はじめまして、前田 将太と申します。
製造業向け見積管理SaaS「匠フォース」を提供する、「匠技研工業株式会社」の代表を務めております。
会社のフェーズとして非常に面白い局面を迎えているものの、「製造業」という事業ドメインが身近ではない方も多くいらっしゃるため、少しでも業界と弊社事業の魅力をお伝えできたらと思い、このnoteを書き始めました。
私は弁護士を志していたロースクール在学中に起業し、紆余曲折を経て、現在の事業領域に至りました。そして弊社 匠技研工業も、かなりユニークな歴史を辿ってきた会社です。
今回は、私が会社を立ち上げるに至った経緯や、匠技研工業が見積管理のSaaSというプロダクトにたどり着いたきっかけなどをお話しさせていただければと思います。
目次
東京大学に入学するも、ひたすらラクロスに打ち込んだ大学時代
スタートアップに魅せられ、起業を決意した大学院時代
ビジネスコンテストで優秀賞を受賞、スタートアップへの心に火がつく
ついに起業。スタートアップの道を歩み始めるも、苦しい日々が続く
業界課題を探すために、企業ヒアリング1000本ノック
製造業界で見つけた、「私たちがスタートアップをやる意義」
東京大学に入学するも、ひたすらラクロスに打ち込んだ大学時代
まずは簡単に、自己紹介をさせていただきます。1996年生まれ、今年で27歳になります。小中高大は文京区の学校に通い、現在も文京区在住、会社の所在地も文京区という、文京区に縁が深い人生を送ってきました。
冒頭でも少しお話ししたとおり、祖父、父ともに弁護士という法曹一家に生まれました。その影響もあって、幼い頃から「自分も将来は弁護士になるんだろうなあ」とぼんやり思っていました。それで私も、祖父と父の母校でもある東京大学に入学し、法学部に進学しました。ですが大学4年間の記憶は、法律の勉強ではなく、ほぼラクロス部の活動で埋め尽くされています。
もともと中高と野球をやっていたので、大学でもスポーツは続けたいと思いラクロス部に入部しました。東大のラクロス部は全国的にも有名な強豪部のため、学部の4年間は、朝から晩までとにかくラクロス漬けでした。おかげさまで、部活引退後には未取得の必修単位が山積みになっており、追試験で拾っていただきながら、なんとか学部を卒業することができました。
実は匠技研工業は、大学のラクロス部で苦楽を共にした同期メンバーと創業した会社です。しかし現役時代にはまだ、まさか自分がラクロス部のメンバーと一緒に、しかも法曹界から遠く離れた領域で起業するだなんて、夢にも思っていませんでした。
ラクロス部時代の写真(右側が前田)
スタートアップに魅せられ、起業を決意した大学院時代
匠技研工業は、2020年2月に設立されたスタートアップ企業です。【フェアで持続可能な、誇れるモノづくりを。】というミッションのもとで、現在は製造業向け見積管理SaaS「匠フォース」の開発・提供をおこなっています。
そもそも、法曹を志していたはずの私が、なぜスタートアップの道を志したのか。そのきっかけとなったのが、大学院時代に他学部聴講で受講した「アントレプレナーシップ道場(以下、アントレ道場)」でした。これは、アントレプレナーシップ(起業家精神)を学ぶ、いわば起業家の養成講座のようなものです。この講座を、私は部活の同期と一緒に受講していました。その同期というのが、ラクロス部のチームメイトであり、現在は共同創業者として弊社で取締役を務める、井坂 星南と原 崇文です。
アントレ道場では、atama plusの稲田大輔さんや、アストロスケールの岡田光信さんといった、同じ東大出身の起業家の方々が講演をされていました。社会にはさまざまな課題があって、課題を解決するための手段としてスタートアップが存在し、泥臭く挑戦を続けている。スタートアップの存在意義や、先輩起業家の熱意に触れ、私は一瞬で虜になりました。
「めちゃくちゃ格好良い。それに、なんてアツい世界なんだろう」
私のなかで、スタートアップへの憧れが芽生えた瞬間でした。
そして、それは私だけではなく、一緒に受講していた井坂と原も同じだったのです。
振り返ってみると、このとき井坂と原と同じタイミングで大学院に進学し、共に講座を受講していたという偶然は、非常に大きなポイントでした。
もし自身が留年していたら。もし院進学のタイミングがバラバラだったら。もしアントレ道場を受講していなかったら。もしメンバーが1人でも欠けていたら。
いくつもある「もし」のうちひとつでも現実になっていたら、私は起業の道を選ばなかったかもしれません。縁というのは、本当に不思議なものだとつくづく感じます。
ビジネスコンテストで優秀賞を受賞、スタートアップへの心に火がつく
私・井坂・原と、1号社員となった熊野の4人は、アントレ道場を受講しながら、ビジネスアイデアを出しあっていました。そのときはまだ、半ば授業の一環といった感覚でした。私たちが本格的に起業を意識するきっかけになったのが、アントレ道場の延長で開催された、東京大学主催のビジネスコンテストです。このコンテストに、当時のメンバー4人で出場しました。そしてありがたいことに、優秀賞を受賞しました。この成功体験が、私たちに火をつけたのです。
ビジネスコンテスト優秀賞獲得時の写真(左から原、井坂、前田、熊野)
もしもコンテストの結果が、箸にも棒にも引っかからない結果であったら、匠技研は存在していないかもしれません。これもきっと、いくつもある「もし」のひとつなのでしょう。
「本気でスタートアップ、やってみないか?」
初めてのビジネスコンテストで、この仲間たちで受賞を叶えたという事実は、スタートアップへの道を後押ししてくれました。
起業を検討する際に、最初の関門となるのがパートナー探しではないでしょうか。その点で私たちは、「志を同じくして意思疎通がはかれる仲間」が最初から隣にいました。これは非常に大きなアドバンテージだったなと痛感しています。
仲間がいるというだけで、すでに起業への第一関門が突破できていました。しかも、長年一緒にラクロスをプレーしてきたメンバーなので、互いに考え方や得手不得手も把握しています。これは大きな強みでした。
これだけ盤石なチームがあるなら、なんだってやれるはず。
その自信と熱意が、私たちを「ラクロス部のチームメイト」から「ビジネスパートナー」へと進化させ、私は弁護士ではなく、起業家の道を選ぶこととなりました。
そして、匠技研工業(旧社名:LeadX)が誕生したのです。
創業当時、マンションの一室だったオフィス
ついに起業。スタートアップの道を歩み始めるも、苦しい日々が続く
2019年10月、思い切って大学院を休学。その後2020年2月に、株式会社LeadXという社名で法人としてのスタートを切りました。しかし、多くのスタートアップがそうであるように、私たちも試行錯誤の連続でした。
このとき私たちは、「何か世の中の課題解決になることをやりたい」という漠然とした考えのもと、世の中に出していないものも含めて10以上の、さまざまな事業やプロダクトを検証しました。
ビジネスコンテストの受賞アイデアをもとに、VRで観光地が閲覧できるアプリを作ってみたり。「東大生=教育」というありがちな発想から、プログラミング教室を開講してみたり。今度は飲食関係のサブスクビジネスをやってみたりと、事業ドメインもビジネスモデルも異なる事業を、手当たり次第に試していきました。
全くもってうまくいかない事業もあれば、筋が悪くない事業もあり、なかには「結構いいセンいってるんじゃない?」という事業も生まれました。なのに、何をやってもどこかしっくりこない。
というのも、どれも社会的インパクトが弱く、明確な強い意志が存在しないビジネスばかりで、当初私たちが憧れた「社会的な課題を解決するためのスタートアップ」の姿からはかけ離れているように感じたのです。次第に私たちのなかに疑問が芽生え始めます。
「起業してやりたかったのは、本当にこんなことだったろうか?」
休学して、新卒切符を捨てて、弁護士の道を断ってまでしたかったのは、果たしてこれなのだろうか。自分たちは、何のために起業したのだろうか。
チーム内に、そんな焦りとフラストレーションにも似た感情が募っていくのを感じていました。
振り返ってみれば、起業したばかりの頃は、ベンチャーに憧れる学生に特有の「何か自分達で事業を興してみたい」という、ふわっとした気持ちだけで突き進んでいたように思います(それ自体が悪かったとはまったく思いません)。
しかし、スタートアップを志して何か成し遂げるからには、もっと社会的な意義があって、解決インパクトが大きいことをやりたい。もっともっと、巻き込んでいくステークホルダーの人生が豊かになるような、面白いことをやりたい。
実際にビジネスに触れていくうちに、そんな意識に変化していきました。
「自分たちが取り組まねば見過ごされてしまうような、大きくて困難な課題解決に挑戦したい」
「どうせやるなら、突き抜けた挑戦をしたい」
ならば、その志を体現できる事業に挑まなければ意味がない。
そして2020年12月、私たちはすべての事業からの撤退を決めました。
業界課題を探すために、企業ヒアリング1000本ノック
事業撤退をしたあとの私たちは、「自分たちが本当にやりたいビジネスを見つけるまでは、次の事業に取り組まない」という覚悟を決めていました。
そこから先は、とにかく必死でした。
学生の自分たちに見えている世界があまりにも狭かったことを思い知ったので、まずは市場規模の大きいBtoB領域を自分の目で見てみようと、あらゆる業界の企業に、手当たり次第にコンタクトをとりました。
自分たちのスキルセットをPDF化したものを、各社のお問い合わせフォームに送信し、返事があった会社へとヒアリングに赴く。
不動産業界、保険業界、小売業界、卸売業界、HR領域…etc。業界にはこだわらず、とにかく手当たり次第でした。
業界の課題を聞いて、自分たちにできることがないか模索して、ソリューションを考えて、また次の会社にヒアリングして。
これを気が遠くなるほど何度も何度も繰り返していたある日、富山県のとある工場から「配送ルートの最適化で困っている」というお話をいただきました。私と原は即座に夜行バスに飛び乗り、富山県へと出向きました。
いつものように現地でお話を伺ったあと、ご厚意でお知り合いの社長をご紹介していただき、せっかく富山に来たならということで、3社ほど見学とヒアリングをさせていただきました。
その3社は偶然にも、すべて金属加工業をおこなっている会社でした。
金属加工現場の様子
私はそれまで金属加工業、ひいては製造業については詳しくなかったので、「こんな世界があるのか」と非常に驚き、強い興味を抱いたことを鮮明に覚えています。
それが現在のプロダクトである、製造業向け見積管理SaaS「匠フォース」につながる、最初のご縁でした
製造業界で見つけた、「私たちがスタートアップをやる意義」
製造業というのは、想像も及ばないほどにペインが深い業界でした。
製造業界は、ほとんどが中小企業で構成されており、グローバルな競争であったり、技術承継であったりといった問題が山積していました。しかもそれらの問題は、解決待ったなしの状況で、5年以内には復活か衰退かの勝敗がついてしまう、それくらいに逼迫した状態でした。
この切迫感を誰よりも強く感じていたのが、現場の方々でした。
モノづくり産業に携わる方々は、皆さますごく熱い想いを抱いていらっしゃいます。
真面目で泥臭くて、日本の基幹産業として経済を担っているんだという、矜持と情熱があります。
これだけの熱量があり、しかも市場規模が大きいにもかかわらず、製造業の課題については未解決問題が多い。それはつまり、解決が難しすぎて誰も手を出そうとしていないか、あるいはすでに挑戦したプレイヤーがうまくいかずに、撤退を余儀なくされてしまったということです。
ペインの深さと、解決する社会的意義。そして、業界の面白さ。
「自分たちが本当に取り組みたい事業」の姿がぼんやりと見え始め、私たちはどんどん製造業界の奥深さにのめり込んでいきました。
ヒアリングをしていくうちに、こと見積においては、特に問題が根深いことがわかりました。「解決してくれるならいくらでも協力するから、一緒に作ろうよ」と言ってくださる企業様から、何社もお声掛けいただきました。
初期の検証にご協力いただいた企業様との写真
この課題を解決してこそ、私たち匠技研工業がスタートアップを始めた意味がある。そう確信しました。まさしく私たちが探していた、「大きくて困難な課題解決への挑戦」です。
こうして私たちは、製造業の課題を解決する企業として歩むことを決意し、2022年9月に、製造業向け見積管理SaaS「匠フォース」をリリースしました。
さらに2023年1月、株式会社LeadXは、匠技研工業株式会社に社名を改め、再スタートを切りました。
「匠技研工業株式会社」の新社名発表(2023年末の納会にて)
ここまでが、法律を学んでいたはずの私がスタートアップ企業を立ち上げ、製造業界に至った経緯でした。
こうやって改めて文章にしてみると、本当にいろいろな偶然のご縁や巡り合わせによってここまでやってきたという事実に、自分でも驚いております。
現在のプロダクト「匠フォース」に至るまでの経緯には、合間で省略した部分が多いので、次回はそこに焦点を絞り、詳しくお話しできればと思っています。
今後とも、匠技研工業をよろしくお願いいたします。