1
/
5

就活負け組から這い上がって内定勝ち取った話

はじめまして!

ITプロパートナーズ新卒1期目として入社させて頂く秋本祥吾と申します。
通称しょごたんです。

趣味はYoutubeを見ながら寝落ちする事とドライブです。
得意分野は親子丼とルービックキューブです。

現在は晴れて内定者インターンとして働かせて頂いております。

毎回順番に書いていたブログの担当は私に回り、私の入社理由を書く番がやってまいりました。

なので新卒としてこの会社にジョインする一連の流れをつらつら書いていきます。

一通りの経緯をお話するに当たり、少しこれまでの過去にも触れて書いていきます。
タイトルは釣りっぽい感じになっちゃいましたが、一応実話のつもりです。

拙い文章ではございますが、どうかお付き合いくださいませ!


【大企業で働く父の元に生まれ、安定した生活が一生続くと思っていたこれまでの人生】

・生い立ち

1995年1月、某自動車メーカーで働く父の下に生まれ、3人兄妹の末っ子として育ちました。

兄妹間の年は離れており、出来の良い兄妹と比較されて、自己顕示欲と承認欲求が強くなりました。


少年期〜思春期の人間関係がゴタゴタしたのもあって、権威には逆らわず事無きを得るのが良しと思っていた節がありました。

今でも自分より権威の強い人から威圧感出されると結構な勢いで萎縮してしまいます。

上からの教えは絶対だとなんとなく思っていて、上の兄妹が歩んだ道をなぞって歩いていけばいいんだ、と考えていました。逆らったり、波風を立てることは絶対にしてはならないと感じたのを覚えています。


学校も上の兄妹とほぼ一緒の進路を進んでいました。

なんとなく上の兄妹が成績が良かったのを見て育ったのも助けてか、それなりに自分も成績は良く、高校の時は学内では上から数えて1ケタくらいの順位でした。ひとまず優等生としての地位を得ていたので満足していました。

「あとはとりあえず有名な企業で働いてなんとなく社会的な地位が約束されている会社行けばいいかな」

なんて思ってました。それが一番周りから認めてもらえる道だと思っていたからです。


もっと正確に言えば、

「自分にはそれしか道はないんだ。」

という固定観念を持っていました。


そんな狭い世界しか見えていなかった少年しょごたんは次第に海外に興味を持ち、

大学3年の時に1年休学してカナダのバンクーバーに留学しました。




【留学でぶっ壊れたこれまでの価値観】


結論から言うと、人生が変わりました。
後にも先にもあれ程の経験は出来ないんじゃないかなと思っています。


多国籍の人と交流をし、様々な文化に触れいろんな人たちと価値観を共有したあの当時は何もかもが新鮮で、今まで凝り固まっていた幼少期からの考えは全て打ち砕けました。

これまでこの世の真実だと思っていた自分の世界の常識がことごとく通じない世界。


少年しょごたんは、衝撃を受けました。


毎日家族とハグして愛を伝えるギリシア人。

日本人の麺のすする音がたまらなく不快だと言うトルコ人。

バンクーバーの人たちはすごく親切だと言う日本人。

バンクーバーの人たちはみんな冷たいと言うメキシコ人。

自分の主張を喧嘩してでも押し通そうとするロシア人。


見るもの聞くこと全てが新鮮で、人生で一番楽しい1年でした。

それと同時に、今まで持っていた日本のイメージが崩れ去っていったのもあり、

日本に依存せずに海外でも生きていけるようになりたいと思いました。

自分にとっては価値観が180度変わった瞬間です。


ただし、最後は日本で死にたい。

そんな思いを持っていたので、まずファーストキャリアは日本で経験を積み、この国で生きていける地盤を固めてから海外に挑戦したいと考え、帰国後は人材系のベンチャー企業でインターンを始めました。

そこの会社では大変お世話になり、営業と新規事業の立ち上げなど、幅広く経験させていただきました。


そしてまたも人生の転機が訪れます。


【父の他界】


あまりおおっぴらに言うことじゃないかもしれませんが、僕の今の力の源泉の一つになっているのでしっかり書きます。


父は若い頃バリバリ働いていて、土日は余すことなく家族サービスをしていたため、正直休む暇なんてなかったのではないかなと今では思います。父は途中から体を壊しました。

会社をよく休むようになり、晩年はほとんど家で寝ていました。

そして昨年の大晦日、突然心筋梗塞で亡くなりました。

父は、よく口癖のように僕に聞かせてくれました。


「どんなに会社のために頑張って体を壊しても、会社はお前を守ってくれない」と。


会社に身を捧げるんじゃダメなんだと知りました。

自分の中で、確固たる力が欲しいと思いました。しがみつくべきは、過去の栄光ではなく自分の能力。


だから今はめちゃめちゃ成長したい。まだまだだけど、親父みたいになりたい。

親父みたいに、いい奥さん見つけて、しっかり家庭を支えるだけのお金を稼いで、家族サービスして、子供がやりたいと言ったことに何も口出しをせず、快く応援できるような、そんな父親になりたい。

と思うようになりました。





【人生をかけた挑戦】

(後述しますが、ただの怖い人じゃないです。僕を拾ってくださった恩人の怖い人です。)

・就職活動

そんな流れもあり、就活はベンチャー企業、とりわけ、これからの成長フェーズを実感でき、なおかつ自分で成長フェーズを作れちゃうような、そんな会社を探していました。

そんな時に出会ったのがこの会社でした。

メンバーが一人一人優秀で、会社としての将来性も明るいと素人ながらに思いました。

「この船に乗ったらどこまで冒険できるんだろう」と思いここに入社することを決めました。

(まだこの時点で内定とか出ていない)


そして選考に進むわけですが、

ここで落ちますwww(最終1歩手前)


弊社事業部長の冨士本と面接をしたのですが、手も足も出ませんでした。

なんというロジカルお化けでしょう。全く太刀打ちできませんでしたw

「君普通の大学生だね」なんて言われ、当時はこれまでインターンや留学もしていて、自分の経歴に少し自惚れていたので、凹みました。思い返すと本当にありがたいFBでした。


そして不合格の連絡のため、上の画像の採用責任者である本田から電話がかかってきました。


電話の内容をまとめるとこんな感じです。

・君不合格です

・ただし、秋本君と働くイメージは湧いていて、今回の決定に納得がいってない

・社長と事業部長に話を掛け合って、君にインターンをさせたらどうかということになりました。

・全然内定直結じゃないです、働いてもらった後に不合格になることもあります

・どうしますか???????


という内容でした。

回答は即座に出ました。「やりたいです」と伝えました。

次の日には進んでいた選考を全て辞退し、人生をかけたインターンが始まりました。

詳しくは割愛しますが、苦しくも楽しく、自分の無力さと成長を味わえた2ヶ月でした。


そして2ヶ月後に最終面談を組んでいただき、最後の最後までギリギリだったそうですが、

幸いにも内定をいただくことができました。

おかげさまで今は内定者インターンとして、ガリガリ働かせていただいております。現在は新規事業の方にアサインされ、「日本一の就活イベント」を目指して日々奮闘中です。


【これからの人生を豊かに送るために】



今は自分の描いている理想の未来に向かって、日々精進しております。

自分に能力をつけ、会社にしがみつかず、自分の足で立って歩ける人間になるために、

「自立」のため、今は全力で働いております。


そしてITプロパートナーズは、「自立した人材を増やし、新しい仕事文化をつくる」

というビジョンに、愚直なまでに正直です。理念がなければ崩壊するビジネスモデルだと代表の木村は言っていましたが、その通りだと思います。今ではそのビジョンは自分の言葉の一部となり、このビジョンの元、日々サービスと向き合っています。


この会社は、何のスキルもない僕を拾っていただきました。

厳しいながらも優しさや温かみがあって、この会社が大好きです。

代表の木村始め、この会社に関わる全ての人を勝たせたいですし、幸せにしたいと思っています。

良い会社です。良いサービスが生まれるのは、そういう会社からだと思っています。


そんなことを考えています。

これからよろしくです。

株式会社Hajimari(旧:株式会社ITプロパートナーズ)'s job postings
22 Likes
22 Likes

Weekly ranking

Show other rankings
Like Shogo Akimoto's Story
Let Shogo Akimoto's company know you're interested in their content