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JICAから小学校教員へ。「一緒に考えようか」が合言葉。

「学校の課題は何ですか?」と聞かれたら、どのように答えるでしょうか。画一的な授業でしょうか? 学力の低下でしょうか? 教師の多忙でしょうか? 今回インタビューさせてもらった西川朋美さんは、何が課題なのかを目の前の人たちと一緒に悩み、一緒に考えます。当たり前のことのようですが、誰もが教育観を持っているだけに、難しいことかもしれません。そんな西川さんに、Teach For Japan(以下、TFJ)のフェロー(教員)になるまでの経験と学校で取り組みを伺いました。

西川朋美

赴任期間:2015~2017(第3期フェロー)

赴任先 :福岡県校種小学校赴任(1年生、3年生担任)

出身大学:名桜大学(沖縄県)

教員免許:小学校教員免許、中学校・高等学校教員免許(体育科)

経歴  :フリースクール→小学校特別支援員→青年海外協力隊(小学校教員@ザンビア)→TFJフェロー→福岡県小学校教員

趣味  :食べること

好きな言葉:たくさんあって決められないな~

その場限りのことではない「何か」を一緒に考えたい。

まず、青年海外協力隊(JICA)での活動を教えてください。

JICAでは、小学校教諭としてアフリカのザンビアに2年間滞在していました。赴任前は、「ザンビアの教育を変えにいくんだ!」とやる気満々でした。でも、実際にザンビアに行ってみたら、教育は求められていなかったんです。

大人たちは、子どもたちに教育を受けてもらうよりも、労働力として働いてもらいたいと考えていました。なぜなら、教育は結果が出るまで時間がかかります。結果が出るまでの長い時間を待つよりも、明日のごはんの方が大切だったんです。

そこで、「教育を変える」という上からの目線ではなく、相手が「何を望んでいるのか?」私に「何ができるのか?」を一緒に考えようと思ったんです。「モノ」をあげること以外で。確かに、「モノ」をあげることで短期的には快適さが高まることもあります。ただ、私は「モノ」をあげるというその場限りのことではなくて、未来に続く「何か」がしたいと思って活動しました。そうしなければ、生まれた家や場所で将来が決まってしまう貧困の連鎖は続くと思ったんです。

具体的には、ザンビアの子どもたちが知っていた柔道を、放課後に教える取り組みをしました。でも、学校には畳がありません。そんなときに、とても熱心な青年に出会います。彼は「畳はないけれど、畳がなくてもできることをしよう」と私に迫ってきたんです。それを聞いて、「よし!できることからしよう!」と決めました。それからは、筋トレをしたり、受け身の練習をしたり、コンクリートの床でもできる柔道の練習をしました。本当に草の根活動だったと思います。

ザンビアでの活動中、何が原動力でしたか?

ザンビアでの2年間は、変化が見えにくく地道でした。でも、生まれた場所や肌の色だけで、仕事や将来が決まってしまう現状を変えたいという気持ちが支えになっていたと思います。うまく言葉にできませんが、希望を持てない子や元気のない子が気になるんです。

もしかしたら、自分に重ね合わせているところがあるのかもしれません。私は、沖縄生まれ、沖縄育ちで、いろいろな偏見を聞かされながら育ってきました。沖縄の外に出たら危ないと思い込んでいましたし。でも、外の世界にすごく興味があって、大学生の時に教授が仕事でラオスに行くのに無理やりついていったんです。

そのときは、ラオスの小学校の子どもたちに寄付しようと思って、使い古したノートや鉛筆などの筆記用具を準備して持って行きました。でも、ラオスに行ってみると、現地の人たちはみんな親切で、やさしい笑顔を向けてくれるんです。そのときに、自分がニュースや本でしか理解していなかった「ラオスは貧しい国」という固定概念を持っていることに気づきました。「貧しいのは私の心じゃん…!」と思ったんです。

自分で決めて、行動したことで、私の固定観念は変わりました。自分で決めることで、将来は変えられる。自分で決めることは、自立への最初の一歩だと思います。ザンビアで出会った子どもたちにも、自分で決めてほしいと思って活動を続けていました。

なぜTFJのフェローになろうと思ったのですか?

TFJのフェローになろうと思った理由は2つです。

1つは、貧困による教育格差が実感を伴って課題だと感じていたからです。ザンビアで教育格差を目の当たりにしたからこそ、「貧困による格差」をどうにかしたいと思いました。

とはいえ、日本の教育への意識もありました。それで日本に帰国する時期に、「貧困 日本」で検索したんです。そうしたら、TFJの創設者である松田さんがヒットしました。

……実は、TFJよりも先にTeach For America創設者のウェンディ・コップさんが書いた『いつか、すべての子供たちに』(英治出版)を読んでいました。その時に、「貧困や教育格差を解決するために、こんなことやってる人がいるんだな~。すごいな~」と惹かれたのを覚えています。そして、2年越しに『いつか、すべての子供たちに』が、TFJとつながりました。

もう1つは、いろいろな立場の人や仲間がいなければ、課題を解決することができないと思っていたからです。ザンビア滞在中に、現場だけではどうにもならない経験をしてきまし、文科省やザンビア政府とのネットワークがあることで解決できた経験もしました。いろんな人がつながる力の大きさを知っていたからこそ、仲間がいるTFJは魅力的でした。

人との「つながり」が「自立」へとつながる。

小学校での取り組みを教えてください。

最初は、何もわからず、凄く苦労しました。でも、そんな中で大切にしてきたのが人とのつながりです。意見をぶつけることも含めて、人とつながることを意識していました。子どもたちが「人とつながるって楽しいな~」と実感できるような声掛けや雰囲気作りをしていました。

人とのつながりの1つの例として、フェロー期間中にザンビアで柔道を教えていた青年が私のクラスを訪ねてくれたことがあります。この青年の柔道に対する熱意に感動した知り合いの日本人が、日本列島を縦断しながら寄付を集め、青年の日本行が実現! たまたま柔道を教えていた私と柔道が好きだった青年、それを知って感動した日本人がつながることで、3人とも世界が変わったと思うんです。

そして、彼はいまザンビアで柔道の先生になっています。彼に見せてもらった写真には、たくさんの子どもたちが写っていて、黒板に「何か」文字が書かれていました。私が「何が書いてあるの?」と尋ねると、彼は「ジオグラフィーを教えている」と。そのときに、「あ~、きっと日本のことも話してくれているんだろうな」と人のつながりで世界が広がるのを感じました。

人のつながりをつくるときに、課題に感じることはありますか?

学校に、学校外の人を招くことの難しさを感じます。違う価値観を持っている人やユニークな人と子どもたちを出会わせたいと思っても、「即実践!」とはなりづらいです。

また、リアルではなくインターネットを使ってもいろんな人とつながることはできます。でも、教室で自由にインターネットが使えないので、可能性を狭めてしまっていると感じます。

ただ、私が勤務していた地域は、お祭りを中心にして子ども・保護者・先生・地域の人がつながっています。いまは違う学校に勤務していますが、たまに顔を出すと、お母さんたちに「先生!変わってないね!」とたくさん声をかけてもらえます。とても幸せなことだし、つながりを感じることができる瞬間です。

何かを変えるには、カメレオンのように自分が変わる必要がある。

いまはどんなことをされていますか?

いまも教員を続けています。外国籍の子どもが多い学校で、日本語が母国語ではない子どもたちのサポートをする「ワールドの先生」という役割を1年間担当しました。また、2年生の学級担任を経験して、いまは3校目に勤務しています。福岡県で教員採用試験を受けて、正規の教員になり、今年は初任者研修を受けています。

これからも、先生を続けていきたいと思っています。私は、目の前の子どもたちが何を欲しているのか、何を考えているのかという「何か」を「一緒に考えよっか~」というスタンスで考えられる人でいたいと思うんです。その点で、私は、自分のことをカメレオンのように思っていて、目の前の子どもたちに合わせて、自分の考え方を大胆に変えるように意識しています。

(編集後記)
将来は食堂のおばちゃんになって、子どもたちの悩みや相談を聞くのが夢という西川さん。膝に手を当てて、子どもと目を合わせて、一緒に悩み、考えている西川さんの姿が見えるようです。悩み、進んでいく西川さんのこれからが楽しみです!

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