少し前に「好きなことで生きていく」などのタイトルで動画が流行った時期がありましたが、最近は以前と比べ見かけなくなりました。
「やりたいこと」がある人は沢山いることでしょう。
またそれと同時に、「やりたいこと」が分からない人、忘れてしまった人、封印してしまった人も沢山いると思います。
よく「やりたいことで飯が食えたらどんだけ楽か」などと揶揄され、二言目には「現実を見ろ」と言われたりします。
確かに「やりたいこと」をやって自活できている人は輝いて見えたり、羨ましく見え、妬まれる対象にもなります。
しかし、「やりたいこと」とは=自分の好きなことばかり、=楽なことなのでしょうか?
そして「やりたいこと」は最初から「できること」だったのでしょうか?
先にお伝えしますが、私の結論はNOです。
「やりたいこと」を安直に考えてはならないし、無理に見つけてはならない。
また無理に見つける必要もないのです。
そして「できること」を真剣に考えなければならないと考えています。
なぜそうなのか?その内容について是非一緒に考えていきましょう。
「やりたいこと」は人に認めてもらう必要はない
まず最初に考えたいこととして「やりたいこと」=「好きなこと」でしょうか?
そして「好きなこと」=「楽なこと」でしょうか?
世間の多くの大人の価値観では上記のように、{やりたいこと}={好きなこと}={楽なこと}という方程式でつながり、「やりたいことをやりたい!」=「楽したい!」という脳内で訳され、結果として「それは無理だ。現実を見ろ。」というソリューションを提示してくるのだと個人的に思っています。
だからと言って多くの大人が間違っているわけではありません。
主張するこちら側にも問題があるのです。
「やりたいこと」はどこに目線を置いていますか?
①5分後やりたいこと
②明日やりたいこと
③1年後やりたいこと
④10年後やりたいこと
どうでしょう?①と②は同じ感じがしますが、時間軸の違う③と④は同じ「やりたいこと」でも感じが異なるのではないでしょうか?
①と②に関しては論外として、③と④を主張してもほとんど聞いてくれません。
なぜでしょう?
それはそこに行く着くプロセスが見えないからです。
なぜ見えないか?それは経験したことがないからです。
人は元来、経験したことがないもの・見たことがないものは認めたがらないし否定したがるものです。
それは原始的・生物的本能で「経験したことがない=変化すること=死」と感じるからではないかと考えています。
現代社会では、人間が動物としての身体的な死(=直接的な死)よりも社会的・経済的な死(=間接的な死)を恐れる傾向にあり、「間接的な死」を経験したことがないことに投影させるのではないでしょうか。
もしそのような仮説の基、全ての人は経験したこと以外はやらない性質であれば、世界は原始時代のままで人間は絶滅していたでしょう。
話が脱線しましたので、戻ります。すみません。
私はつくづく、人は「経験の中でしか判断できない」生き物だと思っています。
「経験をしたことがないことに挑戦した」という経験がある人は、他人が同じことをした時の考え方が異なる傾向にあります。
その為、先の問題も《行き着くプロセスが見えない→経験したことがない→判断できない→変化はリスク→やめた方が今ここで生存する確率は高い》いうことで基本的に認めてくれません。
さて、ここまでよくわからない生物的な話や意味不明な論理を読み進めて頂いて薄々感じている方も多いかもしれません。
「やりたいことって、そこまでして人に認めてもらってからやり始めるのか?」
そう、ここまでの話は全く意味のなさない不毛な話です。
お付き合い頂きましてありがとうございます。
「やりたいこと」は基本的に「できないこと」が多い
さて、やりたいことが人からの承認を必要としないことが分かったら、何を見るべきか?
「あなたが今できること」です。
既にやりたいことがある人はそれに向かって、調べる・スキルを磨く・仲間を探す・資金調達するなど、今できる行動を起こせばいいのです。
やりたいことがない人は、やりたいことを見つける必要性やなぜそれが必要なのかを考える・理想像に近い人と話をする・いなければ友達にそんな人がいないか聞いてみる・Facebookなどで募集してみるなど、今できる行動を起こせばいいのです。
あなたが今できることにフォーカスを当て、できることをし続けるのです。
し続けて、し続けて、し続けて初めてやりたいことが見つかって、それができるようになっていくものなのです。
だから「やりたいこと」と「できること」は違うのです。
そうやって行動していくと、やりたくないことや嫌なことに出くわします。
ここを避けると一つ上で取り上げたように「やっぱり無理じゃん」と言われます。
そんな時、色々な考え方があります。
・「やりたいこと」「やるべきこと」「できること」の3つに分けて考える。
・引いて見て考える
・遠い先の着地点を意識して考える
など、どれも自分を納得させて痛みを麻痺させようとする為の方法です。
最近よくテレビに出演されている林修先生は、正しい方向に対して正しい量の努力をしなければ、いくら努力しても実を結ばない可能性が高いというような話をされていた記憶があります。
いわゆる戦略的に努力をしなければならないということです。
しかし、大概努力の中身は嫌いなことでやりたくないことです。
それを論理を使って自分に落とし込んで、「やりたくないー」とか言いながらも、もう一人の自分が「いや、それは・・・」などの論理で説き伏せて感情と折り合いをつけ、葛藤を感じながらも戦略的努力をみんながみんなできるでしょうか?
だから、JUST DO IT. なのです。
「あなたが今できること」を行動するのみです。
精神論ではなく、行動論なのです。動きながら考えればいいのです。
特別なことは必要ありません。得意な行動パターンから入っていいのです。
どうやって行動を起こすか考えるところから行動を起こしましょう。