本記事について
株式会社スケッチ・オブ・デザイン様の協力を得て、弊社代表の牧野に会社への想い、これまでのキャリアから株式会社ニュー創業に至るまで、様々な角度からインタビューした内容となっています。
少しでも株式会社ニューの輪郭が読者のみなさまに伝わると幸いです。
インタビュー対象者
株式会社ニュー 代表取締役 牧野 靖正
「何もない」と腐った自分にも、ゼロから価値を生む「創造力」だけは残っていた
勉強も少年野球もサッカーもギターも何もかも中途半端、将来やりたいことなんて何もなくて、ただただ漫然と遊んでばかりいた学生時代でした。一応、受験勉強だけは、高校卒業後の進路選択が差し迫った高3の夏に、お尻に火がついて、学年で下から数えて3位・アルファベットの小文字すら書けないレベルから再開。どうにか駒澤大学に引っかかったものの、入学早々、次の目標がなくなって、元の生活に。案の定、単位もろくにとれず、何一つ学びのないキャンパスライフを送ってしまいます。
そんな私でしたが、世間知らずと根拠のない自信ゆえだと思いますが、就活が始まると、戦略コンサルティング会社の選考に参加してみたんです。明らかに場違いで、その場で求められる受け答えすら満足にできず、次第に空気のように扱われてしまいます。「もしかして自分は価値のない人間なんじゃないか」と、とてつもない悔しさに苛まされるわけです。あらゆる後悔が押し寄せ、ひとしきり落ち込んだ後、「仕事だけはやりきってやる」という固い決意だけが残っていました。
加えて経済的には不安定な家庭環境で育ったこともあって、「このままじゃ食いっぱぐれる」鮮明なイメージが浮かんで頭から離れないという危機感も後押ししたのだと思います。そのためには手に職をつける必要がある、中でも「原材料は人の創造力だけで、ゼロから価値を生み出せる」IT業界でなら、現時点で何もない私でも逆転できると確信し、中規模の独立系SIerに新卒入社するに至ったのです。
「どう作るか」ではなく「なぜ作るか」
こんな経緯で取り組み始めたプログラミングは、肌に合っていたのでしょう。これまでの怠惰な生活が嘘のように、仕事に没頭。次第に形態素解析をはじめとしたAI技術にも関わるようになると、もっと技術を磨いていきたいと休日も勉強に励むようになりました。キャリアアップのために転職したSES会社では、タフな現場をサバイブ。自分自身の中途半端さに泣いた過去があったからこそ、「ここで逃げたら終わり」だと思ってやり切った覚えがあります。
そして、フリーランスに転身。ここで、今でも感謝してもしきれない大きな恩を受けます。独立に際して、先のSES会社の社長が、餞別にとある高単価の案件を紹介してくれたのです。蓋を開けてみると、その高単価には訳がありました。といっても決して炎上プロジェクトの火消しといったものではなく、業界でも聞き慣れないレアなスキルセットが求められるポジションだったからなのです。そう、実はこれこそが「システムディレクター」という仕事で、ここで私は現在に連なる、運命的な出会いを果たしたわけです。
名前こそシステムエンジニアに似ていますが、システムディレクターとしての業務をこなすうえで、私は思考のしかたを180°転換する必要がありました。エンジニアが「システム/機能をどのように作るか」という技術的な「How」を担うのに対して、ディレクターは「システム/機能をなぜ作るのか」という論理的な「Why」を顧客とともに突き詰めながら、あるべき姿を描いていくイメージです。ですから、「何が何でもシステム」ではなく、運用や業務設計の変更でまかなう提案をしたり、プロダクト/サービスの周辺まで含め、ビジネスとしてトータルに関わっていくのです。
経験上、その「Why」から目を逸らし、降ってきた仕様通りに開発すること自体が目的になってしまっているプロジェクトは枚挙に暇がないですし、私自身完全にそのジレンマに陥っていたはずです。ですからここには技術者として完全に血を入れ換えるくらいのギャップがあり、プロジェクト参入当初はまったく戦力になれなかったのが正直なところです。
機能「個別最適」のエンジニアリングから、事業「全体最適」のシステムディレクションへ
ターニングポイントは、「QA1000本ノック」。エンドユーザの事業部門の方々から日々押し寄せるQAに対して、ワンストロークのやりとりでクローズできるよう、全身全霊を込めて回答を作り続けました。お客様の不安や心配事を先回りして解消することをくりかえすうち、半年もする頃には「お客様の立場」で「Why」を考え抜くことに慣れることができた気がします(同時に、開発側の免責も考慮する必要はあるのですが)。少しでも論点を外した甘い返答なんてしてしまったら、針のむしろですから、それはそれは毎日が真剣勝負でしたね。
そうこうするうち、気付いたんです。現在のいわゆるエンジニア的思考法は、分業制が行き着いた個別最適に過ぎず、むしろこのシステムディレクター的思考法こそが自然かつ普遍的なものじゃないかと。つまり、システムディレクターというポジションの存在自体が過渡期であり、本来はエンジニア、いや、すべての社会人が持ち合わせるべきスキルなのです。逆に言えば、システムディレクターが不要になった時こそ、名実ともに「システム=ソリューション」と胸を張れるのでしょう。
その後、2019年1月、株式会社コードベリーに取締役としてジョイン。開発プロジェクトと並行し、経営陣としてのビジョン・ミッション作り、それらに沿ったブランディング、制度設計、組織開発に従事し、会社の成長基盤作りに寄与できたと自負しています。
コードベリーでは、多くのシステム開発のプロジェクトを、これまで以上に俯瞰で見ることになったわけですが、その過程でシステムディレクターの必要性を再確認しました。そこで、システム開発のディレクションに特化したかたちで世に問いたいという想いから、2021年1月に、この株式会社ニュー創業に至ります。半年後には2名のメンバも合流、私たちニュー流のディレクションスキルの標準化を行いながら、それぞれが各現場で順調に存在感を増していっています。
ニュートラルな立場で、ニューロンのように世界の隅々まで、「システムディレクター」の価値を伝播していく
「ニュー/neu」という社名には、2つの意味を込めています。1つは、「ニュートラル(neutral)」の「ニュー」。当社の「大事にする価値観」でも真っ先に上げている「中立」ですね。この「中立的な立場で疑問を持ち、客観的に考える。」こそが、システムディレクターの最初の立脚点だと確信しているからです。
もう1つは、「ニューロン(neuron/神経細胞)」の「ニュー」。人間の脳機能は、中央集権ではなく、ネットワーク的な分散型だと言われています。ですから、トップダウンというよりはボトムアップ、そして、ブーリアンで白か黒ではなく曖昧なグレーな生き物だと思っています。先程、論理的な「Why」の追求について述べましたが、その根底にあるのは、そんな曖昧な人間の「感情」です。「自分はもちろん、他人の気持ちを想像し大事にする。」ことが前提で、それを言語化しながら考え抜こうというスタンスなのです。
私たちは「心理的安全性」を、決してなれ合いではなく、本質的な対話を通じて、問題を解決できる環境があることだと思っており、そんなカルチャーを全力で育んでいます。だからこそ、公私問わずあらゆる局面で通用する問題解決能力が鍛えられていきますし、この創業初期ステージにおける会社作りに、立場によらず関わることができます。
また、いまだ誰も確立できていない、この「システムディレクター」という仕事の方法論をまとめあげていくことで、業界のパイオニアを目指します。しかも、現場から乖離した学問としてではなく、それを最先端・最大規模のWebサービスで実践したり、プライム案件でお客様と膝を突き合わせて試行錯誤したりしながら、実学として進化させていくわけです。
また技術者のキャリアデザインとしても、システムディレクターは今後の脚光を浴びていくに違いありません。今は売り手市場ゆえ、コードが書けさえすれば食いっぱぐれないと楽観視しているエンジニアが多いですが、近い将来、頭1つ抜けた高い技術力か、ディレクション能力がなければ取り残される日が訪れます。結局は、思考停止することなく、徹底的に考え抜く、それだけが成長の王道です。ともに真のシステム/プロダクト作り、問題解決を。そして、たった一度の自分の人生を、セルフディレクションしましょう。
インタビュアー・監修
株式会社スケッチ・オブ・デザイン様(https://www.ofdesign.co.jp/)