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トルコで生物学の大学教授になる予定だった私が、コベツバのリードエンジニアになるまで

「物事の原理を知りたがる子どもだったので、将来は科学者になるのが良いのではないか、と先生に言われていました。」



マサカツ「まずは、簡単に自己紹介をお願い致します。」

エネス「リードエンジニアのエネス・カラバジャク、2022年12月現在で30歳になります。コベツバには立ち上げからジョインして、最初からサービスを作って改良してを続けています。今あるコベツバのほとんどのサービスを作り上げてきました。」

マサカツ「ありがとうございます。まず、そもそもエネスが何者?何故日本にいるの?というところからお話頂いても構いませんか?日本という国では、外国人の方がスタートアップの初期コアメンバーに存在するケースは、今でも非常に少ないですから。」

エネス「はい、分かりました。 6人兄弟の末っ子として生まれました。隠れて兄姉の数学や英語のテキストで勉強していましたので、勉強は良く出来ました。物事の原理を知りたがる子どもだったので、将来は科学者になるのが良いのではないか、と先生に言われていました。」

マサカツ「勉強すること自体に対しての心情はどうだったのでしょうか?」

エネス「今まで知らなかったことを知って、『ああ、なるほど』と理解するのが好きで、純粋に楽しみでした。それは今でも同様ですね。勿論、今は単にFunベースで好奇心の赴くままに勉強できる十分な時間がある訳ではありませんが。」

マサカツ「確かに。非常に想像できますね。さて、中学や高校で何か目立ったエピソードはありませんか?」

エネス「あります。中学3年の時に数学が全国で50位で入賞し、高校入学試験が全国で150位でした。この結果で、比較の対象が周いや地域から全国に変わりました。」

マサカツ「統計によるとエネスの学年のトルコの1学年の人数は約120万人。現在の日本の小・中学校の1学年の人数が100万人から110万人だから、それよりやや多い母集団でその結果ということか、素晴らしいですね。」

生物オリンピックへコミット。つくばでの世界大会に出場。

エネス「はい。その後、数学オリンピックに出場したいと思って、科学オリンピック選抜者を育成する特別な全寮制の高校に進学。数学と生物学を希望したものの、数学は選考で落とされてしまい、生物学の方が可能性があるのでそちらを薦められて、受け入れました。」

マサカツ「オリンピック選抜者を育成する学校があるって面白いですね、興味深いです。ちなみに、数学ではなく生物学でという結果は、すぐに受け入れることができたのですか?」

エネス「はい、言い忘れていましたが、私は中学校の頃から生物に関心があり、多くの時間を使って勉強してきて、当時、将来は生物学の教授になろうと思っていました。ですので、生物学でオリンピックを目指すのも悪くない、というか冷静になればむしろその方が良いのではないか、と思って受け入れることが出来ました。」

マサカツ「なるほど、よく分かりました。その後、生物オリンピックに向けた勉強が始まった訳ですね。順調に成績は伸びて行ったのでしょうか?」

エネス「はい、高校1年で一次試験で全国10位になり、自信を持つようになりました。その後、高校2年の時に行われた二次試験で落ちてしまいました。また、一次試験からやり直さなければいけなくなりましたが、その後に再度受けた一次試験が全国3位、高校3年の時に行われた二次試験が全国1位になり、国際のチーム、つまりトルコ代表に選ばれ銅メダルを獲得するのですが、そこで日本に初めて来ることになった訳です。」

マサカツ「と、言うとどういうことでしょうか?」

エネス「国際大会の会場が日本の『つくば』だったのですね。勿論、秋葉原にも行きましたよ。アニメや漫画も買いました。」

マサカツ「やっぱり、アニメや漫画は好きで結構見ていたのでしょうか?特にどういうものが好きとか教えてもらって良いですか?」

エネス「勿論です。高校は男子校で全寮制ですから、かなり厳しい環境ではあったものの、それでも時間を決めてアニメや漫画を見ていました。多くのものを見ていましたが、『鋼の錬金術師』や『ナルト』がお気に入りでした。」

マサカツ「そもそも、世界中にアニメや漫画はあると思うのですが、日本のアニメの何が他と違ったのでしょうか?」

エネス「繊細に感情を描いていて、受け手の感情を強く揺さぶる点です。そこが圧倒的に違いました。あと、世界観が優しくて、こんな人物になりたいと思わせる要素を持ったものでした。こういった作品を作り上げる国は素敵だな、行ってみたいなと思っていました。」

『オモロイ人が多そう』だと思って大阪大の大学院へ進学し、(株)STORYと出会うことに。

マサカツ「なるほど、その後一旦トルコの大学に進学して、大学院で再び日本に戻ってくる訳ですね。」

エネス「はい。生物学の国際オリンピックでの実績から、東大も選択することができたのですが、『オモロイ人が多そう』だと思って大阪大の大学院を選択しました。」

マサカツ「つまり、その頃から日本のお笑いを見たりしていたと言うことですか?」

エネス「日本語の勉強の為に見ていました。段々とお笑いを理解できるようになると日本語が理解できているな、という実感を持つことができたので、結構ハマって見ていたと思います。

ちなみに、大阪大学院時代にお笑いの『月曜から夜ふかし』に出演したことがあります。当時、寮に住んでいたのですが、日本語が異常に上手い外国人がいると言うことで取材を受けました。」

マサカツ「すごいですね。でも、私と始めて出会った頃のエネスの日本語って、まだ向上途中だった印象で、うちで個別指導塾のインターンを始めてから急激に伸びていった印象があります。」

エネス「そうです。やっぱり、複雑なことや抽象的なことを日本語で話す機会がなかったので、今から思えば即興では簡単なこと話すぐらいしかできませんでした。」

マサカツ「あ、その前に、まずどうやって、なぜうちのインターンを知って、エントリーしたのでしょうか?」

エネス「(株)STORYは当時、個別指導塾を阪大の近くで行っていて、寮の友人に紹介されてマサカツさんと面談して、インターンを開始しました。将来、教授になって教育する立場になるので勉強になるだろうと言うことと、自分自身の多方面での成長を期待して始めようと思いました。その友人にはとても感謝しています。」

マサカツ「懐かしいですね。面接の時にエネスにとっての外国語である日本語で必死に話してくれてたのを覚えています。」

影響できる範囲が広いのは、トルコで教授をすることではなく、勇気づけるプロダクトの作り手になること。

マサカツ「その後、インターンとして思い出に残っていることとしては何がありますか?

エネス「色々あります。自信を失った一人の子どもを勇敢に生きていけるように勇気づけられたこと。人間の能力分解・定義を行う部隊に所属して、高い解像度で人を分析して行ったこと。理論と運用の両方がなければ上手くいかないこと、などです。

マサカツ「るほど。それはそうと、大学院の生物学の研究はどうだったのでしょうか?」

エネス「はい、段々と自分が研究者向きの性格をしていないことが分かってきまして。笑」

マサカツ「と、言うとどう言うことでしょうか?」

エネス「まず、自分は人と協働していたいのですね。エンジニアリングを行っていますが、それは多数の関係者と協働しています。研究者は補助者はいますが基本は独力です。次に、影響の範囲です、これはマサカツさんから伺った話ですね。」

マサカツ「Linkedinの創業者であるリード・ホフマンの話ですね。」

エネス「はい、まさに、でした。研究者になって大学院の学生に影響を与える、それも良いのですが影響できる範囲は非常に限定的だなと思います。私は、自分が日本で勇気づけた一人の子どものように、大学院に来ることがないような子どもへも影響できることに携わりたいと思いました。」

マサカツ「そのタイミングで、私が新規事業であるEdtechのエンジニアとして誘ったので、と言うことですね。そこは素直に信じられたのでしょうか?自分のエンジニアとしての能力にしても、新規事業にしても。」

エネス「まず、前者、つまり自分のエンジニアとしての能力についてお話しします。高校時代の寮で友人に情報、つまりプログラミングのオリンピックの選抜を目指している人がいて、たまに教えてもらってやっていました。とは言え、生物学の勉強もありましたので、あくまでも趣味程度での話ですが、そこが私とプログラムの出会いでした。その後、大学院の研究の中でpythonを使うことはありましたが、逆に言うとそれだけ。つまり、1からいやほぼゼロから学習して行くと言う状態でした。それでも、自信はありました。」

マサカツ「それは、高校時代に机を並べて話していた友人と自分を比べた時に、決して負けていない、と思えていたことが大きかったとかありますか?」

エネス「い返せば、それはありますね。自分と同じぐらいの人物が使いこなしているものであれば、努力すれば確実にできるようになると思っていました。そして、それは正解だったという訳です。」

成功するまでやるだけ。このメンバーに対しては自信がありました。

マサカツ「なるほど。よく分かります。では、後者、つまり新規事業についてはどうでしょうか?」

エネス「事業については、ゼロから作り上げるものですから、小さな失敗は何度もするでしょうが、成功するまでやるだけだという考えでいました。ただ、一緒にやるのがマサカツさんとヌル(塩田)だったので、そのメンバーに対して自信がありました。私も入れた3人なら、大丈夫だと。」

マサカツ「それは、ありがたい話ですね。でも、私も当時思っていました。これで失敗したら、全部自分の責任だなと。さて、その後、ほぼゼロからプログラムを書き始めてどうでしたか?色々な苦労があったと思いますが。」

エネス「それは、もう苦労しました。初めの1年、いや特に初めの半年ぐらいですね。自分でも出来るかどうかが分からない、それがいつ出来るのかが分からない中で、でも事業も進み出して自分がエンジニアリング部分で足を引っ張っているような状況で悔しかったですね。」

マサカツ「まあ、当時はPMF(プロダクト・マーケット・フィット)前でエンジニアリングだけではなく、どの領域も定まっておらず苦しい状況でしたけどね。どうやって乗り越えていったのですか?」

エネス「経験です。出来るところと不透明なところがあるとすれば、段々と出来るところが増えて行くのですね。時間と共に段々と余裕を持って作れるようになっていく訳です。」

マサカツ「あと、エネスは、どんな時でも同じペースで仕事して確実に前進できるのはすごいな、といつも思います。」

エネス「ありがとうございます。ある種の傍若無人性があるというかマイペース性があるからですね、それが良い方向に繋がっている部分ですね。」

マサカツ「なるほど。ちなみに、今後どういったサービスを実装することを楽しみにしていますか?」

エネス「特別な人だけではなく、普通の人を感動させたり、勇気づけられるプロダクトを作りたいと思っています。私がお世話になってきたアニメのようなプロダクトですね。教育のtechnologyだからこそ、日本発のものだからこそ、できるんじゃないかと思っています。それに貢献していきたいです。そして、いつの日かトルコにも持っていきたいなと思っています。」

マサカツ「いずれトルコへも行きましょう。ありがとうございました。」


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