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今までそれなりに働いてきた。もう仕事はほどほどでいいや、、、なんて思っていた中年エンジニアが、いつの間にかやっぱり仕事する気になり、すっかり居着いてしまった会社ヒラソル・エナジー株式会社。
業務にJoinしてから4か月ほどたつ。ヒラソルは宝石箱だろう、という直感は当たっていた。けれど、まだ組織化しきれていないカイシャの正体なんか、はっきり言って不明。いい仕事をするためにいい仲間を集めたいけれど、これから育っていく会社紹介を言語化するのは難しい。なので、代わりに、ヒラソルを気に入った一人の中年エンジニア、つまり自分自身の紹介をします。
◆学生時代: 京都という街が教えてくれたこと
嘘つきと忖度が大嫌いだったので、そういう事象から一番遠いであろう京都大学理学部に進学。住んでみて分かったことだが、京都は市民が政治色の濃い問題にも積極的にかかわろうとする気風にあふれた街だった。若狭湾の原発から送られてくる電気を自分たちが使っているという事実に対して“これでいいのか”という問題意識を持つ方々がいて、主に増設反対・もんじゅ(高速増殖炉の実証炉)の運転停止を世論に訴えていた。1990年代の話。
とにかく大騒ぎだった。なぜそうなのか/本当にそうなのか?ひとたび気になると、とことん追求する性格だったので、早速追跡を開始。本来発電方式の選択肢の1つにすぎないはずの原子力をめぐってなぜこんな大騒ぎになるのか、扱いきれない技術といわれる一方なぜ代わりの選択肢が見えないのか・・・実際に運動に携わっている方に話を聞いたり、逆に電力会社の方の話を聞いたりしているうちに、資源貧国である日本にとっては再生可能エネルギーが重要な選択肢の一つであるはずなのに、実際に主力電源の一翼を担うためにはいろいろな課題があるらしいことが分かってきた。で、本当のところなにが課題なのだろう・・・当時は風力発電が脚光を浴びていた。国内の風力発電の先駆けとなった山形県立川町(当時)やその後運転を開始した青森県の竜飛岬に実物を見に行って、立地面の制約が非常に大きいことを知った。一方の太陽光発電は(当時は非常に高価だったが)制約として大きいのは主に材料の問題で立地はあまり選ばない(どこにでも置ける)ことが分かった。材料の問題なら、技術の力で何とかできるに違いない・・・なにより太陽光ならどんな場所でも等しく恩恵を受けられる。
いずれにせよ息の長い話になりそうだ。やるなら、理屈抜きにシンプルにこれがいいと思えることをやりたい・・・でないと続かない・・・太陽光発電がいいな、のびのび暮らせる・心おきなく日向ぼっこできる世の中に近づけそうな気がするから・・・そう思い、大学院を修士課程でおしまいにして、当時すでに太陽電池を実用化していた関西の電機メーカー(シャープ株式会社)に入社した。1998年のこと。
◆最初からやりたいことがやれたわけではなかったが
入社後最初の配属は、天理の研究所。ターゲットは次世代技術。すぐに世の中の役に立てる部署ではないが、工業系出身ではないのでしょうがない。ワークステーション(という高額デジタルおもちゃ)を使い、当時はまだ珍しかった「携帯電話・モバイル端末」に使われることを念頭に置いた超低消費電力LSIに関する研究開発に従事。新しいおもちゃを使いたおすことには自信があったのと、この道10年以上という先輩方に囲まれての業務だったため、特に苦労することはなかった。やりたかったこととは違っていたけれど、すごい先輩方とともに仕事していることがうれしくて働いた。好きかどうかわからないことでも楽しめばやれること、仕事は一人でやるものじゃないということを覚えたのはこの時。今にして思えば、エンジニアとして最高のスタートを切っていたことになる。そしてなにより、この時の経験が、デジタル技術とエネルギー技術の融合の困難さに気づくこと・・・四半世紀後の仕事・・・につながった。
◆社内公募をとらえて本命に
仕事は面白かったが、太陽光発電に携わりたいという思いは変わらない。そんな中、それまで電子事業本部の1事業部にすぎなかった太陽電池事業部が「ソーラーシステム事業本部」として独立し、研究部門もろとも大幅な人員増強をするという話が聞こえてくる。半信半疑でいるうちに技術職にも社内公募(希望する社員が自ら手を挙げて公募を出した部署に移籍する)の通達が回ってくる。それまでお世話になった先輩方には本当に申し訳ないと思いつつ、この機を生かさねばとの思いが勝り、研究部門の募集に応募。たまたま先方に同期がいたことが幸いしたのか選考に通り念願の太陽電池の研究開発に携わることになった。2000年4月のこと。3年半ほど非シリコン系太陽電池素子の研究開発に従事したあと、一人でも多くの人に太陽光エネルギーでつくった電力を使ってもらうためにはやはりシリコン結晶だと考えなおし、再度公募で事業本部に異動。当時急拡大していた住宅用太陽光発電システム市場にむけた商品企画から、特注システムの設計・製造、シリコン結晶でも新しい方式を採用した太陽電池セル・モジュールの製造工場立ち上げ、また新製品がリリースされるたびにどうしても発生してしまう市場対応など、メーカーのエンジニアが貢献できるあらゆる業務に携わった。
◆市場対応の教え
メーカーのエンジニアがお客様のところにお伺いするのは、九分九厘お叱りを頂戴するとき。これがいわゆる市場対応。矢面に立つのは専門部署の方だが、そもそもの要因を作ったのは我々だから本当に申し訳なく心理的に重いし、さすがに楽しんでもいられない。だがエンジニアたるもの、知識や理論と同じくらい「現実」を大切にしなければならない。お客様にご迷惑をおかけしないに越したことはないが、設計部門の同行が必要とあれば手元の開発業務を調整してでも同行するようにした。
当然社外からの情報が入ってくる。マスプロダクションが右肩上がりに成長する時間はそう長くはない、いずれ建設・運用に仕事がシフトしていくだろうということが見えてくる。なので、メーカーにいると必ずしも必要ないが建設業界なら確実に生かせる資格(技術士・電験)を取得し、その時に備え始めた。2010年前後の話。
幸か不幸かこの予想は当たった。2011年3月の東日本大震災をきっかけとして再生可能エネルギー導入政策が加速、建設後の太陽光発電所を扱いきれなくなることは容易に想像がついた。一方でかつて世界の1/4の太陽電池を供給していたシャープは、経営立て直しのため人員削減を余儀なくされていた。下船し、別の船を探そう。年齢制限下減ぎりぎりで募集要件を満たしていた希望退職に乗る決断をする。2012年。
◆「作る」から「動かす」へ
シャープ株式会社を退社後、社会人学生として在籍していた大学院でMOTの研究に一時的に軸足を移しつつ少し時間をかけて次の仕事を探すことにした。1年ほどで、上海にある日本市場向けに特化した太陽電池モジュール製造を行う中国メーカーの工場で技術指導をする機会を得た。そこで、中国がすでに「世界の工場」としての供給責任を果たせるところにたどり着いていることを知る。すでに仕様が固まっている機器の製造はこの人たちに任せ、自分はその先のことをやったほうがいい。
日本へ帰国後、再生可能エネルギー技術を被災企業の復興支援に役立てるための技術指導に携わることになった。ここで、「説明するだけでは誰も動かない」「データで事実を示すだけでは不十分」という事態に直面。「作って、動かして、見せる」というかなり長大なひと手間が必要な世界があるということを知る。
1990年代、2000年代の太陽光発電は、すでに別の分野で一仕事し一番になった人たちがさらなる活躍の場を求めて、もしくは孫の代のために「これをやる」という明確な意思を持った人たちが推進していた。2010年代に入りいわゆるFIT制度をきっかけに、特段の思い入れがない方たちまでもが、はからずもこの世界に巻き込まれてしまうようになった。普及するってこういうことなのか、世界中の人に使ってもらおうと思ったらここを超えていかなければならないのか・・・
煩わしさが頭をもたげてこなかったといえば嘘になる。だが本当に一人でも多くの人に太陽光発電を使ってもらいたいのであれば、何とかしなければならない。
◆その先へ・・・二巡目の入り口を探す・・・
FIT制度の特性から、太陽光発電所建設はスピード勝負。そのため、運開後ちょっとした手直し事案が多発することがわかってきた。なんなら自分で配線の手直しくらいできるようになってやろう・・・奈良県の自宅に戻り、ハローワークと若干の押し問答の末ポリテクに入校、半年の職業訓練のなかでご縁をいただき通信工事会社の太陽光発電O&Mの仕事を得る。そこで、運転開始後の太陽光発電所でどういう問題に直面するのかを知ることになる。メーカー人の想像力を超越した世界がそこにあった。4年後に2社目に移籍し、さらに1年半。いろいろな地域のいろいろな設備規模の太陽光発電所O&Mを通算5年ほど経験。もっとたくさん発電したいのにいろんな理由で力を発揮させてもらえない太陽光発電所が思いのほか多いことを知る。これ何とかするのエンジニアの仕事だよな・・・・次なるターゲットはひとつ。「みなしご発電所を助けに行けるようになろう・・・」
全量買取制度施行から丸10年となる2022年は政策が大きく舵を切るタイミングだ。どうせならR&Dの世界に戻りたい。とはいえ、これといった妙案が思い浮かばない。根が怠け者なので、この辺でちょっと一息つきたいなぁなんて思いも頭をもたげてくる。そうはいってもエンジニアとしてやれることはやりたい(でないと技術士仲間に顔向けができない)、週3程度でいい・・・エージェントに仕事探しを依頼。EMS関連のシステム開発を進めていそうなところを中心に探すも、折からの電材調達難でみなそれどころではない・・・もう当初計画を遂行するだけのO&M業務からは離れることを決めていたため、しばらくゆっくりしちゃえ、なんて考えていた矢先のこと。
◆ヒラソル・エナジーとの出会い
Girasol、スペイン語でひまわり。Girasol Energy・・・なんとありきたりなネーミング・・・エージェントにヒラソルを紹介されたときは、大学の委託研究のような形で計画書を書いて報告書出し、再生可能エネルギーというトレンドワードと東京大学発という虎の威をかりて資金を集め、バーチャル空間で好き放題やって書類のつじつま合わせていればいいと思っている典型的スタートアップベンチャーさん?はっきり言って、そんな印象しか持たなかった。太陽光発電を出汁にしたいだけでしょ・・・もしまともにやっているのなら、R&Dの世界から遠ざかって久しい中年エンジニアがついていける訳がない・・・
とはいえ、今井のことをよく知っている(お世話になるのはなんと3回目)エージェントの勧めだ。「話だけでも聞いてみませんか?」「そーですねーだめもとで時間頂きましょうかね。」
話を聞いてみると、状況は至ってシンプル。IoT技術はものすごいのを持っているけれど太陽光発電知っている人がいない(そりゃそうでしょう、エネルギー技術とデジタル技術は相性悪いんだから)。 そんな中、手探りで興味深い実験をやっているという説明を聞く。実験に立ち会うまでもなく、やることやっているのだと分かる。今現在のデジタル技術の範疇で実現可能なことをやっており、かつ太陽光発電に関するデータに齟齬がない。
ここならエネルギー技術とデジタル技術を融合して、みなしご発電所を助けに行けるようになるかもしれない。そして、のびのび暮らせる・心おきなく日向ぼっこできる世の中に近づけるかもしれない。
たまたま同時期にあったオフィス引っ越しの開所式に参加させて頂きヒラソルが宝石箱であることを確信した中年エンジニアは、もう少し働くことを決意。
晴れてヒラソルの仲間に入れてもらい4か月。自分の担当業務の方向は定まりつつある。次は、もっと仲間を増やしたい。
そういうわけで、エンジニア仲間の皆様へのメッセージでこの記事を締めくくります。
◆エンジニア仲間の皆様へ
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いや該当しない、って思ったそこの貴方。もう5行だけ読んでいただけませんか?
エンジニアは「特別」ではなく専門を一歩外れれば「ただの人」。あたりまえを馬鹿にせずちゃんとやるのが仕事。聞かれたことに答えるのがプロ。仕事は楽しくない、続けたいので楽しむ。自分がいいと思えないもの他人に売りつけたいとは思わない。いいと思ったものはためらいなく真似する、成果の99%は誰かがやってくれたこと自分はそれに乗っかっているだけ。
・・・ひとつでも、だよね!と思ってくださったなら、ヒラソルの求人にエントリーしてみませんか?
そうそう、エンジニア職以外にも募集があるんですって。こんな中年エンジニアが気に入っちゃったヒラソルに興味を持たれたすべての皆様、是非ヒラソル求人へのエントリーをご検討ください!
<代理投稿者後記>
代理投稿させていただきました採用担当の崎坂です。
今井さんのエンジニア愛が伝わるストーリーで、胸が熱くなりました。
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ストーリーから興味をもったそこのあなた、お気軽にお問合せください。
まずはカジュアル面談を実施しましょう!