社会企業という生き方
福祉サービスを提供する会社であり、地域に価値をつくる会社であること
前回は、主体性の回復について書いた。
支援とは、何かをしてあげることだけではない。
その人がもう一度、自分の人生の主人公に戻っていくために、環境を整え、関係を編み直し、役割をつくること。
そんなことを書いた。
そして、その小さな回復は、一人の中だけで完結しない。
本人が変わると、活動が変わる。
活動が変わると、関係が変わる。
関係が変わると、場が変わる。
場が変わると、また別の誰かが動き出す。
つながって、ひろがる。
山の畑で大切にしているこの言葉は、やっぱり僕たちの仕事の真ん中にある。
では、そういう事業所を運営する会社は、何者なのだろう。
福祉サービス事業者。
もちろん、そうだ。
就労継続支援B型という制度の中で、必要な支援を届ける。
個別支援計画をつくり、日々の支援を行い、記録を残し、報酬を請求し、法令を守る。
これはとても大切な仕事だ。
この土台が崩れたら、何も始まらない。
でも、僕たちはそれだけの会社なのだろうか。
制度の中で、決められたサービスを、決められた形で提供する。
もちろん、それは必要だ。
でも、それだけで終わってしまうと、どこかで事業所は閉じていく気がする。
僕たちは、福祉サービスを提供する会社であると同時に、
地域に価値をつくる会社
でありたいと思っている。
それを、僕は「社会企業」という言葉で考えている。
社会企業。
少し大きな言葉だ。
言ってしまうと、ちょっと格好つけている感じもする。
でも、僕にとってはそんなに難しい話ではない。
困っている人を支援する。
それだけではなく、地域の中に、働く機会や役割や、ちょっとした幸せを増やしていく。
そのために事業をする。
そういう会社でありたい、ということだ。
福祉は、ときどき「支える側」と「支えられる側」に分かれてしまう。
支援者がいて、利用者さんがいる。
サービスを提供する人がいて、受ける人がいる。
もちろん、その関係は制度上必要だ。
でも、人と人の関係は本当はもっと複雑で、もっと豊かだ。
支えられていた人が、誰かを支えることもある。
教えてもらっていた人が、誰かに教えることもある。
受け取っていた人が、何かを届けることもある。
その往復の中に、人の尊厳や役割が生まれる気がしている。
だから、僕たちは「支援する会社」であるだけでは足りない。
価値が行き来する場
をつくる会社でありたい。
たとえば、山の畑で育てたものがある。
土に触れ、草を取り、水をやり、収穫する。
その野菜が商品になり、お店に並び、誰かの食卓に届く。
その途中には、たくさんの手がある。
種をまく人。
草を取る人。
収穫する人。
選別する人。
袋に入れる人。
値段をつける人。
買いに来る人。
食べる人。
一つひとつは小さな関わりだけれど、そこには確かに価値の流れがある。
利用者さんは、ただ支援を受けているだけではない。
その流れの一部を担っている。
地域に何かを届けている。
そこに、働く意味がある。
三右衛門本舗もそうだ。
あのお店は、ただ商品を売る場所ではない。
子どもたちが立ち寄る。
地域の人が来る。
ちょっとした会話が生まれる。
商品を選ぶ楽しさがある。
棚を整える人がいる。
商品を届ける人がいる。
お店という形を通して、山の畑のしごとが地域の暮らしに少し混ざっていく。
福祉施設だから応援してください。
そういう関係だけでは、少し寂しい。
もちろん、応援してもらえるのはありがたい。
でも、本当はそれだけではなくて、
「ここにあってよかった」
「また寄りたい」
「これ、ちょっと面白いね」
「誰かに渡したいな」
そんなふうに、自然に地域の中で役割を持てること。
そこに、社会企業としての面白さがある。
ただ、ここで気をつけたいこともある。
社会企業でありたいと言うと、すぐにきれいな話になってしまう。
地域貢献。
社会課題解決。
共生社会。
どれも大切な言葉だ。
でも、言葉が大きくなると、足元が見えなくなることがある。
僕はそれも少し怖い。
結局ここでも、手段の目的化が起きる。
「社会課題を解決する会社です」と言うことが目的になる。
「地域貢献しています」と見せることが目的になる。
「いいことをしている会社」に見えることが目的になる。
それでは、閉じないどころか、別の形で閉じてしまう。
理念に閉じる。
看板に閉じる。
物語に閉じる。
そうならないためにも、僕たちは足元の小さな実践に戻らなければならない。
今日の活動は、誰につながっているのか。
この仕事は、誰の役割を生んでいるのか。
この商品は、誰を少し楽しくしているのか。
このお店は、地域の中でどんな意味を持っているのか。
そして、この会社は本当に、世のため、人のためになっているのか。
大きな理念は、小さな問いに戻してこそ、意味を持つのだと思う。
社会企業という生き方は、たぶん簡単ではない。
福祉としての責任がある。
会社としての経営もある。
職員の生活もある。
利用者さんの工賃もある。
地域との関係もある。
制度の変更もある。
受託業務が減ることもある。
思うように売れない日もある。
人が足りない日もある。
きれいごとだけでは続かない。
でも、だからこそ事業である必要がある。
善意だけでは続かない。
補助金だけでも続かない。
誰かの頑張りだけに頼っても続かない。
ちゃんと価値をつくり、届け、対価を受け取り、また次の機会をつくる。
その循環をつくること。
それもまた、支援の一部なのだと思う。
働く機会をつくるためには、仕事が必要だ。
仕事をつくるためには、地域との関係が必要だ。
地域との関係をつくるためには、こちらから何かを差し出す必要がある。
そうやって、福祉と事業と地域は、相互に作用し合う。
どちらか一方ではない。
福祉か、ビジネスか。
支援か、収益か。
理念か、現実か。
そういう二元構造の整理の仕方では見えないものがある。
大事なのは、そのあいだでどう立つかだと思う。
稼ぐことは悪いことではない。
でも、何のために稼ぐのか。
支援することは大切だ。
でも、本人の主体性を奪っていないか。
地域に開くことは大事だ。
でも、利用者さんの尊厳やプライバシーを消費していないか。
制度を守ることは必要だ。
でも、制度のために人を見失っていないか。
その問いの中で、僕たちは揺らぐ。
そして、その揺らぎを持ちながら続けていくことが、社会企業という生き方なのかもしれない。
僕たちが掲げている、半径5kmを幸せにするという言葉も、そこにある。
半径5km。
大きな世界ではない。
でも、僕たちが責任を持って見つめられる距離だと思っている。
顔が見える。
声が届く。
歩いて行ける。
困っていたら、気づけるかもしれない。
嬉しいことがあったら、一緒に笑えるかもしれない。
そういう距離感の中で、福祉事業者ができることは、きっとたくさんある。
子どもが安心して立ち寄れるお店をつくる。
地域の商品を扱う。
畑の収穫物を届ける。
小さな仕事をつくる。
誰かの得意を役割に変える。
困りごとを、ただの困りごとで終わらせず、場を変えるきっかけにする。
そういう小さなことの積み重ねが、半径5kmの幸せを少しずつ増やしていく。
そして、その幸せは一方通行ではない。
地域が幸せになることで、利用者さんの役割も増える。
利用者さんの役割が増えることで、職員の支援も変わる。
支援が変わることで、事業所の空気も変わる。
事業所の空気が変わることで、また地域との関係も変わる。
つながって、ひろがる。
やっぱり、ここに戻ってくる。
閉じない事業者であるということは、ただ外に向かって開けばいいということではない。
内側と外側のあいだに、価値の往復をつくること。
支援と仕事のあいだに、意味の往復をつくること。
本人と地域のあいだに、役割の往復をつくること。
会社と社会のあいだに、責任の往復をつくること。
それが、僕たちの考える社会企業なのだと思う。
もちろん、まだまだ途中だ。
うまくいっていることばかりではない。
むしろ、悩んでいることの方が多い。
受託業務の見通し。
商品の開発。
人員配置。
支援の質。
記録の仕方。
発信の仕方。
地域との距離感。
考えることは山ほどある。
でも、途中だからこそ、動ける。
完成していないからこそ、試せる。
正解が決まっていないからこそ、問い続けられる。
そう考えたら、僕たちは、立派な社会企業になりたいというより、
社会企業として生きようとする会社でありたいのかもしれない。
毎日の仕事の中で。
畑の土の上で。
お店の棚の前で。
会議の中で。
記録の言葉の中で。
利用者さんの小さな選択の中で。
地域の子どもの「また来るね」の中で。
少しずつ、社会企業としての形をつくっていく。
世のため、人のため。
この言葉は、まっすぐすぎて、少し照れる。
でも、やっぱり最後はそこなのだと思う。
僕たちの仕事は、本当に世のため、人のためになっているだろうか。
その問いを持ち続けること。
そして、持ち続けるだけではなく、小さく形にしていくこと。
半径5kmの中で。
つながって、ひろがって。
誰かの役割が生まれ、誰かの笑顔が増え、誰かがもう一度自分の人生に戻っていく。
そんな循環を育てる会社でありたい。
閉じない事業者であるということは、きっと、そういう生き方なのだと思う。
※次回は、「閉じない事業者論⑥」として、閉じないための仕組みについて考えてみたい。理念や思いだけではなく、記録、対話、活動設計、情報共有、そして日々の小さな改善をどう積み重ねていくのか。そんなことを書いてみたい。