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広報は「縁側に座っている家族のなかの長女」

元「ひとり広報室長」だった社長大西に、広報について聞いてみた。

さくら事務所社長の大西倫加は、別のストーリーでも書きましたが、もともと「平社員」で、広報PRの専門スタッフでした。広報PRの専門家が二代目社長として経営者に抜擢されるケースは決して多くなく、「珍しい経営者」とよく言われます。

そこで、広報PR専門家としてだけでなく、経営者として関わった経験も踏まえ、代表大西に「あなたにとっての広報とは?」を話してもらいました。

広報は語り部

(大西)私は日本史が好きで、古来からの神話や伝説が好きなんですが、神話や伝説で語られているものは全部「主語」では語られていないじゃないですか。各々物語には語り部がいて、神話は伝聞で成り立ち、その伝説は他者が作っています。私は神話の語り部にあたる存在が広報だと思っています。

経営者(主語)が持っている考え方自体を世の中に広げていくことは、当然経営者本人も強い情熱を持っているので、主語としての経営者の強い言葉も大事ですが、より広く長く語り継がれるためには、経営者の思想にも語り部=編纂者(広報)が必要です。

編纂者(広報)がいるからこそ、「経営者の主語」を越え、時代や多種多様な人に受け入れられる言葉として拡がり受け継がれていきます。私はそのために伝説を語り継ぐ広報がいるんだと思っています。

なぜ編纂者(広報)が必要なのか

(大西)私はたまたま自分が広報から経営者になったので、「強い経営者としての言葉の部分」と「編纂者の部分」の両輪を持つことが今の自分の課題と捉えて工夫しています。経営者は自分ならではの哲学や信念と情熱を込めた言霊が必要です。でもその言霊だけでいろんな年代の人たちに想いが伝わるかと言えばそうではありません。

私が広報時代にすごく大事にしていたことがあります。広報の言葉は「自分の言葉」ではなくて、「相手ありきの言葉」なんですよ。相手がどんな年代なのか、どんな課題やニーズを持っている人なのか。ステークホルダーに合わせ、相手のフォーマットで言葉遣いも含めて語ることを意識をしていました。

SNS時代になり経営者は自分で語ることが必要になりました。経営者に発信力があったり、発信の仕方が上手ければ上手いほど、広報は「広報の存在意義や役割って何なんだろう?」とか「突飛なことを言ってバズらせるか?」とブレるかもしれないけど、そうではありません。

経営者は変えてはいけない言葉の部分を強く多く担っているから、経営者は「自分らしい譲れない表現でなければならない部分」が多く必要になります。逆に広報は相手や情勢に合わせて「柔軟に相手の言葉、相手が受け取りやすい表現を使う」武器を持つ役割です。だから最終的に「変えてはいけないブレない言葉」と「相手に合わせて相手の言葉を柔軟に使う」両方の武器を使いこなせると最強だと思うんですよ。

私の考える広報は経営者の言葉をそのまま翻訳する人ではなく、編纂者や編集者のイメージです。なぜ広報が編集者かというと、たとえば分かりやすい例だと、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」って本がありました。あの本は経営学者であるドラッカーの言葉をそのまま少しわかりやすくしたんじゃなく、ターゲットにあわせて企画構成されてるわけです。同じように小学生にドラッガーの言葉を伝えるんだったら、マンガってフォーマットがいいかもしれない。状況と対象に合わせて企画をプロデュースが出来るのが広報だと思います。

経営者の想定する範囲と時間軸を越え、広報が企画やプロデュースが出来る名プロデューサー・編集者であれば、経営者がどんなに言葉の手練や情報発信の達人であろうと、自分でYoutubeで語るほうが早かろうと、広報の存在意義はすごく大きいものになります。

広報は「縁側に座っている家族のなかの長女」

(大西)別のたとえをすると、広報は「縁側に座っている家族のなかの長女」の役割なんだと思います。日本家屋の縁側って家の内側と外側の曖昧領域を支えている橋の役割だから、縁側に座ると家の中のおおよそのことは見渡せますよね。

この縁側に座っている長女は、気持ちよくフレンドリーに外から縁側に人を招き入れて、家のなかのことをある程度正直に、だけど魅力的に語ってみせる存在だと思うんです。なぜ「長女」かと言うと、たとえば家のなかの様子は外からでも見ようと思えば勝手にのぞけるのに、縁側に座っている「長女の存在」で家がどう見えるか印象がずいぶん変わってくるからです。

長女がフレンドリーで相手に対するリスペクトや好奇心を持っていたら、心をひらかれた側は「長女の印象」を通して、そこに住んでいる家族のことを想像しますよね。

これがなぜ父親・母親ではないかというと、外から縁側に招かれた他者は、ありとあらゆるムラのうわさ話を縁側に持ってきて悪気なくしゃべります。その噂話( = SNSや世の中に出ている情報)の流行り廃りを上手く処理するのも縁側の長女の役割です。

縁側から入った情報をどう処理して家庭内に持ち込むか。もし全部スルーで持ち込んだらそもそも縁側や障子も必要ないし、長女が縁側にいる意味がない。いつも日本家屋で曖昧に中途半端にひらかれている縁側に長女が座っているのは、入ってくる情報を取捨選択するセンスが縁側に座っていることで担われているし、それぞれにどう反応・対応するかってセンスも長女が担ってるわけです。

そして家のなかの人たちは、長女のフィルターを通した情報が持ち込まれ、うまく取捨選択された言葉がある種和らげられ、家のなかで茶飲み話として機能するんです。

縁側に座っている長女はすごく重要な<ハブ>の機能で、それが<広報>だと思います。肝心なところでは縁側で家族を守りつつ、かつ家族のより良き面やチャーミングな面、本当はこうだって背景を、相手の好感度をうまく失わずに、むしろ上げながら伝え、相手側の状況へのリスペクトへつないでいけるかどうか。

これはすごく広報に問われるセンス、求められる機微です。傾聴と選択と広報、そして危機管理。これらが出来るかどうかはすべて広報のチャーミングさや、あらゆるものをリスペクト出来る謙虚さ、最終的には自分が広報している対象への根源的な愛が為せる技になります。

さくら事務所にとってメディアの存在

(大西)メディアの方々は、たとえば「人と情報のより幸せな関係」だったり、明日ひとが今日より幸せになれるような情報・知識をお届けする活動をされています。わたしたちは「人と情報で幸せな関係を目指されている方々」と、「人と不動産の幸せな関係を目指している」私たちでは円が重なりあう部分があると考え、その重なる部分で私たちは同志だと考えてます。

メディアの方々の応援がなければ今は成り立たなかったと本当に感謝しています。メディアの方々とは同志として歩んできたから、今の長い関係性があると思っています。

そういう意味で私は企業活動で内と外の垣根をほとんど作っていません。広報や対外活動に限らず、働くメンバーたちの雇用形態・かかわり方が多岐にわたることも含めてシームレスなんです。コンクリートの壁で外と隔て、内と外があるような感覚ではなく、まさに遮音性ほぼゼロな開口部が多く縁側で結ばれた日本家屋のような。だからメディアの方々とも相互支援関係にある同志と、勝手に捉えさせていただいてます。

オンライン・オフラインをうまく組み合わせること

(大西)私は性格が合理的なので、さくら事務所は10年以上前から働き方についてもフルフレックス、リモートワークを導入出来る人から導入していましたが、逆に言えば「リモートでやれ!」とも命令していないし、全員に強制したこともありません。リモートワークは手段でしかないから、より成果を上げるために、よりやりやすい方法であればなんでもいい、ただそれだけです。

だから当然そのときのミッションや職能もあるし、大事なことだけどリモートで成果が上がるかどうかは個人適性による。全員同じはずがないので、リモートワークをやっていたから言えるのは、逆に今度リモートワークにこだわりすぎて、リモートワークをやらないから古い考え方、アカンやり方、みたいになるのは違うと思います。

ちなみに広報・PRの仕事は一般的にリモートワークの適性があると思っています。リモートワークはテキストコミュニケーションが多くなるので、テキストコミュニケーションで力を発揮するタイプじゃないと、なかなか成果を出しづらい。広報・PRは基本的にテキストコミュニケーションに長けた人の集まりだと思うので。勿論そのなかでも濃淡はあるし、それぞれの強みの発揮しどころはあると思います。

リモートワークが力を発揮するのは「ひとりで思考を深める」「作業に集中すること」で、一方でアウトプットとインプットは、インプットはインプットするだけでは身につかず、アウトプットすることによってインプットが活性化します。このアウトプット由来のインプットで循環を回す仕事は、複数人でやることで、アイデアの化学反応を起こしたり、共時性(シンクロニシティ)が同時多発で起こる空間を共にすることは、オンラインではどうしても難しい。

リアルな場の空気を共有すると一瞬で出来ることや、化学反応が起こることも、私はオンラインでも起こせなくないし、やれると思っているものの、難しい傾向にあるとは思っています。

思考と作業をする時間を一定程度確保するために、深めた思考をせっせとテキストコミュニケーションで言語化していける人は、一定のリモート時間を持つことが大切です。あとは職種と仕事の繁忙との優先順位に依りますが、自分の想定以上までアイデアを発散させ、アイデアの同時多発を引き起こす場を一定程度どこかで持てればいいんじゃないでしょうか。

それはたとえば会議だけではなくて、オンラインインタビューの場と実際にリアルで食事をしながら会う場だと感覚が違うように、みんな仕事やチームに対する意識が違うから一概には言えませんが、一瞬でも会う時間があれば、30分の飲み会が掛け替えのない素晴らしい何かを生み出したり、直接会って握手できた感覚だけで、あと一ヶ月分我慢してやっていけるみたいなこともあると思います。

そんな直接会う場も大事なことは人生でも仕事でも同じかと。いかにうまく組み合わせるか、どういうチームで、どんな場を作るかは経営者や組織設計を担当する経営陣、あるいはチームを率いるマネージメント的な役割の人の腕の見せどころです。何でも一律で思考停止に考えるのはよくなくて、人と役割をみて、ふさわしい名場面をマネジメントやリーダーが作っていきましょうってだけでいいと思ってます。

パブリックリレーションズとは

(大西)パブリックリレーションズだから、パブリックとステークホルダー、あらゆる方々の広いリレーションシップがあるので概念がすごく広いと思っています。そのなかにマーケティングやプロモーションやいくつかの概念が入っていると捉えています。

私はマーケティングは恋愛だと思っているので、マーケティングの段階では自分が相手を好きになる気持ちと、相手を知りたい欲動や好奇心、あわよくば自分を振り向かせたい欲、悪気がなく無邪気で心理学的なスパイスのある駆け引きが必要です。

マーケティングより範囲の広いパブリックリレーションズは、恋が昇華した愛の形だと思っています。パブリックリレーションズに携わる人たちは、ある種の無償の愛の境地を持っていないといけない。どんな状況でもどんな人でもリスペクトをして、その人の最善を引き出す。パブリックリレーションズは、ものごとや状況、自分の関わるあらゆる人のできるだけ最善や良き面を見つけたり、自分がそれを引き出そうとする愛やリスペクトの懐が深い人ほど上手くやれる仕事です。

時に広報は経営者以上に共感力やメタ認知力が必要で、たとえば経営者が発言したときに、会社と親しくしている依頼者の立場からは良く見えるが、一方で傷つく人が少しでもいるなら、今の言葉の使い方はやめたほうがいいというメタ認知を広報は客観的にできるわけです。

広報にとって、思いがけないと最もで弱い立場に置かれている人がどんなことに傷つく可能性があるかなど一定程度事前に察知して配慮する力、その共感力やメタ認知力は大事な要素

そして広報は経営者に物怖じせず忠告出来るぐらいの胆力がないといけない。でも胆力だけでもダメで、胆力だけある無謀な人の意見を全部聞いていたら経営は成り立ちません。経営者も「この人の言うことだけは」聞かなきゃいけないと思うほど、会社やチームの成果に貢献できてる存在でないとダメです。

自分の仕事や役割の範囲で高い成果を上げ、経営陣の信頼を得ていて、かつ物を申せるほどの胆力を積み上げた信頼を使って言える。そういう愛と算盤のバランスが広報は必要な職種です。

■さくら事務所では広報PRのスタッフを募集中

さくら事務所の広報PRは大西の考え方を生かしてこれまでやってきましたが、今やその思いに共感してきたスタッフ皆が広報PRの文化を作っています。それは大西が最も望んでいたこと。

そして、いよいよ、これからのさくら事務所広報PRを新たに作るフェーズが来ました。

これまでを引き継ぐ・・・なんてことは考えていません。
いろんな考え方や経験を持ち合い、またまた新しいさくら事務所広報PRのカタチを作っていきたいというワクワク感が止まらないフェーズ。

未来に向け、新しい場所で広報PRの経験を活かしたいと思ってくださる方がいたら、ぜひご連絡をお待ちしています!
参考:さくら事務所採用ページ

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