こんにちは!やる気スイッチグループの研修課にて課長をしている増田と申します。今回は、私が課長として考える仕事の役割と責任について、過去を振り返りながらお話したいと思います。
私のやる気スイッチが入った瞬間
東京湾人工島 月島二号地(現・中央区勝どき)生まれ。第二次ベビーブームど真ん中、争うことを定められた時期に生を受けました。根っからの内弁慶の為、現在も同じエリアに在住しております。
小学校3年生の春休みまでは、本3:漫画4:アニメ2:剣道1:時々ゲームの割合で、ひたすら遊び倒し、毎日を楽しく幸せに過ごしておりました。小学校4年生の1学期に、人生最初の試練が訪れます。突然連れていかれた某進学塾の入塾テストを受験させられ、うっかり合格してしまったのです。そこからは、その某進学塾に、本人の意思とは関係なく週3回のペースで通塾させられました。私の暗黒時代の始まりです。その後、両親の決めた中学校を受験し、中高大一貫の私立女子校に入学しました。「女ばかりでつまらん…」と思いつつも、コミュニケーション力はそれなりにあったため、学校生活は楽しんでいたと思いますが、一度も『やる気スイッチ』は入らないまま、成人を迎えました。
初めての転機は、アルバイトをしていた“もんじゃ屋”で、経営の一部を任せてもらった時です。その際にノウハウを学び、経営の面白さを知り、「日銭を稼げれば…」という不純な目的で『やる気スイッチ』が入り、両親の協力を得て“もんじゃ屋”を開店しました。
お店はそれなりに繁盛し、常連客も付きました。そんな中、2回目の転機は訪れました。常連客であったリクルート社員の方に依頼されて、FAX一斉送信サービスを展開している部署で営業事務のアルバイトを始めたのです。バブル経済が終焉を迎え、不安定な世の中、あまり明るいニュースも聞かないような時期でしたが、そんな中でも世の景気に左右されないサービスを生み出しながら、自発的に行動し、仕事をやりきる力を体現し、圧倒的な当事者意識をもって行動している…そんな方が多数在籍されていたリクルートという会社に大変興味を持ち「私もこの会社で働きたい!」と、真剣に目的と目標を定めることで、人生2度目の『やる気スイッチ』が入りました。入社後は、約20年の間、複数の部署・関連会社で様々な経験をし、その際に身につけられた知識知見と人脈は、人生の宝となっています。
子ども時代を思い出し、やる気スイッチに感じたご縁
やる気スイッチグループへの入社のきっかけは、リクルート時代に一緒に働いていた方にお声がけいただいたことです。「これこそまさしく『ご縁』である!!」と心が打たれ、即答でチャレンジを決めました。突然降って降りてきた、人生3回目の『やる気スイッチ』ONです。
なぜそう思ったか…、少しだけお話しさせてください。
かなり昔になりますが、TVCMで、「やる気スイッチ 君のはどこにあるのだろう 見つけてあげるよ 君だけのやる気スイッチ」の歌詞を拝聴した際、一瞬で頭からこのフレーズが離れなくなりました。
「やる気スイッチ…ですと?」
納得できたこと、興味のあること、に対しては時間を惜しまず集中できますが、それ以外の事には、なかなか集中して取り組めない、やる気が出ない。そのような自身の性格を理解はしておりましたが、だからと言って改善できるわけでもなく「どうしてこうなった(他責との自負はあり)」と、常々考えていました。そんな悩めるときに、あの歌詞はとても衝撃でした。
「なるほど。『やる気スイッチ』が見つからないまま通塾させられ、受験勉強していたから、勉強が辛かったのだ。私の時代にもこんな塾があれば、あんなに辛くなかったはずだ!」と思う反面、「何をすれば、やる気のない子どもに対して、やる気スイッチをONにできるの?だって相手は子どもだよ。」などと思考していたのを今でも覚えています。
残念ながら自宅の近隣には、やる気ブランドのスクールは存在しなかったため、娘を通わせることも叶いませんでした。ましてや、教育業界に自身が転職するなど予想しておりませんでした。ところがこの度、ずっと興味を抱いていた『やる気スイッチ』とご縁を結べる可能性を頂けたため、思い切ってチャレンジさせていただき、飛び込んでみました。
課長の役割=正しいコミュニケーションをとること
学ぶこと、考えること、伝えていきたいこと、成長実感すること等、頑張っていることは(これから頑張ろうとしていることも含む)沢山ありますが、今回は課員のみなさんとのコミュニケーションについてお話しさせていただきます。
私は英語に対して『やる気スイッチ』が入らないまま約半世紀過ごしており、今後の人生でも英語に関わることなど無いと考えていました。そのような私が、英語ブランドを扱う研修課課長(課員の半数がネイティブ)に任用していただくことになりました。最初に内示を頂いた際のサプライズ感たるや、人生でも3本の指に入るぐらいの衝撃でした。繰り返しになりますが、私は英語をほぼ理解できず、それは上席の皆さんにもしっかりとお伝えしておりました。更には、BtoCも、教育業界も初めてで、学ばなくてはならないことも沢山あり、正直どうしていいかわからない。軽いパニックです。
しかし、任用いただいたからには役割と責任にきちんと向き合い、全うしなくてはなりません。エレベーター内でいただく社長のアドバイス、役員から日々のご指導のおかげで少し平常心を取り戻した私は、【英語が話せない】と【英語ブランド研修課課長の役割と責任】を分解して、シンプルに考えてみました。
「英語が理解できないと、何ができないのか。」→会話やメッセージ→意思の疎通…!
前職でも様々な職種を経験してきましたが、何を為すにおいても、正しいコミュニケーションは必須、ということは理解しておりました。コミュニケーションが上手くいかないと、自身はともかく、課員の皆さんに想像を絶するストレスをかけてしまうことになります。したがって、【英語ブランド研修課課長の役割と責任】を果たすべく私が成すべきことはコミュニケーション。「英語が話せないから、どうすればいいかわからない」はトラップでした。英語日本語ではなく、「正しくコミュニケーションをとる」が私にとっての最重要課題だったのです。研修課課長としての『やる気スイッチ』がONになった瞬間です。
メンバー全員で、見えない階段を上っていきたい
課長としてまず取り組んだのは、業務と役割に対しての目線合わせです。
ネイティブスタッフに限らずではありますが、課員のみなさんと、意識して[研修課としての目的と役割 ありたい姿]について話し合い、目線を揃えて各々の役割を正しく理解していくことに努めています。正しく理解されているかを確認しながら進めるため、常に言語の壁対策として、いくつかのアプローチを準備し、コミュニケーションの最中にも細かく質問を投げかけております。また、相手からのフィードバックもいくつかのアプローチを駆使して聞き取りつつ、ニュアンス違いなどを防ぐため、自身の理解が怪しいと思った際には、様々な手を用いて確認し、誤解を避けるためのコミュニケーションをとり、お互いの認識がブレないよう心がけています。
併せて、目標をクリアするためのプロセスや手順をできる限り具体的に説明し、ステップバイステップで進めることで、信頼関係を醸成し、お互い理解が得られる状況を作ります。
また、業務に直接関係ないですが、ネイティブの出身国の文化的背景、異なる文化には異なる考え方やコミュニケーションがあることを、できる限り理解するよう努めております。特に重要なのは、個々の考える適切なワーク・ライフ・バランスを理解し、保てるよう協力し合うことです。
一見無駄に見える工数もあるかもしれませんが、細かい調整を行うことで、目指している方向が一致、信頼関係の構築ができるため、言語の違いがあっても劇的に意思の疎通が取れるようになりました。この作業を繰り返すことで、課員のみなさんの『やる気スイッチ』をONにできると信じております。まだまだ足りないことも多いですが、成長し続けるために考えることを止めず、私のやる気スイッチ、課員みなさんのやる気スイッチをONにして、見えない階段を上り続けていきたいと思います!