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大学時代、死に直面して価値感が変わる
大学時代は商学部でしたが、正直あんまり勉強していなかったんです。4年間で100日も行ってないかもしれません。笑 それに代わって積極的にしていたのはアルバイトですね。日本食の板前で魚捌いたりしてましたよ。だからといって特に料理の道に進もうとかは思わず、大学を卒業したら就職するつもりで就職活動を始めました。
今となっては笑い話なんですが、そのタイミングで余命を宣告されて、そのおかげと言っては何ですが、自分の人生について改めてゆっくり考えることができました。今まで生きてきたことを率直に振り返ってみると、自分がどれだけわがままに生きてきたのかということに気づかせてもらったんです。家族や友人など周りの人のおかげでここまで生きてこられたのだと身に染みて感じ、これからの人生は人や社会に少しでも貢献して生きていきたいと思いました。その為には自分で事業をすることが一番近道かなと。これが私の価値観が変わった瞬間です。
新しいことにチャレンジして、ただがむしゃらに働く
自分が事業をするためにビジネスの方法を学べるのはどこだろう、と考えた時まず思い浮かんだのがベンチャーでした。そしてより色々な業界を見るには広告業界、単純ですがそういう考えを元に新卒でweb広告の会社に入りました。将来は起業するという気持ちがあったので、就職活動の面接では「1年で辞めて独立します、その代わりこんだけやります」って偉そうなことを言ったり。今考えると何で入社できたのか不思議ですね笑
IT系に入ったものの最初はPCのタイピングすらできなかったです。営業としてweb広告の代理店に自社のメディアを営業していたんですが、2003年当時webの広告は世間からまだまだ胡散臭いものだと思われていて苦労しました。平日の睡眠時間2時間、休日返上でがむしゃらに働く日々でしたが、やらされてる感は全くなかったです。自分の周りも自分自身も能動的に仕事に取り組んでいたのでとても充実してました。
右も左もわからないまま、1人中国で会社の立ち上げ
会社に入社して1年半くらい経った頃、本来の目的であった独立の話を社長に切り出しました。すると社長から「中国で会社を立ち上げてみない?」と突然言われて。そもそも冗談だと思いましたし、元々海外志向が全くなかったのと、当時中国にはあまり興味がなかったことで最初は断りました。ただ、国内で支社立ち上げの話なら迷わずやるのに中国だからやらないっていうのは”ださい”なって思ったんです。その2週間後くらいにもう一度聞かれたので、引き受けることにしました。2005年の5月、24歳の時です。それまで海外に行ったことすらほとんどない状態で会社も辞め単身中国に行きました。
いざ中国に着いたものの、知り合いもいない、中国語も話せない、インターネットの環境も整っていなくてメールすらまともに受け取れない、そんな状況だったのでまずは現地の日本人とコミュニケーションを取ることに専念しました。3か月間毎日日本食の店で「一緒に飲ませてくれませんか?」と声をかけ、人脈を構築、そうして作った知り合いからさらに人を紹介してもらっていくという作業です。これは中国でどのような事業をやるべきかをリサーチしていくアクションで、それとは別に自分が生きていくために稼ぎを得なければいけなかったので、最初は中国で広告を出したい日本企業向けの代理店を行いました。そこから事業は多種多様なものになっていきましたね。中国人を教育して日本企業にマッチさせる教育ビジネスとかは当時結構人気がでました。
今のビジネスの礎ができあがる
他にも日本企業から、「こういう商品作れない?」というお問い合わせを多くもらっており、日本企業から依頼を受けてTシャツや雑貨等のノベルティを作ったりしていました。そんな中でノベルティのような一過性のものだとつまらないなーと感じ、持続性のあるモノを作ろうと考えたんです。そこで2006年に初めて小売・流通業界の最先端が集まるラスベガスの展示会に行き市場調査をして、今でこそ当たり前になっているPB商品を目の当たりにしました。これからECも発達することを考えると、これは確実に日本に来る!そう感じました。ただいざ企業がPB商品を作ろうと思っても、なかなか簡単に作れるものではありません。まず工場とのパイプがあるかとか、そこをクリアしても実際に中国の工場を日本企業がいきなりコントロールできるかというと、できない。そういったことから、日本企業と中国の工場をつなぐ役割は絶対必要になるとわかったので、中華圏の工場と関係を深めていきました。これが今ある事業の一つです。
ITの事業なども色々行いましたが、世界的なITの流れの速さを中国にいながら感じ、このままITの分野で勝負してても、勝てる要素は全く無いなと思いました。それであれば彼らが生み出してくれるITの技術を最大限利用させてもらって出来ることはないかと考えるようになりました。結局10年、30年後も世の中の人から必要とされるために何をすべきかと考えた時に、物質的な『モノ』を扱うことだったんですね。たとえテクノロジーがものすごく発達したとしてもパンツをはかない人はいないじゃないですか笑 世の中に必要とされる物であれば『モノ』は残っていく。日本の特徴として、とても良いモノを作っているけどそれをきちんと表に出していくことが苦手だったりするんです。自分の持ってるコネクションやノウハウを最大限に活かして、彼らがつくる良いモノを世の中に出したいっていう思いがありましたね。
加藤貿易に込めた思い
2009年28歳になったと同時に日本に戻ってきました。戻ってきた当初は元々いた会社の残務処理をして、そのあと独立しました。2009年6月2日に加藤貿易設立です。中国で行っていた事業を軸に、最初は私一人で始めました。中国での経験に比べると、そこまで大変なことや苦労することはなかったです。段々とお取引が増え、仲間が増えていきました。
私は人や社会に貢献するという目的を達成するために事業があると考えているので、事業自体に対するこだわりがそこまで強くありません。極論ですが目的を達成できるのであれば何の事業でも良い。何よりも大切だと考えているのが、人や社会から必要とされるかどうかというところです。社会から必要とされていれば必然と会社は存在し、必要性が強くなれば規模は大きくなり、弱くなれば小さくなると考えているので、社会から必要とされ、その結果として会社も成長していくことが理想です。まぁ人間万事塞翁が馬という言葉通り、大きくなる時もあれば小さくなる時もある、小さくなる時にどう受け止めるかが大切だと思います。
これからの加藤貿易に必要な人
巷で言われているように資本主義は今変わりつつあって、これから新しい資本主義の概念が出てくるんじゃないかと私も思います。お金じゃない資本、例えば信用や愛、智慧とか、お金じゃない価値が出てくると。ではそういう世の中になった時に会社や自分達はどうしたら残っていけるのか。私は根本的に何らかの形で社会のため、人のためになっていて必要とされることしかないと思います。それを考えると<私が100万円寄付します>という時に、だったら<その100万円を自分が欲しい>と思うのか、その価値の分配の本質が腹落ちするか、それは大きいと思います。何に対して価値を見出して今何に投資するのか、そういう根本的な価値観が合っているといいな、と思いますね。
私の会社経営の根幹にあるものは社会のために・人のためにという、いわゆる『利他の精神』です。なぜならそれが将来的に会社のため、スタッフのため、自分のためになると思っているからです。なので結局は『利他の精神』を持つことにより自分達が満足するからという自己満足です。自己満足が少しでも世の中のためになれば良いなと思っています。とはいえ社会貢献の部分を突き詰めていって会社がダメになってしまっては元も子もありません。社会のためになるものと利益の出るもののバランスをうまくとっていく、会社として世の中の富の再分配をやっていく、これが加藤貿易の理想のビジネスです。これからの加藤貿易を作り上げる仲間とは、その想いを共にして、より社会に必要とされる会社を作っていきたいですね。