水星に新しく入社した社員にインタビューをする入社エントリ企画。
今回ご紹介するのは、2025年11月にHOTEL SHE, KYOTOのホスピタリティスタッフとしてジョインした、中島ことさん。京都大学の総合人間学部で心理学や哲学を学んだ後、新卒で東京のITベンチャー、そして海外モデル事務所のマネージャーという異色のキャリアを歩んできました。
「自分は山登りタイプではなく、川下りタイプ。」そう語る彼女が、なぜ東京から京都への移住を決意して、未経験のホテル業界への転職を決意したのか。自身の直感と心の動きを信じ、新たな挑戦を始めた中島さんに、お話をうかがいました。
本と過ごした金沢、自由を知ったアメリカ。肌感覚で選んだ土地で築いた「自分のお城」
ーまずは、中島さんのルーツから教えてください。ご出身の金沢は、ユニークな本屋さんやカフェがたくさんあって、どこか文学的な香りのする街というイメージがあります。読書家の一面もある中島さんの文学的な視点は金沢のそういう文化の中で養われたのでしょうか。
中島:
生まれが石川県の金沢で、実家は兼六園の坂を登った辺りの、昔ながらの商店街エリアにあります。でも私が金沢の文学的な雰囲気を感じるようになったのは大人になってからで。今思えば学生時代にもっと金沢の町の文化的な側面を満喫していたらよかったなと思います。
暮らしていた当時は全然歴史など感じておらず、ただ、本がすごく好きな子供でした。しかも魔法や架空の動物などが出てくるフィクションが大好きで、だいぶメルヘンちっくな子供だったと思います。金沢が関係あるとすれば、北陸は雨や曇りの日が多い地域なので、外に出られないぶん室内で過ごす時間が長かったことですかね。今に至るまでずっとインドア派で、運動は苦手です。
ー小学校3年間を北陸で過ごされた後2年間アメリカに住んでいた経験があるとのことですが、アメリカでの経験はご自身にとって何か変化はありましたか?
中島:
家族の仕事の都合で、アメリカのノースカロライナ州に2年間住んでいました。車がないとどこにも行けないようなカントリーな感じで、毎日スクールバスで学校に通っていました。アメリカに行く前は友達と離れるのが嫌で大泣きしたんですけど、向こうへ行って半年くらい経ってだんだん英語が喋れるようになると、一気に楽しくなりました。
アメリカの学校って、日本の学校とはやっぱり全然違って。例えば日本だと、机と椅子がきちんと等間隔に並んでいて、全員が前の黒板の方を向いて先生から授業を受けるのが当たり前ですよね。アメリカでは机の配置がカタカナのコの字やハの字だったり、六角形のテーブルでグループになっていたり、教室にソファやゆり椅子などもあったりして。そして、これまた本を読むだけのリーディングという授業があって、その授業ではソファに寝転がってもよし、地べたに座ってもよし、思い思いの場所と体勢でただそれぞれ本を読むんです。そういう底の抜けたような自由さの全てが、それまでどちらかというと真面目っ子だった私にはすごく新鮮で、「あ、こんなんでもいいんだ」って、自分の常識がひっくり返るような感覚がありました。
アメリカ時代の思い出のもの
ー日本に戻って、中学・高校時代はどのように過ごされていましたか。
中島:
アメリカから帰ってきた後の日本の学校はとても窮屈に感じられました。中学英語ではアルファベットの書き順からやり直させられ、授業中に別のことをしたら怒られる。あまりの退屈さと理不尽さを感じた当時の私は「英検1級を取れば、さすがにこの授業や宿題は必要ないと認めてもらえるのでは」と考え、勉強して合格したのですが、例外は認められませんでした。私なりの小さな抵抗だったのですが、日本の学校では自由は少ないのだな、と悔しく感じました。
中学では吹奏楽部に入りました。パートはフルートで、アンサンブルで音が重なり調和する感覚がすごく好きでした。運動部への憧れもあったものの、運動神経が絶望的に悪かったので、高校では女子ハンドボール部のマネージャーをやっていました。
大学受験では、京都という土地への憧れと、「総合人間学部」という「何でもできそう」な学部名に惹かれ、京都大学を志望しました。法学部に行ったら弁護士、経済学部なら銀行関係、みたいに、学部を選ぶと将来の選択肢が狭まってしまう気がして、まだ決められなかったんですよね。あとは、東よりも西の方が心地良さそうだと、肌感覚で惹かれていたと思います。
最初は人の「心」に興味があったため心理学を学び、特に夢分析にはまりました。途中からは心理というより、考えるという行為自体に興味がうつって哲学を学び、卒業論文は「遊び心」をテーマに書きました。サークルでは、アメリカのルーツミュージックである『ブルーグラス』を演奏していました。流行りの音楽よりも、マイナーなジャンルに惹かれた愉快な仲間たちと、よく鴨川で練習していました。
京都での大学生活は、初めての一人暮らしも相まって日々とても楽しく、それまでの窮屈さから解放された自由を感じて過ごしていました。当時住んでいた六畳間のアパートもそれを守る大切な存在で、「自分のお城」という感覚でした。
大学時代 ブルーグラス
海外モデル事務所マネージャーとホテリエとの共通点
ー前職は海外モデル事務所というまた新たな世界に飛び込まれたとお聞きしましたが、卒業後のキャリアについて教えて下さい。
中島:
振り返ると、大学選びでも就職活動でも、「直感で心地よい場所を選ぶ」ことを軸にしていたのかも、と思います。就職活動では、商社やコンサルなど、『自分には合わない』と思う業界は削ぎ落とし、自分が純粋に『好き』だと思えるエンタメ業界を志望していました。自分の『好き』もそうですが、人が何かを『好き』と思うときの胸のときめき、心が動かされるような瞬間を作ることに関わりたいと思ったからです。
しかしエンタメ業界は狭き門で、就活は思うように行かず、内定をいただいたベンチャー会社に新卒で入社しました。コンテンツ制作という点でエンタメとも近いと思って入社したのですが、社風が合わずしんどくなってしまい退職して、新卒2ヶ月で無職に。しばらくは落ち込みもしましたが、卒業して東京に出てきたばかりなのに、まだ実家にも京都にも戻るわけには行かない、と思っていました。東京での新たな「自分のお城」を維持するために、何とか英語という強みを活かせる仕事を探して見つけたのが、スタッフ数20名にも満たないモデル事務所での仕事でした。
私は海外モデル担当の部署で、海外の事務所とやり取りしながらモデルの来日手配をし、日本国内でアパレルの撮影等の仕事をブッキングするマネジメント業務を担当していました。世界各国からお仕事をしに日本にやってくるモデルたちをマネジメントするのですが、日本とは異なる価値観を持つモデルの子たちとのやり取りは、日々予想外の連続でした。連絡なしに遅刻するのは日常茶飯で、そのほか様々なハプニングも起きる毎日で、臨機応変な対応力が求められる環境で、自然とタフさも身についていきました。
モデル事務所時代 モデルたちと
モデル事務所時代 ショーの様子
その事務所で3年間働いて、一通りの経験はできたなと思ったタイミングで、「そろそろまた京都に住みたいな」と思い始めるようになりました。そうして、京都での転職先を探している時、Wantedlyを通して永田さん(CHILLNN代表)からメッセージをいただきました。学生時代から翔子さんのTwitterや「泊まれる演劇」のニュースを見ていて、水星/CHILLNNのことは「面白い会社だな」と認知していたので、嬉しかったですね。
最初はCHILLNNと水星、両方検討していましたが、水星が掲げる「ホテルはメディアだ」というコンセプトが一番の決め手となり、水星への入社を決めました。東京でキャリアに迷っていた時、編集というものにも興味を持っていたんです。さらに私がやりたかったのは、紙の上の編集だけでなく、「場の編集」というようなことではないかと考えていました。空間や人、モノをうまく配置し繋げることで、新しいものが生まれたり、誰かの心が動いたりする…そんなことができたらいいなと。
転職活動で水星についてより知っていく中で、HOTEL SHE, のサイトやSNSから、SHE, のロビーで行われたイベントやポップアップの内容を見て、まさに自分が考えていることと通じていると感じました。そして、ホテルを「いろんなことをできる箱」と捉える水星でなら、ホテルという空間を通して私のやりたい”編集”が実現できるのではないかと確信しました。
東京時代に受講した本屋主催の編集ワークショップで作成した雑誌。
これで編集により興味が湧いた。
多様な個性が生む熱量の渦の中で、心地よい流れに身を委ねる
ー 実際に入社してみて、仕事面や働く人についてのギャップや驚きはありましたか?
中島:
入社前からある程度聞いていたので、大きなギャップではありませんでしたが、やっぱりホテルスタッフの業務領域の幅広さには驚きました。
また、ホテルの現場業務は前職のモデル事務所でのお仕事の内容と共通点が多いというのも意外な驚きでした。例えば、前職ではモデルが滞在する専用アパートの管理も私の仕事で、モデルの出入国に合わせて部屋の掃除を依頼していたのですが、ホテルの現場でも同じく清掃スタッフさんに客室の清掃をお願いして毎日朝礼を実施しています。モデル事務所のマネージャーは、ブッキングだけでなく、アパートの管理や海外事務所との契約、ビザ申請、モデル一人ひとりのケアまで、多岐にわたる業務を担います。この「一人が全方面の軸を持って動く」スタイルは、水星のマルチプレイヤーが多いカルチャーに似ている部分があるように思います。あとは細かな話だと、HOTEL SHE,では海外から来られたゲストからご当地のお土産をいただくことがあり、これも前職時代を思い出す風景です。
ホスピタリティにおける考え方にも共通する部分があるように感じます。海外の常識と日本のルールとの間で、折り合いをつけながら海外のモデルたちをケアする調整役としての経験は、今のホテルの現場でも活きています。ちょっとしたトラブルがあっても、ゲストに寄り添った柔らかなコミュニケーションで雰囲気を和ませることを心がけています。
気がつけば、私が大事にしているのは「目の前にいる人(前職ではモデル、現職ではゲスト)に、自分がその場でできる限りの一番の幸せを届けようとすること」でした。そう思うと、異業種へのキャリア転換として飛び込んだつもりだったホテル業は、前職の経験を自然に発揮できる場所だったのかもしれません。また、「コミュニケーション」が何よりも大切なんだと強く思うようになりました。ゲストとのコミュニケーションの積み重ねがその空間の雰囲気を柔らかくするし、コミュニケーションを大事にできる空間だからこそゲストに寄り添った対応ができるのだと感じています。
ー 入社してからキャリアへの向き合い方に変化はありましたか?
中島:
これからのキャリアについては、正直なところ、将来のビジョンはまだ漠然としています。でもその分、全方向への選択肢が広く見えている状態です。まずは色々なことに挑戦してみて、自分が一番貢献できる場所、「Will・Can・Must」の真ん中を、ゆっくり探っていきたいなと思っています 。
水星には、本当にいろんな歴史や背景を持った人が集まっていて、雑談しているだけで面白いです。固定観念にとらわれている人は全くいなくて、みんな新しい価値観や変化にすごく柔軟。トレンドに敏感というよりは、新しい考え方そのものを楽しめる人が多い印象です。やりたいことも人それぞれで、明確な目標を持っている人もいれば、私のようにまだ探っている最中の人もいる。そんな多様な個性が共存しているのが、この会社の魅力だと思います。
水星の面接の際に、代表の翔子さんに「中島さんは、山登りタイプじゃなくて川下りタイプなんだね」と言われたのですが、それがすごく腑に落ちたんです。確かに自分は高い山の頂上を目指してガツガツ登っていくのは得意ではなくて、流れに身を任せながら、その中でいろんなものを掴んだりしながら、心地良い方向に動いていきたい。そんな私の「川下り」のようなスタンスも、水星というチームは一つの個性として受け入れてくれました。チームには山を登る人もいれば、私のように川を下る人もいて、そのバランスがあるからこそ、組織としてうまく回っていくんだと思います。この自由で熱量のある環境の中で、私なりの「場の編集」を形にしていきたいですね。