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【社員インタビュー】日本留学からの人生変化〜日本語力を活かし、自国のために貢献したい〜

・自分の経歴

ミャンマーの南部に位置するエーヤワディ出身。ヤンゴン大学ミャンマー語科を卒業。大学2年生の時、交換留学生として東京外国語大学で1年間留学。在学中、在ミャンマーの日本人にミャンマー語を教えるバイトを経験。卒業後は送り出し機関で日本語の教師として入社し翻訳・通訳業務にも従事。2023年11月よりLivCo(旧ASEAN HOUSE)にミャンマー人担当CS(カスタマーサクセス)としてジョイン。

・LivCo(旧ASEAN HOUSE)にjoinした理由は?

ミャンマーでの状況を考えた時、日本に戻ることを決意しました。その際、日本人の友人から「ASEAN HOUSE(旧名)という、ミャンマー人の人材紹介や生活サポートを行っている会社があるけど、どう?」と聞かれ、その会社のホームページを送ってもらいました。ホームページを訪れてみると、「外国人も暮らしやすい社会を創る」というビジョンに共感し、ページに掲載されている内容を読んで、自分と同年代の人たちが仕事に向けて意欲的に活動している様子に感銘を受けました。自分も日本語を活かし、日本で働くミャンマー人たちのために何か力になれる仕事がしたいと強く思いLivCo(旧ASEAN HOUSE)に入ることを決意しました。


・そこまでに至る経緯を、、

①日本との出会い

中学生の頃、ミャンマーの国営テレビチャンネルで放送された「北の国から」という映画を見て、日本という雪国(映画の中での印象)に興味を持ちました。ヤンゴン大学ミャンマー語科に入学し2年生の時に、交換留学プログラムの機会が訪れました。そのプログラムへの応募を勧められ、夢の雪国への旅が実現できるチャンスだと思い、大いに喜びながら応募しました。日本行きの選考過程では英語能力が評価され、そのほか優秀な応募者が多くいる中から、交換留学生として選んでいただき日本へ行くことができました。

留学中は貴重な1年間を有効活用し、日本の様々な場所に足を運んだり、日本の伝統文化を体験したりしました(茶道、着物、歌舞伎、書道など)。表向きは色々な体験をしたと言っていましたが、実際には色々遊んで楽しんでいました。ミャンマー人なら絶対に行くべきと言われる鎌倉の大仏にも、1年の間に4、5回ほど行ってました!笑

↑4回目の鎌倉

日本に来たばかりの時は日本語も分からなく、日本の文化のことも分からなかったので、日本人の友達にいつも助けてもらいました。周りは優しい人ばかりで、困ることはあまりなかったです。日本に一年ぐらい住んでみたら、日本の良さがさらにわかるようになりました。夜遅い時間女性一人で出かけても安全だし、治安もよく、どこかへ行く時も便利です。その時出会った人やその時した経験のおかげでまた留学後また日本に戻りたいという気持ちが強くなりました。 

↑留学一年終了式で

②印象に残ったもの

日本で一番印象に残ったのは、列に並んでいる人たちです。今はミャンマーでも列に並んで順番などが尊重されるようになりましたが、10年前のミャンマーには列などがありませんでした。順番を待つことはありませんでした。日本に来て、電車やお店の前だけでなく、ゴミを捨てる時も自分の順番になるまで待っている人たちを見て、日本人は小さなことでもしっかりしていると感じました。大学の部活動でも、単なる活動ではなく、オリンピックに出場する選手のように一生懸命取り組んでいる姿に感動しました。小さなことでもしっかりと取り組む勤勉さが、国の発展につながると感じました。この考え方をミャンマーにも取り入れて、国をさらに発展させるために貢献したいという気持ちが強くなりました。


③留学後

留学後、ミャンマーに戻った際も日本に関わる活動を続けました。ヤンゴン大学に来た日本人留学生のボランティア支援や、ミャンマーで活動する日本人にミャンマー語を教えるアルバイトなどに取り組みました。卒業後は就職するのではなく、大学院進学を考えていました。ミャンマーで大学院に通いながら、日本の大学に進学する奨学金プログラムに参加することを考えていましたが、コロナ禍や政治情勢の影響で大学を途中でやめることになりました。日本に留学するという夢も遠くなりました。大学をやめて実家に戻って、実家にいる間は日本語をずっと勉強しました。ミャンマーの状況が落ち着いたら、留学できるかなと考えて諦めず勉強し続けました。

コロナ禍であっという間に2年が過ぎた頃、このままただ状況が落ち着くのを待つのではダメだと思い、自分ができることを見つけようと考えました。そこで、自分の日本語能力を活かして何かできることはないかと探してみたところ、ミャンマーの政治や経済の状況の影響で日本で働くために来日する人々に、自分の日本語能力や日本での経験をシェアしたいという思いが湧きました。その結果、日本の学校で教師として働くことを決意しました。

日本語教師として約2年間働いた後、将来的には日本に関連する会社を立ち上げることを考えていました。そのため、教師以外の経営スキルも身につけたいと思ったとき、ASEAN HOUSE(旧名)に出会いました。ASEAN HOUSE(旧名)では、ミャンマー人のサポートをやりながら、将来自分の会社を立ち上げる際の営業方法や経営手法について学ぶことができる点に魅力を感じ入社することになりました。


・LivCo(旧ASEAN HOUSE)での仕事の内容・やりがい

現在、ミャンマー担当のCSとして、内定を受けた方々のビザ申請に必要な書類の収集や雇用契約書の説明、入社後の仕事や生活のサポートを母国語で行っています。

家族を支えたいという思いを抱いて、日本で一生懸命働いているミャンマー人のために、自分ができる範囲でサポートできることが嬉しいです。仕事や生活で悩みがある時、その悩みを聞いて、自分ができる方法で手助けすることで、支援者が少しでも安心できる様子を見ると、やりがいを感じます。

・LivCo(旧ASEAN HOUSE)で成し遂げたいこと

パソコンの前に座って、偉そうに支援者のことをあれこれ言うのではなく、支援者に寄り添って、支援者の立場で支援者のことを理解できるCSになるまで頑張り続けたいと思っています。

支援者の面倒を全部見ることは良いように見えても、支援者の成長に繋がりづらいため良くないと考えています。できる限り支援者が自分のことできるようにサポートをするのが本当の支援だと思っているので、支援者が他の人に頼りにならないで、自立した生活を送っていけるようにサポートをし続けたいと思っています。

・未来のメンバーへ一言

東南アジアに興味を持ち、その分野での仕事に関心がある方、弊社のビジョン「外国人も暮らしやすい社会を創る」に共感し、その実現に貢献したいという意欲をお持ちの方、また、誰かのために自分の力を活かしてサポートしたいと考える方には、当社の仕事は適していると考えています。学びの機会も豊富であり、国際的なコミュニケーションが可能な社内環境も整っています。興味をお持ちの方は、ぜひご連絡ください。お待ちしております。


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