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ビジネスも旅も、世界とナチュラルにハグできる「生粋トラベラー」weroll取締役CMO 恒松毅宥

werollってどんなところ? マーケティングエージェンシーと名乗りながら、その範囲は時にコンサル、時にその戦略の実装部隊、映画関係でのディープな動き、出版、グッズの展開…色々のそれぞれ、なぜそんなに”色々”やるのか。この不思議な会社を1人ずつの言葉と彼らの周囲の人からの言葉で紹介していく連載。
第3回はCMOの恒松毅宥(つねまつ・たかひろ)、CxOという肩書きの中で異色、会社紹介にある「焼肉屋でのバイト」で人生を学び世界中をバックパッカーしていたという人物。いわゆる個性的な意味でヴィヴィッドな人物か? と思いきや、当人は朴訥とまた飄々した風情。しかしその振る舞いや言葉には関わる人への気遣い、仲間への愛、そして揺るぎない自信が詰まっている。CEOの浅野が出会ってすぐ巨大プロジェクトへ投入した、信頼に足る力強さの源へ迫る。



自分が働いてるっていうことにすら、びっくりされる。僕もびっくりする、たまに。

恒松はオーラを纏わない。オフィスでも、いつの間にか他のスタッフと共にやってきて淡々とMacBookを開き作業を始めている。役職者が周囲にもたらす緊張感を起こさない、敢えて言うならインターンの若者のような風情、の取締役CMO。
「実際、学生の頃からの友達とかびっくりしますしね。僕が会社やってるの聞いたら。寝て起きてバイトして、引きこもったりバックパックに出て、好きに生きてる、そんな印象。その頃と見た目も喋り方も変わってないし」実際に就職活動はしなかった。独学でデジタルマーケティングを学びながらフリーランス時代を過ごし、浅野に出会い半年後に大手通信会社でのクライアントワークで数十億の成果を出した。werollにきて最初に手がけた提案だ。

「最初は、自分がこんな大きな会社の仕事をしていいのかなと。仕事は浅野さんがメインでアシスタントの形で入りました。ビジネス用語というか、話されてる言葉もわからないことだらけで、全部メモして帰って調べて。業務委託の契約だから、できないって言えない。だから勉強してようやく半年目に出せた僕の提案がうまく行ったんです。でも最初から(代表2人には)よくしてもらってばかりだと思っています」
クライアント先にはスーツを着て、髪も染め直して黒髪でいく。正直目の前にいる恒松の風情からはその姿の想像が難しい、けれど必要と考えたことはやり抜く。だからこそ、その半年目をすぎた頃に、代表の2人からCMOの打診が来た。
「最初にお誘いいただいた時は俺でいいのかな、と。自分はそんなに働く人間だと思っていなかったし。でも自分の知らない世界、関わると思っていなかった世界を先陣切ってやっている浅野さんとご一緒していて、僕にとっては知らない世界=海外を旅するような感じでした。初めての国、初めて知る言語や文化へのワクワクする感じのような。そこに繋がった」

「ここでしか起こせない波にテイクオフして、新たな景色をみんなとみたい」旅先で感じた波を、今度は1人では成し遂げられない喜びに変えていく


キャリアの原点はバイト。繋げたのは旅への憧れと、旅先で出会った景色と人


「仕事の大きなビジョンは浅野さんが立てていて、僕が立てられないような大きな波が立って、起こしてくれているのでその波にうまく乗って、ですね」ふと、視線を上げてパッとトラベラーの顔になって話し始める。
「昔、ブラジルに行った時、リオの荒波でサーフィンしてて。初めてなのにボルトガル語で説明もよくわかんないまま、ともかく海に出て。すっげえ大変だったんだけど、一本の波に乗れた時にすっげえ気持ち良すぎて。ボードに立ち上がった時、今まで見たことなかった景色が見えて、一本の波に乗って空を飛ぶように導かれるように。ただ岸まで戻っただけなんですが、それがすごく心地よくて。ここ(weroll)でも、そういう波が立っているんで、そこに、今度は僕だけじゃなくみんなを乗せて一緒に見たことない景色を見たい、見せたい

他のインタビューにもあるが、恒松の仕事の原点は「学生時代の焼肉屋のバイト」だ。ただ、そこで得たものや語ったことは実際に今の彼にダイレクトに繋がっている。
「遅い時間に友達と、もう閉まってるのかな?って通りがかった焼肉屋に声をかけてみたら”閉まってるけどお前らにうまい肉を食わせたいな”と、変わった人(笑)が出てきて。本当、漫画みたいですけどそれが店長で。すごくおいしい肉を安い値段で食わせてもらって、”お前ら夢はあるのか?”とか聞かれて。僕も生意気な学生で、海外に行って旅とかしながら生きていきたい、とか色々言ってたら”よし、ここで働け”って(笑)」
その店長に会いにくる人がたくさんいる、トリップアドバイザーで1位になるような店で、海外からのお客も多かった。そんな店長だからこそ仕事にはとても厳しかったという。

「本当に、今の仕事の原点はそこで学びました。業務をこなすんじゃなく、今何をするべきなのか? 優先順位の付け方、タスクの洗い出しと整理、効率。満席の客席を回すのに、頭の中で先回りして逆算して、サービスを考える。見えてない席の状況を予想してできることを段取る。あと人との対し方。お客さんはもちろんで、言葉遣いだけじゃなく礼儀がなっていないとボコボコにされたんで(笑)。でも僕なりに1人で生きていきたいとか、話した夢とかあったんで”それならちゃんと学ばないといけないことがある”と言われて。ガチでそこで、生きていくために仕事の組み立て方を身に付けたんです」


フワッとした笑顔の恒松、印象と裏腹に決めたことは必ずやり抜く強靭なメンタルを持つ

仕事は自分の旅先での恩返しから始まった。デジタルとビール、喜びとともにあったそのシーンをまた分かち合えるように

そのバイト先が国際色豊かだったことが、実際に恒松の夢を助けていった。お店で仲良くなった海外のお客さんが「遊びに来いよ」と連絡先を残してくれて、実際にその国に行って再会し、自宅に泊めてもらったりしながら旅をすることになる。学生時代からの旅をした国は35ヵ国ほどにもなるという。
「自分の会社を作った時、ビールを作ろうと思ったのはその経験が大きいです。元々、その旅の中でデジタルのサービスに助けられて色々な人と繋がったり、世界を広げるための力になるっていうのを実感してデジタルを仕事にしようと作った会社でしたが。コミュニケーションツールとしてのお酒、特にビールはどこの国にもあって再会して乾杯するのはビールが多くて。味よりも、そのシーンや人を思い出すんですね。おいしいことは当然大事だけど、飲んでいる時に生まれる感情とかがお酒の楽しみの本質だなって思って。だから、ブルワリーの名前をつける時に難しいことは抜きで『YOROKOBI』。僕にとってビールは喜びの感情だったし、届けたい友だちにも伝えやすいからそんな名前になりました」

旅をした世界を繋いでくれたデジタルとビールをそのまま仕事にした。ただそれは誰にでもできるようなことではない。就職はせず、独学でここまで辿り着くのは並大抵のことじゃない。ただ恒松は昔からやると決めたことに関してはやり切る胆力があった。経験上それが自信にもなっていたところはあると言う。
「全然うまくもなかったのに、プロのサッカー選手になると思って強豪校に行ったり。成績は学年で下から10位とかなのに青学行くぞ、って半年くらい勉強して合格したりと。サッカーは、入ってみてこんなに差があるのかと打ちのめされたけど最後にはトップチームに上がるくらいにはなって。打ちのめされたり、できなくて落ち込む時は、本当に落ち込みきります(笑)。でも、いつまでも落ち込んでる限度もあるんで、そこで何するかを考えて答えを出したら、それをやり切る。そう言うところはあると思います、そこは強くある」

学生時代に淡く抱いていた、当時のパートナーとどこかでお店をやって過ごす。という未来図が、彼女に振られて消え去った時にも落ち込み切ったあと考えた。「1人だと満たされない」「幸福感を得られない」。時期的にもコロナ禍で海外にもいけず、お金だけあっても1人でやり遂げても楽しいことや満たされる欲求が自分にはないと気がついた。
そして、旅先やこれまでお世話になった、仲間や友達への恩返しがしたいと気がついた。それで自分が世界を旅する際に世話になったデジタルそして大好きな場にあったビール、届けられる母数の大きなそのふたつを軸にライフワークとしての恒松の仕事が始まった。


ここだから実現できている、やりたいことを持ち寄って実現するための仕事場

werollと言う場でしか得られないビジネスのスケール、並行してライフワークとして続ける手の中の自分のビジネス。このバランスがちょうどいい

デジタルのサービスはwerollにもあるけれど、自分の会社で別にやっているのはなぜかと問うと、先の「恩返し」や「友だち」と言うキーワードでそれは別の自分の手の中で続けるライフワークでロマンなのだという。
「浅野さん、北原さんには最初から良くしてもらって。声をかけてもらった時も会社を作ったところで、それをやりながらでいいだろうかというのも受け入れてくれて。実際、ビールもイベントの場で使ってくれたり繋げてもらって本当に感謝しています」

「(自分の会社の)RICEはロマンなので、本当小学校からの友達とか、お互いの実家に遊びに行くくらいの距離感で友だちと一緒に自分の手の中でやるというか。こっち(weroll)みたいにちゃんとしてないっていうか(笑)。とはいえ両方やるのはやっぱり大変なんですが、今はともかく助けられていることばかりなので。(大企業のクライアントワークが外国を旅するような経験と言う話から)いつかこの旅をうまく繋げたいっていうか。浅野さんや北原さんが、培ってきた信頼でとてつもなく大きな仕事を持ってくる。その荒波をパドルして乗って、その一本の波を乗り切る、やり切って喜びを分かち合う。それが今は、ここでしたいことですね」

そんな恒松を引っ張り出したCEOの浅野は、その理由に関してこう話す。
「自分の考えるビジネスパートナーの条件としては”苦労を知っている人”、”ストレッチして目標に手を伸ばす人”、そして”価値観を共有できる人”。恒松くんは、就活をしない選択をしたからフリーランスになって自分の現存価値をキャッシュに変えるしかなかった経験もあって。話をすればするほど、浅野としては仕事を一緒にできるな、というタイプで、大舞台に引き上げて、ストレッチしてもらった経緯があります」
ストレッチして目標に手を伸ばす、決めた目標には妥協なく向かう姿勢を見出して、実際に恒松自身も知らなかったビジネスマンとしての彼を生み出したのは浅野だが、それに応えてその先を目指す旅人は、いつかwerollの旅路の水先案内人になるのかもしれない。

CEO浅野雄介から見た恒松毅宥とは

出会いは、恒松がフリーランスになりたての頃、共通の知人を介して。しかし、当時持っていた大企業のプロジェクトにいきなりジョインしてもらうという荒技に出た浅野は、話していて彼の「ストレッチ」へ向かう際の強靭な心と伸び代を感じ取り、信じた。そしてそれに実際に応えた彼を評してこう紹介する。
「無計画に見えて、人一倍計画的。タスクの鬼。自分の知らない価値を求め続けて世界中を旅するトラベラー。仕事はハードワーク、でもプライベートも全力。新しい働き方を実践するパートナー」

世界中、仕事も身体も心も常に「トラベラー」である恒松毅宥、新たな景色をみるために、波を起こす浅野とwerollで共に旅する新たな仲間を待っている。




<プロフィール>

恒松毅宥 取締役CMO
https://www.wantedly.com/id/atsushi_tsunematsu

大学時代は焼肉屋のアルバイトに捧げ、卒業後は1年弱世界を放浪。帰国後は普通のニートとなったが、世界を旅をしていたときに実感した、いつでもどこでも世界を繋ぐことのできる「デジタルの世界」に惹かれ独学で勉強を始める。その後、概念や上辺を学んだ後思い切って独立。そしてフリーランスとしてデジタルマーケティング全般や、海外の企業の日本進出支援を主に行い、werollにジョイン。好きな飲物はビール。

<Photo>
Akimoto Fukuda

<関連リンク>

もう、マーケターは必要ない。必要なのはビジネスプロデューサー。werollが創造したい“これからの企業文化”の話
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