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"まだ"何もない会社、マイビジョンです。
はじめまして、マイビジョン代表の玉田です。
今回、wantedlyをさらに活用して採用を本格的にスタートさせたいと思い、代表である僕がストーリー記事に挑戦したいと思っています。
正直、マイビジョンを知っている!という人の数はあまり多くないと思っています。僕自身がX(旧Twitter)を中心にSNS活動をしているのですが、フォロワー数は5000人程度です。認知がある!とは冗談でもいえないレベルです。
ですが、有難いことに現在の集客及び採用はXが担ってくれていて、なんとか2期目も無事生きることができています。
前置きはこの程度にして、僕が起業をした理由や、これから何をやっていきたいのか?について書いていければと思っています。ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。
やれることが何もない状態で起業した
僕は中学生の頃からずっと起業したいと思っていました。正直、進路を決める先生との大事な話でも「僕は社長になる」と言い張って、大人の話もロクに聞かなかった僕を好きだと思っている先生はほとんどいなかったと思います。
元に、「あいつには何を言ってもだめだ」みたいな声も先生達の中で上がっていたらしいので、嫌われていたと自負しています(笑)
でも、なんでそこまで嫌われてでも言い切れたのか?と疑問に思っていただける方もいらっしゃると思います。これは僕の原体験から来ていて「幼い頃からのイジメ」が全てでした。
元々、家庭も超貧しく、学校で必要なものも買えない。みたいな生活を送っていました。そして、見た目もとてつもなく太っており、当時の小学生からすると「玉田はイジメ対象、イジメても良い」と思われても仕方がなかったのかもしれません。
このイジメは「小学校、中学校、高校2年生」まで続き、見事に変な人間が出来上がってしまいました。(笑)
部活動でずっと卓球をやっていたのですが、買ったばかりの靴をゴミ箱に捨てられたり、机の中に「死ね」と書かれていた手紙が入っていたりと...、今思うと結構きつかったですね。
その時に僕が思ったことが「世の中は不条理すぎる。」ということでした。生まれ持って金持ちの人もいれば、イケメンもいて、育ちが良い人だっている。それとは対照に「僕みたいなデブで、貧しくて、人生勝ち組!とは程遠い」みたいな人もいる。
これが許せなかったんですよね。もちろん今考えると、仕方がないことだとは思うのですが、この経験もあり起業して「自分に力をつけて、イジメてきた奴をギャフンと言わせたい」みたいなことを考えるようになりました。
そこからは、授業中も事業アイディアを練ったり、社長になった後のことを想像したりしながら学校生活を送っていました。そのせいもあり、中学校の時は通知表もオール2とかでしたね。
ここまで読んでくださった方だと、「このまま起業するのか?」と思われるかもしれないですが、現実はそう甘くはなく、起業のやり方もわからんし、このままだと親にも迷惑をかける。と申し訳なくなり、高校に進学し、18歳で就職することになります。
18歳で仕事をして感じた世の中について
僕は18歳でメーカーの営業職に就くわけなのですが、そこで感じたことはこれでした。「嫌いな人と働きたくない、好きな人と働きたい、自分のやりたいことをやりたい。」18歳で仕事に就くということは教育をする会社から見てもコストでしかないし、よく受け入れてくれたなと思ったんですが、正直入社してからは死ぬほど辛かったです。愛媛県ではそれなりに知名度があり、内定が決まった時に親族からは「すごい。」と賞賛されすぎるくらい有名な会社でした。
にも関わらず、入社してからは地獄の日々でした。一番は「ギャップ」もっとこの会社は働きやすいと思っていた。素敵な人が多いと思っていた。入社式に社長から「この会社は箱だと思って、自分のやりたいことをやれるようにしてほしい」と言われて期待を膨らませて入社した。
なのに、成果を少し出せば「お前は若いからやれてるだけだ。歳を取ったら通用しない。」などと理不尽な言葉を浴びせられ、疲弊する毎日。営業としてある程度成果を出していたにも関わらず、手取りは「12万円」一人暮らし、車の購入を余儀なくされたので、毎日の食費は500円。
とてもじゃないけど、生きることがキツかった。
仕事を辞めて夢のために動く
1年6ヶ月ほど仕事を続けたある日、僕は思ったことがあった。当時、学生の頃は起業をする。社長になる。夢を叶える。と理想の現実にするために動いていたにも関わらず「今は毎日に絶望している。」これは一度きりの人生なのに良くない。そう思った日に「辞表」を出し2週間後に退職しました。
そこから何をしたかというと、受験勉強を始めたわけです。今思うと、受験して大学に行くのではなく、起業するために行動すればいいのにと感じますが、その時の僕は大学に行って選択肢を広げないと起業できない。と思っていたのです。
周りからは「絶対に合格できない」と言われていた国立大学を受けることを決意。6ヶ月間死ぬ気で毎日14時間勉強をする毎日。偏差値を20以上上げないと合格できないという恐怖に打ち勝つためには量をこなすしかなかったんです。
そして、受験を迎え、合格発表の日「不合格」これは辛かったです。結果は惜しいもので20点程度足りずに落ちてしまいました。応援してくれていた彼女(現奥さん)、おばあちゃん、両親。頭が上がらなかったです。
でも、この経験は少なからずやって良かったなと思っていて、会社を経営する今でも、当時の辛さや頑張りに比べたら余裕だと思わせるほどでした。この経験があったからこそ、会社経営ができているんだと思っています。
ニート生活を経て...独立..?
このまま、起業し..というわけではなく、後1社挟みます。
もう一年受験勉強しようかと考えていたのですが、改めて考えた時に「あれ、受験する必要あるのか?お金もないし、働いていつか起業する!という方が良いのではないか?」と思ったのです。
そこからまた愛媛県で営業系の会社に就職することになりました。正直マジでキツかったです。成果を出しても若いからだせるの一点張りに加えて、事務所では暴力や暴言が横行していて、通勤時間往復車で4時間。毎日イヤな仕事をして、帰ってご飯を食べて寝て、すぐ仕事の繰り返し。鬱になりましたね。
なんでこんなにキツかったかというと、理想と現実とのギャップがありすぎたんだと思います。起業して、イジメてきていた奴を見返したい。という当初の想いに比べて、YouTubeでさまざまな社長を見ているとみなさんキラキラしていて、楽しそうに仕事をして、良いもの食べて、全国飛び回って...みたいな光景が飛び込んでくる。
なのに、自分は毎日罵声を浴びせられ、車で4時間かけて仕事にいって、休みも満足に取ることができず...、辛い以外の言葉がでてきませんでした。
もう辞めよう。
入社して1年くらいで、そう思いました。このまま起業するか、それともまた転職するか。
正直転職も考えました。そしてさまざまな会社に選考も受けました。でもその転職活動中に感じたことがあったのです。それが「このまま転職しても二の舞になるのではないか。」と。
もちろん、仕事をする環境をよくするために転職するという考えもありました。でも、前提僕はいつか起業したいと思っている人間です。なのに、また転職してうまくいくのか?この疑問が頭の中を行ったり来たりしていました。
結果的に、僕は起業することを決意し、事業の内容も決まっていない、仕事もない、人脈もないまま職場に「年内で辞めます。」とだけ伝えていました。
この時はあと3ヶ月で無職になる。家も借りているし、車もあるから借金地獄になる。そんなことばかり考えていました。でも、人間は不思議なものでピンチに侵されると自然と頑張れるものだったんです。
会社設立前の出来事
今の会社を辞めて、生きていくためには仕事を取らないといけないという考えはおバカな僕でもわかっていたので、X(旧Twitter)を始めました。
さまざまな社長や経営者との人脈をつくることで仕事がつくれるんじゃないかと考えたのです。結果的にはこの作戦が功を奏し、今に至るわけなのですが、あの時も運が良かっただけだと思っています。Xで繋がったとある人材系の会社の社長に「ウチで会社を作るまで働いて、ノウハウを積んでいくと良いよ」というお声がけをしていただき、6ヶ月間くらいお仕事させていただけることになったんです。
この社長のおかげさまで、毎月20万円は独立しても稼げる状態が一応は確立されていました。ただ、もちろん成果を出さないといけないという恐怖と、ワクワク感、そしてこの間に自分の仕事を自分で取ってこれるようにならないといけないという緊張感。これらが入り混ざっており、正直当時の記憶があまりないです。(笑)
人材系の会社で採用コンサルティングのお手伝いをさせていただきながら、Xを活用してさまざまな社長さんにアポイントを取らせていただき、「なんでもやります。だから仕事ください。」と言いまくりました。おそらく累計100人近くの社長と話したと思います。
その中で、初めていただけたお仕事が「Xコンサルティング(月1万円)」でした。みなさんからすると「1万円?安くない?」と思われるかもしれませんが、当時の僕からするとめちゃくちゃ嬉しかったんです。自分の今までやってきたXが評価されて、お仕事をいただける感覚。たまらなくゾワゾワしました。
そこから、ご縁をいただき、月額2万円、4万円とXコンサルティングのお仕事が少しずつですが値上げをしながら決まっていくというところまでは持ってこれました。
晴れて、マイビジョン設立からの地獄の日々
Xのコンサルティングと業務委託で毎月26万円程度は収入が安定してきていたので、会社を作ろうと決意し、晴れて「株式会社マイビジョン 代表取締役」になることができました。死ぬほど興奮しました。カッコいいですよね。「代表取締役」って。
でも、その興奮とは逆で恐怖、地獄の毎日が待っていたのです。
業務委託期間が終了し、毎月の売り上げが10万円程度になってしまい、早速口座残高10円。という現実を突きつけられます。本来ならここで倒産しているかもしれないのですが、とある銀行さんに若さとバイタリティを認めていただき、創業2ヶ月にして300万円のご融資をいただくことに成功しました。本当にありがたい限りですよね。
そこから、色々あり、キャッシュが尽きそうになることも1回あったのですが、またお客様や銀行さんに支えていただき、2期目を順調に走ることができています。
本当にお客様、仲間、銀行さん、税理士さん、マジで頭上がらないです。本当にありがとうございます。
n回目のピンチが今です。助けてください。
今は、どんなピンチかというと圧倒的に人が足りません。ありがたいことに事業を一旦は軌道に乗せることができたのですが、今弊社の行っている採用マーケティング事業をディレクターとして進めてくださる方、営業活動を通して色々な人との出逢いを広げてくれる方が仲間として欲しいです。
主な事業内容や、やっていること、募集職種の詳細はこちらから見ていただけると嬉しいです。
→https://www.wantedly.com/projects/1764112
また僕たちはこんな人と働きたい!と考えています⇩⇩
経歴に関して
- ベンチャー企業での仕事経験がある
- 人材系の仕事をしたことがある
- SNSを活用して集客などを行っていた会社である
マインド面に関して
- お客さんを第一に考えて行動できる
- できない理由を考えるのではなく、どうすればできるのか?を考える
- 家族や仲間を大事にできる
- プライベートが充実している
- 自分で考えて行動できる
- まずはやってみるの徹底
- 遠慮はしなくても良いが、配慮ができる
- 自分の行っている仕事に対して誇りを持てる
- 否定だけをせず、改善案が出せる
スキルに関して
- 人の心に刺さるようなライティングができる
- マーケティングの視点から分析や改善ができる
- 0→1業務を行ったことがある
- チャットなどのレスポンスが早い
- 責任を持って一つのことを最後まで完遂できる
- 最低限のビジネスマナーや礼儀がある
- SNS運用や広告運用、採用業務の知識がある
- デザインなどのディレクションができる
- リモートでもサボらずに仕事ができる
ぜひ我こそは!!という方はご連絡ください。マイビジョンは冒頭にも書いた通り"まだ"何もない会社です。仕組みもなければ、安定した環境でもない、事業自体も確立していない、福利厚生も不十分です。
でもそんな会社だからこそ、できることがあると私たちは思っています。弊社のMISSIONである「想いをカタチに。」VISIONである「誰もがビジョンを掲げ、叶えることができる世界の実現。」これらに共感いただける方はぜひぜひご一報ください。
あなただからこそ輝ける場所がマイビジョンにはあります。よろしくお願いします。
代表 玉田のXアカウント:https://x.com/HibikiTamada