東京・葛飾に生まれ、墨田の地で働き続けてきた並木盛自動車株式会社 代表取締役社長 清水 純。
創業から100年以上、下町のお客様のカーライフを支えてきた老舗ディーラーには、「並木の家に育ててもらった」と語る社長がいます。
見習いメカニックとして入社してから35年。
整備・工場長・営業・部長職を経て代表に就くまで、清水社長が一貫して大切にしてきたのは、「車だけでなく、お客様の心を直す」という姿勢でした。
100年の重みを自覚したのは、代表就任の打診を受けたここ10数年のこと。
そこから、採用や人事、新しい「ウェルプロ部(Wellbeing × Protection)」構想を含めた次の100年への準備が始まっています。
並木盛自動車という会社の物語と、そこで育った一人の人間の物語から、「ここで働く意味」を探ります。
並木盛自動車株式会社 代表取締役社長 清水 純
目次
第1章 「並木盛自動車の中の自分」という35年の物語
第2章 創業家・奈良家から受け継いだもの——“並木の家”の暖かさ
第3章 下町の工場で学んだ、「お客様の心を直す」という仕事観
第4章 Wellbeing × Protection「ウェルプロ部」構想と、地域へのこだわり
第5章 「人に尽くせる人」と下町で働きたい——次の100年に向けたメッセージ
編集後記
最後に
第1章 「並木盛自動車の中の自分」という35年の物語
ーーー まずは、並木盛自動車と清水さんご自身の「物語」から伺わせてください。100年以上の歴史を、一言で表すとどんな物語でしょうか。
社長: 並木盛自動車としてのストーリーもありますし、自分のストーリーもありますが、一言で言うなら「並木盛自動車の中の自分の物語」ですかね。100年企業の歴史の中に、自分の35年が重なっている感覚です。
ーーー 100年という数字を意識し始めたのはいつ頃だったのでしょう。
社長: 実は、入社してからしばらくは、ほとんど意識していませんでした。
今年で勤続35年になりますが、100年を意識し始めたのはここ10数年、代表の打診をいただいた頃からです。
それまでも「歴史の長い会社だな」という感覚はありました。サービスの現場にいても、営業部長をしていた時も、「100年」を強く意識していたかと言うと、正直そうではなくて。
代表の話をいただいて、「この会社はもうすぐ100年を迎えるんだ」と腹落ちした。そこから、「自分はこの先の10年、20年をどうつないでいくのか」という視点が生まれました。
ーーー 並木盛自動車に入社された経緯も教えてください。
社長: 1990年に入社しました。正社員として働くのは初めてで、見習い整備士としてのスタートでした。
私は4年ほどで2級整備士を取得し、とにかく整備が好きで、下町の工場でひたすら車と向き合っていました。
会社自体は整備メインの事業ではあったのですが、1993年に葛飾に中古車センターが立ち上がり、当時850という人気車種の影響もあり車がよく売れるようになっていきました。
1996年には葛飾支店ができ、入社6年目で本社工場の工場長を任されました。当時25歳でした。
若くして責任あるポジションを任せてもらえたのは、今振り返っても大きな転機でした。
自社の100年のヒストリーにつき熱く語る清水
第2章 創業家・奈良家から受け継いだもの——“並木の家”の暖かさ
ーーー 創業家・奈良家のみなさんから強く受け継いだと感じている価値観はありますか。
社長: 一言で言うと「想い」です。
自分自身、「並木の家に育ててもらった」という感覚がとても強いんです。実の親よりも長く一緒にいるわけですから。
私が入社した時、2代目の並木 盛雄さんにはもうお会いできませんでした。その奥様である節子さんが当時の会長で、本当に自分の祖母のように接してくれました。
ーーー どんな場面が印象に残っていますか?
社長: 若い頃は、時代が時代でしたので、夜遅くまで作業をしていることもよくありました。
そんな時、節子会長が夜な夜な工場に降りてきて、「ご飯ちゃんと食べた?」って声をかけてくれるんです。
日々の務めを果たしている中で、母親や祖母に見守られているような感覚がありました。家族との触れ合いはもちろんですが、仕事になると祖母として淡々と見守ってくれる。
その温度感が、とても心地よかったですね。
ーーー 現会長の奈良さんとは、また少し違った関わり方だったのでしょうか。
社長: 奈良会長は、今の言葉で言えば「厳しい」と感じる人もいるかもしれません。でも私は、その厳しさの中に愛を感じていました。
奈良会長の真意をすべて理解していたわけではありませんが、振り返ってみると、いろいろなことを任されてきたんですよね。「これをやってくれないか」と、節目ごとに声をかけてもらった。
当時は「なんで自分がこれもやるんだろう」と思うこともありましたが(笑)、今になってみると、「そういうところに行き着くためのレールを敷いてくれていたんだ」と感じます。
ーーー そう考えると「並木の家」という言い方がしっくりきますね。
社長: そうですね。
創業家の皆さんから受け継いだ一番大きなものは、「人を大切にする想い」と「下町で積み上げてきた歴史を、次の世代につなぐ責任」だと思っています。
第3章 下町の工場で学んだ、「お客様の心を直す」という仕事観
ーーー 工場長や営業など、さまざまな立場を経験されてきました。その中で、今の経営にもっとも影響している出来事は何でしょうか。
社長: 一つは、少人数で膨大な仕事量を回していた頃の経験ですね。
2代目の並木 盛雄氏は整備業界で有名な方で、全国から「ここで学びたい」という若者が集まってきていたと聞いています。
ディーラー事業を開始後、販売台数も順調に推移し、年間260台ほど販売した年もあり、販売した車両の点検や車検などの整備需要が急激に増えていた時代でした。ちなみに、最前線で整備を担っていた時期のメカニックは5〜6名程度とまさに少数精鋭体制でした。
毎日とても忙しかったですが、仕事が本当に楽しくて仕方がなかったんです。
もう一つは、あるお客様との出来事です。
ーーー どんな出来事でしたか。
社長: あるお客様の車を整備した際のことです。
点検の結果、バッテリーの状態があまりよくないと分かっていましたが、その時は「今回は交換しなくていい」とお客様がおっしゃいました。
そこで、私はそのままお返ししたんです。
数日後、バッテリーが上がってしまい、ご指摘を受けました。
その時の私は、「交換しないとおっしゃったのはお客様の方ですよね」と、つい正論で返してしまったんですね。
ーーー 技術者としては、「言われた通りにした」という感覚になりがちですよね。
社長: そうなんです。
整備士はつい「できる・できない」「正しい・正しくない」というイエス・ノーで物事を考えがちで、その感覚のまま、お客様に向き合ってしまったんです。
その場で、当時の工場長だった沼田さんに強く叱られました。
後で落ち着いてから、「技術者として言っていることは分かる。でも、お客様のお車はお客様が使っているもので、お客様の気持ちが直らないと、車が直ったとは言えないんだよ」と言われました。
この言葉は、今でもはっきり覚えていますね。
ーーー そこから、どんな変化がありましたか。
社長: そうですね、「壊れたものを直す」だけでは不十分で、「お客様の不安や困りごとを解消することまで含めて初めて“直した”と言える」という感覚に変わりました。
それ以来、「車を直す」のではなく「お客様の心を直す」という視点で仕事を捉えるようになりました。
今の経営でも、「数字の前に、お客様の心にちゃんと向き合えているか」を大事にしています。
今までのキャリアと会社の歩みを振り返り談笑する清水
第4章 Wellbeing × Protection「ウェルプロ部」構想と、地域へのこだわり
ーーー ここからは、次の100年に向けた話を伺いたいです。Wellbeing × Protection を掲げた「ウェルプロ部」を立ち上げた背景を教えてください。
社長: 自分が組織の長を務めるのであれば、目の前のことだけでなく、先のことを考えなければいけない。
代表になった時、まず自社の平均年齢を見て、「このままでは10年先に会社が続かないかもしれないのではないか」と漠然とした危機感を持ちました。
そこで、「採用や人に関わる部分には、自分からしっかり着手しよう」と思ったのがきっかけです。
ーーー どのようにして人に関する学びを深められたのでしょうか。
社長: VOLVOカージャパンの元社長・木村氏が主宰する「木村塾」に参加し、人にまつわる話をたくさん学んだのがきっかけですね。
一緒に学んだ経営者の多くが、自社の経営理念や標語を改めて作り直していて、「人がいなければ企業は存続できない!」という強く重いメッセージに強く共感しました。
ですので、木村塾を終えた時に自身として作った経営理念が
「心を一つに」
・共に働く仲間と一つになる
・選んでくださるお客様と一つになる
・根ざした地域と更に一つになる
という経営理念です。
これからの経営で一番大切な事は「ひと」「もの」「かね」ではなく、「人」「人」「人」と学びました。
当社の社是にも「お客様の心を心とせよ」という言葉があります。
まさに人にまつわる標語です。
木村塾での学びと、社是がきれいにつながっていきました。
ーーー ではステークホルダーの捉え方も、そこから変わっていったのでしょうか。
社長: そうですね。
ステークホルダーを広義に「メンバー」「お客様」「地域の皆さま」と捉えるようになりました。
というのも私は葛飾に生まれて、墨田で働いてきました。
地元や下町の皆さんに育ててもらったという感覚が強いんですね。
だからこそ、「太く短く」ではなく、「細くても長く続けられる経営」を目指したいと思っています。
ーーー 次の10年のイメージは、どのように描いていますか。
社長: 10年後には、もう一つの輸入車ブランドを追加して3つの輸入車ブランドの運営と、福祉車両事業も手掛けたいと考えています。
これらの事業で売上を今の1.5倍程度の規模を実現し、地域により貢献していきたいと考えています。
車を通じて地元にどのように貢献できるか
——それを真剣に考えながら、経営としての体力もつけていきたいですね。
次の100年に向けてウェルプロ部について想いを込めて語る清水
第5章 「人に尽くせる人」と下町で働きたい——次の100年に向けたメッセージ
ーーー そんな未来を一緒につくっていく上で、「この人が入ってくれたら、会社が一段階成長する」と感じるのは、どのような人材でしょうか。
社長: 地元愛をMUSTで求めるつもりはありません。ただ、広い意味で「人に尽くせる人」がいいですかね。
「これをやったらどんなメリットがあるか」という対価だけで動くのではなく、「相手にとって何が適切か」を考えて動ける人が並木盛自動車にはフィットすると考えています 。
与えた以上に、必ず“徳”のような形で返ってくると信じて動ける人は、心も健やかでいられると思いますし、その精神は営業やサービス業には特に活きると感じています。また「しごと」は「仕事」(仕える事)ではなく、志をもって成長や自己実現を成し遂げる事「志事」だと捉えています。
ーーー 最後に、この記事を読んで応募を検討している方にメッセージをお願いします。
社長: 経営としては、次の世代にしっかりとバトンを渡したいと考えています。
創業家に戻るのか、プロパーの社長になるのかは、現時点ではわかりません。
ただ、スピリットや想いは必ず伝えていきたいです。
後進の育成に努めながら、「資本と経営の分離と強化」を進めていきたいと考えています。
そのためにも、車を通して地域に貢献しつつ、会社としての体力をつけていくことが大切です。先ほどお話しした福祉車両事業など、新しい事業も含めて、地元にどう還元できるかを考え続けていきます。
人生経験を積み重ねながら、地元や人のために尽くしていきたい
——そういう想いに共感してくださる方と、一緒に働けたらうれしいですね。
皆さんのご応募を心よりお待ちしております!
編集後記
「100年の歴史」を、清水社長は最初から意識していたわけではありませんでした。
整備士として、工場長として、営業として。目の前の仕事に向き合う中で、気づけば35年が過ぎていた——そんな感覚だと話してくれました。
代表就任の打診を受け、「この会社はもうすぐ100年を迎える」と自覚したところから、密やかに採用や人事、新しい部署「ウェルプロ部」の構想が動き出しています。
下町で育ててもらった会社と地域に、次の100年をどう返していくか。
その答えが、「お客様の心を心とせよ」という社是であり、「人に尽くせる人と働きたい」というシンプルな言葉なのだと思います。
完成された大企業ではなく、歴史ある「町のクルマ屋さん」が、これからの仕組みや文化を一緒につくっていくフェーズ。
自分の物語を、その一部として重ねてみたい——そう感じた方に、このインタビューが届けば嬉しいです。
最後に
並木盛自動車では、
・人事・採用担当(ウェルプロ部 初期メンバー)
・保険専任者(ウェルプロ部 初期メンバー)
・中古車営業(次の世代を担うメンバー)
を募集しています。
「下町の100年企業で、人に尽くす仕事がしたい」と感じた方は、
ぜひ一度、カジュアル面談でお話ししませんか。
少しでもご興味をお持ちいただけましたら、下記までご連絡ください。
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