イエナプランをきっかけにオランダの教育に興味を持ち、フェロー(小学校教員)修了後、オランダに移住した金澤さん。今回のインタビューでは、Teach For Japan(以下、TFJ)のフェローになろうと思ったきっかけや学校で感じたことを中心にお話を伺いました。そして、オランダにいく決断の理由とは?
金澤克宏
赴任期間:2015~2017(第3期フェロー)
赴任先 :福岡県
校種 :小学校赴任(5年生、6年生担任)
出身大学:専修大学
教員免許:中学校・高校教員免許あり(社会科、地理・歴史・公民科)
経歴 :株式会社エイチ・アイ・エス→TFJフェロー→小学校教員→起業
趣味 :旅、ランニング、恐竜
好きな言葉:温故知新一
「旅行」を通して感じた「教育」の重要性。
ファーストキャリアは旅行会社ですが、なぜそのキャリアを選ばれたのですか?
旅行が好きで、大学生の時によく1人旅に出かけていたのが理由です。1人旅をすると、自分と対話する時間がとても長くなるんです。それに、1人だと現地の人とも触れ合いやすく、自分の価値観を覆されることがよくありました。
1人旅から帰る度に、いまの自分の生活は当たり前ではないと思いますし、自分の弱さや素直な感情にも向き合うようになれました。それで、旅行には「人の価値観を変える力がある」と思うようになったんです。そんな旅行に携わる仕事がしたいと思って、旅行会社で働くことを決めました。その後は、株式会社エイチ・アイ・エスの法人営業部に配属されて、3年目には上海支店に赴任させてもらいました。
教育の話は全く出てきませんが、どうして教師になろうと思ったのですか?
上海支店で働いているときに、反日デモがありました。その時に思ったのは、「どうして地理的にも文化的にも関係性が深い日本と中国がこんなにも分かり合えないんだろう ?」ということです。上海で生活しているときに、誰よりも現地の方々に助けられましたし、家族のように温かく受け入れてもらっていたので、その疑問は大きかったです。
……とは言いつつも、実は私自身が「中国」や「中国人」に対するネガティブなイメージを持っていました。大学の専攻が中国古代史だったにもかかわらずです(笑)。だからこそ、上海で日本人のお客さんを迎え入れて、ネガティブなイメージを払拭したいと思ったんです。
そんな気持ちから、上海支店で現地のガイドさん向けに、日本語教室や日本文化を話し合うような時間を作っていました。若いガイドさんたちが参加してくれて、どんどん日本語や日本のことを吸収していくのを感じたんです。それが仕事にも生きて、日本人のお客さんとのコミュニケーションが良くなっていきました。このときに初めて「教育の力」を実感しました。それから、「旅行」ではなく「教育」というアプローチで、自分の価値観を変えたり、相手のことを理解したりすることができるのではないかと思うようになったんです。それで、すごく単純に教員になろうと思ったんです。
なぜ教員採用試験を受けて教員になるのではなく、
TFJのフェローになろうと思ったのですか?
会社を辞めて、通信教育大学に入学して、教員免許取得のために勉強をしているときに、人伝にTFJの取り組みを知ったんです。誘われるままに軽い気持ちで参加したTFJの説明会で、どうしようもないくらいの魅力を2つ感じました。
1つは、「教室から世界を変える」という公教育に真正面からアプローチする熱意。もう1つは、2年間教員をやろうと決断し、いまの仕事をやめてTFJに集まってくる人たちは間違いなく魅力的だろうという期待感です。
また、教員採用試験を受けて教員になったら、保守的になり、考えが固定化してしまうのではないかと不安を感じていました。でも、フェローは、2年間のプログラムです。2年後に、教員を続けることもできますが、基本的には自分でキャリアを作っていく気概が求められると感じたんです。常に変化することが求められていることが魅力的に映りました。
一斉画一ではなく、それぞれ違う色で違う形を認め合えるように。
教師になってから、どんなことを感じましたか?
実際に赴任してみると、毎日の授業準備や学級での出来事、行事に追われて、必死で走り続ける日々でした。朝早くから学校に行って、夜遅くまで残る。土日も授業のことやクラスのことで頭がいっぱいという感じです。
そんな毎日の中で、自分がつくっている「一斉画一」な授業の在り方や「きちんとしないといけない場所」である教室や学校に違和感を感じるようになりました。「それぞれ違うのに、どうして周囲と比較したり、競ったりするような環境をつくってしまっているんだろう?」と自分自身のしていることに疑問を感じるようになりました。
教師として自分が作り出しているものに違和感を感じたんですね。
その後、変化はありましたか?
違和感を感じながら、「どのように子どもたちをやる気にさせるか」や「主体性を持って考えるにはどうしたらいいのか」と模索する毎日が続きました。当時は、とにかく教育関係の本を読み漁り、教育関係のイベントにもどんどん足を運びました。そんな中で、「イエナプラン」という言葉に出会いました。イエナプランは、「対話する」「遊ぶ」「働く」「祝う」という4つの基礎的な活動が循環するドイツ生まれの教育の考え方です。イエナプランでは、学級が異年齢で構成され、対話をクラスの中心に置いていました。これを知ったときに、「一斉画一」や「きちんとしないといけない場所」としての教室を変えることができるかもしれないと思い、教室の中に取り入れようと、少しずつ実践していきました。
一例をあげると、朝の会と帰りの会を少し変えました。クラスみんなでサークルになり、地面に座ってするようにしました。朝の健康観察も教員や担当の係の子どもが一方的にするのではなく、近くの人と今朝のことや昨日あったことを雑談する時間をとるようにしました。そうすると、お互いの顔が見えて、お互いの様子がよくわかるようになります。今日は○○さんはちょっと元気がないとか、○○さんがお休みだということがわかるようになります。そんな活動をするようになってからは、不思議とケンカが減り、子どもたちが少しずつ仲良くなっていきました。
他にも、誕生日をサプライズで祝ってみたり、子どもたちがパーティーを企画・実行したりしました。また、授業中も、教員がクラス全員に話す時間を授業時間の2割以内にして、グループや個人での学習を進めることができるようにしました。そうすることで、お互いにわからないことを気軽に聞くことができるようになりました。
自分自身を変化させるためにオランダへ。
いまはどんな活動をされていますか?
フェローシッププログラムを2年間終えた後、もう1年教員をさせて頂きました。そして、2018年の春からはイエナプランやオランダの教育について学ぶためにオランダに移住しています。
3年間の教員生活の中で「どんな考えを持った人が子どもたちと一緒にいるのか?」が大切だということをヒシヒシと感じました。イエナプランのやり方を取り入れたからといって、子どもたちが違いを認め合い、コミュニケーションを上手にとれるようになるわけではありませんし、主体的に学ぶようになるわけでもありません。それよりも大切なことは、子どもに関わる人がどんな考え方を持っているのかやどんな雰囲気を作っているのかだと思うようになりました。子どもたちと一緒にいるなら、もっと自分自身を磨かないといけないと思ったんです。
それで、6年間の移住計画を立てました。いまはその第一歩で、オランダで経済的に自立して生活し、オランダ語を高等教育機関入学レベルまで引き上げることが目標です。そして、2020年の秋にはオランダで教員養成学校に入学し、オランダの小学校に赴任できるように2年間の教育課程を受けます。オランダでの教員生活を経てからは、帰国し、オランダでつかんだものを最大限発揮して、日本の教育に貢献したいです。
(編集後記)
一見全く違う仕事に見える、旅行会社と教員ですが、自分と向き合い、人と向き合い、自他ともに価値観を広げ成長することのできる場を作っていくという金澤フェローの仕事は本質的に同じだと感じました。オランダでの新たな挑戦、そしてその先の活動がとても楽しみです!