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あしたの組織論:駅伝文化と組織

あしたの組織論とは?

セブンデックスの組織開発であるフクイシュンが、日本社会や企業組織のあり方を、歴史や文化、スポーツ、さらには哲学的視点を交えて考えるシリーズです。

今日のテーマ:駅伝と日本の組織

駅伝から考える日本の組織論

出雲駅伝、盛り上がってましたね。

出雲駅伝、みた?

ぼけっと駅伝を見ていたんですが、ふとした疑問として、駅伝って他の国でもある文化なんだろうか?というのを思い立ち調べてみました。すると思いの外面白かった。なんでここまでこの国の人たちは駅伝が好きなのか?を考えていたら、組織の話につながった、今回はそんな話をさせてもらいます。

日本くらいしか駅伝がここまで盛り上がっている国はない

結論から言うと、駅伝は日本の独自文化みたいです。台湾や中国などで少しだけ駅伝形式のものはあるみたいですが、駅伝が盛り上がっている国は限られていて日本以外ではそれほど普及していません。フランスなどで「EKIDEN」として実施されているものもあるみたい。

そもそも駅伝発祥は、1917年に4月27日から3日間で走った東西対抗の〈東海道駅伝徒歩競走〉がその始まりと言われています。ちなみに〈駅伝〉の名前は同大会主催者読売新聞社の土岐善麿社会部長が東海道五十三次にちなんでつけたといわれているみたいです。(東海道五十三次の55の地点を駅と呼称していたらしい)

出雲駅伝の盛り上がりを見ていても、もちろん年始のニューイヤー駅伝・箱根駅伝を見ていても、盛り上がりが尋常じゃないじゃないですか。僕としては、「日本は集団主義的で、海外は個人主義的な文化だと聞くしそういうことなんかな」くらいに思ってました。

日本において駅伝は単なるスポーツというかドラマ・生き方・文化の類

日本において駅伝は単なるスポーツというよりも一つの文化的象徴のようになっていると思います。そこには単なるレースとしての面白さだけでなく、レースを渦巻く人間ドラマとしての面白さがあるんだと思います。

タスキリレーがいかにその走者に繋がれたかというそのレースの中でのストーリーをはじめ、これまでそのタスキを繋いできた先輩からの想い・走れなかった仲間のためを思って・・・、など「レース以外の感情的な側面」に大きくフォーカスが当たっている印象があります。

駅伝だけでなくあらゆるチームスポーツに言えることだと思いますが、バレー・野球・サッカーなどのチームスポーツをこよなく愛する国民性がこの国にはあるなとふと思いました。

運動会でクラス対抗のリレーが一番盛り上がることも日本特有なんじゃないでしょうか(ファクトはない)。それだけ「集団の勝利」に対して強い関心を持つ民族性は自分達にとってみれば当たり前かもしれないけれど、よくよく考えると当たり前でじゃないとなぁと思いました。(オリンピックでも短距離走の記録はそうでなくても、リレーになるといきなり強くなるよね)

連帯感・信頼というものを強く感じたい国民性

駅伝がこの国でこれほどまでに愛され、年末年始に全国民が注目する行事となったのはこの競技が象徴する「連帯感」や「信頼」が、日本の伝統的な組織文化や社会性と一致しているからなんだとおもいます。

今回の駅伝終了時に、選手たちがインタビューで答える時に、タイムや自分の走りの反省といった個々のパフォーマンス以上に「いかにチームの勝利に貢献するか」に常に言及していたのがすごく印象的でした。

これらの要素は伝統的な日本企業の文化にも反映されていて、「チーム・次の世代のため」に結果を残すことが求められる構造と一致していると感じました。逆に、チームよりも自分の結果がより気になるような人がマジョリティの文化では駅伝ではなくマラソン的な文化になっていくのだと思います。

ではなぜそのような民族性になったかの仮説:日本人の脳

ではなぜ日本はそのような国民性・民族性が培われたか?僕は縄文時代の長期的な遺伝子淘汰により形成された遺伝的な側面が大きいと思っています。(サピエンス全史っぽい話になりますが、ファクト・仮説半々な話です)

日本人・もとい人間の脳は1万年前から大幅な進化をしていないという話が通説です。日本で一番長い時代続いた時代は縄文時代であり、紀元前約14,000年~紀元前300年頃まで約1.4万年続いたと言われています。その頃の生活様式は最後半でこそ稲作分化でしたが、ほとんどは狩猟・採集文化でした。僕たちの脳はその時の生活に最適化していると。

狩猟採集時代は「関係性」の社会

特に、日本の場合は島国なので侵略民族である遊牧民族から一定の距離があるゆえに文明・文化が比較的安定的だった。また、温暖湿潤で一定の自然の恵みがあったため、侵略・略奪が横行していた乾燥地帯の世界観と比べるとより固定的で安定的な文化だったはずです(嘘か本当かは知りませんが、縄文文化は戦争がほとんどなかったという話もあります)。

ちなみに一神教(キリスト教・ユダヤ教・イスラム教)文化は砂漠地帯で起こった文化です。そこでは食糧が安定的に得られないことも多く、信じられるものが自分と絶対神だけという宗教・文化が広まった。ゆえに彼らは非常に個人主義的です。(と書いたものの、もちろんパッキリ分けられるものではない)

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逆に日本は自然豊かで食糧の獲得が安定的ではあったが、食糧の分配などが非常に村社会的で、村八分にあって自分の集落から放り出された際には命の危機があったのだと思います。ゆえに集団的な生活に馴染めない・馴染むことを拒む遺伝子は淘汰され、異常なまでに村八分を恐れるようになった。

事実、「日本人にはセロトニン受容体が少ない」という話があります。詳述しませんが日本人にはセロトニン輸送体遺伝子(5-HTTLPR)のS型が多いらしく、S型が多いとストレスに敏感になるみたいです。そういった遺伝的な傾向も国民性を作っているのかもしれません。

まとめ:日本は駅伝文化。集団で動くことが強みであり、そうでないと力でないかも。集団性を意識した「駅伝的組織づくり」が大事

日本人が集団でまとまることで発揮する力は、歴史的背景や文化的背景から長い年月をかけて形成されたんだと思います。

個人の力が限界に達したときでも、集団としての一体感や協力が、新たな可能性や力を引き出すのだと思いますし、そういった特徴を持っている民族だからこそその特徴に応じた組織づくりをしなくてはいけないなと思います。


【引用元note】https://note.com/shungtokyo/n/na46cb17719ec

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