【挑戦者側から、社会をおもしろくする。】
「チアダンスで世界一」を経験した後、旅行会社を経てナイモノに入社。入社早々に特殊なケースを任され、「応援者である」ことを体現し続ける社員にインタビュー!
新型コロナの影響で激動の変化の中でも、「雑談やウェット感、ウザがられてもゴリゴリと」のコミュニケーションで、RAとして企業との新しい関係性をつくり上げてきた髙橋のこれまでの1年間をご紹介します!!
地方企業、初の新卒採用、フルリモート。
2021年7月、髙橋がナイモノに転職し、RAとして働き始めて1ヶ月。
まだ業務に慣れない中でも、企業担当として「今の自分にできることを」と仕事に向き合っていた。
そんなある日、ふいに代表の霜田から声をかけられた。これまで取引のない、ある地方の健康食品メーカーとのオンライン会議に同席することになった。
PCでつないだ会議の画面の向こうには、2人の社長と自分よりいくつも歳上の2人。髙橋には細かい状況はつかめないまま、他の4人で話が進んでいく……。1時間ほどの打ち合わせを経て、いつのまにか、髙橋が同社の新卒採用の担当になることが決まった。
「会議の間は何もわからないまま、ただニコニコしていただけです(笑) そうしていたら、いつのまにか自分が担当することになっていて。右も左もわからないまま、まわりに頼ったり聞いたりしながら進めていきました」
その会社にとって初めての新卒採用。十数名の地方の健康食品メーカーであり、主に首都圏の企業を顧客に抱えるナイモノにおいては特殊なケースな上に、新型コロナの影響もあって直接の面識はもたないまま、進めていくことが求められた。
ナイモノ髙橋ではなく「社員のつもりで」
まったく異なる業界で働いていた髙橋にとって、企業の新卒採用サポートの知識や経験は多いとはいえない。自身の就職活動でもいくつもの業界を受けたわけでもなく「決め打ち」ともいえるほどの過程を経て、目指した会社に入社を果たした。そういう意味で、当時の髙橋は必ずしも「採用のプロ」というには、足りないものも多かった。
「ただただ、カオスでした(笑) 新卒採用のことなんてほとんどわかってないままに、自分を信じてくれている社長さんや会社のことを考えて、自分なりにできることをやるしかありませんでした」
そんな状況の中で、担当した企業の初めての新卒採用を成功させるために髙橋が考えたのは「とにかく、この会社の良さを知ってもらう」こと。そのために、自身がその会社を知ることだった。
社長との会話の中にも小さなヒントを見出しながら、採用ターゲットを明らかにしていく。説明会のための資料も自分から言い出して作成した。早い段階で選考にもかかわるようになり、社長や人事から学生の感想や選考時のアドバイスを求められるようになるまでに、それほど時間はかからなかった。
ここまで踏み込んだ業務は、もともとの契約条件としてあったわけではない。ただ、ナイモノとしても髙橋としても、あくまでもミッションは新卒採用を成功させること。同社にとって初めての新卒採用だからこそ、髙橋は自分にできることは何でもやると決めていた。
「ナイモノの社員として採用をサポートする関係、というよりもその会社の“社員の髙橋七海”のつもりで働いていました。だからどんなに些細なことでも細かく連絡をとっていたし、どんなにウザがられても、ゴリゴリ行こう!って決めていました」
「負けず嫌い」で勝ち取った世界一
髙橋は自らのコミュニケーションを「ウェットな方」だと語る。
ビジネスの場で難解な言葉を多用したり、変に専門的な言葉で表現したりと、ドライにかかわるのではなく、あくまでも自然体。同社の採用のサポートをする中でも、時間や場所にかかわらずいつでも連絡を取り合って、「雑談できる関係性」を目指した。
「そもそも交渉ごととかテキストにするのは苦手なほうで……(笑) 仕事であっても、まずは相手と仲良くなりたい、という気持ちが強いんです。人によって、好き嫌いもあれば、個性も違っているわけで、相手のおもしろいとこを探していくのが楽しいし、そのほうがお客さんに向き合えている実感があります」
そんな自然体のコミュニケーションを得意とする髙橋だが、学生時代まではむしろ「負けたくない」という気持ちが原動力だったと言う。
幼い頃からバレエを始め、小学校では地元のプロサッカークラブのチアダンスチームに所属して、トップチームに選ばれるまでになった。中学生になってからは、より高いレベルを求めてダンス留学もした。常に心の中には、「上手くなりたい、負けたくない」という感情が溢れていた。
その後、高校を経て大学に入ってからもチアダンスを続けキャプテンとなり、各国のチアダンスチームが集まる世界大会で優勝を勝ち取った。そうした幼少期からの「負けず嫌い」が、大きな実を結ぶ経験につながった。
4年越しの再会で、針路が決まった。
その世界大会では、「世界一」の実績とともにもうひとつ、髙橋の人生に大きな影響を及ぼす出来事があった。
「高校生のとき、あのクラブチームにいた髙橋さんですよね?」
大会が開催されるアメリカに向かう際に、JTBの添乗員の一人から声をかけられた。
話を聞くと、高校時代に遠征などを担当していたその人だった。年間で何百人もの顧客を担当する旅行会社の社員が、4年を経た今でも自分のことを憶えてくれている……。
その驚きと感謝が、髙橋の感情を動かした。
大会に向かう空路でも、優勝を手にして帰る道でも、時間の隙があればとことん話を聞き続けた。人の生活に寄り添う仕事、一人ひとりに向けたサービス、海外の空気やそこでの対応、仕事の醍醐味や魅力について、空港でのトランジットでも現地に着いてからも、話を聞けば聞くほど旅行業界への興味が刺激された。
就職活動の時期を迎えていた髙橋は、「旅行会社」という大きな選択肢を得た。その強い想いを胸に、就活が始まってからも旅行業界への強い志望をもって動いた結果、JTBからの内定。
入社後は海外を飛び回り、数百人もの旅行をとりまとめ、顧客にも恵まれながら、充実した日々をすごした。
ときには法人の研修旅行での突然の雨の中、40本の傘を調達して運ぶ日もある。一方で、自分の収入では予約することさえできないような高級飲食店に同席する経験もした。あるときは社員数1000名を超える企業の役員から「おれが在籍しているうちはずっと、髙橋に任せる」とまで信用を得た。
しかし入社3年目、新型コロナが発生し、世界中が混乱に巻き込まれて旅行業界は大きな打撃を負う……。
改めて感じた「応援者」の意味
社内では「新型コロナの影響から元に戻るのは、10年はかかる」 そんな言葉も聞こえてきた。
会社を取り巻く状況もこれまでとは変わる。信頼していた先輩社員たちも違う環境へ飛び出していく。営業目標も下方修正されていく中で、新しい取り組みや挑戦の提案をしても受け入れられることはない。これまでとは空気が変わっていくのを感じていた。
そんな状況を肌で感じたことで、髙橋としても漠然と「そういうタイミングなのかもしれない……」との考えが頭をよぎった。とはいえ、決して会社も仕事も嫌なわけではない。だからこそ転職活動にも積極的にはなれなかった。
数ヶ月の転職活動を経ても、次の会社は決まらない。
それでも現状を変えていく必要も感じていた。
そんなどっちつかずの状態に踏ん切りをつけようと、意を決して会社に辞意を伝えた直後に、ナイモノに出会った―――。
面接では、霜田から「挑戦者の一番の応援者になる」という想いを聞いた。
振り返れば、自分がJTBに入社したのも、高校時代から大学に至る「応援者」がいたからこそ。入社後も厳しい環境の中で、旅行を通して顧客の応援者となることで信頼を得てきた。ふいの出会いから、自身の次のステージを見つけられた気がした。
1時間ほどの面接を終えた後、霜田に「良い返事、お待ちしています!」と言われてエレベーターのドアが閉まったその瞬間に、「この会社に決めよう……」と決意をした。
企業と学生の未来をつくるという自負
CAとして入社した後、現実の場で学生たちとかかわりながら「人の未来が変わっていく仕事」の責任感を抱きながら、日々の業務に向き合った。髙橋にとって未経験のことだらけ。その上、新型コロナの影響で多くの社員がリモートワーク……。
その状況で髙橋は、社歴も長くいつもオフィスにいることの多い辻川に、毎日何度も質問を投げかけた。
「もう、わからないことを誰に聞けばいいのかもわからない状況で、当時の社内は殺伐としていて(笑) とはいえ、聞かなきゃ何もできないし始まらないので、辻川が社内で1,2を競うほど多忙なことはわかりつつ、毎日質問をしてばかりいました。
他の社員からは、“なんでそんなに話せるの?”とも言われるけれど、私としては“逆になんで聞かないの?”というくらいで。空気の読めない人間なのかもしれません(笑)」
CAを経験した後にRAになったからこそ、両者の立場を踏まえた上で、髙橋は現在の仕事を「未来をつくる仕事」だと表現する。
「私が企業の目の前に立つのと他のRAが立つのとでは、学生の未来も企業の未来も変わるわけで、誰がそこに立つのかどんな人間が立つのかで変わる。そういう、学生と企業の未来をつくるという意味で、すごくやりがいのある仕事だと感じています」
入社3ヶ月が経った頃にRAとなって、冒頭のエピソードが生まれる。
ナイモノのRAの中でも、髙橋ほど企業の奥にまで入り込む社員はいない。人材業界が未経験ながらも、自分ができることを「空気を読まずに」踏み込んできたからこそ、今では髙橋を信頼する企業に囲まれながら、企業と学生の未来をつくり続けている。
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