地元を飛び出し、東京で急成長企業に就職——。DIGITALIFT・寺地智浩のキャリアは、軽快なスタートダッシュで始まりました。
しかし、まったくと言っていいほど結果が出せず、その自分を受け入れられない。寺地を待っていたのは、期待と自信とは裏腹に、「一緒に働く仲間に迷惑がられる」という残酷な現実でした。
「自分はイケてる」という勘違いに気が付けず、自己認知と他者認知の乖離を埋められずにいた寺地は、いかにして再起することができたのか。
「引きずってきたマイナスの過去を、これからは自分の武器にしたい」と語る寺地に、これまでのキャリアと、これからの抱負、DIGITALIFTの一員として目指す世界について話を聞きました。
奇跡の内定で“勘違い人間”に
——DIGITALIFTに入社するまで、人材業界で働かれていたり、何度か転職を経験されていたり、変化の多いキャリアを歩まれています。
すごく恥ずかしい話ですが、本当に仕事ができなくて、職場に居場所がなく、何度も転職を繰り返していたんです。大学生時代に「自分はイケてる側の人間だ」と勘違いして、それを社会人になっても引きずり続けていました。
その結果、自己認知と他者認知の乖離をいつまでも埋められず、環境を言い訳にする人間になってしまって……。今日に至るまで、たくさんの人に迷惑をかけてきたのが僕のキャリアです。
——「自分はイケてる」という勘違いについて、もう少し詳しく教えてもらえますか……?
僕は鹿児島の出身で、地元の大学に通っていたんですね。地方から都心に出る学生はそれほど多くないので、例えば大阪とか、東京とか、都心に出ていこうとするだけでも、「意識が高いんだね」という評価を受けます。僕は東京の会社に就職したいと考えていたので、どちらかといえば「意識が高いタイプ」でした。
振り返ってみると、その時点で少しずつ勘違いをしたんだと思います。「鹿児島でも就職できるのに、自分は東京に行くんだ」と。周囲と少しだけ違うというだけで、自分が特別な存在に思えていたんです。
その勘違いは、東京に出てきたことで、さらに加速してしまいました。優秀な人たちと時間を過ごしたことで、自分もそうであるかのように錯覚したんです。
東京で過ごす時間は、学生主体の就活支援団体が運営するシェアハウスにお世話になっていました。そこに集う人たちは、本当に優秀です。就職人気ランキングで上位にランクインしていたり、急成長中のベンチャーだったり、いわゆる“イケてる企業”を目指す人が大半でした。
彼らと一緒に時間を過ごしていると、僕自身は何も変わっていないのに、どんどん成長しているような気持ちになります。優秀な人たちと同じコミュニティにいるというだけ、だったのですが。
——優秀な人たちと過ごすことで、自分自身が成長できるというのは、事実としてあると思います。
もちろんその通りだと思います。でも、自分との乖離を埋めようと努力するから、成長できるわけですよね。でも、僕はそうではなかった。特に何をしたわけでもないのに、あたかも成長しているように錯覚したのです。
いくつかの企業にエントリーしましたが、それも就活支援団体のメンバーが受けているような企業群です。だから、受かるわけがない。内実が伴っていないので、それを見透かされてしまうことがほとんどでした。
ただ、エントリーした会社のうち一つだけ、奇跡的に内定をもらうことができて。それが、急成長していた広告代理店でした。実力はありませんでしたが、勘違いをしていた分、勢いだけはあった。それを買ってくれたのだと思います。
社内からクレームが来る、迷惑人材
——「勘違いしていた」とはいえ、単身で上京し、自分でコミュニティを見つけ、内定を勝ち取ったことは素晴らしいことだと思います。
そのこと自体は誇りに思っていますよ。ただ、過剰に自分を評価したのがよくなかった。
就活支援団体には、就活を終えた4年生が、後輩の就活相談に乗る文化があります。僕も例に漏れず、その役割を任せてもらっていました。「鹿児島から単身で上京し、急成長ベンチャーの内定を獲得した学生」として、後輩にペラペラと話をしていたわけです。
内定をいただけたのは、本当にたまたまです。でも、当時は「やっぱり自分はすごいんだ」といった気持ちを少なからず持っているので、本当に生意気だったと思います。アドバイスというより持論を述べ、評価する側の人間として振る舞っていましたね。
ただ、後輩のみんなは「すごいですね」「参考になりました」と言ってくれます。そしてますます、勘違いをしていくんです。この頃になると、「自分はイケている側の人間だ」と本気で思うようになっていました。
——その勘違いを引きずったまま、社会人になってしまったと。
そういうことです。だから、社会人1年目は散々でした。
まず、分からないことを上司に相談できないんです。プライドだけが異常に高くなっているし、自分はできる人間だと思っているので、やり方も分からないまま完璧を目指してしまう。
でも、やはりできないんです。でも、それに気がつく頃はもう遅くて、いつも「今から聞いても間に合わない」状態になっていました。出すのも遅いし、クオリティも低いという、最悪のパターンです。
ただ、当時の僕は、「こんなに頑張っているのに、どうして評価してくれないんだ!」と人のせいにしてしまって。「イケている側の自分がこれだけ努力しているのに、なぜそれを認められないのだろうか」とさえ思っていました。
——自分に非があることに、当時は気づけなかったんですね。
環境が悪いんだと、本気で思っていましたね。だから、入社から一年が経ったタイミングで、退職してしまいました。「会社と相性が悪いんだ」と、ここでも勘違いをしたんです。
転職先に選んだのは、第二新卒向けの転職エージェントです。就活支援団体で就活生のメンターをしていた過去を引きずり、この仕事なら自分に向いているだろうと、キャリアアドバイザーに転身することにしました。
——転職先では、自分に合った仕事ができて、活躍することができたのでしょうか。
それが、まったく役に立ちませんでした。前職と同じように、自分の判断で勝手に動き、周囲に迷惑をかけてしまう毎日の連続で……。「自分はイケてる」という勘違いも、環境を言い訳にするクセも、直っていなかったんです。
そもそも企業の魅力付けが間違っているし、「売上をつくらなきゃ」という焦りから、求職者が望まないキャリアを紹介したこともありました。誰も幸せにならないことをしていたんです。
普通に仕事をしていたら、それなりに貢献できたはずなのに、自分が思った通りにしか動かないので、貢献はおろか迷惑をかけてしまう。社内からは、クレームが来るほどでした。
——二つの会社で挫折した経験を経て、「イケてない自分」を受け入れられた……?
受け入れられたというより、受け入れざるを得なかったんです。
前職時代は「全然ダメだね」と言われるだけだったので、その理由が分からず、「ただ相性が悪いんだ」と思っていましたが、転職先では「迷惑だ」と言われてしまい、あらゆる業務を遂行する前に必ず相談することを求められました。
最初は「怒られたくないから」という理由で相談をしていたのですが、相談で受けたフィードバックを反映していたら、怒られる頻度が減るどころか、褒めてもらえることが増えて。そこでようやく、「自分はイケてないんだ」と理解したんです。
“勘違い人間”だった僕が変われたのは、その頃からですね。怒られるのは嫌だし、相談して成果が出ると分かってからは、「自分はできないんだから、教えてもらおう」と反省するようになりました。
ボロボロの履歴書で、ゼロから再起
——スタンスが変わってからは、成果を出せるようになったのでしょうか?
なにかが劇的に変わったわけではないものの、仕事のミスは減りましたし、少しは会社に貢献できるようになったと思います。以前よりは、仕事を楽しめるようになりましたね。
——では、どうして転職を……?
二つの理由があります。まずは、「寺地は仕事ができないヤツだ」という印象が拭えなかったことです。自分のスタンスを改めてから、周囲の視線も少しずつ変わってきましたが、過去を覆すことはそれほど簡単ではありません。
自意識過剰かもしれませんが、「寺地との仕事はやりにくい」という相手の気持ちもある程度察することができたので、積極的に発言するのにも勇気が必要で……。どんなプロジェクトもマイナスからのスタートだったので、環境を変えて、またゼロからスタートを切りたいと考えました。
転職を意識したとき、「また環境を言い訳にしているのではないか?」という不安もありました。ただ、他責だった自分から、自責の自分へと変化できている実感はあった。だから、そのときばかりは自分を信じることにしたんです。
もう一つの理由は、「これが自分の仕事だ」と胸をはれる武器が欲しかったからです。エージェントの仕事をしていると、求職者の方に「エンジニアは市場価値の高い仕事です」とか、「デザイナーはフリーランスとして働く道もあります」とかとキャリアのアドバイスをするのですが、正直詳しいことは分かっていなくて。スキルもないし、知識もない自分のことが、すごく嫌でした。
では、なにを自分の武器にしようかと考えたところ、出てきた答えが広告運用でした。新卒で活躍できずに終わった過去がありますが、もともと理系の出身で、数字は得意だったんです。
以前は自分のスタンスの問題で結果が出なかったけれど、今のタイミングなら、もう一度挑戦してもいいだろうと考え、広告代理店への就職を目指しました。
——DIGITALIFTに入社する前に、クリーク・アンド・リバー社(以下、クリーク)に就職されています。
短期離職を繰り返していましたし、高いスキルがあったわけでもないので、広告代理店にストレートで入社することが難しかったんです。どうしようかと悩んでいたところ、契約社員として内定をくださったのがクリークでした。
クリークは、抱えている契約社員を、取引先に派遣する事業を行っています。つまり、クリークの中でスキルを身に付けられれば、広告代理店に派遣してもらえる可能性があるんです。その可能性を信じて、入社しました。
——DIGITALIFTへの入社にも、クリークが関係していたのでしょうか?
クリークに入社してから1年間は、社内の業務を任せてもらっていました。そこで力を付けたタイミングで、派遣の提案をいただいたんです。
候補として上がっていたのは、大手人材企業、大手印刷企業、そしてDIGITALIFTの3社です。どの企業も魅力的でしたが、DIGITALIFT以外は業務がキレイな縦割りで、入社前からやることが決まっていました。ただ、DIGITALIFTは違いました。たとえ派遣であっても、「やりたいことや、やれることがあるなら、挑戦してください」と。
派遣の期間には限りがあるので、僕はその期間をフルに活用して成長したいと考えていました。だから、実質的にはDIGITALIFT一択です。
ずっと働き続ける予定はなかったので、「DIGITALIFTで頑張り抜いて、どこかの広告代理店に転職しよう」という気持ちで、出向を決めました。
マイナスな過去を武器に、キャリアをつくる
——「イケてない自分」を受け入れ、広告業界に戻ってきた。DIGITALIFTの仕事は、寺地さんにとって想像していた通りになりましたか?
自分が思っていたよりも、組織に馴染むことができ、成果を出すこともできました。その背景にあるのは、周囲のサポートです。
DIGITALIFTにアサインされたタイミングで、新卒で入社した会社の先輩が、DIGITALIFTで働いていることを知りました。そのときは、さすがに「最悪だ」と思いました。できない頃の自分を知っているので、「仕事ができないヤツ」のレッテルを貼られてしまうのではないかと不安になったんです。
でも、先輩は、僕が不安視していたようなコミュニケーションをしませんでした。むしろ、「頑張り屋だよ」ということを周囲に伝えてくれたんです。「あのときは知識がなかったから結果が出なかったかもしれないけど、今の寺地くんはきっと違うはず」と信じてくれたので、その期待に応えたいと、前向きに頑張ることができました。
DIGITALIFTで働き始めたタイミングで、ようやく仕事を楽しめるようになったと思います。これまでの社会人人生を振り返ると、生意気で、人のせいにして、結果も出せない日々の連続でした。でも、そんな自分にさよならを告げることができた。だから、DIGITALIFTには心から感謝をしているんです。
——現在は、正社員として働かれています。「ずっと働き続ける予定はなかった」とのことですが、気持ちに変化があったんですね。
契約期間が終了した時点で、広告業界への転職を目指してクリークを退職したところ、取締役の鹿熊さんから「一緒に働こう」と誘ってもらえたんです。当初の予定では「契約期間だけ」でしたが、DIGITALIFTは大好きな職場だったので、「ぜひ!」とお返事をして、入社を決めました。
——DIGITALIFTのどのようなところが好きだったのでしょうか?
相談しやすい文化は、DIGITALIFTの大きな魅力です。僕は以前、「寺地との仕事はやりにくい」と思われていたので、相談するのが苦手でした。迷惑な存在だと思われるのが怖くて、「相談する」というたった数分のアクションが起こせなかったんです。その結果、少しでも上司が忙しそうにしていると、なんでも自分でやろうとするクセが再発して、ミスを繰り返していました。
でも、DIGITALIFTは相談するハードルがすごく低い。「会社として成長しよう」という思いを持ったメンバーが多いので、メンバーの成長に貢献しようと、役職を問わずサポートしてくれます。ナレッジもどんどんシェアしてくれる文化なので、活躍するメンバーのエッセンスにいつでもアクセスできるんです。
また、業務が縦割りになっていないところも気に入っています。大きな広告代理店だと、営業と広告運用がキッパリ別れているので、自分に割り当てられた職域からはみ出すことが難しい。
でも、DIGITALIFTは、意志を持って手を挙げた人に機会が回ってくる環境です。僕の主たる業務は広告運用ですが、クライアントへの提案も自由にさせてもらえます。代表の百本さんもよく言っていることですが、“運用屋さん”で終わらないキャリアを築けるところに、ここでキャリアをつくる意義を感じています。
——これからも、DIGITALIFTでキャリアをつくっていこうと考えていますか?
もちろん、そのつもりです。ただ、手を動かすだけの“広告運用担当者”になるつもりはありません。まだまだスキルは未熟なので、優秀なメンバーの手を借りながら成長していかなければいけませんが、新しく入社したメンバーが迷いなく活躍できる環境づくりにも取り組んでいく予定です。
分からないことは誰かに聞き、苦手なことは誰かに頼るというのが、僕の社会人生活で得た仕事の定石です。でも、誰もがこれを実践できるわけではないと思います。少なくとも、僕はそうでした。
DIGITALIFTに恩返しがしたいし、それが自分のキャリアにつながるのであれば、やらない理由はないはず。「相談できない」というのは、僕にとってこれまで「マイナスの過去」でしたが、それを生かすことで、メンバーが最短距離で成長できる組織をつくっていきます。
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2022年5月12日時点