラスをつくってきたという自信があったけれど、マネジメント層に上がるほど本質から離れていく感覚がありました」
そんな時期に、新型コロナで日本中に動揺が広がった。
学校の環境も変わり、これまで以上に教育のあり方に頭を悩ませる日々。さらには三好自身にも家庭環境にも変化があった。第二子の出産を控えて、今後は妻の仕事にも影響が生じる。当然、これまでの生活にも影響が生じる。
「コロナと出産が重なって、改めて考えたときに、これからも同じ環境で仕事を続けて大丈夫なのか?って。社会環境はいつでも変わるし、家庭も変わります。一方で、教員としてはこの先の収入は、自分の努力や工夫にかかわらず、ほぼ見えているんですよね。
これから何か起きたとしても、ぼく一人の一馬力でも家族を養っていけるようになりたい、と考えて転職を決めました」
民間企業でのギャップ
三好が求めたのは、営業スキルと学校教育への影響力。
まず転職した先は、教育現場へのICT導入を支援する会社だった。
「求めていたもののひとつは、これまで身につける機会がなかった営業としての力。ビジネスの場でも汎用性が高いし、“一馬力で家族を養う”と考えると、まずはそこを磨きたかった。
そして、やっぱり教育の現場に良い影響を与えたい。公教育を良くしたい。子どもたちのために、そこにかかわる教員にとっても役に立てたら、と考えていました」
しかし実際に働き始めると、理想とのギャップがあった。
子どもたちのため、学校のため、それを実現する商品・サービス。そこで得られる営業としての経験が積めると思っていた。
「自分の営業力不足もあったと思いますが、デメリットを隠して良い部分だけを伝えていくスタンスでは、本当の相手のためにはならない。違和感を抱きながらも、自分の認識がズレているだけかもしれないと思って、半年ほど働きました」
それでも日に日に違和感は増していく……。
入社1年も経たずに再度の転職活動を始めて、ナイモノに出会った。
「教員の転職って、むちゃくちゃ難しいんです。ビジネス経験はないし、僕の場合は年齢的にも30歳をすぎている。さらに1年目でまた転職となると……。
そんな中でナイモノは自分の経歴や考え方を理解してくれて、それ以上に理想とビジネスを両立するスタンスがある。ここしかない、と考えて入社しました」
3ヶ月で160%の目標達成
入社後は、目標数字をもった初月から成果を出し、翌月には数倍の数字を挙げた。
「本当に、たまたまです(笑) 当時はスキルもテクニックもなく勢いでやって、運良く決定につながっただけで。たまたま学生との波長が合ったり、良いタイミングで学生に合う会社を紹介できたんだと思います」
ある学生からは最初に「就職エージェントは信用できない」と言われた。
スポーツに注力をしてきた学生で、話をしていくうちに自分に似たものを感じた。アドバイスをするにも、まるで部活の指導をするように計画を立て、試合(面接)に向けた準備を重ねていく中で、内定を重ねていった。
別のある学生は、もともと福祉法人を目指しながらも「民間も受けてみようと思って」と、ジョーカツに登録した学生だった。数十社を受けても「ピンとくる会社がない」と言われ、選考には落ち続けた。
正解が見えなかった。それでも寄り添い続け、いくつもの会社を受けていくと、予想外にもある会社の選考に通り、本人からも「自分の本心に気づけて、行きたい会社が見つかった」と言われた。
結果的に、最初の3ヶ月の目標数字を160%で達成した。
より多くの「相手のため」に
「たまたま」は、想像の網を広げるからこそ掴める。
三好が「たまたま」と表現する過去の出来事は、機会を捉える視点の幅や、それに向き合う許容や対応力があったから生まれた結果。
小学校の教員としての8年間、勉強の出来不出来に関係なく、さまざまな個性に向き合ってきた。
クラスに馴染めない生徒、元気があり余っている生徒、本音を喋れない生徒、小学生ながら自分の強みに気づいている生徒……。保護者や関係者も含めて、目の前の相手のために動いてきた。
「今だったら、二人の学生とのかかわり方も違うと思います。
入社してまだ1年も経っていませんが、自分も会社もどんどん変わっています。向き合う相手のためになることと、ビジネスを両立していかなければならない環境で、もっと効率化ができる部分があると思っています」
三好にとっての「効率化」は、単純に無駄を減らすための合理化とは意味が異なる。
「時間や労力のかけ方というか、同じ時間を使って2倍の効率化ができたら、もう一人多くの学生がハッピーになるということですよね。より多くの学生の人生にかかわって、彼らのためにできることを増やすために、もっと効率を上げていきたいんです。
将来的には、大学生の就活だけではなく、公教育の現場にもキャリアや社会の視点を導入できるような取り組みをしていけたら、と考えています」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
このストーリーを読んで
・キャリアアドバイザーの仕事に興味を持った方
・働き方についてもっと知りたいと思った方
・ナイモノについて詳しく話を聞いてみたいと思った方
是非一度お話ししませんか?「話を聞きたい」ボタンからエントリーをお待ちしています!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【ナイモノ採用情報】キャリアアドバイザーなどを募集中です