同志社大学 / 社会学部教育文化学科
「壁」を次々と超えてきた
日本で生まれた自分は、七歳のときに家族の仕事の原因で「母国」である中国の上海に移住した。これまで「日本の子ども」だと思っていた自分は、「自分は中国人だ」という事実を受け入れることを強いられた。インターナショナル・スクールに通ったことはなく、普通の学校を通ってた自分は、ちょっと日本語が話せる以外ごく普通の中国人の子どもとは変わらなかった。 中国では情報統制があり、人々はその目に見えない統制のことを「墙(チャン)=かべ」と呼ぶ。中国人のなかには、「壁の外の情報は危険なものばかりだから、国が国民を守るために規制してくれたんだ」と思う人もいる。まるで「進撃の巨人」の世界観だった。ただ自分は、どうしても「壁」の外の世界が見たかった。壁のない世界で生きる人は、きっと自由を謳歌しているだろうと思った。 そして、日本語がちょっとできた自分は、日本の同志社大学に通うことを決めた。「教育文化学科」という学科を選んだ理由は、シンプルに先生になろうと思ったためだが、後にそこは教員養成のための学科ではないことがわかった。でもそれはそれで良かった。ここは、「教育と文化はどのように人の人間形成に影響を及ぼすのか」を探究する学科だった。オーソドックスな教育学や社会学と違って、比較的に新しい学科なので、様々な体験実習をカリキュラムを含んだりして、ちょっとベンチャー気質があった。自分のこれまでの国際移動は、どのように自分を形成してきたんだろうと考え始め、勉強に取り組んだ。 久しぶり日本に帰ってきた自分は、新たな「壁」に直面した。自分の日本語はほぼ母国語レベルだったから、言語には問題はなかったが、十年間日本にいなかった分、「日本で育ってきた若者」と何かが違うことがわかった。その「なにか」を自分に身につけ、もっと「日本の若者」っぽくなるため、流行りの番組や、ユーチューブをみはじめたり、大学のサークルに入ったりして、自分を磨いてきた。自分の中の「中国人性」を捨てたりもした。 ただ、「日本の若者」っぽくなった自分は今度、「日本の若者」を囲む「壁」に気づいた。島国で国内の就職率が高い日本にいる若者は、学問についての意欲や海外志向が低く、周りの若者の話は恋愛や娯楽、バイトや就活に限られていた(同大がちょっとだめだったかもしれないが)。海外で何が起きたのか、それを調べようと思えば、日本では情報統制がないからいくらでも調べられるのに、日本の若者をそれを知ろうとしなかった。国内である程度安定な生活が送られるから、日本人は海岸の向こう側に行こうとは思わなかった。まさに、見えない壁が日本を囲んでいると僕は思った。「これじゃあ中国にいるのと変わらないじゃん」と気づいた自分は今度、学内の交換留学制度を利用して、イギリスに飛び立った。 イギリスにいた一年間は自分にとってとても影響深かった。国際的大都市のロンドンは文化的多様性が富んでおり、僕の視野は広がり、自分らしく生きれるようにもなった。周りの学生は学力が高く、刺激がある毎日を送れた。自分を囲んでいた複数の「壁」を登り超えた気分だった。 今になっても、日本の大学に通わせて、さらにイギリスへの交換留学を支えてくれた親に感謝をする。