現在、「遠測(えんそく)先生®」という絶縁監視システムの開発に携わる小堀 敏也氏。トライアローの入社は2020年ですが、それまでに培ったスキルと技術は社内外から相当な高評価を得ています。特異なキャリアに裏打ちされたモノづくりへの熱い思いを伺いました。
案件終われば、さっさと次へ…。20年間フリーランスを続けてきた理由とは?
20年間、フリーランスのエンジニアとしてさまざまな案件に関わってきたそうですね。あえて正社員にならなかった理由は何だったのでしょうか?
案件が終った段階で満足してしまうんですよね。フルパワーを出し切ってガーッと働く一方で、各企業のやり方や仕組みをどんどん吸収して自分もスキルアップする。だいたい一つの案件が1~2年ぐらいなので、もうそれで「よし、やりきった!」という感じになってしまいます。それくらいの時期に、他の企業から「新しい案件があるんだけど、加わってもらえない?」と打診が来る…という繰り返しですね。
キャリアのスタートはソフトウエア企業で、入社早々からかなりのハードワークだったと聞いています。社会人になりたての頃のことを教えて下さい。
専門学校を出てパッケージ製品を作っているソフトウエア会社に入社したんです。在庫管理とか顧客管理ソフトとかを作っている会社だったんですが、入社1年目にしていきなりインドに飛ばされまして(笑)。当時、インドには優秀な技術者がたくさんいるということで、インド支社を立ち上げてそういう人たちに働いてもらおうという計画が出たんです。そこでなぜか私が行くことになったんですが、もうそれが想像を絶する大変さで。プロジェクトリーダーとして身を粉にして働いて燃え尽きてしまい、もうこんな仕事はやっていられないと思いました。
で、今度はITからは一旦離れてホテルマンになろうと思って(笑)、職業訓練所に通っているときに以前仕事で関わりがあった人から声がかかったんです。「会社を立ち上げることにしたので、ぜひ手伝ってほしい」と。そこで中間管理職として1年勤めて退社。そこから長いフリーランス生活が始まりました。
業界・業種は違っても「モノづくり」の根本は同じ
その後、ベンチャーだけでなく日本国内の大企業から、世界的に実績のある外資系企業までありとあらゆるメーカーをフリーのエンジニアとして渡り歩いた小堀氏。そのキャリアの途中には、意外な寄り道もあったとか。
20代後半ぐらいのころ近所によく通っていたお弁当屋さんがあって、ある時ふと思いついて、店主に「土日だけ雇ってくれませんか?」と頼み込みました。別に料理がそれほど好きだったわけではないんですが、「お弁当」というプロダクトに惹かれたんです。お弁当箱という限られたスペースの中に、デザインとか予算とか味とかいろんなものを工夫して完成させていく世界感がたまらなく魅力的に感じられました。
ときにはそこに、法事の仕出しや幼稚園の行事用といったテーマ設定が関わってくることもあります。「これは腕が鳴るぞー」って土日にせっせと通ってメニュー考えて利益率を上げるためにソースまで手作りして……2年くらい経ったころ、店主が別の事業を興すからそのお弁当屋さんを任せたいと言われたんですが「そのつもりはないので」ってお断りしました(笑)。平日はプログラミングの仕事をやっていましたから。店長は笑って「そっか…残念だね」と言ってくれましたが、このときの経験はものすごく良い財産になりました。
その後、ボードゲームの製作・販売を行うメーカーの立ち上げも経験したそうで
はい。小さい頃、うちはあまり裕福な家庭ではなかったのですが、家族でボードゲームをしたのがものすごく楽しい思い出として心に残っていました。なので、親子で遊べるボードゲームをつくりたいと思ったんです。CLUB BLACKという屋号を掲げて、相変わらず平日は仕事をしながら、時間をみつけてはこつこつと企画や製作を続けました。東京2020オリンピック・パラリンピックマスコットのミライトワとソメイティを手掛けたデザイナーの谷口さんと一緒に作ったシリーズもあります。
飲食業とはまた違った業種で、しかも今度は自分自身が事業主という立場。経営や製作体制、流通、メディア対応などさまざまな学びがありましたが、なかでも一番の収穫が、日本よりボードゲームが盛んなドイツに勉強に行っていたとき、展示会で私が昔遊んでいたボードゲームの作者とお会いできたことです。「僕、あなたのゲームで小さいころによく遊んでたんです」って伝えた時は、さすがに胸にこみあげるものがありましたね。その方とは今でも親しくしていただいています。
こうした体験を通し小堀氏は、作り手が描いた「思い」はちゃんと相手に伝わること、そして予算や納期といった制限があるなかで工夫するからこそ良いモノができるということを実感したと言います。
20年ぶりに会社員に。小堀氏から見たトライアローの魅力とは?
20年にも及ぶフリーランスのエンジニアの生活に一旦終止符を打ち、2020年に現職であるトライアローに入社。20年ぶりに“会社勤め”をすることになったわけですが、何か理由やきっかけがあったのでしょうか?
自分一人だけのことを考えればフリーランスでキャリアを終えるという方法もありました。実際、次の案件の声もかかっていましたが、そろそろ後進を育てたいなという気持ちになったんです。私がこれまで得てきた技術や知識、仕事の進め方などのスキルを、せっかくだから誰か活かしてくれないかなと。
実際のところ、技術や知識はその気になれば一人でも学べますし、そもそもIT業界は変革のスピードが速いので誰かが教えるということでもないのかもしれません。でも、それでは先人と同じだけの時間がかかってしまう。すでにそれを苦労して手に入れた人たちが上手にリードすることで、効率的に習得時間を短縮させ、新しい技術を生み出すことにエネルギーを割くことができると考えています。
加えて、国内にある数多のメーカーで働くなかで経験したマネジメント法や、他業界を含めて実感したモノづくりとの向き合いなど、私にしか伝えられないものがあるのではないかと思いました。
再び会社員になる上で、トライアローという組織を選んで理由は何だったのでしょうか?
月並みな理由かもしれませんが、やっぱり「人」なんですよね。
作り手も受け取り手も一人の人間なんだということを、トライアローという会社は大切にしてくれていると感じます。もちろんプロの仕事だから予算や納期といった制約はある。だけど「それをクリアしてお客様に満足してもらうことは技術者として何より面白いでしょ?」って上の人たちが考えているんだと思うんですよね。だから会社全体の雰囲気もそういう活気が感じられるんです。今後AI技術がいくら進んでも、そのAIをつくるのもAIを使うのもやっぱり人。人との関わりに興味がないと、IT技術って発展しませんよね。
トライアローはメインが派遣事業ですが、派遣スタッフに関してもとことん技術者ファーストです。気持ち良く働ける職場かどうか、新しいスキルを学べるかどうかということをとても考慮してくれる環境だと聞いています。
社会的に意義があるシステムの開発を通して、後進の育成に力を注ぎたい
小堀さんが現在関わっている「遠測(えんそく)先生®」という絶縁監視システムについて教えて下さい。
絶縁監視システムとは、施設内の電気回路で漏電の予兆を監視するシステムのことです。電気回路を24時間モニターし、遠隔地から担当者がスマホやPCで状態をリアルタイムで確認することができるので、万が一漏電による不具合や事故が起こると大きな損失につながりかねない24時間稼働の工場や病院、官公庁、大規模スタジアム・アリーナなどに導入されています。
「遠測(えんそく)先生®」は、もともとスリーイーテックという企業が手掛けていたものです。技術者の高齢化によって存続の方法を探っていたところ、この製品の将来性に魅力を感じていたトライアローが株式を100%取得する形で子会社化し、当社で開発を担うことになったのです。
スリーイーテックから継承した「遠測(えんそく)先生®」の開発を通じて、自身のキャリアも若い世代に継承して行きたいところですね。
そうですね。年齢を考えると、あと何人育てられるかなというところ。10人はいかないでしょうね。私は意外とマインドが社畜なので(笑)、関わるとなったらガッツリ向き合いたいタイプ。クリエイティブの面白さをとことんお教えしたいと思っています。
といっても、自分のコピーを作りたいというわけではありません。それだとチームで仕事をする意味がないからです。トライアローってなかなか面白い会社で、個性的な社員を矯正せず自由にさせてくれる懐の深さがあるんですね。チャレンジを良しとする文化もある。仕事がデキる社員だけが大きな顔をしているわけじゃなく、将来のためにコツコツ種を蒔く社員もちゃんと評価してくれる。そういうことの大切さもちゃんと伝えていきたいなと。
フリーランスも楽しかったけど、会社員として根を張って仕事をするのもきっと楽しいと思います。この歳になったからこそ、そう思えるのかもしれませんが。
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トライアローでは、現在開発者を募集しています。今回ご紹介した小堀さんを始め、さまざまなスキルやバックグラウンドを持ったエンジニアが在籍しております。
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