錢屋…塾って?
日本は「習い事」が文化と言ってもいいほどで、学ぶ環境が整い、学ぶ姿勢を持った人も多い国だと思います。また、ありがたいことに私は素晴らしい才能や魅力を持った知人、友人に恵まれていました。ならば、それらが出会える場をつくろうと思ったのが錢屋塾を始めたきっかけです。
ただ、学ぶことには優れているのに、それを発揮するとなるとなぜか尻込みする人も多いのです。若い頃に海外で多国籍の人達と交流する機会があって経験したことですが、日本人はピアノが特技だと言いながら「じゃあ弾いてみて」と言われると「いや、最近は練習していないから…」などと言ったりします。一方で日本人以外は自分で「歌が得意」と言っては、お世辞にも上手いとは言えない歌でも平気で披露します。それでも場は和み、仲良くなるという素晴らしい効用があり、それは周りから歓迎されることになります。
学びの文化的土壌
話しはそれますが、この日本の学びの文化は近代以前の武家における藩校は言うに及ばず、町人においても奉公制度が礼儀や道徳を、寺子屋制度が「よみ、かき、そろばん」といった基礎教育を担い、それが行き渡っていたことと関連していると思います。また独自性の高い教育機関である私塾の影響も大きいと思われます。
近代でも今のようにAmazonで書籍を買うのが当たり前になる以前、20年くらい前までは、どの街にも海外では見られないくらいの個人経営の書店がありました。読書量も日本人は多かったのではないでしょうか。書店は喫茶店や中華料理店と同様に、いつの間にかなくなってしまった街の大切な個性だったと思います。
学びのその先に
それた話しが長くなりましたが、これらの経験や思いを経て錢屋塾の基本姿勢はできあがりました。ここでは学ぶ姿勢を尊重しながらも、それ自体を目的とはせず、学びのその先にある何かを大切に考えたいと思っています。
私も参加した靴磨き講座でのことですが、参加者同士がしばらくするうちに話すようになり、一足だけ持っているという革靴を持ち込んだ大学生は「就職の面接があるから」と意気込みを語り、男性の靴を磨いておられた女性は「夫の誕生日だから…これだと安く済むので」と照れながら惚気ていました。それを聞いて「俺は女房なんぞに、この靴は触らせない」と息巻く(強がる?)男性もいました。参加者の動機の背後に日常のドラマが垣間見られ、靴だけでなく笑顔も輝きました。
これからも、学びのその先に誰かの笑顔がありますように。(文 正木)