レンチナスの社長
以前、伊勢社長ってどんな人なのかをいくつか書いた記事を上げましたが、ふともう少し話したいなと思い今日は伊勢社長に関する記事を少しだけ。
「椎茸農家で日本一になる」って、どういうことか | レンチナス奥羽伊勢株式会社
過去の記事にも書いていましたが、伊勢社長は高校生の頃から負けず嫌いだったらしい。へえ、そうなんだ、くらいにしか思わなかったんですが今の伊勢社長からは、そういう荒々しさより「分かち合いたい」っていう言葉のほうが強く出てきていて、「あれ。なんか視座が変わったかも」っていう一面を最近は多く見るようになりました。
でも、ハウスを5棟、6棟って増やそうとした頃の話を聞いて、ちょっと腑に落ちた。
きっかけは直近ではなく、最初の規模拡大の時の話。
当時、父はこの計画に反対した。理由を聞いたら、こう返ってきた。
「リスクあるから。大きくやると、あとで辞められなくなるぞ、みたいな」
「平茸事業の頃、市場が一気に崩れる怖さを、父はすでに知っていたんだと思う。」
売れると思って作った量が、値崩れひとつで一気に重荷になる。
その感覚が体に残っていたんだろう。
だから規模を大きくすることに、慎重にならざるを得なかった。
儲かるかどうかより先に、「辞められなくなるリスク」を心配する。
経営者としては、真っ当な反応だと思う。
普通なら、ここで折れるか、感情的にぶつかるか。
伊勢社長が選んだのは、そのどちらでもなかったらしい。
プレゼン資料を作って、数字を全部揃えて、父に見せた。
理屈で、説得しにいったそうだ。
「なんかそれが初めて数字でこうやって組み立てていくんだ、みたいな。勉強した年だったかもしれないな」
これを聞いていてちょっと意外だった。
伊勢社長っていうと、勢いとか熱量のイメージが先に来る。
でも規模拡大の一番の壁を越えたのは、熱量だけじゃなくて数字の方も大きかったみたいで、感情でぶつかっても相手が心配しているのはリスクの中身であること。
そこに答えられなければ、話は前に進まなかった。
面白いのは、この頃の伊勢社長にあったのが、そんなにきれいな動機じゃなかったということ。
「俺はその時もう野望でしかなかったっていうか。大きくしたいってずっと思いながら、いろんな会に行って、その時々に他の話を聞くと悔しかったんだよね」
大義名分があったわけじゃない。
誰かの役に立ちたいとか、地域のためとか、そういう話が先にあったわけでもない。
ただ悔しくて、負けたくなかった。
経営者の集まりに出て、自分より先を行く人の話を聞くたびに、その差が数字で突きつけられる。
その感情だけで、父を説得するところまで自分を動かしたんだと思う。
正直、この告白は今のレンチナスのイメージとはちょっとズレる気がしている。
今、社内で語られるのは「分かち合いたい」の方が圧倒的に多いから。
ただ本人はこう続けている。
「その野望だけじゃ全然人はついてこないし、引っ張れない。っていうのでやっぱりこう思いが変わっていった」
野望が先にあって、そこから分かち合う経営に変わっていったらしい。
最初からきれいな理念を掲げていたわけではなく、人を巻き込もうとして初めて、自分ひとりの野望では足りないと気づいた。
その順番だったからこそ、今の考え方にも実感がこもっているんだと思う。
新しいことをやろうとすると、身近な人ほど反対する。
心配しているからこそ止める。
それって今のいちご事業でも、同じ構図がある気がしている。
新規事業を任されるってことは、想いも必要だけどたぶんこういう「反対を数字で越えていく」場面に何度も出会うということなんだろう。
野望でもいい。悔しさでもいい。動機はきれいじゃなくていい。
そこから自分で組み立てて、自分で説得材料を作れる人と、一緒にやりたい。
現在レンチナスは絶賛成長痛中。
絶対成功させるぞ。
そんな強い思いで事業を一緒に引っ張ってくれる仲間をまだ募集しています。
廃菌床事業のほかにも一般枠として椎茸事業も並行して募集していますので少しでも気になっていただけた方はまずはご連絡ください。
すぐに採用担当から連絡をします。