ジェイ エイ シー リクルートメントに新卒入社後、ケミカルディビジョンで実績を重ね、現在は部長としてマニュファクチュアリングディビジョンと、今年新設されたファインケミカルディビジョンを支える日高 亜友美。苦難の時期を乗り越えながらも結果を出し続けてきた彼女を支えてきたのは、ある一つのポリシーでした。
自分の介在価値が高い環境を求めて人材業界へ──誠実さが入社の決め手に
大学卒業後の就職先を検討するとき、その条件は職種、業種、企業規模などさまざまです。日高 亜友美が真っ先に条件としたのは、『自分自身が商品になれる』ことと、『自分の実力が年齢に関係なく評価されること』です。
日高 「モノではなく、自分のサービスに介在価値を感じられる仕事がいいな、と。また、自分が年功序列の環境に適応できないことを学生時代の経験から学んでいたので、若くても実力が評価される企業で働こうと考えたんです。これらの条件を満たせる業界を探して、人材業界とコンサルティング業界に興味を抱きました」
業界を絞って就職活動を進めていく中で、日高はジェイ エイ シー リクルートメント(以下、JAC)と出会いました。他にも選択肢がある中で日高の心に留まったのは、JACの真摯さです。
日高 「企業研究をして気になった企業課題に対して率直な質問をぶつけても、JACの担当者は正直に答えてくれました。また、面接対策やフォローをしてくれたり、当日中に面接合格の連絡をくれたりと、あらゆる面で誠実さを感じる対応をしてもらいました。そういったやりとりの印象から検討を重ね、第一志望でJACを選びました」
JACに入社した日高は、研修中に行われるあらゆる試験に一発合格。全ての試験を一発合格したのは同期で日高だけだったため、“一位ちゃん”というあだ名で先輩から呼ばれるほど話題になりました。順風満帆な社会人生活のスタート……そう思えたのは、ほんのつかの間です。
研修期間終了後、日高はケミカルディビジョンに配属され、コンサルタントとしての一歩を踏み出します。そこで日高を待っていたのは、実際に企業から求人の案件を取ることの難しさでした。
営業に苦戦し激やせした一年目、なんとか決めた成約が未来を拓いた
日高 「はじめはテレアポに苦戦して新規案件を取れず、先輩から引き継いだ案件にもうまく対応できませんでした。ストレスで体重が激減して、周囲の人とうまく話せなくなった時期もありました。
同期が初成約を決めるたびに届くお知らせを見るたびに、焦りを感じました。私自身が初めての成約が取れたのは、同期内で数えると最後から二番目。タイミングは遅かったものの、役職者の成約を取れました」
大手企業の課長・部長クラスを扱う案件を進行しながら、日高は業界知識やノウハウを吸収していきます。50代前後の候補者とやりとりする電話では、自分の若さが相手の不安材料にならないよう、声を低めにして落ち着いた印象を与えられるよう工夫しました。
入社年度の営業成績は、11~12月に役職者クラスの成約を取って巻き返したことで同期トップに。入社直後の苦難の時を乗り越え、再び1位の座を獲りました。
日高 「印象に残っているのは、土砂降りのなか、神保町にある本社から東京郊外の工場まで足を運び、あらゆる人材紹介企業に相談して決めきれなかったという求人の相談をいただいたことです。何がなんでも私がその人材を探して成約すると決め、候補者を探して1カ月かけて口説きました。
結果、期待以上の人材を採用できたと企業から評価していただき、さらに10件以上の求人を相談いただくことに。あきらめずに向き合った姿勢が、評価されたんだと思います」
日高が所属するケミカルディビジョンは、素材関連の化学メーカーを中心に日系・外資系双方を扱います。中でも新規性の高い研究に関わる求人では、高度な技術や知見が求められます。コンサルタントは、候補者がどんなスキルがあればその研究に携われるかを判断しなければなりません。日高が任された求人案件も、そうした限られた人材を発掘しなければ対応できない求人でした。日高は事業内容を学び、理解を深めながら、対応できる人材を探し続けました。
日高 「最終的に、私が紹介した方のうち3名が入社を決めました。その一年後、新聞の一面で彼らの研究が紹介されているのを見つけたんです。アメリカに拠点を移し、彼らはしっかりと結果を残していました。
その記事がうれしくて涙を流しながら、私はかつての候補者の皆さんに連絡しました。そうしたら、『あのとき日高さんがしつこく連絡をくれなかったら、今のような仕事はできていなかった。ありがとう』と言ってくれて……」
あなたがいてくれたから今の仕事を実現することができた。あなたが必要だった。企業や候補者から出てくるその言葉は、まさに日高自身が生み出した価値を表すものです。入社2年目を迎えるころ、日高は自分が提供するサービスに対して自信をもち、走り始めました。
相手に響く言葉は偶然には生まれない──成約に直結するルーティーン
入社3年目以降は主に外資系企業を担当し、着実に実績を重ねていった日高。そんな日高のキャリアを支えてきたのは、成約のためにいかなる努力も惜しまない姿勢です。特に日高が日ごろから意識しているのは、言葉です。
日高 「自分のキャリアや自社の採用に悩む皆さんの背中を押し、決断を導き出すためには、具体的な言葉がなければなりません。例えば、本質的には営業のほうが向いているのに、マーケターを希望する候補者がいたとします。
ただ『あなたはマーケターじゃない』と伝えるだけでは、その方の心を動かすことはできません。営業のほうが向いている理由をロジカルに説明する必要があります。また、その人に伝わりやすい言葉を選ぶことも大切です」
日高は相手に適した言葉を探すため、転職や採用に関わるインタビュー記事をよく読みます。それは業界に対する知見を深めるための研究とは異なり、相手の心に響く言葉を編むスキルを磨くために始めた習慣でした。
日高 「Webサイトに掲載されている記事から、刺さる言葉や言い回しを見つけ出し、スクリーンショットを撮るようにしています。フォルダには既に500~600枚のスクリーンショットがあります」
さらに選ぶ言葉の精度を高める工夫の一環として、日高は商談のシミュレーションも徹底しています。
日高 「自分が話す内容に対しての返答を想定し、その想定に対して次に自分が紡ぐ言葉を準備します。それを組み立ててチャート図を作っておくと、自分の言いたいことが全部伝わるかどうかチェックできます。また、これを言ってだめならあきらめよう、という引き際も定めやすいです」
相手にかける言葉を選ぶための徹底したリサーチや準備。習慣化した勉強する姿勢が、日高のここまでの道のりを確かなものとしてきたのでしょう。それは日高が人生の中で貫いてきたポリシーに通ずるものでした。
日高 「目の前のことを一生懸命にやる。これが私のポリシーです。それすらできない人間には、何も成し遂げられないと思います。だから、日ごろから成約のためにできることは全てやる。失敗してもいいから、やりきったと清々しく宣言できるまでやるかどうかが大切なんです」
シンプルでストイックなそのポリシーは、日高をJAC最年少女性部長の座へと導きました。
誰もが幸せになるビジネスで、自分の価値を高め続ける喜びを
2021年、新たに設立されたファインケミカルディビジョン部長と、同外資系チームのマネージャー、及びマニュファクチュアリングディビジョン部長を兼任することとなった日高。10名以下だったマネジメント対象が約40名と増え、見える世界や扱う数字が大きく変わりました。
日高 「私が目指しているのは、商談に連れて行っても恥ずかしくない部長です。現場感を忘れず、部下がまごついていたら率先して商談をリードするような部長でいたい。マクロが弱い部長と言われるかもしれませんが、それでも“口だけ番長”になることだけは避けたいですね」
JACに入社して8年。『自分自身が商品になる仕事』を探し、『年齢に関わらず実力が評価される企業』を選んだ結果、日高は若手の女性部長として複数の業界や多数の部下を見渡すポジションへと昇り詰めました。人材業界だったからこそ重ねられたキャリアだった、と日高は改めて振り返ります。
日高 「人材業界の魅力は、自分がいたからこそ生まれた縁や結びつきが見えること。自分の介在価値をたしかに感じられる仕事だと感じます。
そして、人材紹介業は、私たち人材紹介をする側も、候補者も、企業も、成約によって関わる全員が幸せになれるビジネスモデルで成り立っています。いわばWin-Win-Winの関係ですね。もしも誰かが不幸になってしまうビジネスならば、私はここまで続けられなかったかもしれません」
目の前にあることを全力でやりきり、納得するまで向き合う。そんな日高のパワーや想いが、揺らがずひとつの企業の上に積み重なったのは、人材紹介というビジネスと日高の目指すビジョンが一致していたからなのでしょう。
日高 「昨今はAIによる人材マッチング技術なども発展していますが、私は今後も人が介在するからこそ生み出せる価値を追求していきたいです。そのためには他社よりも深く、企業や業界を理解し、自分なりの言葉を相手に響かせる努力をあきらめてはなりません。
『脳に汗をかいているか』。これは私が面接対応をするとき、よく問いかける言葉であり、自分自身にも投げかけるものです。ここがゴールと決めて止まってしまうのではなく、納得するゴールまで走り続けられる人と共に、これからも働いていきたいです」
役職は変われど、姿勢や気持ちは変わらない。JACを地盤として築かれた日高の成長は、これからも多くの縁と共に続いていくのでしょう。