株式会社水星には、多様な業界でプロフェッショナルとしての腕を磨いてきた多彩な人材が集まっています。水星に新しく入社した社員にインタビューをする入社エントリー企画。今回ご紹介するのは、2025年6月にジョインした木村七音流さんです。
木村さんは、代表の龍崎翔子とは高校時代からの友人であり、共に切磋琢磨してきた仲でもあります。建築の設計をバックグラウンドに持ちながら、水星というフィールドで「ホテルの新しい職能」を切り拓こうとする木村さんに、これまでの経歴や転職の経緯、水星で挑戦したいことについて話をうかがいました。
自分の引いた「線」が誰かの人生に並走し、建築は人の記憶を蓄積する舞台になる。
一翔子さん(水星代表)とは高校時代からのご友人だそうですね。
木村:
はい。翔子さんとは、クラスも部活動も一緒だったこともあり親しくなり、一緒に東大を目指す仲間として受験勉強でも切磋琢磨させてもらってました。僕たちの通っていた学校からは、京都大学を目指す人が圧倒的に多かったのですが、あえてそこを外すと、今思えば僕も翔子さんも当時からみんなと同じことをしたくないと思う性格だったのかもしれません(笑)

一建築への興味関心は、その頃からすでに始まっていたのですが?
木村:
実は現役時代は、明確にやりたいことが見つからず、なんとなくで電子工学科を希望していたんです。当時は『やりたいことがないと、しんどい勉強も頑張れないな』という漠然とした不安を抱えていました。そんな停滞感のまま迎えた浪人生活で、一番大きな転機となったのが安藤忠雄氏の建築「大山崎山荘美術館」を訪ねた時に地下に降りる美しいコンクリートの階段に感動し、その後彼の講演を聞きにいったことでした。
講演の中で安藤さんは、『自分の手で引いた一本の線が、物理的な形を伴って何十年も残り続け、誰かの暮らしを支え、人生の大切な思い出の背景になっていくんや』と語られていて。その言葉を聞いた瞬間、全身を貫かれるような衝撃を受けました。自分が引く「線」が、誰かの数十年という時間に並走する。その責任の重さと、設計者としての職能の豊かさに、猛烈に惹かれたんです。建築が単なる箱ではなく、人の記憶を蓄積する舞台になるのだと気づかされ、その場で建築の道を志すことを決意し、志望学科を建築学科へと変更しました。
無事に合格でき、よし建築をやるぞと意気込んで上京したのですが、東京に住んでみるとより強く感じたのは街が作り替えられるスピードへの違和感でした。古い建物が次々と取り壊され、無機質な新築が量産されていく…その光景に、僕はあまりワクワクしなかったんです。僕はそれよりも、建物が建てられた後に「人がそれをどう使いこなしていくか」という、時間の積み重なりが目に見える古い建物に強く惹かれました。その関心を頭の中だけで終わらせたくなくて、大学を1年間休学し、友人2〜3人と一緒に空き家を改修して地域のコミュニティスペースを兼ねたシェアハウスを運営することに決めたんです。

壁を壊しているところ

左上:旧台所と居間をつないで大テーブルを置いたリビング
右上:住人たちのいろいろな創作の場でもあった
左下:角のガレージには持ち込み可の「ご自由にお持ちください」コーナー
右下:ご近所さんと流しそうめんパーティー

通りに向けてディスプレイするための「戸袋ギャラリー」と、それを作っている様子
一学生が自分たちで空き家を改修するというのは、かなりハードな挑戦ですよね。
木村:
そうですね。DIYの知識なんて大学では一切教えてくれないので、まさに手探りでした。木を切る方法から壁の抜き方まで独学で勉強し、どうしてもわからないことは現場の優しそうな大工さんに声をかけて来てもらい教わったりしました。その家は、数年後には所有権が移って解体される可能性が高い期限付きの場所だったんです。最初から終わりを想定していたからこそ、4〜5年という限られた時間の中で、自分たちがどう住み、どう手を加えれば、この場所を使い切れるか、本気で考えられた気がします。

家が解体される前に再度手を加えて劇場にしたイベント「DENOVATION」
建物に蓄積した音をコンセプトにした演劇を上演した
その家は僕たちが運営を終えた後、所有権が別の方に移ってしまい駐車場になってしまいましたが、自分たちが手を動かして空間を変え、そこに人が集まってくるという確かな手応えは、何物にも代えがたい経験になりました。この経験があったからこそ、研究室でも図面を引くことより身体を動かす活動に惹かれるようになりました。茅葺小屋を改修しながら地域コミュニティを構築したり、スラムでの住居改善に取り組んだり。設計のバックグラウンドを持ちつつも、常に「現場」で何が起きているのかを見つめる姿勢は、このシェアハウス時代に培われたものだと思っています。

ー大学では、どのような研究をされたのですか。
木村:
卒業論文は、「建物が人に生きられ、使われて変わっていくプロセス」をテーマにし、「建物は完成した時がピークではなくて、その後の時間の積み重なりこそが豊かなんじゃないか」ということを追求しました。大学院ではさらにそれを深めて、茅葺小屋の改修を通じた地域コミュニティの研究や、スラムでの住居改善を行う研究室に所属しながら、「コモンとパブリック」について理論と実践の両面から学んでいました。
修士論文のテーマは「2010年代以降の建築家の職能」。明治時代、建築家は国家的なプロジェクトを手がける非常に高い役職として始まりましたが、70年代以降、その役割は組織設計事務所などが担うようになり、個人の設計者としての仕事は店舗や住宅のリノベーションへと小ぶりになっていきました。これは必然的な流れである一方で、僕はこの流れに対して「プロフェッショナルを失っていく」ような危機感も感じました。例えば、スマホで誰でも綺麗な写真を撮れるようになった現代に「写真家とは何か」を問われるのと同じ感覚です。設計という行為も、カジュアルな方向に流れるだけでは存在意義がなくなってしまう。だからこそ「設計者としてプロフェッショナルなアウトプットを出せることが、最後の一線として大事なのではないか」という問いを常に抱えていました。

壊れた神輿蔵を建て直すプロジェクト
言葉と空間を重ね合わせて居場所を作る楽しさと設計の限界とのジレンマ。
一大学院修了後、設計事務所を選ばれたのはなぜですか。
木村:
大学・大学院で研究を進める中で、DIYは誰にでもできる可能性があるけれど、設計はプロフェッショナルにしかできない「ルール作り」だと気づきました。最初に引く線が、その後の場所の質を決定づける。その職能をスキップしてはいけないという、自分なりの覚悟がありました。「運営」や「使いこなされること」に興味がある一方で、やはり最初に引く「線」の重みを知る必要があると考え、設計事務所への就職を決めました。

名建築の名作椅子に座りご満悦な木村さん(前職時代)
一前職での、特に印象に残っているプロジェクトについて教えてください。
木村:
ある大規模旅館のリノベーションです。元々は団体旅行向けだったものを「3世代の家族旅行」向けの空間へと転換するプロジェクトで、単なる空間の設計にとどまらず、企画のコンセプト提案から空間・家具の設計まで携わらせてもらいました。特に印象に残っているのが、レストランへ向かうエレベーターホールの横にあった小さなスペースの活用です。街と海が見渡せる素晴らしい眺望があるのに、誰も足を止めず通り過ぎるだけになっているその場所を、何か活かせないかと。
僕は、途中からその部屋の設計に関わることになったのですが、色々とアイデアはでていながら決定打がなく少し停滞している状況でした。そこで、まずはその場所に「手紙を書ける舟のような大きい机をつくりましょう」という案と一緒に、「書窓」という言葉を提案しました。窓から見える、きっと百年後も変わらない雄大な景色と、当時30代で旅館を継がれていた社長が昔もらった手紙を大事にされていたことから、「時間をこえて届くような大事な手紙をゆっくりと書くための空間」にしましょうとプレゼンし、そこから一気にプロジェクトがドライブしていきました。その後もその若社長と対話を重ねながら、言葉と空間を行き来しながら、その場所のあり方をを突き詰めていきました。その結果、元々はただ通り過ぎるだけの場所だったところが、ぼーっと窓の外の景色を眺めながら、ゆったりとくつろいで大切な人に手紙を書くための空間に生まれ変わりました。
このプロジェクトを通じて、言葉と空間が重なり合い、プロジェクト全体が熱を持って動き出していく感覚に、これまでにない達成感を感じたんです。前職の事務所は、設計図を引く前の企画力も強みで、例えば、周辺エリアのリサーチや女将さんをはじめとするスタッフの方達動きをインタビューしてマスタープランを練るなど、今思えば水星プロデュース事業部に近い動きを設計の枠内ですべてやっていましたね。設計・建築の枠を超えた提案ができる環境は、自分としても楽しかったですし、自分の強みは設計自体よりもその空間のあり方を言葉と一緒に考えていくことなのではないかと気付きました。

木村さんが手がけた「書窓」
一前職で設計者としての確かな手応えを感じながらも、なぜ「運営」を掲げる水星への転職を決めたのでしょうか。
木村:
設計事務所では、建物が建つまでの「最初の線」を引くことのプロフェッショナルな意義を学びました。けど、やっぱり設計者は建物を「建てる」ことはできても、その後に、建物がどう使いこなされどう生きられていくかという、僕が最も興味のあった「その先の時間」には関わることができないなという思いは強くありました。「設計のことはある程度分かってきたけれど、その先の自分が関われない部分が、やっぱり一番面白いんじゃないか」という思いを持っていたタイミングに、プライベートで久しぶりに翔子さんと飲みに行く機会がありました。
高校時代からの付き合いですが、当時は水星という会社について、ホテルをやっていることは知っていても具体的な中身までは詳しく知らなくて。でも、お酒を酌み交わしながら話を聞くうちに、水星には「企画して立ち上げるチーム」と「それを実際に運営していくチーム」の両方があることを知り、自分がその時抱えていた思いとリンクしたんです。水星の仕事は、自分たちで運営しながら、使いながらどんどん改良していくプロセスそのものでした。これこそ、僕が学生時代からずっと関心を持ち続けてきた「建物が人に生きられて変わっていくプロセス」そのものじゃないか、と。また、「自分がこれまで設計の枠を超えてやってきたことはそのまま水星で活きるのではないか」という確信もあり、水星への転職の気持ちが急に高まったんです。そうしてその場で「水星いくかも」と、翔子さんに宣言しました(笑)
また、水星の本拠地が京都であることも理由のひとつでした。地元である関西に戻りたいという気持ちもありましたし、自分にとって馴染み深いこの場所で、設計の知見を活かしながら「運営」の新しい可能性を追求したいと思ったんです。東京での経験を経て、今、改めて自分のルーツがあるこの場所で、建物がどう使いこなされ、生きていくのかを見届けられる生活ができている。その巡り合わせも、自分にとってはすごく幸せなことだと感じています。

京都最高!の図(鴨川にて)
スペシャリティが集う水星で見つけた、自分の専門性を空間とプロダクトに活かす道
一入社されてすぐに携われた、ホテル雲井のリブランディングについて教えてください。
木村:
ホテル雲井では、学生時代にシェアハウスを改修した時の記憶が蘇りました。今回、特に心に残っているのは、お風呂上がりの休憩スペース「小上がり」の設計です。以前は、やや明るくでチェアと机を中心とした少しカチッとした印象の空間で、ゲストもあまり利用されない場所だったのですが、間接照明を置いたりソファを中心に変えたりしながら重心の低い設計に変え、さらにその場所で果実酒の提供を始めました。そうすると、ゲストたちが自然と湯上がりにそこに集まって、それまでバラバラだった知らないグループの人同士が仲良くなって、翌朝一緒に出かけていく…なんていう光景が生まれたんです。「空間の力で、新しい人の流れや出来事が起こる」それを運営の最前線で目撃できたのは、設計のバックグラウンドを持つ人間として、とてもやりがいのある体験でした。

ホテル雲井
一木村さんが考える、水星のメンバーや組織の魅力とは何でしょうか。
木村:
「お互いのスペシャリティへのリスペクトが強いこと」です。例えば、建築・設計業界であれば「誰の設計が一番上手いか」など、どの業界でもどうしても競合関係になりがちですが、水星はみんなバックグラウンドが全く違う。不動産に強い人、収支を引ける人、サービス設計ができる人…みんな得意分野が違うからこそ、お互いをリスペクトして「ここはあの人に聞こう」という信頼関係が自然にできているんです。
例えば、ホテル事業部のメンバーはチーム内でも気配りがすごくて、僕が電話対応をしている時、何も言わなくても横からさらっと回答に必要な参照資料を出してくれたり、作業中に「これが足りないな」と思った瞬間に先回りしてそれを持ってきてくれたり。彼らのホスピタリティは、対ゲスト・対クライアントだけでなく、一緒に働く仲間に対しても身体から自然と溢れ出ているんです。そんなメンバーたちに囲まれ、空間を共にする心地よさを肌で感じるとともに、日々刺激を受けています。

一今後のキャリアプランや、挑戦したいことについて教えてください。
木村:
今、多数のプロジェクトに関わりながらさまざまな業務を任せてもらっていて、水星のマルチタスクを一気に経験している感覚です。自分としては、前職で鍛えられたと思っていたのですが(笑)まだまだ新鮮な驚きの連続。失敗から学ぶことも壁にぶつかる事も多いですが、一緒に突き進んでくれる頼れるメンバーたちに支えられながら、日々取り組んでいます。早く一人前のプロデューサーとしてプロジェクトを牽引できるようなプロフェッショナルになりたいですね。
将来的には水星オリジナルのファニチャーブランドやグッズブランドの立ち上げにも挑戦したいと考えています。水星が掲げる「メディアとしてのホテル」という言葉の、「ホテルで体験した心地よい空間やアイテムを、そのまま自分の生活に持ち帰る」という考え方が好きで。空間だけでなくプロダクトの面からも「ライフスタイルの試着」を支えていく、それが僕がこれから水星で切り拓いていきたい道です。
一最後に、水星への応募を考えている方へメッセージをお願いします。
木村:
水星は「やりたいことなんでもやれる」もっというと「やったもん勝ち」な場所だと思っています。自分の培ってきた専門性は大切にしながらも、その領域からどんどんはみ出して想像力をフルに発揮できる人。そんな方と一緒に、これからのホテルの形を作っていけたら嬉しいですね。
