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創業者インタビュー 製造業に、ITの力を。日本のものづくり経営に、光を。

株式会社エクス

日本の製造業をITの側面から支援し、魅力あるものづくり経営を実現する」ために、中堅中小製造業向けの生産管理システムやDX化支援サービス等を提供する会社だ。

抱「もう一度、日本の国力の根幹にものづくりを据える。ITの力で製造業の課題を解決し、新たなる変革を起こす。この想いを胸に、1994年の創業以来、挑戦を続けてきました」

そう話すのは、代表取締役の抱 厚志(かかえ あつし)。

32歳で株式会社エクスを立ち上げ、主力製品である生産管理システム導入本数は1800本を超え、中堅・中小製造業向けの生産管理システムとしてはトップシェアを誇る会社へと成長させた。

しかし、当然ながら、これまでの道のりは決して平坦ではなかった。

創業直後に阪神大震災に見舞われ、その後もリーマンショック、東日本大震災等、困難や危機が幾度となく襲いかかった。

にも関わらず、抱の中に「諦める」という選択肢がよぎったことは一度も無かったと言う。

ITの力で魅力あるものづくり経営を実現し、製造業を復権する」という熱い想いと共に、チャレンジをし続ける理由はどこにあるのか。

今回のインタビューでは、抱のその原点に迫ってみたい。

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【インタビュアー/ライター】
ー伝えたいことを、伝えたい人に、文章で響かせる会社ー

株式会社ストーリーテラーズ

ストーリーライター 高野 美菜子

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世の中への恩返し、製造業の復権

人は、多くの存在によって生かされている。だから、自分も世の中に何か還元していきたい

抱を事業へと駆り立てるのは、熱く純粋な想いだ。

抱「人は、個人、家庭人、社会人、日本人、アジア人、地球人…という風に、生きていく上で周囲との関わりを増やしながら、多くの存在によって生かされています。

だから私も、生きるということは、社会に一員としての責任を全うすることと近しく、常に頂いたもの以上のことを、社会に還元していきたいと思っています。

こうした想いを、わりと若い頃から強く持っていた記憶がありますね」

抱の実家は商売を営んでいた。

彼の父親もまた、道なき道を進み、困難に直面しても決して諦めないアントレプレナーであった。

抱が若い頃から、社会との繋がりを強く意識していた背景には、経営者である父親の存在が大きく影響しているのだろう。

抱と生産管理システムとの出会いは、大学卒業後に就職した、システム開発会社へと遡る。

当時抱は、大手製造業に向けた生産管理システムの営業をしていた。日本の基幹産業であるものづくりの企業を支える仕事は、大変やりがいのある仕事だった。

トップセールスとして、出世コースを驀進しながらも、

「将来は起業して自分で事業をおこす。いつまでも居心地の良い、恵まれた環境に身を置いていては、アントレプレナーシップを失ってしまう」

という自分自身への危機感を覚えていた抱。

そんな彼の運命を大きく変えたのが、1991年、バブル崩壊だ。

日本の製造業は急速に活力を失い、ものづくりの拠点は一斉に海外に流出が続いた。

製造業は、3K(きつい、汚い、危険)と言われて若者から敬遠され、優秀な人材を確保できず、急激に業界としての活力を失っていった。

抱「これまで日本を発展させてきた製造業の現場が、音を立てて崩れていくような…強い危機感を覚えました。

このままでは、日本がだめになる、何とかしないといけない…!と。

今こそ、自分が動く時。起業への強い思いを持ちながら大きな組織で働いてましたが、今がチャレンジするタイミングだと思いました」

当時の生産管理システムは、大変高額だったため、中堅中小製造業には手が出せなかった。

日本の製造業の99%近くを占める中小製造業でも、安価で導入しやすい生産管理システムを開発し、製造業が再び息を吹き返せば、日本は再び、復活できる。

抱「日本の製造業をITの側面から支援し、魅力あるものづくり経営を実現する。もう一度、日本の国力の根幹にものづくりを据える。この想いを胸に、同僚に声をかけ、4名でエクスを立ち上げました」

抱は当時32歳。妻も子どももいた。一緒についてきてくれたメンバーにも生活がある。

それらを全て背負ってチャレンジしたとしても、成功する保証などどこにもない。

でも、やらずに後悔することだけは、絶対にしたくない。

抱は、起業への大きな一歩を踏み出した。

志あるものだけが、正しく膝を曲げられる

エクスは、初年度から黒字経営を達成し、売上を着実に伸ばしてきた。手堅く順調に成長しているイメージの同社だが、実際はどうだったのだろうか。

抱「そりゃもう、語り尽くせないほどの困難がありましたよ(笑)

起業直後、1年かけて開発した製品の販売を開始した途端に阪神大震災が起こりました。社員も被災し、当時頂いていた注文は全てキャンセル。

会社は倒産寸前まで追い込まれました。

『最後までやれることをやり抜くだけ。ここで会社が潰れても、それは天命であり、人為ではない。破綻したとしたら、自分に経営者としての天命がないだけ』

そう覚悟を決めた矢先、一つだけ残っていた商談が一発逆転で受注に至り、危機を脱し、現在まで会社が存続することができています」

2011年の東日本大震災では、東北の顧客の多くが被災した。

「システム復旧費用の支払いは、復興が落ち着いた後でいい。とにかく今は復興のために、システムを使い続けていただくことが最重要」

そう判断し、顧客のシステム復旧を優先したことでしばらくは厳しい経営を強いられたが「こんな時こそ製造業の力にならんでどうする!」と、社員一丸となって耐え抜いた。

抱「高く飛ぶためには、一度膝を折らないと飛べません。それができるのは、志のある者だけ。正しい行いをしていれば、天はその者を見捨てない。そして志あるものだけが、正しく膝を折ることができるのだと、いつも自分に言い聞かせています」

失敗したり、窮地に陥ったりするということは、チャレンジしている証拠でもある。

失敗を恐れて何もしないことこそが最大の失敗。

リスクを取らないことが最大のリスク。

満たされていない自分に納得して生きる。いつか満月になることを願いながら、永遠の三日月でい続ける自分でいたい。満月になれば、後は欠けて行くだけだから。常に満たされていない自分を感じながら、夢ではなく理想を追い続けたい

と抱は話す。

その言葉通りエクスは、数年前から海外展開や新サービス開発にも積極的に取り組み、創業から30年経った今でも、ベンチャーマインドの火は消えるどころか、ますます燃え上がっている。

社員の存在が、社長を支えている

話を進めていくうちに、抱を支える、もう一つの大きな存在が見えてきた。

それは「エクスの社員達」だ。

会社経営の中で、一番嬉しかったことは何か?」その問いに、抱はこう答えた。

抱「それは、社員や組織の成長を実感した時ですね。創業からしばらくは、正直、エクス=抱といった部分も大きかった。

でも社員が増え、業務が拡大し、責任ある仕事を社員にどんどん任せられるようになると、社員のみんなが私の何倍も成果を出してくれるようになりました。

自分の手から仕事が離れて行く寂しさはありましたが、それよりも喜びの方が何倍も大きかった。社員や組織の成長は経営者にとっての最高の喜びであり、報酬なんです」

今でも毎月、社員が自由に聴くことができる「社長の生ラジオ番組”Agora”」を配信している抱。

※Agora(アゴラ)とは、古代ギリシャで「人の集まる所」を意味し、社員と経営の相互理解を深めることを目的として実施。

そこでは、社員からあがってくる質問や提案全てに、社長自らが回答をしている。

過去には、抱が以前から持っていた「会社の社会貢献の一環として、動物愛護のための取り組みを実施したい」という取り組みを具現化したり、採用されなかったものには、「なぜ採用しなかったのか」その意図を丁寧に伝えてきた。

直接社長に意見をぶつけ、それが経営にも反映されるとして、社員からは好評だ。

組織が大きくなればなるほど、トップと現場社員の距離は遠くなる。

そんな中でも大切なことは「社長が現場の声に耳を傾けること。そして社員に直接社長の想いを伝え続けること

社員がイキイキ働く姿を感じることが、何よりの喜び。逆に、社員が諦念したり、疲弊する姿を見るほど辛いものはない。

この抱の温かさが、エクスの社風にもしっかりと根付いている。

30年に渡り「日本の製造業をITの側面から支援し、魅力あるものづくり経営を実現する」使命にチャレンジし続けているエクス。

抱の確固たる信念を支えていたのは「自らが社会の一員であるという責任感と感謝の思い、130名の社員の存在」だった。

これからもエクスは、ベンチャーマインドを忘れず、社員一丸となりチャレンジを続けていくだろう。

エクスのこれからの成長と発展に、ますます期待したい。

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