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【新卒2期生】自分に自信を持てなかった私がヘルスベイシスを選んだ理由

はじめまして!株式会社ヘルスベイシス新卒2期生の小屋夢佳(こや ゆめか)と申します!

今回は、自分に自信が持てずに選考で5回泣いた私が最終的にヘルスベイシスを選んだ理由について、これまでの人生と価値観の変化を振り返りながらお話しできればと思っております。

✔ 自分に自信が持てない方
自分の進路に悩んでいる方
✔ 自己成長したい方

これらに少しでも当てはまる方にとって、就活のヒントになる部分があるかもしれません。
少し長くなりますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

【プロフィール】

名前:小屋夢佳(こやゆめか)
大学:立教大学
見ていた業界:IT、コンサル、人材、エンタメ
出身:鹿児島県出水市
趣味:ライブに行くこと、1人で東京を散策すること、美味しいものを見たり食べたりすること、サウナ・岩盤浴に行くこと

目次

  1. 自分に自信が持てなかった小・中学校時代
  2. 大きな挫折経験
  3. 自分の居場所を見つけた高校時代
  4. 価値観が大きく変わった大学時代
  5. 困難の中で気づいた私の軸
  6. 私のVisionと就活
  7. ヘルスベイシスを選んだ理由
  8. 最後に

自分に自信が持てなかった小・中学校時代

私は自分に自信が持てず、自己肯定感がとても低い人間でした。ある日「まじめで良い子」でいれば褒められ、評価され、認めてもらえることに気づきました。

自分の存在価値は地位や名誉でしか証明できないと思い込んでおり、それらを得るために努力は惜しみませんでした。

そして努力すればするほど、周りから期待されるようになりました。

「自分は完璧でなければいけない」

勉強もスポーツも結果を残すことでしか自分の存在価値はないと思うようになり、周りの評価ばかり気にするようになっていました。

しかし私がどんなに頑張っても、両親から褒められることはありませんでした。両親はサッカーが上手い弟に付きっきりで、私のことには興味がないと感じていました。

そんな家庭環境もあり、「認められたい・必要とされたい」と強く思う人間になりました。

大きな挫折経験

私は小学校4年生からバスケットボールを始めました。そのまま中学校でもバスケ部に入りました。

中学校のバスケ部は小学校とはまったく違い、非常に厳しい環境でした。顧問には毎日のように怒鳴られ、神経をすり減らす日々でした。

怒られるのがメンバー全員だったら、まだ耐えられたかもしれません。ですが、顧問はお気に入りの子には怒らず、私を含めた特定のメンバーにしか怒鳴りませんでした。

「自分は完璧でなければいけない」

当時この価値観を持っていた私は、認めてもらえない自分と周りを比較する度に劣等感でいっぱいになり、自分の存在を否定するようになりました。

バスケが好きな自分はもうどこにもいませんでした。怒鳴られる自分を周りに見られるのが恥ずかしくなり、「どうやったら怒られずに済むか」ばかり考えるようになりました。

それでも部活を休むことはありませんでした。

「頑張ればいつか認めてもらえる」

その一心で粘りました。

しかし、挑戦的なことができず、怒られないための保守的なプレーをしていたため、どんなに頑張っても成果が出ることはありませんでした。

自分の居場所を見つけた高校時代

完璧主義だった私にとって、「部活を辞める」という選択肢はありませんでした。バスケで成果を出せない自分を穴埋めするように、勉強で結果を残し、生徒会の活動をすることで、なんとか自分の存在を保とうとしていました。

結果的に地元の進学校に合格し、私はバスケではなく勉強の道を選びました。

高校時代は朝7時30分から授業が始まり、16時30分までの授業を終えたあとは、19時まで自習室にこもって勉強するという生活を送っていました。

学校から帰宅した後はまた机に向かい、休日も学校で勉強することが当たり前の環境で、まさに勉強漬けの毎日でした。

それでも私は幸せでした。
やればやるだけ結果が出て、努力が正当に評価される勉強が好きだったからです。

私は、勉強が得意な人間ではありません。高校入学時は成績下位層でした。

そこからひたすら努力を重ねました。そして結果が出始め、卒業時には学年の成績優秀者として選ばれ、表彰されました。

結果だけでなく、誠実に努力する姿が周囲の人に認められるようになりました。

夢佳が頑張っていたから、私も頑張ろうと思えた。」

友人達からこのように言われ、努力の過程を見てくれていたことが心の底から嬉しかったです。初めて自分の存在を肯定できた瞬間でした。

心が折れそうなときもありましたが、周りの友人に恵まれ、やりきることができました。友人達とは今でも定期的に電話をしています!

価値観が大きく変わった大学時代

大学入学を機に、知り合いが1人もいない中で鹿児島県から上京してきました。

どのサークルに入ろうか迷っていたとき、たまたま声をかけてもらった団体の話を聞きに行きました。その団体は演劇活動を行っており、英語劇を創作するサークルでした。

私は劇にまったく興味がありませんでしたが、1つの目標に向かって全員で作品を創り上げることに対する先輩方の情熱を感じ、「ここなら本気になれる」と確信しました。

1年目はひたすら先輩方の背中を追い続け、大会での優勝を経験したことで「自分たちの代で優勝したい」と思うようになり、3年目まで続けることを決心しました。

私は3年目で小道具チーフに任命され、140人もの大きな組織の中心として動くことになりました。人生で初めてリーダーを務めることになり、私にとっては大きな挑戦でした。

リーダーを務めるにあたって、次のことが心にありました。

「独りよがりの劇ではなく、後輩・同期共に全員で劇を創りたい」
「一人ひとりがやりがいをもって楽しんでほしい」

けれど、劇作りは想像以上に大変で、困難の連続でした。

週7で朝の9時から学校に行き、夜の9時まで制作をし、その後は朝方までミーティングを行う日々でした。

私にとって3年目は壮絶な体験でした。組織が崩壊しかけたり、200万円の借金を背負いかけたり、部員が大ケガをしてしまったり、、。

まさに、生きるか死ぬか、崖っぷちの状態でした。

困難の中で気づいた私の軸

困難の連続を私はどうして乗り越えることができたのか。
挫折を感じた中学時代と何が違ったのか。

困難の中で私が気づいたことは、2つありました。

1つ目は、同じ目標に向かう仲間の存在です。

私は活動を行う中で積極的にメンバーを頼りました。後輩だろうと同期だろうと公平に意見を求め、大事な仕事を任せていました。そして、やってくれた仕事は当たり前と思わずに感謝を伝えることを大事にしていました。

ひたむきに取り組み続ける自分の姿がメンバーを動かし、積極的に助けてくれるようになりました。

2つ目は、夢中になることのやりがいでした。

身を削る生活をしていても辞めたいとは思ったことは一度もなく、むしろ楽しいとさえ感じていて、とにかく前しか見ていませんでした。

3年目はとにかく劇に対して"夢中"でした。他のことは考えられないくらい没頭する日々で、とても充実していました。

「これまでの私と、大学時代の私は、何が違ったのだろうか」

「お前はリーダーに向いていない」

小学校のバスケで、キャプテンをしたいと勇気を出して名乗り出たとき、当時指導をしていた人にそう言われ、自分はリーダーに向いていない人間なんだと思い込んでいました

これまでは他人の評価が全てで、常に何か重荷を背負って生きてきました。ですが、周りの評価ではなく、誰かのために一生懸命になることのやりがいに気づいたんです。

「周りを気にせず、やりたいことを自由に選んでいいんだ」と思えるようになり、考え方が大きく変わりました。

私のVisionと就活

就活自体は1月の中旬くらいから始めて、遅めのスタートを切りました。

本当に何の知識もなかったので、就職活動をどうやって進めていくのかを知ることから始まりました。鹿児島県のド田舎で育った私は、みんなが知っているような企業さえ知らない状態でした。

就活を本格的に始めてからは、自己分析・会社説明会・面接の繰り返しで、1日4社ペースのスケジュールをこなしていました。

私にとって就活は「自分探しの旅」でした。

企業を知れば知るほど、社会人の方とお話しすればするほど、自分を知ることができ、言語化できるようになりました。

好奇心旺盛な性格もあり、自分自身を知ることや、さまざまな業界・企業の知識を得ていくことをおもしろく感じていて、ワクワクしました。

就活では、社会人として働くにあたって、自分のありたい姿は何かを考えました。具体的な目標は置いておいて、自分がどんな状態で働いていたいのか。

これまでの人生を振り返ったとき、1番充実していたと感じたのは大学時代の自分でした。

ここから導き出した私のありたい姿は「夢中になっていたい」でした。

私にとって「夢中になっている状態」とは、

「組織に深く介入した状態」

「自分という存在より優先したいものがある状態」

この2つが両方満たされている状態でした。


「嫌われる勇気」という有名な本があります。
本の中に「幸福とは、貢献感である」という言葉があります。

大学時代は、チーフとしての組織への介入度の高さだけではなく、仲間のため・組織のため・作品のために自然と「貢献したい」「役に立っている」と自分で思えていたからこそ、「夢中な状態」でいることができていて、それが幸せだったのだとわかりました。

ヘルスベイシスを選んだ理由

私がヘルスベイシスを選んだ理由は、私のありたい姿と成し遂げたいことが一致したからです。

企業を選ぶにあたって、ありたい姿になれるのは以下の2つを満たす環境だと考えました。

1、年次関係なく、組織への介入度が高い場所にいける環境であること
2、会社の成長に自分が直接貢献できる環境であること

ヘルスベイシスはこの2点を満たしており、ありたい姿になるための環境として合っていると考えました。

さらに、私の成し遂げたいこととも一致しました。

私の成し遂げたいことは
「介護業界のイメージを変えること」
です。

介護福祉士として働いていた母と現職で働いている叔母に、なぜ働き手が集まらないと思うかを聞いたことがあります。

私自身、福祉系の学部に通っており、社会問題について学んできました。就活をする中で業界の知識を深めれば深めるほど、医療・介護の分野に問題意識を感じるようになりました。

超少子高齢社会が待っている日本にとって、介護の人材不足は大きな問題です。「3K」と呼ばれる悪いイメージがあるため、介護の現場は働き手が集まらず、深刻な人材不足が危ぶまれています。

ただ人材を供給しても結局辞めていき、根本的な問題解決にはつながらないと実感しました。真にイメージを変えるためには、根本的な問題を解決していく必要があると感じました。

こういったありたい姿と成し遂げたいことがマッチしたことが、私がヘルスベイシスへの入社を決めた理由です。

最後に

私はあらゆる業界のベンチャー企業から大手企業までを網羅して受けていました。

結果的に複数の会社から内定を頂きましたが、自分の進みたい方向と一致し、軸を満たす会社はヘルスベイシスしかありませんでした。

ヘルスベイシスを知ったのは、就活を始めたばかりのときにスカウトを頂いたことがきっかけです。

そこから3ヶ月間、人事の方や内定者の方に面談していただく中で、自分自身を言語化できるようになりました。この3ヶ月間で考え方が大きく変わり、どのような就職活動にしていくか、真剣に向き合っていただきました。

ヘルスベイシスを知ってからは、どの会社を受けてもヘルスベイシスがいつも頭の片隅にあり、直感的に自分が求めていた場所であったと思っています。

面接を受けていると、受かるためにどうしても自分を繕ってしまう部分があるかもしれません。
ですが、ありのままの姿で面接を受けることを大事にしてほしいと思います。

自然体でいることを意識するだけで、変に緊張せず、自分の言葉で相手に伝えられます。そして面接に落ちたとしても、「この会社は自分に合わなかったのだ」とあっさり切り替えて次に進めます。

私は1人で就活をしていません。自己分析は自分だけではわからない部分があります。先輩や社会人の方を頼り、たくさんお話をしてください。

私自身もそうであったように、インプットだけでなく、アウトプットすることで自分を深く知ることができます。

「どんな環境であれば、自分のやりたいことや成し遂げたいことを遂行できるか」

「どんな環境であれば自分のありたい姿になれるのか」

これらを明確にすれば、自ずと自分に合う企業が見えてくると思います。自分も選ぶ側であることを忘れず、ありのままのあなたに合う企業が見つかることを祈っています!!


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