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フィリピンで「プログラミング ✖ 英語」元祖エンジニア留学を立ち上げた侍

自己紹介

Shinya Hirai / 平井 真哉(James, ベイビージャイアント)

経歴

神戸学院大学スポーツマネジメントユニット(バスケットボール部所属)

プログラマ武者修行

iOSアプリ開発インターン

フリーランスエンジニア

NEXSEED立ち上げ

エンジニア留学立ち上げ

日本国内でテックスクール立ち上げ

NEXSEEDエンジニア部リーダー

趣味

プログラミング

筋トレ

バスケットボール

ゲーム

断食

なぜフィリピンだったのか?

自分がフィリピンを選んだ理由

日本でフリーランスとしてやっていたエンジニアの仕事がすべて遠隔でできるようになり、「場所に囚われずに働けるな」と思ったのがそもそも海外に出ようと思ったきっかけでした。

中学生の時、英語学習でおもいっきり挫折しました。そのまま中高大と英語のテストは赤点続きで、完全に苦手意識を持ち絵で書いたようなアンチ英語だったんです。

ですが、プログラミングを始めて改めて英語の重要性を考えるようになりました。

プログラミングは、関係する公式ドキュメントやトレンドの情報も全て英語で情報公開されることが多いので、英語習得は必須です。英語が克服できたら、自分の仕事の幅が広がるのと、シリコンバレーにいるようなエンジニアと一緒に仕事をするためには、彼らと英語でコミュニケーションを取る必要があると思ったので、思い切って環境を変え英語をマスターしようと考えたのがきっかけです。

海外といっても候補となる国はたくさんありました。

そこで、「英語圏の国」「物価が安い」「陽気な南国」の条件で探したんです。海外に出たい目的のひとつが英語学習だったので、英語圏であることがまず必須でした。

そして、グローバルなフリーランスエンジニアって、なんとなくバックパックで毎日気ままに移動しながら活動してるイメージがあったので、日本の仕事を遠隔でこなしながらも最低限の生活ができるよう物価の安さも条件に入れました。

さらに夏が好きだったので、年中暖かくて海が綺麗、住んでいる人も陽気で生活してて楽しそうな南国というのも候補にして探してみました。

結果、フィジーとフィリピンの2国が候補としてあがりました。

フィジーはオーストラリアの横くらいに位置していて、どうせなら赤道越えるくらい遠いほうが良いかとはじめはフィジーに行くつもりで準備をしていたんです。

そんな時に知人伝いに「フィリピンにあるネクシードという会社が海外に出たいエンジニアを探している」と聞き、赤道を越える前に一度話だけでもしてみようと思ったんです。

面談は代表の高原とでした。

最終的に、7回に及ぶ高原直々の面接を受けたのですが、猛烈に惹かれ多くのことを感じ、セブで働くことを決めました。

当時ネクシードにはひとりもエンジニアがいなかった、というより中核になる社員も代表合わせて3人しかおらず、オフィスと住居が一緒で皆でマンションに住み込みで生活していました。まさに絵に描いたようなイケイケのひよっこベンチャーでした。

はじめは、エンジニアとしての私のスキルを測るため、2日間遠隔で実務を行うといった選考を受けました。毎日9時、12時、16時に代表から「こんにちは〜」とSkypeがかかってきて、「こんな感じのもの作って〜」とザックリとした依頼と無茶振りがあり、それを次のSkypeまでに仕上げて提出するという内容のものでした。

すでに条件や環境については説明を受けていて、セブに行きたい気持ちが強くなっていたので、かなり緊張感を持ってこの2日間を全力でこなしたのを覚えています。

その選考中に高原と話しをする中で、フィリピンという国の成長率や勢い、セブ島に実際に住んでみないとわからない国民性や発展途上国での学び、貧富の差についてなど他の国では絶対に経験できないような話を聞き、これまで「留学」「リゾート地」としてくらいしか知らなかったフィリピン・セブ島自体に是非行ってみたい!住んで実際に体験したい!と感じました。

また、海外に位置する日本人経営の会社として自由な考えやオープンな働き方、フィリピンの国民性もである陽気な気質やネクシードの魅力も知り、ますます働きたい!と思うように。

実際にフィリピン人のメンバーともSkypeで話す時間があったので、フィリピン人の明るさや英語力も事前に体験することができました。

日本人メンバーも変わった経歴の方ばかりで、おもしろくてしかも優秀、この環境でこのメンバーと働ければ一気に自分を成長させることができ、また世界へ踏み出す大きな一歩にすることができると感じました。

元々はフリーランスとして遠隔で仕事がまわせるようになったタイミングで、働きながら世界一周をするつもりで国を探していたのですが、それ以上に今ここに飛び込む価値があると本能的に感じ、稀に見る長さと回数の選考をやりきりました。(現在は7回もしません笑)

結果、他の選考者もいた中なんとか合格を得て世界への一歩を踏み出すチケットを手にでき良かったと思ってます。

家族や学校にはすべて事後報告、とりあえず行きたいという勢いに任せ、選考と合格通知にテンションが上がりきっていた私は、気がつけばその2日後にフィリピン・セブ島に降り立っていました。

あの時の選択は間違っていなかった。

思い描いていたとおりフィリピンはどこでも英語で会話ができ、南国で海もすこぶる綺麗、物価も日本の半分以下で済み、人々も陽気で発展途上国の勢いや活気があり、日本とはまったく違った国だと実感しています。

住みやすさや働きやすさも合う合わないあると思いますが、私にとっては日本よりフィリピンが合っています。

エンジニア留学をフィリピンで立ち上げた理由

まず、フィリピンという国は急成長中の発展途上国で人口も1億人を突破、GDP成長率もアジアでNo.1と超勢いのある国で、日本・韓国・ロシアなどの非英語圏の国から留学の地としてとても注目を集めるホットな国です。

そんなフィリピンという国で「英語 × プログラミング」という前代未聞の教育事業を立ち上げたきっかけは、私のプログラミング武者修行時代の経験と、フィリピンで教育事業を展開しているネクシードとの出会いにありました。

私がプログラミングをはじめたのは22歳になる直前、大学4年生の年でした。

今から4年半前になるのですが、もともと体育会系でスポーツばかりやっており専攻も筋トレの仕方や筋肉の部位の名称を覚えて将来はコーチやトレーナーに進むなどITとは無縁の状態からのスタート、しかもまったくの独学で進めていました。

あの頃は現在のようにIT教育の重要性など国で取り上げられてもいなかったので、学習するための環境がほとんどなく、小難しいプログラミングの書籍とネット上の情報のみで独学していくしかなかったのを覚えています。かなり苦労しました。特にPHPやRubyなどのプログラミング言語を、システムを開発できるレベルまでスキルを引き上げることなんか、全くイメージが湧かず、書籍やネット上の情報で基礎から始めると「1+1した結果が$numberという変数に入って、、、だから?!」といった具合でこれがどうやったらFacebookになるのか?とその時学習していた内容と自分自身が目指すゴールとが結びつかず、何度も挫折を経験しました。

それでもなんとか工夫を重ね、いろいろなスタートアップ企業の門を叩いて無給インターンで学ばせてもらい、スタートから8ヶ月かけてようやく基礎の基礎を身につけ有給のインターン案件を獲得しエンジニアとしての道をスタートさせました。

今振り返ってもそうですが、当時の8ヶ月は右も左もわからずとてつもなく遠回りをしていたなと思います。また、プログラミング学習をはじめた当初から、自分が成功モデルになってプログラミングの良さやエンジニアへのなり方みたいなのを、少数でもいいのでいつか周りにシェアしたいなと思っていたこともあり、Googleカレンダーに「html,cssをいついつ始めた」だとかメンターになるようなキーパーソンに会った日など細かく自分のストーリーを登録してたりしてました。

そんな経験をふまえ、当時のエンジニアの需要高騰や人材不足など世界的な情勢を知った時、自分が手探りでやってきた8ヶ月をギュッと凝縮して3ヶ月でプログラミングを習得できる教育システムがあればいいな。しかもそこで英語も一緒に学べて、日本人がもっと海外で活躍したり、フリーランスとして自由に働けるきっかけ作りができる場を提供できれば楽しそうだと思い、代表高原に提案したんです。

提案が通ってしまった。

そこからはもう怒涛の勢いで事業が立ち上がり、ゼロイチを経験しながら創り上げていく過程にすごく熱いものを感じ夢中でやりました。

もともとネクシードはフィリピン・セブ島でグローバル人材育成として語学学校を運営していたので、そこに新たなプランとして「エンジニア留学」をスタートさせました。

NEXSEEDの強みは?

まず1番は「コミット力」だと思います。

ネクシードはまだまだ若いベンチャー企業で、より大きく成長していくため設定する目標は数字であれ新規立ち上げ業務であれストレッチの効いたものばかりです。

ですが、メンバーみんな全力でその目標を達成するためにコミットし、メンバー全員でやりきる文化を醸成しています。

例えば私のようなエンジニアの場合、エンジニアだからとコードだけ書くのではなく、新事業立ち上げに必要な情報収集や外部との交渉、社内調整などすべてを行います。

そのために足りない部分は自分自身で努力して補い、足りない部分はメンバー同士がお互いをサポートします。

次に、尖った人がとても多いです。

よくネクシードメンバー全員を見て動物園と例えられるのですが(笑)、本当に多種多様なバックグラウンドをもったメンバーが集まっています。

元プロスノーボーダー、大学バスケ日本一、元大手アパレル会社のマネージャーや10年以上の海外経験を持つエンジニアなど、全然違った背景、価値観を持って生きてきた人達と仕事をし、毎日良い刺激を受けながら生活いています。海外ということもあるのかとにかく自由な人が多いです。

この先やりたいことは?

ネクシードとしては、今後はフィリピンだけでなく世界中にビジネスを拡げていきたい。

まずはエンジニア留学をシンガポールなどの東南アジアの国へ展開していき、その後は世界中で受講できるようにしていきたいです。

そして自分自身は世界中を飛び回りながらいろんなアイディアから出来たサービスのCTOとしてチームを引っ張っていく。

その為のアクションは既にいろいろと起こしていますが、自分自身まだまだ英語力やビジネススキルを伸ばす必要があるので、今はここフィリピン・セブ島で日々修行中です。

"平井真哉"がこれから世界に何を仕掛ける?

これから先人生をかけてやるなら絶対宇宙だと思っています。

幼少期の原体験から来るところもあるのですが、アインシュタインが好きで相対性理論の本など小さいころ読んでいたこともあり、宇宙に凄く魅力を感じています。

宇宙の起源とかブラックホールの仕組みと誕生の仕方、重力レンズについてなど永遠と調べてられるくらい宇宙にはロマンが詰まっていて、且つ今の人類が抱える課題を解決する方法のひとつとして宇宙進出は結構真剣に考えられる時代が来ました。

また、男として生まれた以上、世界にでっかいインパクトを与えるようなことをしたいと思っていたので、人類が宇宙に出る一歩に自分も貢献したいです。

人類が宇宙に出るための基盤を創っていきたい。

宇宙船自体の開発は今ホットな市場でイーロン・マスクはじめアマゾンCEOのジェフ・ベゾス、ホリエモンなどいろんな起業家の方々が事業を立ち上げ挑戦していますよね。

他にも衛星を使った地球規模の情報収集と有効活用だったり、宇宙太陽光発電や別惑星からの資源搾取など様々なビジネスチャンスを世界にインパクトを与える要素が宇宙には無限に拡がっているので、これらを実際に自分自身の手で事業化していき世界に仕掛けていきたいです。

また、こういった自分の夢を実現していく上で、ネクシードの環境は最高だと思っています。大きなことをするにはそれに応じた大きな力が必要で、ネクシードはそんな力を自分にも与えてくれています。

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