1
/
5

私は、カンリーと共に、前に歩き始めます


こんにちは!

カンリー採用担当です。カンリーのストーリーを覗いて頂きありがとうございます!

今回は、社員による入社エントリ「私は、カンリーと共に、前に歩き始めます」をお届けします。

※本内容は2024/9/13に公開された記事をリライトした内容となっており、情報は当時のものとなっております点予めご了承ください。

このたび、株式会社カンリーに入社いたします。よーじろーです。

インターネットにちゃんと出没するのはNotionのYouTube以来です。

私は元気です。

元気な写真載せておきます。

最近の楽しそうな僕と、カンリーの仲良し喜岡さんです


前職にあたるノースサンドを退職するときに、「起業するんですか!?!?!」ってめちゃくちゃ言われたんですが、しないです。普通に転職です笑

私からすると、以前の環境では忠義を尽くして成長に貢献することが生きがいだったので、起業というものは関係性的にありえません。考えたこともないです。


心機一転、転職先として最高の環境に出会えたので、それまでの流れとこれからをお話しします。


※この記事は入社エントリというよりも、私の苦悩と覚悟をしたためています。目的と違ったらごめんなさい。


【プロフィール】近藤 容司郎|Yojiro Kondo
2014年にネットワンシステムズへ入社し金融系を中心に従事。インフラ技術のバックグラウンドを基に先端技術のR&Dから実装までを経験。2018年にノースサンドに入社。ITを用いて顧客課題を改善するシステムアーキテクチャ設計やグランドデザインに強みを持つ。USユニコーン企業(Notion)とのパートナーシップを構築し、2022年に新規事業開発部の責任者として執行役員に就任し新規のビジネスモデルを創出。2024年にカンリーに入社。セグメントの収益を最大化するための業務を推進。

目次

  1. ITという業界に進む
  2. ノースサンドで超出世して、超失敗した
  3. 約束を守れなかった
  4. カンリーに出会い辰巳さんに光を見る
  5. 原体験と向き合う
  6. 業界への私の想い
  7. 何をカンリーでやるのか
  8. 私は皆さんと青春がしたい

ITという業界に進む

まず、学生時代から参ります。いやー、このエントリ長そうですね。
ズバリ正解、1万字あります。


覚悟は良いですか?


【学生時代】
中肉中背の普通の人生でした。特別足も速くないし、勉強が得意なわけでもない、普通の子供でした。ただ、小学生くらいからパソコンが家にあって、中学生のときにマイパソコンがあったりしたので割と既定路線的にIT系に進みました。

将来はITを使って何かしたいなぁとか思っていました。いや本当はいつ思ったか覚えてないです。すみません。私はITの専門学校に進学したんですが、この時代にスティーブジョブズの本が流行ってました。ソーシャルネットワークとか。

この辺でわくわくして、なんか熱くなって「ITを使って社会課題を解決したい!」って思うようになりました。シリコンバレーみたいなものに憧れを持つようになったタイミングです。

自分はフツーーな幸せな家庭に生まれ、何不自由なくフツーーに生きていました。フツーーの人間です。フツーーであることがどんなに幸せか気づかず生きていました。

そんな私でもITがあれば、何者かになれるような気がしたのです。
なのでIT業界に行く流れがいわば自然でした。

【SIer時代】
ネットワンシステムズという会社に新卒で入社します。一定のブランドもありつつ、頑張れそうだなという前提の元、人事の人がめちゃ良かったんですよね。それが入社の決め手だった気がします。

ネットワークを中心としたインフラのSIerでSEをしていました。サーバー、ネットワーク、ストレージ、仮想化のようなオンプレミス技術が中心の会社で、主に金融系のお客さまに、「サーバーいかがっすか?」みたいなお仕事をしていました。

当時実家に住んでいたんですが、食事の用意をしてくれる母親からのメッセージが、

「今日は何時に帰ってくるの?」
 から
「今日は帰ってくるの?」

というメッセージに変わった瞬間が印象的でした。
とても体力が付いて、仕事の下地を作っていただいた時です。めちゃくちゃ楽しくて、めちゃくちゃいい人達に囲まれて最高でした。スーパーワガママな自分を肯定していただける皆さんに、支えられた日々でした。

が、なんかチャレンジしたくなっちゃったんですよね。
若者あるあるですね。

【コンサル時代】
いわゆる若手病で調子にノリ、テングになった状態でノースサンドに入社します。ノースサンドはITを基軸としたコンサルティングファームです。6年半在籍させてもらい、入社当時は70人。現在は1000人を超えるまでに成長しています。

当時コンサルに就職する気は全くなかったんですが、面接を通して人としてぐっと引き込まれ入社することになりました。ここでの期間は私にとって濃厚すぎるので次章にします。


ノースサンドで超出世して、超失敗した

当時26歳でシニアコンサルタントとして入社し、同年マネージャー(当時はシステムアーキテクト)に昇格します。2年でシニアマネージャー(当時は…略)、1年後の29歳に新規事業開発担当の執行役員に就任しました。鬼のスピードで出世しました。就任時は代表を含めて取締役が3人、執行役員が私を含めて3名の新任。社員数は当時300名ほど。こんなタイミングだったと記憶しています。

ノースサンドでは合計6年半在籍したのですが、そのうちコンサルタントは3年間ほど。残りが新規事業です。コンサルタント時代は現場をいくつか担当していたこともありますし、新しいお客様と取引を開始するために営業活動をすることも。社内の改善業務ももちろんやりました。

担当していたプロジェクトは比較的テクノロジー色が強い案件が多く、自分自身でコードを書いたり、システムを作ったり、リファクターをしていたので、当時を知る人はITスキルの人って印象が強いかもしれません。
(ただの経験値だけを言うのであれば、オンプレからクラウド、バックエンド、フロントエンド、UI設計、モバイルアプリなどいろいろな技術に触れさせていただきました。もちろん、書き物が多いコンサルっぽいコンサルもやってます笑)

でも、私自身の技術力はたいしたことなくて、自分が考えたアイデアを最速で実装できれば十分と考えていました。大体どんな技術でも興味の許すかぎり触ったのですが、その反面何かを突き詰めたことはないので、微妙なスキルです。あくまで手段。

前職にあたるノースサンドでは本当に色々なことをさせてもらいました。スタートアップの醍醐味ですよね。挙手したモノがやるという。まだ徹夜してもノーダメージの年齢だったので、めちゃめちゃやってました。やりたかったんですよね。

社内研修、Notion導入、プロダクト開発、スクラッチで勤怠システム開発、ミートアップ開催、ノベルティ制作、広報活動、採用の改善活動、コーポレートサイト作成、note運用、Twitter運用、社内コンペ優勝、コンサル事例制作、オフィス移転、リブランディング。

こうみると、なんか色々やり過ぎて中途半端な人間に見えますよね。多分、合ってます笑

でも、お客様へのコンサルティング業務もめちゃくちゃこだわりを持ってやってました。まじめにやっていた自負もあったので代表に改めて将来を相談し、憧れだった新規事業担当の専任となりました。当時は職種も部署もない状態です。

新規事業の文脈では役員になる前に、1人で1年ほど活動していました。コンサルティング業務も兼務しつつアプリケーション開発したり、Notionの業務をやったり色々していました。

ただ、ここの1年はマジであまり記憶がないです。1人だったし。

挙げ句の果てには、オフィスのドアのストッパーを直したり工務店みたいなこともしていました。(当時の上司はこれこそが本当の業務改善だよ!ってすごい褒めてもらったのが印象的です。あのときの成果ってこれしかないんじゃないかなと思います笑)

がむしゃらにがんばっただけの日々です。ここで1つの挫折も経験しています。これも書き出すとキリが無いのでまたの機会にします。


その後、いくつかのタイミングが重なり執行役員に就任することになりました。このときは、新規事業開発部という名前で部署を持つことになります。

むかーしから、「身銭を切る」という感覚で戦いたかった私は特に営業利益にこだわっていました。ミニCEOになりたかったんですよね。なので、PL責任も持たさせてもらい2年ほど事業を担当させていただきました。

「コンサルティング事業だけじゃないやり方で、会社の成長に貢献する」

そんな想いで部署を立ち上げ、非連続成長の原動力になるべく邁進していました。

新規事業では、プロダクトを作るべく0からコードを書いていた時期もありました。これは社外的には全く成功していません。このプロダクト開発での気付きは、お金がないと何事もできないんだなってコトを学びました。

途中からNotion代理店事業の収益性が見えてきたので、以降はそれ一本で活動します。その事業はマーケ、セールス、CS、コンサルの立ち上げと、すべて正解がわからないままに、ただチャレンジし続けた記憶しかないです。濃厚です。この環境で2年間執行役員として部署を持ったあと、降格しパートナーという職位でコンサルティング事業に戻ります。その後コンサルとして半年従事してカンリーに転職することになります。

6年半、一瞬で駆け抜けましたね。26歳で入社して、今は32歳。体も重いし、体調不良も続くし、なんか髪薄くなってきたし、つらいです。
(この年齢でこんなこといって諸先輩方すみません)


約束を守れなかった

執行役員に就任したときは、Notion代理店が締結できたタイミングでもあります。新しい事業として利益を創出できるタイミングがハマったんですよね。

私は、Notion代理店というものを2019年から目論んでいました。
これが、当時の上司とホワイトボードに書いた内容です。

代理店になるために4年ほど活動していたのですが、その内容だけでも1万字を超えそうなので今回は控えます。

私は事業を持つにあたり、成果が出なければ毎年辞めるつもりで働いていました。

稼がずに投資していただくとは、そーゆーことです。

でも、辞めるなんて卑怯な行動です。辞めるのは逃げです。責任を取りたいならば、それ以上の結果を出すことが責任を取るということです。

ただ、経営者をしている方が致命的な失敗したときはもう続けられないのに、自分の場合は続けられるという状況がなんか嫌だったんですよね。そういった同じリスクをとらないと、代表の意思決定に近い重みがでないと思ったんです。まぁ同じ重みなんて出せるわけないのですがね。

同じ(だとおもって、ママゴトでも)リスクをとって戦うことに憧れてたんです。

2年間必死で戦いましたが、私は事業を続けられませんでした。
(私は離任しましたが事業は続いており、ありがたいことにグングン成長しております。支えていただける皆様いつもありがとうございます。)

解任の直接的な原因は、会社との約束を守れなかったからです。私は会社と3つの約束をしました。細かいことは控えますが、事業運営するための一般的な3つの定量的数字です。

守れた約束と守れなかった約束があるんですが、全部果たすことが私の誓いでした。一般的にみたら今の結果だけでも成功と言えるかもしれませんが、私にとっては約束を守れなかったから失敗。だから、だれがどう言おうと失敗は失敗なのです。

経営(する)とは、いったんその事業計画と予算を定めたら、売上げやら市場占拠率やら、その他何であれ、それを達成すると誓ったことをなし遂げなくてはならぬことを意味する。もしその結果を達成することができなければ、その人は経営者ではない。そりゃまあ、経営者としての肩書を名乗ることはできようし、執務室のドアに〝専務〟とか〝副社長〟とか〝販売部長〟とか書きつけさせることはできよう。しかし、私の基準では、その人はマネジャーではない。

プロフェッショナルマネジャー / ハロルド・ジェニーン



クゥー辛辣だぜぇ!!!



言葉は言葉、説明は説明、約束は約束……何もとりたてて言うべきことはない。だが、実績は実在であり、実績のみが実在である――これがビジネスの不易の大原則だと私は思う。実績のみが君の自信、能力、そして勇気の最良の尺度だ。実績のみが君自身として成長する自由を君に与えてくれる。覚えておきたまえ――実績こそ君の実在だ。他のことはどうでもいい

プロフェッショナルマネジャー / ハロルド・ジェニーン



クゥー辛辣だぜぇ!!!



これだから、ハロルド・ジェニーンさんは、たまらねぇなぁ!!
(このときのしゃべり口調は、サンシャイン池崎です)



これらは私を奮い立たせてくれた本の一節です。これこそ私が身を置いていたい環境であり、人生を賭ける価値ある環境です。

事業運営する中では様々な重圧がありました。
こんなことを圧に感じているようじゃまだまだ未熟ですが、当時の私はなかなかにしんどかったです。

掲げた目標に対しての乖離、進捗がない現実、打開するためのアプローチの試行錯誤と進展しない数字。続く失注と逆境。応援してくれるお客様。全力で戦ってくれる仲間。前に進むしかない。仲間の人生を幸せにしたいと思うエゴ。その仲間の家族の人生をも浮かんでしまう。

なんてきれい事を並べましたが、次第に会社とまともに会話できなくなる自分に気づいていました。



そして、執行役員の解任を告げられます。




必然でした。



ノースサンドでの降格宣言は2回目です。
1回目は降格ともちょっと違うのですが先ほど話した、1人で新規事業をしている時の挫折です。1回目と2回目はシチュエーションが似ているのです。
1回目の時は自分の過信に気づけた失敗だったので、前に進むのは難しくなかった。

そして這い上がった。


でも今回の2回目はマジでやりきったし、なんの後悔もない。最高の人生を駆け抜けたと声を大にして言えます。


「やりきったぞぉおおおおおおおおおおうぉおおおおおおお」


私が人生を賭けてやれることは全部やりました。人生最高の時間であったと断言できます。仕事のために犠牲に出来るものは全て犠牲にしたし、私を信じてすべてを賭けて仕事にチャレンジさせてくれた家族、そして仲間には、頭が上がりません。本当にありがとうございます。

解任後はコンサルティングのパートナーとして活動していました。

ここからまたポジションが変わりますが、私が心に決めたことは「絶対に手を抜かない」ということ。

私がどんな状況であれ、お金をいただいていることに私情は関係ない。
私ができることを全力でやり、その境遇でも一緒に働いてくれる仲間に誠心誠意向き合うと。

だから、めちゃくちゃやりがいがありました。お客様のために第一線で働けるという環境は最高でした。


だがしかし、ハロルドおじさんのこの言葉が心残りなのです。

〝経営(する)〟とはなにかをなし遂げること、マネジャーである個人なりマネジャーのチームなりが、努力するに値することとしてやり始めたことをやり遂げることだ。

プロフェッショナルマネジャー / ハロルド・ジェニーン

うーん、いまの仕事は"経営"なのか。

このコンサルティングの延長線上では、自分を乗り越えられるイメージがない。そして、この環境が心地よくて慣れてきている自分も嫌だ。

目の前の人を幸せにしたい。


でも、私がめざす”経営”はこれではない。


そんな葛藤の中、一緒に働いてくれた仲間、パートナーの方々、私の選択を受け入れていただいたお客様。本当にありがとうございます。墓石に刻みます。嘘です。でも、私の人生の中で必ず恩返しをします。

私は、周りの人に言ってきたことに対して、嘘をつかないためにも前に進もうと決めました。


で、前に進むには何をしたらしいのか。

実際、前に進むってどうやってやるのか分からなかった。

誰かに聞くしかないので、ここからメンター探しがはじまります。


カンリーに出会い辰巳さんに光を見る

新しい人生の道(会社)ですから、常に人で見ていました。
そりゃー、メンター探しですからね。

前職ではフィロソフィーという名前で会社の想い(Mission,Vision,Valueの通称MVV)を掲げていました。今までこのフィロソフィーを心から信じてきたモノだから、新しい会社で全く違うMVVをみて、「このMVV最高ですね!」なんてすぐには言えるわけないです。(言わずもがな、その姿勢は大事です)

そういった面でも、価値観が近い会社を探していたと思います。
色々な会社のMVVを見る中で、MVVは3つ要素で構成されるかもしれないと、思いました。

それは、人と、サービスと、お客様。


すなわち、組織やチームなどの自分を含めたチーム。これをどう強くしていくか、どう一体感を出すか。個ではなく、チームで戦うための概念。

サービス
すなわち、プロダクト。お客様に買っていただくそのもの。どのように磨き、どう改善し、どう差別化し、どう維持していくか。価値を生み出すための概念。

お客様
すなわち、お客様を含めたステークホルダー。相手を思い相手を考え、パートナーとして選んでいただく。それぞれの幸せを考慮して考えていく為の概念。

私はMVVをはじめとする人事関連に熟達したコンサルじゃないですし、数百の会社のMVVを見たわけでもないです。でも、この3要素を中心に語られることが多いなぁと、ぼんやり思いました。
どの会社も死ぬほど考えて、死ぬほどツラい経験を乗り越えて絞り出したモノなので、MVVは良いものに決まっています。

その中でも、この3要素のどこかとどこかに比重が寄ったり満遍なく網羅してたり、1つに尖っていたりと、社の特徴が出ていると感じ眺めていました。

しかしながらいくつか会社を見ていく中で、これぞ、という出会いはなかったです。MVVに対してじゃなくて、メンターとしての出会いがです。
「そんな都合よく、良い会社とメンターなんて現れないよなぁ」
と思っていました。

(続けるとどこかで出会えるのでしょうけど、今の自分では出会うのが難しいのかなという感覚でした。当時の自分に引き寄せる力もない感じがしました。なんか、自分に大した価値はないのに要求値だけ高い奴みたいで、書いてて嫌になりました笑)

そんな時にカンリーに出会います。

カンリーのMVVは、前述した3つのバランスがとても良いなぁと思っていました。

特に一つ目の「お客様の理想から入れ」というバリュー。この考え方はコンサルティング事業に戻った時に、私が頑張れた要素でもあります。


そんな想いを抱きながら、カンリーとの面談を迎えます。
初っぱなからCo-CEOの辰巳さんにお会いしました。

初対面です。


アホみたいなこと言いますが、辰巳さんの第一印象はなんか明るかったです。(語彙力)

当時の私は、ババ抜きの最後のジョーカーを引く雰囲気が漂っていたと思います。自分がそう思っていただけで、言い過ぎかもしれませんが。

でも、辰巳さんは明るくこのカードを引く感じがしたんですよね。

話をしていてもやはり、価値観が合います。何よりも、MVVというモノを掲げてそれをどう扱うか、という点も合致したんですよね。バリューが憲法。バリューを一番に体現しているのが代表取締役社長であり、バリューを一番体現できるひとが代表をすべき。

MVVってそれ自体も大事ですが、前後も同じくらい大事だと思うのです。チームの中にどんな問題があって、どうMVVが生まれ、どう定義づけして、どう伝えていくのか。このバリューを浸透させるための仕組みや熱量、力点の置き方。

あ、この方(と作る環境)はなんか違うかもしれないな。

と直感で思った時間でした。

だから、なんか辰巳さんが光って見えたんですよね。
(辰巳さんは物理的に光源を宿しているわけではないです)


その後、現在の上長である石井さんや共同代表の秋山さんともお話して、経営レベルでこの考えが強く培われていると、確信しました。



原体験と向き合う

辰巳さんとお会いする中で、共に人生を歩む(入社の)決め手になったコトがありました。

それは、自身の原体験に向き合うというもの。

原体験とは、幼少期~中学生くらいまでの経験が、今の人格を形成し意思決定を左右しているというもの。

私にとっての原体験は父親でした。

父は、自分にとっての働く原動力でもありますし、人生の意思決定に大きく作用しています。父は自営業をしていて、私が子供の頃から仕事を手伝うということが普通でした。

そのときの父親の姿や言動、立ち振る舞いは私の脳裏に強く焼き付いており、「人のために働くという」私の仕事観を形成しています。

自分を犠牲にして人のために貢献する父の姿を心より尊敬していましたし、自分もそうありたいと考えていました。だから私は仕事に対しての憧れが強くあって、そんな憧れていた環境に身を置いて頑張れている自分も好きだったのです。






これが私の原体験。









じゃなかった。





もっと、悔しい、怖い、辛い、悲しい、などの感情に紐付いた経験が原体験であると。


「えっ」


肩透かしな感覚です。
自分にとってこれはキラートークというかなんというか。信じてきたし、相手にも伝わりやすいって思ってたから、なんかあれーーってなりました。


友達や家族などの経験を元にした、もっと粘っこい感情。
自分の欲求、きれいごとじゃない感情。自分が主語。これが、原体験。

うーーーん。

ぱっと出てこなかったんですよね。マジで出てこなくて。
5分~10分くらい考えてしまって、場が冷めてしまったくらいに出てこなかったです笑

でも、真面目に考えたらあったんですよ。

それは家族にありました。

私、三人兄弟の三男なんですが、長男と仲が良くないんです。
特別関係が悪いってわけでもないのですが、一切会話をしない。

これが、原体験だったんです。

私は社会人になったくらいから、長男に対してネガティブな感情を強く持っていました。

でもそのときに気づいたのですが、私がパソコンを触るようになったきっかけは兄ですし、趣味も兄の影響、なんなら進学した学校も同じで、同じIT業界に進んだ。ネガティブに思っていたのに、紐解いていくと私は長男にとても憧れていたことが分かりました。

そして長男と話せない理由は、長男が怖かったからです。

年齢も結構離れているので、昔は兄弟喧嘩に物理的に勝てなかったり。
でも、兄として兄弟を引っ張ってくれてる感じもありましたし。

怖かった。でも同時に、憧れていた。

なので、社会人として努力することで、その自分を認めてほしかった。
これが、私だけが主語の感情。

でも、なんか怖くて会話はできなかった。私にとっての長男という存在はこれなんです。




ピコーンッ!!!
「あれ、この感覚知ってるぞ!」
私はニュータイプではないですが、 こうなりました。


この感じが一緒だったんです。
私が会社と会話できなくなった時と。


私は、この兄への感情に知らず知らず蓋をしていました。そして私は原体験としてすぐには思いつかなかった。見てみないふり。20年以上感じているのに、ですよ。

そして、辰巳さんは言葉を続けます。
「この原体験に向き合って、お兄さんに想いを伝えたほうがいい。お兄さんと気持ちよく話せる状況にならないと、近藤さんは前に進めない」と。

ここで私はカンリーに入社すると決め、辰巳さんと握手をしました。

私はどうしたら前に進めるか全くわからなかった。辰巳さんはそこに道しるべを出してくださったんですよね。今度は確実に光に見えました。その気づきに対して、私は人生を共にする決断をしました。


この時の辰巳さんは、さすがに物理的に光ってたと思います。

ライティングの関係で。



さぁ。あとはやるだけ。

さすがに、あとは自分でできます。ひとりでできるもん。(ジェネギャ)

帰り道に、母親にLINEをしました。

母親に送った理由は、長男からLINEがブロックされている可能性があるからです笑
自分でやってなくてワロタ。

辰巳さんとお会いしてから、その週末の日曜日に家族含めて会話ができました。

さぁ迎える当日。ドキドキが止まりません。ランドセルを背負った小学1年生と同じドキドキです。そんな昔のこと覚えてないけど。

兄との対話は、クソほど怖かったです。そりゃー20年近くまともに話してないですから。当日、家族で集まっても5分間くらいしゃべり出せなかった気がします。

でも全員、私がしゃべり出すのを待ってくれました。

長い沈黙の末、口を開きます。

「あのさ、、、ちょっと俺が昔から思ってたことを、ただ聞いてほしくてさ・・・」

そして、私の想いを聞いてもらいました。


20年分見て見ぬふりをして、複雑に絡まっていた糸が徐々にほどけていく。

そんな感覚を覚えました。


この日から、私は、前に歩き出しています。


業界への私の想い

カンリーのMVVとそのシステムが良いというのはお伝えした通りです。
ですが、私は店舗業界というものが初めて。
カンリーの、辰巳さんや石井さん、秋山さんにお会いする前に
「私は店舗業界に特別な思い入れはないなぁ」と思ったのは事実です。

「だれを選ぶか」をまず決めて、その後に「何をなすべきか」を決める。

ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則


私の考えは徹底的にこれです。
意識してなかったのですが、思い返すと新卒の時から選択の決め手は常に人でした。

では、私の想いを店舗に乗せてみます。
真面目に考えてみます。
シャワーを浴びながら考えます。
(思いにふけりたいとき、私はシャワーに浴びていることが多いです)


ミッション:店舗経営を支える世界的なインフラを創る

根幹となる、”店舗” を起点に考えてみる。

自分にとっての店舗とは…

・ 友達と会い、語る場所。
・ 同僚に謝ったところ、ポジティブに罵りあった場所。
・ 未熟な愚痴をこぼしてしまった場所。
・ 誰かへの幸せを想像して、プレゼントを選ぶ場所。
・ 父、母、兄と家族で過ごした場所。
・ 夢を追っている人を傷つけてしまった場所。
・ 友人、仲間と夢を語った場所。
・ 明日から行動を変えるための転機になった場所

良い思い出、辛い思い出。
人生の思い出の中に、ひっとりとある、文字通り「背景」こそが店舗かもしれない。

つまり、店舗は、私の人生の一部。
思い出のフォーカスは人に当たっているが、店舗も一緒に思い出を形作っている背景。舞台のようなもの。

店舗に経営をプラスすると、その舞台を一緒に作ってくれる人たちまでに及ぶ。
舞台の裏方さん、そして舞台演出。

思い出が私の脳に刻まれる瞬間に、お店の接客が悪かったらどうなるだろうか。
その瞬間に友人と心から話をしようと思うだろうか、楽しい家族団らんになるだろうか。

いま、楽しい思い出と私が記憶している思い出には、舞台裏には良い接客、良い体験があるはずだ。
だから店舗というものが、ぼんやりと背景として記憶している気がする。
悪い体験ならばそれが思い出になるはずだから。

良い接客は気分が幸せになる。悪い接客は気分を害す。

マイナスな接客や体験は、良い思い出をも悪く上書く力がある。
もしかしたら、その人の人生の歴史を変えるかもしれない。

店舗でのマイナスな要素は極力ない世界であるべきだ。
そして良い接客、良い体験、良い環境で溢れさせるべきだ。

良い経営が良い人を育て、心の余裕を作り、良い体験が良い接客を生み、売上を作り新たに良い雇用を生んでいく。そこで新たな思い出が積み重なっていく。

店舗経営は、人の良い思い出を作る舞台演出だ。
主役じゃないかもしれない。
だが、知らず知らずのうちに一緒に人生という物語を作っている。

ならば、店舗が良くなれば “店舗を起点に” 働く人やお客様、そして近隣の施設や、町に幸せが溢れるはず。

店舗から、人々と良い世界に変えていく。
だから、「店舗経営を支える世界的なインフラを創る」

これが、カンリーで働くと考えたときの私の原動力。



私の気持ちは乗った。


あとは、やるだけだ。



何をカンリーでやるのか

カンリーは新しい領域で事業をどんどん立ち上げています。
私が関わるセグメントでは、この領域をさらに成長させるために体制を強化しています。

この1つのセグメントで長期的に成功を収めるため、すべてのことをすることが私の仕事です。

もともとあった事業をさらに成長させます。

私自身いろんな経験の結果、キャリアとしてこれをやりたいという目先のモノはありません。

でも、夢ならあります。それは、
「自分たちで考えたアイデアを実装することで、社会課題を解決し人類を前進させる」こと。

平易に言うと、人の役に立ちたい。

学生時代にITで感じたワクワクのまま、今を突っ走っています。

であれば、途中で何をやるかなんてコトはどうでも良いのです。どうでもいいと言うと語弊があるのですが、やらないといけないのだから、やるだけなんです。

だから、この夢を追っているのが、今の仕事です。今も昔も仕事が同じです。

とはいえ数字目標があり、これを達成するためにヒリヒリしながら日々生きていく。そういったものにワクワクしています。

組織で言えばマーケ、営業、CSを基点に事業を大きくしていく。

まずはこの出会いに感謝し、お客様を幸せにし、仲間を幸せにして結果を出す。

〝経営(する)〟とはなにかをなし遂げること、マネジャーである個人なりマネジャーのチームなりが、努力するに値することとしてやり始めたことをやり遂げることだ。

プロフェッショナルマネジャー / ハロルド・ジェニーン


ハロルドおじさんよぉ!おれはぁいま、胸を張って言えるぜ!
経営しているとなぁ!!

これが経営。いま一緒に働けている環境はめちゃめちゃ最高です。
絶対にやり遂げる未来が、楽しみでしかたがないです。



私は皆さんと青春がしたい

まず、この選択を応援してくださる皆様に心より感謝しています。そして、これからもお客様に真摯に向き合い、少しでも幸せを多く作れるように私自身、努力し続けます。どこまでいっても人の為に働きます。

そのために、私は一緒に働いていく仲間を幸せにします。自分たちが幸せじゃなければ、相手を幸せにできるはずがない。

店舗の方々に、幸せの薪をくべるのが私たちの仕事。
そのための私たち自身の幸せは、カンリーという環境が作りその総量を最大化します。

店舗業界が初めてで不安な方もいらっしゃるでしょう。
結論から言いましょう。大丈夫です。

店舗への想いは乗ります。
あなたが乗せたいと思うならば。
そう思える人に出会えるならば。
そんな人がカンリーに居ますし、私もそうでありたい。

私自身、チームの方々を必ず幸せにします。もしも、今のカンリーに出来てないところがあっても、私は一緒にカンリーを変えていけるように全力を注ぎます。
そしてカンリーには、その土壌があります。

これを読んでいただけている皆さんを含めても、人生の中でカンリーと過ごす時間を、過去最大に成長できる瞬間にし続けます。

このnoteを読んで、なにか少しでも感じるものがあれば、どんな手段でもいいです。リアクションをください。

私たちはやりたいことに対して、仲間が足りていません。


皆さんと、働きたい。


何でも良いのでご連絡ください。カジュアル面談の依頼でも何でも。


私は、あなたのために、
店舗の方々のために時間を使えることが、最大の幸せなのです。


Invitation from 株式会社カンリー
If this story triggered your interest, have a chat with the team?
株式会社カンリー's job postings

Weekly ranking

Show other rankings
Like カンリー 採用広報担当's Story
Let カンリー 採用広報担当's company know you're interested in their content