株式会社本田事務所 / 代表取締役/PRストラテジスト
株式会社本田事務所 / 代表取締役/PRストラテジスト
東京都港区
株式会社本田事務所 / 代表取締役/PRストラテジスト
PR専門家。本田事務所代表。カンヌライオンズ公式スピーカー/審査員。ブルーカレント・ジャパン創業者。得意領域は戦略PR/広報、ブランドマーケティング、ナラティブ戦略。『戦略PR』『ナラティブカンパニー』など著作10冊以上。80年代洋楽と乱読とウイスキーとキャンプが好き。http://hondaoffice.co.jp
未来
未来
「大きな会社」という存在になるよりも、「質が良くて影響力のある存在」を目指しながら、日本のPRを前に向かって引っ張っていく存在になりたいと考えています。これからの時代は効率よく少ない人数で大きなことを成し遂げるかが重要です。時代に合う形で価値を提供していきたいと思います。
2019年4月 -
あらゆるPRのジレンマを解消し、PRの力でビジネスや日本を底上げする
WEBメディア「Narrative GENEs ~ナラティブの遺伝子たち~」を運営
2021年6月
「SCALE Powered by PR」登録者数
2020年12月
「SCALE PR ACADEMY」を開講
2020年6月
成長型PR人材データベース「SCALE Powered by PR」を提供
2020年3月
株式会社本田事務所を始動
2019年4月
PR Professional of the Year 2015
2015年10月
2013年
アドテック東京2021 登壇
2021年11月
FUZE2021 登壇
2021年11月
東洋経済オンライン オンラインイベントに登壇
2021年11月
Let’s talk! in TOKYO 登壇
2021年7月
Forbes Japanにインタビュー出演
2021年7月
ferretにインタビュー出演
2019年6月
CNET Japanにインタビュー出演
2019年5月
しみこむPR vol.2 登壇
2019年4月
2004年 -
広報会議「本田哲也のGlobal Topics」を連載
2013年12月 - 2019年10月
2006年9月 - 2019年3月
戦略PRのノウハウを日本企業に提供し、PRの遅れを取り戻す
2006年9月
2006年9月
PR 3.0 Conference 登壇
2018年11月
TECH+にインタビュー出演
2016年7月
GQ JAPANにインタビュー出演
2015年4月
the Entrepreneurにインタビュー出演
2015年4月
1999年9月 - 2019年3月
世論をつくり、商品へ結びつける欧米風のダイナミックなPRを実現する
P&Gを担当する
世界最大の消費財メーカーであり、世界最大の広告主であるP&Gと出会えたことは、私のPR人生においても大きな出来事でした。 最も刺激を受けた起業であり、その後ブルーカレントを立ち上げた際にも最初のクライアントになっていただきました。
1999年 - 2006年
フライシュマン・ヒラード・ジャパンに入社
フライシュマン・ヒラードが日本法人を立ち上げたばかりの頃に、セガ時代の上司であった日本法人の代表取締役社長・田中愼一さんに誘われました。 もともとストーリーテリングが重要だという思いを持っていたことや、欧米におけるPRの重要性を知ったことで、自分のやりたいことはこれなのかもしれない、と思い入社。 しかし、セガの頃はPRとは関係のない仕事をしていたので、最初の頃はPRが何かもわからず、日本企業と外資系企業とのギャップも感じていました。
1999年9月
1995年4月 - 1999年8月
時代の最先端の企業に入り、ゲーム業界に貢献する
海外事業部に異動する
入社から2年経ち、ようやくもともと志望していた海外事業部に転属することに。 そこでは当時大流行していたプリント倶楽部を中近東に広めるミッションを担当し、イスラム教の聖地メッカに売り込んだりしていました。 しかし、誰か別の人がつくったものを売り歩くことに疑問を感じながら働いていました。
1997年
ゲームセンターでスタッフとして働く
当時のゲーム業界はとても盛り上がっていて、入社するときはそんな最先端の企業で働けるのだと誇りでいっぱいでした。 しかし、配属されたのはゲームセンター。そこでスタッフとして働くことになりましたが、「一生このまま店員なのかな」という不安と葛藤を抱えていました。本社に戻ることを目標にして、がむしゃらに働いていた時期です。
1995年4月 - 1997年
1991年4月 - 1995年3月
エンターテイメントの仕事を志す
アメリカやイギリスの映画や音楽にどっぷり浸かっていたので、日本に戻ってからもエンターテイメントの道に進みたいと思っていました。 しかし、映画の道はなかなか厳しいもの。日本でグローバルな環境でエンターテイメントに関わる企業を探していたときにゲーム業界がいいのではないかと思い、就活はゲーム業界に絞って活動していました。
1994年 - 1995年
アメリカに留学する
大学時代はアメリカに1年間留学していました。 はじめはまったく英語を話せなかったので、現地の大学ではESSに入り、英語の勉強をかなりしました。ある程度慣れてきてカレッジに編入してからは、コミュニケーションやエンターテイメントの勉強を始めました。
1992年 - 1993年
2021年5月
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2015年10月
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