「“難しい仕事”がしたかった」IT立国エストニアから帰国したエンジニアが選んだ次のチャレンジ
「稼ぐ力をこの国のすみずみまで。」をミッションに掲げるSO Technologies株式会社。同社が提供する運用型広告の統合管理プラットフォーム『ATOM(アトム)』は、2015年のサービス提供開始以来、延べ400社以上の広告代理店が導入しています。
Forkwell Pressではすでに企業理念について、ATOMの開発理由についての記事を掲載済みですが、今回はSOTのテックリードとしてATOMの開発に携わる島田文平さんのインタビューをお届けします。
(転載元:Forkwell Press エンジニアの生き様をウォッチするメディア)※インタビュー内容は取材時点のものです。ご了承ください。
IT先進国エストニアでエンジニアとして働く
2020年8月、SO Technologies株式会社に異色の経歴を持つエンジニアがジョインしました。大学卒業後、株式会社ビズリーチに入社し2年後に起業、2018年末からIT先進国エストニアに渡ったという島田さんは、なぜ帰国後にSOTに加入したのでしょうか?
前半は、誰もが気になるエストニアのエンジニア事情も併せてそのキャリア選択に迫ります。
島田:昨年夏、エストニアから帰国後SOTに入社しました。新型コロナウイルスの感染拡大による影響も大きかったのですが、日本で働くに当たって重要視したのは「仕事の難しさ」でした。いくつか内定をもらう中で、自分の重視する「難しさ」と業務内容、もちろんプロダクトの魅力なども総合的に考慮して入社を決めました。
―― 「難しい」にもいろいろあると思いますが、島田さんの求めている「仕事の難しさ」とはどういうものでしょうか?
島田:一つは自分の責任範囲の大きさ。前職では、プロジェクトの一部、具体的にはフロントエンドのテストから一任されていたのですが、自分としてはもう少し大きな領域、インフラからバックエンド、フロントエンドまでを見渡せるようなポジションにチャレンジしたいという思いがあったんです。プロジェクト全体を見ることになれば、大きな責任を負うことになるのでそちらの難しさもありますし、当然カバーしなければいけない技術も幅広くなります。エンジニアとしてより難しい仕事をすることになりますよね。
―― 今の仕事では技術的な難しさもあるのでしょうか?
島田:広告運用の部分で、FacebookやGoogle、Yahoo! など外部 APIを利用する機会も多く、 自分たちだけでコントロールできない難しさはありますね。弊社プロダクト『ATOM』の中でも処理がたくさん発生する部分をつくらせてもらっているので、考えなきゃいけないことも多くて難しさを感じています。
個人的には、技術的に難しいほどうれしいです(笑)。
―― 経歴を拝見すると、やはり目を引くのは「エストニア」ですよね。なぜエストニアで働こうと思ったんですか?
島田:一度は海外で働いてみたいとずっと思っていたんですよね。なぜエストニアだったのかというのは本当に偶然で、2017年のゴールデンウイークにフィンランドに旅行したんですね。フィンランドは学部生の頃に専門にしていた教育の先進国ということで行ってみたかった国だったんです。そこで「IT国家として有名なエストニアに2時間くらいで行けるらしいよ」という話を聞いたんです。「それなら行ってみるか」くらいの感じだったんですが、そこでいろいろな人と話す機会があったんです。
当時、自分もエンジニアとして実力がつき始めていたという実感があって、次のチャレンジを探していた時期でもあったんです。外国人としてエストニアで働いているエンジニアの姿を見て、チャレンジしてみようと思ったのがきっかけですね。
IDカード一枚で医療サービスをシームレスに提供する北欧の小国
―― 普通は「いい国だね」で終わるじゃないですか。そこでエストニアに行ってしまおうというのはかなり思い切った決断ですよね。
島田:とりあえずタイミングでしょうね(笑)。年齢的にも26、7で、技術的にも勢いがあって、「今なら行ける」という感じがあったんでしょうね。
そういうときに行っておかないと海外で働くのはなかなか難しいと思って決めたというのはありますね。
―― 実際に働いてみたエストニアはどんな国でしたか?
島田:エストニアはもともと当時のソビエト連邦から1991年に独立した国なんですけど、資源も乏しく、お金もないので、国全土にインフラを配備するのにどうにかコストを低く済ませられないかと苦心していたそうなんです。
ただ、ソ連の情報系の技術者が集まっていたらしくて、そこを強みにしてインターネットを通じて立国していこうと独立時に舵を切ったらしくて。小さい国ですが、電子立国としては進んでいて、国民全員がマイナンバーカード的なものを持っていて、役所の手続きはもちろん、医療データもそのカードにひも付いています。
エストニアで病院に行ったときに薬を処方してもらったのですが、紙の処方箋を渡されなかったんです。「どうやって受け取ればいいんですか?」って聞いたら、「薬局でカードを出してくれ」といわれて、半信半疑でカードを見せたら薬が出てきました。こういうところはすごいなと思いました。
―― 外国人エンジニアも多いんですか?
島田:いましたね、たくさん。エストニアはEU加盟国なので、EU内ならビザがいらないこともあって、外国人が働きやすいんだと思います。
―― 日本人は珍しいですよね?
島田:日本人は全然いなかったですね。中国人もあまりいなくて、アジア人すらほとんどいませんでした。なので、めちゃくちゃ珍しがられて「なんでエストニアに来たの?」とよく聞かれました。
―― エストニアではどんな企業で働いていたんですか?
島田:エストニアの中では一番の大企業という位置付けの会社で、社員は1000人以上いて、政府系のインフラを制作するような会社でした。
そこでフロントエンドのエンジニアとして働いていたんですが、日本だと行政インフラに関わるようなものだと、それこそバージョンの古い Java だったり、COBOLとかだったり「枯れた技術」を使うことが多いのに、日本のベンチャー並みに新しい技術をガシガシ使っていたのは驚きました。
マイクロサービスアーキテクチャだったりフロントエンド開発ではReactを使っていたり、技術を取り入れるスピードはやっぱりIT先進国なんだなと思いました。
コロナ禍で帰国、次の仕事に選ぶ基準は「難しさ」だった
新型コロナウイルス感染拡大によってキャリアプラン変更を余儀なくされた島田さんは、2020年4月に日本に帰国。新たな生活を始めることになります。
冒頭語ったように、日本での仕事の条件は「難しい」仕事。帰国後に暮らした軽井沢でしばらく充電期間を過ごした後、就職活動を始めました。
―― 帰国したのは新型コロナの影響ですか?
島田:エストニア自体の感染状況は当時はまぁ平和なものだったんです。エストニア人は、人との距離感が日本人に近いところもあって、ハグもあまりしないし、寒いから家にいることが多くて、元々おうち時間が充実していたと思うんです。人口密度も低いですし。でも、近隣諸国の感染が増えているというのはあって、「このままじゃ日本に行く飛行機が飛ばなくなる」という危機感はあったんです。
エストニアから日本に帰るには、ロンドンのヒースロー経由とか、ドイツのフランクフルト、フィンランドの空港などいろいろなルートがあるんですけど、飛行機がどれくらい飛んでいるのか調べたときに、フランクフルト経由しか飛んでなかったんです。これも飛ばなくなったら帰れないという危機感から日本への帰国を決めました。
―― そして日本で就職先を探すことになったんですね。
島田:帰国後はしばらくダラダラして、就職活動を始めました。一番大切にしていたのは「難しい仕事を任せてくれる」ということでした。条件面でいえば日本でも感染が増えていたので、フルリモートの方がいいなというのもありました。
そんな中で、テックリードとしてオファーしてくれたSOTが一番大きな裁量をくれそうだったのと、 GO 言語、フロントエンドのVue.jsと、自分が使いたいと思っていた言語、技術を採用していたことが決め手になり、ジョインすることになりました。
―― 現在携わっている『ATOM』の目指すところもそうですが、企業としてのミッションみたいなものも重要なのかなと思います。
島田:自分の中で、「できるだけ世の中に貢献する仕事がしたい」というテーマはあったので、代表と話をしてすごく共感できると思っていたので、それも大きいですね。
プロダクトに関しても、それを利用することで価値を生む、世の中に新しい価値が生まれるようなプロダクトを届けたいと思っているので、ミッションやビジョンに共感する点は多かったです。
―― リモートという点では、いまもフルリモートで軽井沢で仕事をしているとのこと。テックリードとしてチームを引っ張る立場にあると思うのですが、その点は問題なかったですか?
島田:フルリモートで働くのは初めてなのですが、オンライン会議と Slack で全く問題なくできているという感じです。移転前のオフィスに一度、このオフィスに来るのは今日が初めてですね(笑)
メンバーに「任せる」チームビルディング
裁量があるから責任を持って仕事ができる
―― 『ATOM』の開発に携わっているとのことですが、現在のお仕事について教えてください。
島田:運用広告のプラットフォームである『ATOM』に関して、広告の自動運用の部分をつくっています。例えばハロウィンの広告を出す時に、Facebook、Google、Yahoo!など複数の媒体に出稿すると思うのですが、手入力でそれぞれの予算利用を管理するのって結構手間だと思うんですよ。計算自体は単純なものなんですけど作業量は増えていってしまう。
そこで、前日の運用額等から算出した数値に応じて自動で運用してくれるシステムができないかと。複数の広告運用の自動化システムですね。こちらを年内のリリース目指して制作中です。
―― チームは何人くらいですか?
島田:エンジニアが自分も含めて5人、デザイナーが1人にプロダクトマネージャーが1人、広告運用をずっとやっていた人の8人ですかね。
―― テックリードとしてチームをマネジメントする機会もあると思うのですが、気をつけていることはありますか?
島田:全部自分が仕切るというのではなく、それぞれの特性に合わせてそれぞれが責任を持ってやるということですね。メンバーの中でずっとGoを使ってきていて言語に対する知見がある人がいるので、Goに関してはその人の意見を取り入れるようにしたり、自分がこの仕事に求めた「難しさ」と同じように、プロジェクトの中での個人の役割を明確にした上で、裁量があるという状態にしたいと思っています。
マイクロサービスアーキテクチャで構築しているので、一つの機能につき一人が責任を持つというのが比較的やりやすい。失敗したら、何が悪かったのかどこで詰まったかがわかりやすいというツラさはあるんですが、全体の効率というか健全なかたちではあるのかなと思っています。
――自分の裁量でできることを増やしたいとおっしゃっていましたが、チームに対しても同じようなアプローチでということですね。ある程度のところまで個人で進めるリスク回避というか、チームマネジメントで心がけていることはありますか?
島田:設定や進行状況はドキュメントに残して共有するようにしています。記録として残しておくことで、新しくメンバーが入ってきた時にもわかりやすいなと。このあたりはエストニアでは人材流動性が高いので、徹底していました。
―― チームとして働くのにメンバーも大切な要素だと思います。島田さんが一緒に働きたいエンジニアってどういうエンジニアですか?
島田:いろいろあるんですが、一番大きいのは「好奇心が強い人」ですかね。
労働時間が際限なく長くなるのはよくないと思いますが、普段から最新技術のキャッチアップをすることが苦じゃない人。そもそも私がエンジニアになるきっかけになったwindows95のチーフエンジニアも務めた中嶋聡さんは、「朝4時に起きて家族が起きてくるまでの間にプログラムを書くのが集中できて最高に楽しい」って言ってるんですよ。60歳を過ぎた今もバーチャルカメラアプリ mmhmm(んーふー)に出資するだけじゃなくて、開発者として参加している。つい最近もAppleのイベントに間に合わせるために、3日徹夜してアプリを制作したと言っていて、本当にプログラムを書くのが楽しいんだろうなと思うんです。
技術が好きで新しいことにチャレンジする好奇心があって、というエンジニアには憧れますし、一緒に働きたいエンジニア像でもあります。
(転載元:Forkwell Press エンジニアの生き様をウォッチするメディア)
※インタビュー内容は取材時点のものです。ご了承ください。)