年間流通総額約800億円。EC事業の戦略策定から泥臭い現場の運用までを一気通貫で支援するオンサイト株式会社。「100名以下の少数精鋭」を掲げるこの組織には、元ライブドア副社長である代表・岸をはじめ、個性と実績を持つプロフェッショナルが集まっています。
その中で今、会社として特に熱量高く取り組んでいる領域が「地域創生」です。その最前線に立つのが、新卒7年目の古参メンバー・齋藤 紘太朗。山形県のさくらんぼ農家出身で、作るプロが報われない現実を近くで見て育った彼は、なぜ実家を出て東京のベンチャーで戦い続けるのか。
叱られてばかりの新人時代、組織拡大に伴う停滞感、そして辞めることを思い留まり、自ら営業部隊の立ち上げに至る再起の過去。「行動が伴わなければ、地域創生などもってのほか」。そう語る彼が、組織の危機を乗り越え、再びオンサイトらしさを取り戻して掴んだ、ビジネスとしての地域創生のリアルに迫ります。
齋藤 紘太朗 / クライアントソリューション事業部マネージャー
山形県出身。実家は兼業農家。早稲田大学卒業後、新卒でオンサイト株式会社に入社。ECコンサルタントとして支援先の売上を数百万から数十億円へ成長させるなど、現場の最前線で実績を重ねる。その後、数十名規模のオペレーション組織のマネジメントを経て、現在は法人向け新規営業部門とコンサル部門の責任者を兼務。組織再構築期には、現場と経営のハブとなり、カルチャーの再生に奔走した。
「美味しいのに、儲からない。」小規模農家が直面する現実。
ーー齋藤さんは、社内でも特に「地域創生」への想いが強いと伺いました。その原点はどこにあるのでしょうか?
僕の原点は、山形の実家にあります。実家は兼業農家で、さくらんぼや米、干し柿、ぶどうなどを作っていました。幼少期の記憶といえば、家の小屋にブルーシートを敷いて、家族総出でさくらんぼの箱詰め作業や、干し柿づくりを手伝っていた光景です。とても楽しかった。
ただ、現実はそんなに甘いものじゃありません。相手は自然です。台風が来れば木が折れ果物は落ちますし、病気が流行ればとれなくなる。カラスなどに食い荒らされることだって日常茶飯事です。計画通りに生産することは難しい。
子供心にずっと抱えていたのは、「こんなに美味しいのに、なんで儲からないんだろう」という疑問でした。家族が一生懸命育てた自慢の作物、味は抜群。それなのに、自然災害に怯えたり、高齢化で手入れができなくなった作物や畑を切り捨てざるを得ない現実。
「もっと稼げるようになれば、地元も家族も、誇りを持って農業を続けられるのに」。そんな歯痒さが、僕の根っこについていました。だからこそ、ただ作物を作るだけではなく、「どうやって経済として成り立たせるか」というビジネスの視点が必要だと、幼い頃から肌で感じていたんです。
ーーそこから、どのようにビジネスの道へ進む決意をしたのですか?
最初はボランティアでした。視野を広げ地元に貢献したいと思って早稲田大学へ進学。学生時代は沖縄の離島へ支援活動に行きました。人口数十人の限界集落ともいうべき場所が、将来の地元の姿と重なったからです。でも、そこで突きつけられたのは「ボランティアの限界」でした。
僕たちが島に行って掃除や手伝いをしても、半年後に行けば元通りになっています。結局は、その場限りの活動でしかなく、僕たちがいなくなれば、島にはほとんど何も残らない。「僕たちはただ沖縄を楽しみに来ただけじゃないか?」。自分たちの影響力のなさに、無力感を覚えました。
その時、地域おこし協力隊に参加されていた先輩からの言葉にハッとさせられました。「齋藤くん、農業だけを良くしても地域は変わらないよ。産業振興を含めて、経済が自立して回らないと、本当の地方創生ではない」。
優しさや想いだけで地域に入っても、結局は自分たちがお荷物になってしまう。ボランティアではなく、ビジネスとして利益を出し、継続的に稼げる仕組みを作らなければ、故郷は守れない。NPOや公務員ではなく、「実利」を作る民間企業で力をつけるしかないと感じた経験でした。
ーーそこから、なぜオンサイトを新卒で選んだのですか?
広告代理店や他のメガベンチャーも受けていました。でも、僕の軸は「戦略から実行まで全部自分でできること」でした。将来、自分で作って売る力をつけるには、分業が進んだ大手に入って歯車になるよりも、全部任せてもらえる環境が必要だったんです。
決め手になったのは、代表の岸です。当時の会社説明会で出てきたスライドが、キラキラしたベンチャーとは真逆のデザインで(笑)。でも、語っている内容が面白かった。
「日本の社長の平均年齢は60歳を超えている。彼らはネットを知らない世代だ。だからこそ、若手がネットを使って事業支援することは、経営そのものに参画することと同じなんだ」
こんな始まりだったと思います。そこに勝機を感じました。自分自身の手で商売を動かす力を身につけたいという想いとリンクし、オンサイトに飛び込みました。
組織の壁を壊し、「熱量」を取り戻すことを選んだ
ーー入社後は、すぐに活躍できたのでしょうか?
入社直後の自分は、何もできませんでした。満足なレポートも作れずに叱られ、クライアントとの商談に行っても、緊張で言葉が出てこない。商談後のテーブルが手汗でびしょびしょになったこともありました。深夜まで必死に売上計画を作って提案しても、「費用対効果に目処が立たない」と一蹴され、契約終了を告げられたこともありました。
そんな僕を救ってくれたのは、まさにそんな失敗を積み重ねながら担当してきたクライアントとの出来事です。提案の甲斐があり、成果が出てきてさらに成長させるというタイミングで、担当変更が決まりました。最後のご挨拶をさせていただいた後、僕の自宅に個人的な贈り物が届いたんです。もったいないくらいのストールでした。
会社の看板や契約関係を超えて、自分を一人の人間として信頼していただけた。自分なりに成果のために汗をかき続けた姿勢が、多少なりとも評価いただけたのだと実感できた瞬間でした。
スマートに正論を並べることではなく、顧客と時には耳の痛いことも言い合いながら、新たなトライアンドエラーをし続ける。それが、僕が目指すべき仕事のあり方なんだと確信しました。
ーーそこから順調にキャリアを重ねていったのですね。
いえ、そうだとよかったのですが、、、本気で会社を辞めようとしたことがあります。入社から数年後、会社が上場準備に入り、組織が急拡大した時期です。
管理体制が強化され、組織は縦割りになりました。受注CS・コンサル・制作・営業と組織も分断され、みなが自分の組織の目標ばかりを気にするようになった。それだけならまだしも、「誰のために仕事をしているのか」が見えなくなり、顧客への価値提供よりも、社内の調整や提案のリスク回避が優先される保守的な空気が蔓延していたように自分の目からは映りました。
あの贈り物をもらった時のような、顧客と一体になって挑戦し提案していく熱量は、もうそこにはありませんでした。「自分の好きな、挑戦する会社じゃなくなった」。そう感じた僕は、会社に「辞めます」と伝えました。
ーーそれでも、思い留まった理由はなんだったのですか?
悔しかったんです。このまま立ち去ったら、僕の中でオンサイトはただの「挑戦を忘れた会社」として終わってしまう。これまで歩んできて、この会社はこんなものではないはずと。
何より、入社理由でもあった「地域創生」をまだ何も形にできていないことが心残りでした。実家の農家や地方をビジネスの力で潤したいと志して入ったのに、成し遂げられずに諦めきれないと思ったんです。
それに、残っている仲間の存在も大きかったです。組織の停滞感はあっても、現場のメンバー一人ひとりが持つスキルの高さや誠実さは、ずっと隣で見てきた僕が一番よく分かっていました。だからこそ、そんな彼らの力が社内の調整やリスク回避のために発揮しきれないのは、純粋にもったいないと思ったんです。「環境さえ整えば、このチームは絶対にまた輝ける」という信頼があったからこそ、もう一度ここで挑戦する道を選べました。
ーーそこから単に留まるだけでなく、自ら「新規営業チーム」の立ち上げへの参画を直談判されたのはなぜですか?
組織が大きく揺れ再構築が必要な今こそ、自分が動けば、会社を理想の形に近づけるチャンスだと思ったからです。だから僕は、代表の岸に直談判しました。
「僕に『新規営業チーム』をやらせてください。そして、地域創生をさせてください」。
当時、社内では「営業なんて非効率だ」という声もありました。でも僕は、あえて一番泥臭い営業を選びました。なぜなら、これから挑む「地域創生」の現場では、縦割りの組織やマニュアル通りの対応なんて通用しないからです。部署が連携しなければ、地方の課題なんて解決できるはずがない。
その後も、何度も自分の力不足もあり社内外に対して悔しい思いをしてきました。それでも、また社内で組織の壁を壊すことも行いました。営業、コンサル、広告運用といった部署の垣根を撤廃し、全員を「ワンチーム」にしました。オフィスに大きなホワイトボードを持ち込み、全員の提案数や受注数を毎日ペタペタと貼り出したんです。
アナログなやり方ですが、「今日は〇〇社に提案できた!」「すごいじゃん!」と、成果が見える化されたことで、リスクを恐れて縮こまっていた組織にポジティブな熱量が蘇っていきました。
ふるさと納税で「39日間連続1位」
ーー組織の熱量を取り戻したチームで、どのようなプロジェクトに挑んだのでしょうか?
新たなチームの真価が問われたのが、ふるさと納税のポータルサイト運営支援でした。まず、オンサイトにとってふるさと納税の運営は初めての領域。しかも、制度改正でポイント付与が禁止された直後で、市場の動きが全く読めない大混乱期でのスタートでした。まさに手探りの状態です。
ここで僕たちは、オンサイトらしい戦略に出ました。ふるさと納税のセオリーは、寄付が集中する12月のピーク時や土日に広告費を投下することです。しかしあえて、「ピークが来る前に広告費をつっこむ」という決断をしました。
当然、ピーク前なので広告の費用対効果が悪化するため、一時的に赤字を掘るようなものです。でも、狙いは別にありました。先に寄付の実績を積み重ねることで、ピーク時にランキング上位獲得を狙い、なるべく自然流入で勝てる盤面を作っておく。こういったことを含め、これまでの民間企業様で培ったノウハウをフル活用していきました。
ーー非常にリスクの高い戦略ですね。実行できた要因は何だったのでしょうか?
これこそが、組織が連動した「ワンチームの連携」があったからこそです。例えばエンジニアチームは、データを自動で収集・分析するツールを開発してくれました。運用チームは、そのデータを元に1円単位で広告を調整し、さらに制作チームは勝てるクリエイティブを徹底的的に考え、毎週膝を突き合わせて対策会議をしていました。さながら合宿のように。
そして何より、クライアントであるの方々との信頼関係です。一時的に数字が悪化した時も、僕たちは逃げずに説明し続けました。
内心はヒリヒリしていましたよ。でも、僕たちの覚悟と泥臭い姿勢を見て、自治体の方々も信じて任せてくれたんです。
結果は、圧倒的でした。楽天ふるさと納税のランキングで、なんと「39日間連続1位」を記録。市場全体が昨年対比50%ほどに落ち込む中、昨年対比70%円のプラスを達成しました。
「齋藤さんたちに任せてよかった」。そう言っていただけた時、僕の中で「地域創生」と「組織再構築」という2つの戦いが、ひとつの成果として結実したのを感じました。
稼ぐ力なき者は、地域を救えない。
ーーこれからの地域創生において、オンサイトが目指す姿とは?
よく地域創生の文脈で「地域に入り込む」という言葉が使われますが、僕はその言葉に少々おこがましさを感じてしまいます。個人的に大切しているのは「誠実であること」です。
地方の現場の方々は東京の若造が、理屈だけを並べても動きません。もちろんロジックも大切ですが「一緒に汗をかいているか、成果に対しての説明責任を果たせるか」は遥かに重要です。オンサイトでもよく言われる「愛嬌」や「誠実さ」とは、そうした成果への執着から滲み出る人間味であり、さまざまな世界で通じるポータブルスキルの一つだと理解しています。
そして、僕のゴールはふるさと納税での寄附金額を増やすことではありません。それはあくまで「財源」を作ったに過ぎません。本当の勝負はここからです。獲得した財源を、工場の設備投資や道の駅の整備、新しい販路の開拓など、地域の「次の産業」にどう投資するか。補助金や寄付がなくなっても、地域の人たちが自分たちの力で稼ぎ続けられる自走する産業を作ること。そこまでやって初めて、深い意味での地域創生なのだと思っています。
ーー最後に、読者へのメッセージをお願いします。
今、地方出身で「地元のために何かしたい」とくすぶっている人へ。その気持ちは、痛いほどわかります。でも、当たり前ですが「想い」や「優しさ」だけでは、地域は守れません。厳しいビジネスの世界で、自分の足で立ち、利益を生み出す「稼ぐ力」を身につけなければ、新しい風を起こすのは難しい。
逆に言えば、その力さえあれば、場所なんて関係ありません。何のスキルもなかった僕が紆余曲折を経てこんなことをしています。泥臭く、本気でビジネスをしたいという方を待っています。
僕たちの旅も始まったばかり。課題もたくさんありますが、それすらも一緒に楽しんでいきましょう!
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