ATOMicaの創業メンバーの一人として、宮崎拠点のコミュニティ作りを推進してきた日永さん。現在は、全拠点の現場スタッフをリードする立場を担い、あるべき接客像を示し続けています。日永さんは入社前、コンビニ経営に携わっていました。本業以外にも、母校の同窓会活動やボランティア活動に熱心に取り組んできたといいます。
さまざまな場所で活躍してきた日永さんはなぜ、ATOMicaで働くことを選んだのか。創業期に入社して3年以上が経った今、どんな理想を描いているのか。インタビューを通して迫りました。
日永 純治|ATOMica宮崎 コミュニティマネジャー
熊本で生まれ、立教大学時代には体育会応援団として活躍、今でも20万人を超える卒業生OBOG会の副会⻑を務める。東京から宮崎に移住し、街中の大きなコンビニの経営を⻑年執り行う傍ら、子供の貧困問題解決のための特定非営利活動法人などを複数立ち上げ、地域活動に従事。 ATOMicaに創業メンバーとして参画し、スタッフ一同のリーダーとして従事。
積極的な行動が、新たな人生を切り拓いた
創業の地宮崎で、第一号拠点である「ATOMica宮崎」のコミュニティマネジャーをしている日永さん。ATOMica創業時から参画し、3年以上にわたってATOMicaの成長に貢献してきた人物です。入社前の経歴をお聞きすると、過去の苦い経験も含めて赤裸々に話してくれました。
「私はもともと熊本出身です。大学進学のタイミングで東京に移住し、卒業後も関東に住みながら就職情報誌の営業をしていました。順風満帆な人生を歩んできたかと思いきや、32歳のときにちょうど人生のリセット期が訪れまして。色々な事情があって東京を離れ、宮崎に移り住むことになったんです」
当時、ご両親が宮崎に在住していたことから、移住先を宮崎に決めた日永さん。ご両親が経営するコンビニエンスストアの運営に、自身も携わることになりました。
「売上を上げるために日夜働いていました。毎日家と職場の往復で、新しい出会いはほとんどなかったですね。誰とも交流を持たない生活に焦りを感じた私は、一つ行動に出ることにしました」
日永さんがとった行動とは、母校である立教大学への連絡でした。宮崎に同窓生の繋がりがないか大学事務局に問い合わせしたのです。結果、宮崎のOBOG会を紹介してもらいました。
「学生時代に応援団だったのが良かったんだと思います。元応援団として校歌を振ることができたため、さまざまな会合に呼んでいただきました。いつしか宮崎のみならず、九州各地から声がかかるようになったんです。最終的には、『全国のOBOG会の副会長をやらないか』とお誘いいただき、二つ返事で快諾しました」
副会長になった日永さんは、全国各地を飛び回るようになりました。活動的になるにつれて、心境に大きな変化が生まれたそうです。
「35歳で仕事を辞めて宮崎に移住したとき、『東京に負けた』と思ったんです。志を持って熊本から上京したはずなのに、結局何もなくなって、親を頼るようになって……。でも、OBOG会の活動を始めてからは、周囲に認められているという実感を持てるようになりました。とても嬉しかったですし、承認欲求が満たされたというか、自信がつきましたね。OBOG会の活動を始める前は、30歳が人生の天井なのかなと思っていたんですけど、そこはまだ階段の踊り場だったんですよ。もっともっと上にいけることを、後から知ったわけです。自分から行動を起こす大事さを身にしみて感じた出来事でした」
積極的に行動すれば、人生は良い方向に傾いていく。そう実感した日永さんの活動の幅はさらに広がっていきました。ボランティア活動、NPOの立ち上げ、子ども食堂の開設。教育、福祉領域を中心に、多岐にわたる活動を続けてきました。その結果、多くの縁に恵まれるようになったといいます。孤独に過ごしていた日々は、いまや懐かしい思い出に変わったのです。
人間関係の最初の一歩は、ほんの些細な一言から
本業として、コンビニの経営をしていた日永さん。どういったきっかけでATOMicaに入社することになったのか、その経緯を聞きました。
「コンビニ経営は10年以上続けましたが、契約期間満了のタイミングで終了することにしました。ビジネススキームに共感できない部分があり、これ以上続けるのは難しいと思ったんです」
就職活動をスタートした日永さんでしたが、望むような仕事はすぐには見つからなかったそうです。
「コンビニは接客中心の仕事だったので、いわゆる“ビジネス”からすっかり離れていたんです。再就職を決めたのは45歳頃のタイミングで、一般的には管理職でもおかしくない年齢。これからの人生どうしようかと焦りました」
そんなとき、偶然目に留まったのがATOMica宮崎の求人でした。2019年初旬に公開された、創業メンバー募集の求人です。早速応募したところ、これまでの経験や人となりがATOMicaの求める人物に合致し、トントンと採用が決まりました。
「正直何をやるのかもよく分かっていなくて(笑)。まだコワーキング施設すらないタイミングだったので、本当にゼロからの立ち上げという感じでした」
実態としてはまだ何もないATOMicaで、日永さんの挑戦が始まったのです。
「認知が上がるまでは種を撒き続ける日々でした。マーケティング担当者と協働してブログを毎日書いたり、まだまだ少なかった会員様への接客を一生懸命したり。ATOMatchやMEET@といったオフラインのイベントに力を入れるようになってからは、徐々に会員様が増えていきました」
接客のスタンスを尋ねると、「小さいことを見つけて話しかける」との答えが返ってきました。
「会員様が大きい荷物を持っていたら『移動大変ですよね』とか、雨が降っていて傘を持っていない様子だったら『濡れませんでしたか』とか、些細な一言を伝えるようにしています。その言葉をきっかけに話が展開することもありますし、ならないこともあります。大事なのは、まずはこちらから声をかけてみるという行動です」
会話に繋がらなくとも、声をかけるのが大事。そのように考える理由を問いかけました。
「仲の良い友達を一人思い浮かべていただきたいんですけど……その方とどのタイミングで仲良くなったのか、覚えていますでしょうか?おそらく、具体的なエピソードってなかなか思い出せないと思うんです。ただ一つ言えるのは、どこかのタイミングで必ず、どちらかが勇気を振り絞っているということ。声をかけてみる、踏み込んだ話をしてみるといった勇気が、今の関係性に繋がっているはずなんです。僕らも、最初の一歩を踏み出し続けることで、会員様との良好な関係性を築いていきたいと思っています」
人間関係を形作るのは、最初の“勇気”。だから、「こんにちは」で終わらせず、「大変でしたよね」と一言を添える。
「『なんかこの人感じいいなぁ』という良い感情を抱いてもらえたら、次またお会いした時にはもっと深い話ができるかもしれない。それを積み重ねることで、ATOMicaが大事にする“願い”や“相談”、つまり“WISH”が集まってくるんじゃないかと思うんです」
経歴書には載らない経験が、すべて今に生きている
ATOMicaに入社して良かったことを尋ねました。
「これまでの人生がすべて今に生きている、と感じられることです。私は、営業で何億売り上げたというような、自慢できる実績は全然ありません。肩書きや実績がない人間って、一般的には評価されないわけじゃないですか。でもATOMicaは違ったんです。人の繋がりを大事にしてきた人生を、肯定してもらえたし、大切にしてもらえました。人生で頑張ったこと、学んだこと、大事にしたこと、すべてが今に繋がっていると感じられます」
大学のOGOB会で、人とのご縁を繋いできた。コンビニ運営で、日夜一生懸命に接客した。ボランティア活動で、誰かの人生を本気で考えた。経歴書には書くことのない人生の証が、ATOMicaでは生きていると心から思えるそうです。
「地方を大切にして、地方から日本を元気にしようとするATOMicaと、自分の願いが重なっている。だからこそ、毎日が楽しいですし、仕事も頑張れています。30代で東京から宮崎に引越したときの私は、まるで都落ちしたような気分で、後ろめたさがありました。でも、そんな自分を暖かく迎え入れてくれたのが宮崎だったんです。だから、すごく宮崎に対して愛情があるし、この場所をもっと賑やかにできたらと思っています。若い人たちが宮崎を離れても、またいつか宮崎のために何かしたいなと思えるようにしたいんです。ATOMicaでなら、そんな夢を叶えられるような気がしています」
生まれ育った故郷ではない、宮崎。不思議な縁で結ばれたこの土地は今、日永さんにとってかけがえのない場所になっています。
続いて、日永さんがこれからATOMicaで挑戦したいことを聞きました。
「地域社会の一員として、教育や福祉の領域にもっと進出していきたいです。例えば、家庭環境の関係でIPadが買えない子どもと企業を結びつけることで、その子の可能性を引き出したり。中高の生徒にプログラミングの教育を受ける機会を作って、才能を開花させたり。大人の誰かが背中を出して導いてあげれば、若い世代はもっと生き生きと暮らしていけるはずです。もちろん、子どもに限らず、ATOMicaは誰にとってもチャンスを与えられる場所でありたいです。ビジネスの領域にとどまらない、みんなにとって大切な場所にできたらと思います」
日永さんは最後に、将来の夢を楽しそうに語ってくれました。
「いつか定年を迎えたら、ATOMicaにアルバイトとして雇ってもらいたいなと思っているんですよ(笑)。カウンターに座って色んな人とおしゃべりして、たくさんの縁を繋いでいく名物おじいちゃんになれたらなって」
誰からも慕われる日永さんの、太陽のような笑顔が弾けた瞬間でした。
取材・執筆/早坂みさと