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【社員紹介】夢がないことは悲しいことではない。目の前の仕事を悔いなくやりきるだけ

こんにちは!採用広報室のねぇさんです。
今日は入社15年目のベテラン、類似(るいーじ)のインタビューです。UGで数々の役割を担ってきた類似が貫いてきた「仕事に対する姿勢」とは。ぜひご覧ください!

ずっと「夢」がなかった...「手に職つけよう」ともがいた、ふたつの仕事


ーー類似さん、本日はよろしくお願いいたします!はじめに、自己紹介をお願いします。

はい、よろしくお願いします。私は2007年4月、34歳のときに入社して現在16年目になります。最初の10年はシェアード社員としてお客様先のコーポレートITに携わり、短期、長期の案件を合わせると50社ほどご支援させていただきました。その後、2019年から総務人事部に異動して現在4年目になります。

ーーUGに入社する以前の経歴もお聞かせいただけますか。

20代はIT業界でプログラマー、30代前半は靴業界で働いていました。子どものころからあまり勉強が得意ではなくて、「手に職をつけよう」という思いから、地元の静岡で工業高校に通い、教科にプログラミングがある情報技術科を卒業しました。
私の高校時代はバブルの終わりのころで、高校の先生から「大学に通っていたら就職先がなくなるし、君の成績では地元の就職先は少ない。でも東京ならまだいくらでも仕事がある」と言われ、上京してソフトウェア開発会社に就職しました。

ーーIT業界時代はどうでしたか?

プログラマーの仕事は、お給料が良かったですしそこまで残業もなくて、恵まれていたと思います。ですが、苦労して一生懸命作ったプログラムが、バージョンアップによって何度も上書きされていってしまう・・・、やったことが何も残らない喪失感を味わいました。当時私が所属していた部門は大手ベンダー企業の下請けの立場で、サブシステムの一部を開発しているといった感じでした。自分の仕事がそのシステムにおいてどのくらい重要なのか、どう役に立っているのかわかりませんでした。エンドユーザーからすごく離れている仕事でもあったので、納期はあるけど「クレーム」もなければ、「ありがとう」もない。「誰かの役に立っている」というやりがいを感じられなかったんです。
30歳をまえに、「ITはもういい。IT以外で手に職をつけられて、そしてもっと人に近い仕事って何だろう」と考えはじめました。そこで行き着いたのがオーダー靴でした。プログラマー時代、一日中革靴を履き続けていたため、足が痛かったりニオイだったり水虫だったりで困っていたんです(笑)。そこでオーダー靴を作る職人になろうと靴の学校を探して、靴の世界に飛び込みました。

ーーIT業界から靴業界への転身、それはとても大きな決断でしたね。

はい。学校へ通うあいだの学費や生活費は今までの貯金と退職金でまかなっていました。靴の学校を卒業してもすぐに食べていけるわけではないし、全財産をつぎ込んでしまったので「もう後がない」という状況でした。ですが、靴の学校での2年間は、とても楽しかったですね。今でも人生で一番幸せな時間だったと思っています。とにかく靴をつくることに夢中で、寝ている夢の中でも靴をつくっていましたし。
しかし、学校を卒業していざ仕事にしようとしたら、途端に楽しくなくなってしまったんです・・・。
当たり前のことなんですが、靴職人はアーティストなどではありません。
こういったデザインのこういった靴がここまでに欲しいと思っているニーズがあって、それに見合う靴を提供して、初めてお金をいただけるんです。自分がこうしたい、ああしたいといったことにはお金は払っていただけませんし、そもそも十万円を超える靴を買いたいと思う人があふれているわけでもない。でも食べていかなければならないから知り合いの職人さんたちは、財布や小物入れなど靴とは違うものをつくったりしている。現実には「やっていること」と「やりたいこと」の距離が遠くて、いつしか「やっている」から「やらされている」感覚に陥ってきて。
今の私には「好きなことは仕事にしない方がいい」という持論があるのですが、靴づくりがなぜ好きなのかというと、自分の思い通り、何の制約もなかったからなんです。でも、それはただの自己満足だったということに気がつきました。お金を支払う側、お客様目線で見ればとても簡単なことなのに、楽しいからといった自分目線でしか見ていなかったんですよね。

そんな矢先、父が亡くなりました。そのとき、私は靴の学校のスタッフをしていたのですが、33歳で手取りは20万円程度。貯蓄もなくなっていたし、一人で生きて行くので精一杯。地元の静岡に帰ろうかなとも考えましたが、家族と話したら、地元で就職も相当厳しい状況だというのもあり、父の死は「人の命は有限であり、終わりはいつかわからないよ」というメッセージだと受け止めました。そこで「限りある人生、自分の人生にとって一番大切なこと、幸せを感じられる仕事をしよう」と考えました。
あらためて、どうしたいか、考えに考えました。
そしてでてきた答えは・・・「まわりの人が幸せそうに笑っている」でした。
身近な人を幸せにして、その人たちの笑顔が伝播していったらいいなと。

ーーなんだか、今の類似さんにグッと近づいた感覚がします!

それまでの自分は、手に職をつければいいと思っていましたが、それって「手段」を「目的」にしてしまっていたんですよね。「手段」は「目的」を達成するためのもの。「その手段は、何の目的のためにやっているのだ?」ということが本質なんです。
それまでずっと夢がなく、夢がない人は幸せになれないと悩んでいましたが、目の前の人を幸せにするととっても嬉しいし、幸せを感じる、夢がなくとも幸せになれるじゃないかと気づいたんです。人から「ありがとう」を言ってもらえる仕事だったら、胸を張って生きられる。手段は何でもいい。それに、人から言ってもらえる「ありがとう」って、ものすごいパワーワードじゃないですか!
人を幸せにすることに終わりはない。これは、一生のテーマだなと確信しました。

34歳でUGへ。今につながる「原動力」となったお客様との出逢い。


ーーUGへの入社の経緯もお聞かせいただけますか。

転職活動を始めるとき、生活に困らない収入を得るために手っ取り早いのは、「やっぱりIT関係かな」と考えつつ、「人を助ける」の意味から「サポート」をキーワードにネットワークインフラの会社などを中心に、他にも靴の販売も受けたりもしたのですが、見事に全部落ちました。「サポートしたい」の一言では、どこからも選んでもらえなかったんです。そんな私に唯一内定をくれたのがUGでした。嘘か本当かは定かではないんですが、当時、UGは一芸で入社できたんですよ(笑)。

ーーえっ!?今以上にユニークな選考をしていた時代があったんですね!

はい。「ひとつのことに一生懸命打ち込める人は、どんな仕事に対してもそれなりの成果を出す」ということらしいです。今、UGを受けても能力的に私は採用してもらえないんじゃないかなと思います(笑)。未だ唯一内定をくれたUGには「拾ってもらった」という恩義を感じています。

ーー入社してみて、いかがでしたか。

プログラマーのとき、すでにITに懲りていたので、はじめは生活を立て直すために3年くらいで辞めるつもりでした。でも、手段を目的にしないって、やっていることは同じなのに視点や考え方がこうも違うんだということに気づかされたんです。
UGは「中堅・中小企業を強くする」というミッションがあり、数々の課題を抱えているお客様を支援するひとつの手段として、コーポレートITの支援をしています。コーポレートITを担うコーポレートエンジニアは、ITスキルに加えてさまざまなノウハウ、つまり経験値の蓄積が重要になります。私たちシェアード社員の仕事は、単にITの技術力で解決するサービスではなく、お困りごとや本当に必要なことを見つけ出し、数多くあるサービスを組み合わせながら、そのときの最適解を提供していくことです。「常に経験を積み続けることで、それが財産になる仕事」であり「人を助けることをあきらめなければ、ずっと続けていける仕事」ということに、入社3年目くらいのときに気がつきました。私にとっての「正攻法」が、UGにはあったんです。

ーー堂々と真正面からUGのミッションに立ち向かう姿勢、類似さんらしさがにじみ出ていますね。

ただ、続けるのはめちゃくちゃしんどかったです(笑)。正直に話すと、UGに入社してからほとんどの時期を「辞めたい」と思って過ごしてきました。でも、辞める理由を探すのって簡単なんですよね。「仕事がキツイから」とか、「人間関係がイヤだから」とか。過去に辞めた会社も結局辞める理由を決めつけて、逃げていたのだと思います。でも転職して環境を変えても、行き詰ったり起きる問題は同じ。辞める理由を探すより続ける理由を探すこと。新しいステージに立つためには、逃げずに今この場所で、その問題に取り組み、乗り越えるしかない。そう思います。

ーーそうだったんですね。でも、その「しんどい!」を10年以上続けてこられた原動力は何だったのですか?

仲間とお客様ですね。私がシェアード社員をしていた10年のあいだにご支援させていただいたお客様は業種も業態も会社規模もバラバラで、さまざまな企業カルチャーにも触れさせていただきましたが、忖度なしで素晴らしいお客様に恵まれたことです。なかでも、一番最初にご支援したA社様での体験が、今の私の原動力になっています。

A社様では2年弱ご支援させていただきました。そこで働く方の多くは超有名大学出身でMBAを取得されており、私が1言ったら10わかってくれるような異次元の方々でした。そんなみなさんが、高校卒の自分に対してすごくフラットに接してくださったことに驚きました。「類似さん!パソコンのここがわからないんだけど、教えてくれる?」なんて、気さくに声をかけてくださるんです。年齢や性別、学歴で差別はしないという社風もあったかと思うのですが、うれしかったですね・・・それまで自分がいた縦割りの組織では味わったことのない感覚でした。

それに、A社の方々は仕事に対する姿勢がとても真摯で、みなさんのお仕事から、いつも熱いものを感じていました。「こんな異次元の方々なのに圧倒的な努力をされている。これに応えるために自分も圧倒的努力をしなければ。到底足元にも及ばないけれど、努力することは誰にでもできる」と思うようになりました。それが私の原動力となって、今につながっています。

自分を選んでくれたUGで「逃げない」選択を続けた15年


ーーUGでの15年、たくさんの役割をされてきたと思います。振り返ってみて、いかがですか。

「UGは挙手制」なので主体的に動くことが大事なのですが、実は私、自分からひとつも「やりたい」と言ったことがないんです(笑)。でも、振り返ってみると恵まれた経験をさせてもらえたなと感じています。いちシェアード社員からスタートし、10年間50社ほどのお客様に関わるなかで、お客様先のオフィス移転、内部統制や、ISO27001認証取得、PCI DSS準拠審査のご支援といったことを経験させていただきました。またUGのコーポレートIT、インソーシング事業部長を経て総務人事部長として上場申請に携わることもできました。こんな貴重な経験をさせてもらった私は、自分のことを「UGで一番ラッキーな人」だと思っています。

ーーこれからUGで実現したいことはありますか。

特にありません(笑)。世の中には夢組と叶え組の二種類の人がいるそうなのですが、私は叶え組なんです。そんな叶え組の私にできることは、人を助け続けること。UGグループのミッションである「人と組織を強くする」を続けて人を幸せにすることです。そのためにこれからも、目の前の仕事を悔いなくやりきる。ただ、それだけです。しいて言えば、これからUGが500名、1,000名体制になっていく基盤をつくることですね。でも、UGがこれからさらに強く、大きくなっていく上で重要なのは、UG STYLEの活動になると考えています。

ーーズバリ!類似さんにとって「UGとは?」

考えたことなかったですね・・・私に「つながり」と「成長」のきっかけを与えてくれた場所、「目的と手段の違い」「成長し続けることの大切さ」を教えてくれた場所です。

ーー類似さんの仕事に対する姿勢はいつも一貫されているな、と感じます。最後に、類似さんが仕事をする上でいちばん大切にしていることを教えてください!

よく言われる「職場に満足する理由の3つ、やりがい・報酬・人間関係」は私もそのとおりだと思っていて、この3つのバランスが保てていると仕事って続けられるんです。そのなかでも、私がいちばん大切にしているのが「人間関係」です。34歳の転職活動のとき、唯一自分を選んでくれたUGに対して「恩を返さなくちゃ」という気持ちもありましたが、15年続けてこられたのは「人間関係」に恵まれたことがとても大きいです。
UGの仕事や働き方は正解がなくて悩むことがたくさん出てくるのですが、そんなときは行動指針に立ち返えるようにしています。それに、UGのミッション・ビジョンってよくある当たり前のようなワードに思えるのですが、これを愚直にやり続けていたら、一流のビジネスマンとしてどこでも通用する人になれる事柄が書かれています。
私はまだまだ成長途中ですが・・・もし、この先UGを辞めるときが来るとしたら?それは、私に「夢」ができたときですね(笑)

ーー類似さん、本日はたくさんのお話ありがとうございました!

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