僕はMellowというモビリティサービス・プラットフォームを運営している会社を経営している。最近事業が拡大フェーズに入り、採用を頑張っている。今のメンバー数は産休中のメンバーを含めると22人で、直近2ヶ月で4名採用した。メンバー10名前後のスタートアップとして採用活動をはじめてから半年以上が経ったといったところだ。
だが、最近「採用」を一切やめた。事業自体は成長フェーズにあるし、現状の組織に大きな課題が発生したからというわけでもない。なぜか?
そもそも「採用」という考え方がもう限界。という結論に至ったからだ。
「採用」の何が限界?
採用とは「たくさん居る候補者の中から、会社が選んで雇うこと」である。そこには採用する/採用されるという明らかな立場関係が存在している。
けどこれからはそういう時代でもない。会社と個人は対等であって、選び合う関係になってきている。結婚みたいな感じだ。「採用しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたを採用したいのです。」とかそのうち言い出すに違いない。
明らかに時代の流れと「採用」という考え方がマッチしていないのだ。採用する側、アトラクトする側、見極める側、みたいな立場感で物事を考えて、母集団やタレントプールを作って求職者から人称性を取り除いていく。これでは個人と企業との幸せな出会いを作れるわけがない。人口は減り続け、競争の末にたどり着くマッチョな世界観は崩壊し、各個人が人生の幸せについて考え出したこの時代、自分の事を「1000の母集団として形成された中の "1"」として扱う企業を愛せるだろうか? 1万人の中から選ばれし栄えある30人に入ることの幸福は、本当に幸福で有り続けるだろうか?
これが採用という考え方に対して感じている概念的な課題感である。
続いてもう少し具体的な話をする。
採用=入社試験?
新卒就活などでは特に盛んだが「面接攻略!」みたいな言葉をよく聞く。新卒であれ中途であれ、少なからず興味を持った会社に応募をしている。そんな会社の人と初対面で話すのである。自分を素敵に思ってもらいたい気持ちが自覚的であれ無自覚的であれ働いたり「なんとかしてこの会社に入りたい!」と思うのもしょうがない。そしてその気持ちを促進するかのように、面接対策やらなにやらが商材にして売られている。
一方で採用する企業側もそうで、人手が足らないものだから「うちの会社はこんなにイケてるんだよ!」という自社を素敵に思ってもらいたい気持ちがバリバリ働く。そして採用活動は広報活動化およびマーケティング活動化していき、企業は採用したい人間のペルソナを作り出し、当てはまる人間をまるでパズルのピースを探すかのように追い求める。そして面接は答え合わせの作業になる。
求職者は自分の経歴をお化粧し、面接官は求職者の嘘や脚色を見抜くための質問スキルを磨き、企業はリファレンスチェックをし、そして求職者のTwitterにはやがて鍵がかかる。
そんなイタチごっこの後、そこに何が残るのか。
・ホワイト企業かと思ったらブラック企業だった
・できるって言われてた仕事をやらせてもらえない
・給与が言われてた程あがらない
・できると言っていたことができない
・周りを巻き込んで会社を相手取ってネガティブな言動をする
・仕事をサボり、周りの努力にフリーライドしようとする
ああ無情。ああミスマッチ。
結局の所、完全な選考など不可能なのだ。
こんなチグハグなシステムの中で、いつまで消耗し続けるのだろうか。
この世界線から抜け出して、別の価値観を作っていかなければならない。
企業は入社試験というスタンスやスタイルをやめるべきだし、求職者も何かを突破しようとするスタンスを捨て去るべきだ。人口や経済が成長し続けていた時代に形成された、量的効率に重きを置いた仕組みを今すぐやめて、ゼロから「これからの時代にあるべき個人と企業の出会い方」を考えていくべきなのである。
こうしてMellowは採用活動をやめた。
では今Mellowが何をしているのかという話になるわけだが、
・個人の人生の幸せを最大化するためのコミュニケーション
・求職者の自己理解の全面的なサポート
・「不採用」を産まないプロセス
・個人と企業の関わり方を決めるディスカッションを求職者本人も入れて行う
・入社意思決定より前に行うカルチャーオンボーディング
・基本的に「関わり方×タイミング」という軸でコミュニケーションを取る
・などなど…
この辺りの取り組みを、Mellowで働くことに興味を持ってくれた人々と共に整理しながら進めている。ここは「人手が足りない」という理由で人を増やさねばならない、それが市場における競争力を作るという状態から脱するためのシステム化および外注化の推進をベースとした取り組みでもあるわけであるが、詳細はまた別で書いていく。