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PEファンドのvalue upアプローチをNPO、社会的企業に対して行っています
●PEファンド向けのビジネスデューデリジェンス ●民間企業向けの経営戦略、マーケティング戦略、営業戦略等策定 ●ソーシャル企業・NPOへのコンサルティング(プロボノ)
●2年:本邦中小企業の海外展開支援(審査、企業支援) ●3.5年:ニカラグア事務所での現地拠点管理(人事、経理、広報等)、教育プロジェクト営業・管理 ●2.5年:中南米向けの円借款プロジェクト営業・管理
年間を通じて最高気温が30度を下回ることのない熱帯ニカラグアの首都マナグアで、ラグビーに励む一団がいます。芝生がはげたグラウンドで、雨期にはとどろく雷鳴と豪雨の中泥だらけになりながら、乾期には土ぼこりで耳の穴の中まで真っ黒になりながら楕円(だえん)球を追いかけます。 ニカラグアは中米に位置する人口600万人程の国で、20世紀には独裁、革命、内戦と苦難の歴史を歩み、今でも中南米で一、二を争う貧困国となっています。ここ数年は堅実な成長を記録しているものの、首都の路上では馬車が走り、物乞いが車の窓を叩いています。そこから視線を上に向けると、ショッキングピンクの看板に描かれたダニエル・オルテガ大統領の肖像画が微笑みかけます。 2012年9月にニカラグアに着任し、JICA事務所で現地職員の労務管理、経理、調達、広報などを担当しています。残念なのは、仕事ではなかなか腹を割ってニカラグア人と話す機会がないことです。そこで文字通り体当りの国際協力・交流のため、ラグビーを再び始めました。主将を務め、ラグビー一色だった高校以来です。ラグビーは国籍に関係なく国の代表になれるので、ニカラグア代表になれるかもしれないというよこしまな思いもありました。 ニカラグアではラグビーは有名ではなく、チームもマナグア・ラグビークラブ一つだけです。しかし意外にも所属メンバーは多く、練習には毎回30人前後が集まります。クラブのフェイスブックのページには、幽霊部員も含め500名以上が登録されています。コーチは国連機関に勤務するイタリア人が務めています。選手は学生風ぽっちゃり系から、線の細い中学生、ラグビー経験のないビール腹のナイスミドルや、自称左翼グループのメンバー、観光でニカラグアに来ているヒッピー風アメリカ人など、さまざまなメンバーが入れ替わり立ち代わり練習に参加しています。 練習は週一回、土曜の午後2時~5時までの約3時間、マナグア市内のサッカー場で行われます。ボールは複数確保できていますが、ラグビーの練習で通常使われるタックルバックなどの道具類は一切ありません。マーカーコーンがないときはメンバーのリュックなどを並べ、グラウンドを区切り練習します。ラグビー支度を整えている者は数人、運動着を着ていればまだ良いほうで、ジーンズにテニスシューズで参加しているつわものもいます。 そんなニカラグアで、7人制ラグビーの中米大会が2013年3月に開催されました。大方の予想を覆し、ホームアドバンテージを味方にしたマナグア・ラグビークラブはトーナメントを勝ちあがり、優勝――。その瞬間、サポーターがグラウンドになだれ込み、ニカラグア国旗がグラウンド上で翻りました。泣き崩れるメンバーに、一目散にビールを買いに走るメンバーもいて、大盛り上がりでした。 これからも一緒に汗を流しながら、ニカラグアのラグビーを応援していきたい。そして仕事のみならず、オフの面でもニカラグアのために自分ができることをしていきたいと思います。
ニカラグアの学校でメキシコ人の先生(メキシコモンテレイ工科大学の先生)からアメリカ流の経営学について学ぶ
スペイン語の勉強をしつつ、ラテンアメリカ経済史を学び、なぜラテンアメリカ諸国は経済的に貧しいのかについて学ぶ メキシコの外務省でインターンをし、メキシコ時間について理解を深める
2012年7月30日から8月9日までの11日間、福島県相馬市の小学生から高校生までの22人がメキシコ政府の招へいによりメキシコを訪れました。 メキシコも日本と同様、地震の頻発国で、1985年にメキシコの太平洋岸で地震が起きた際は、約1万人の死者を出すこととなりました。この震災後、JICAは国立防災センター(CENAPRED)の創設支援など、復興に関する複数の協力を実施してきました。2011年3月に東日本大震災が起きた際には、メキシコが迅速にレスキュー隊を福島に派遣し、日本に協力の手を差し伸べました。 このように、日本とメキシコは震災時に手を取り合って協力してきた長い歴史があり、今回の相馬市の児童・生徒によるメキシコ訪問も、連綿とつながる両国の震災に関する協力の一環をなすこととなりました。今回の訪問は、マルガリータ・サバーラ大統領夫人の発案により実現したものですが、被災した地域の児童をメキシコに招へいすることにより、メキシコ国民と政府の日本に対する連帯の念を表明することを目的に企画され、メキシコ外務省とメキシコ国際協力開発庁(AMEXCID)(注1)がコーディネートを行うこととなりました。 私は2011年8月より1年間、JICAから「日墨戦略的グローバル・パートナーシップ研修計画」(注2)の枠組みでメキシコへ派遣され、スペイン語学校やメキシコ国立自治大学経済学部などで研修を受けました。さらに、最後の2ヵ月間は、AMEXCIDでインターンとして勤務しました。その期間中に、相馬市の児童・生徒がメキシコを訪れることとなり、私も簡単な通訳やアテンドなどのお手伝いをするべく、全日程にメキシコ外務省スタッフとして同行する機会を得ました。 子どもたちは、国立人類学博物館やアステカ文明の遺跡、その近隣州の観光地などを訪れ、訪問した先々で、温かい歓迎を受けました。子どもたちにインタビューをすると、必ずメキシコ人の温かさやホスピタリティーが最も印象に残った点として挙がりました。日本とメキシコの新たな友好関係の1ページがつづられ、将来、両国の架け橋となる人材がここから輩出されると確信しています。 今回の児童・生徒の受け入れに当たりお手伝いをさせていただいたことは、私にとって、とても貴重な機会となりました。この紙面を借りて、相馬市の児童・生徒の皆さん、引率の先生方、ドクター、メキシコの関係機関の皆さん、そして、11日間行動を共にしたメキシコ外務省のスタッフに深く感謝申し上げます。これからも、日本、メキシコの両国が友好な協力関係を育んでいくことを願ってやみません。 (注1)メキシコ外務省の五つの部局を統合して2011年に設立。外務省から分権化された組織で、国際協力に関する取り決め、調整、促進などを行う。 (注2)1971年に発足した日本、メキシコの両国政府による研修生の交流プログラムで、毎年、留学生がそれぞれの国で研修を受けている。
バックパッカーを通じてリアルな、映画を通じて画面越しでの旅行にどっぷり浸かり、人間としての幅を広げる
精神的タフネスを鍛える
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